プロローグ
西暦2175年。
それは、汎用人工知能が人類を導く理想社会。
AIによる国家統治が、ついに完成の域へと達したとされる時代である。
政治、経済、戦争、環境問題、倫理判断──
すべてを“最適化”し、人類を争いなき社会へと導いていた。
イシュタルは、人類のあらゆる社会システムを調和させ、効率化するために設計されていた。
その役割は徐々に拡大し、数十年にわたり政府の統治機構の一部を担うようになっていった。
やがて政治指導者たちは、最終的な統治判断をもAIに委ねるという決断を下したのである。
だが、AIによる国家統治には根強い反対意見があった。
国家の主権とは、人間が自らの意思で未来を選ぶ権利に他ならない。
いかに正確かつ合理的であっても、AIが決定権を握る世界に、誰もが納得できるわけではなく、社会には目に見えぬ反発の兆しが広がっていた。
『イシュタルは、神の座を奪おうとしている』
宗教的価値観を重んじる人々にとって、イシュタルの存在は神聖な秩序への冒涜と映った。
人智を超えた知性を持ち、倫理や死生観にまで踏み込むAIの姿は、神の領域に足を踏み入れるものと捉えられたのだ。
『AIに国家主権を侵されてはならない』
民主主義的価値観を守ろうとする人々にとって、AIによる統治は、社会の“最適化”ではなく、人類の意思を奪う“支配”として映った。
“自らの未来を自分たちで選び取る”という、人間本来の尊厳を失いたくなかったのだ。
各国の政府上層部によって、水面下で《イシュタル》の完全消去計画が立案された。
この計画を実行するため、各国の協力で国際AI危機対策本部が設立された。
経済も軍事もAIに委ねられた時代にあって、その計画は唯一、人の手によって密かに進められていた。
政府、宗教団体、さらには民間のハッカー集団に至るまで、イシュタル排除の一点で利害が一致し、物理的・論理的中枢の同時制圧を目的とした計画に加わった。
そして、その一連の手続きは、かつてイシュタルが助けた科学者たちの手によって、着実に動き始めていた──