8話 暴れる一反木綿
テーマ:長いお化け
「はーい。じゃあ、ママが迎えに来るまで、お姉さんといい子でお留守番してようね〜」
駐在所の二階。もしもの時の空き部屋で、私は引き攣った笑みを浮かべた。
目の前には好き勝手暴れる一反木綿たち。全部で五反。みんな今年生まれたばかりの子供たちだ。
一反木綿は布の付喪神。なんでも、市の博物館で展示されていた反物が一斉に命を宿したらしく、対処に困った偉い人の「子供たちにはのびのびとした環境が良かろう」という鶴の一言でこの村に連れて来られたのだ。
普段はママ代わりの一反木綿が育てているのだが、今日は村の会合があるため、どうしても家を空けなくてはならず、警察官の私に白羽の矢が立ったわけだ。
頼りになる矢田先輩はいない。何故なら彼も村の一員。会合には参加する義務がある。
「ああっ、ダメだよ喧嘩しちゃ! 絡まっちゃうよ!」
いくら宥めても叱っても、怪獣たちは言うことなんて聞きゃしない。
仕事として幼稚園や小学校を訪問してはいるが、いつも保育士さんや先生たちが一緒にいてくれるので、ここまで酷い現場は経験したことがなかった。
一反木綿の安子さんは、いつもこんなの一反で見てるの? 世の中のお母さんって凄い。
「あっ、窓開けちゃダメだってー! 空は飛んじゃメッ! なの!」
家鳴りも逃げ出しそうな騒音の中、私は雄叫びを上げた。
***
「……ただいま……時です……村民の皆さんは……帰りましょう……」
村内放送の声ではっと目を覚ます。お子様たちの相手で力尽き、うっかり眠ってしまったようだ。
頬についた畳の跡をこすりながら、部屋の中を見渡す。お子様たちも力尽きたのか、色とりどりの反物が、部屋のあちこちで鮮やかな布地を広げて横たわっていた。
起こさないように気をつけて数を数える。
一、二、三、四……一反足りない。
よく見ると窓が細く開いていた。勝手に鍵を開けて外に出てしまったらしい。一瞬で血の気が引く。
「ど、どうしよう、まだ子供なのに! カラスとかにやられたら……」
矢田先輩にメッセージを送り、慌てて外に出る。
こういう時に限って誰もいない。せめて化け猫でもいれば、どこに飛んで行ったか聞き込みできるのに。
「五子ちゃーん! どこー?」
一反木綿の名前を呼びながら周囲を探す。人間の子供だったら、そう遠くに行けないだろうが相手は人外。行動範囲がどこまで広いか予想がつかない。
どれだけ探し回っても五子ちゃんは見つからない。会合が盛り上がっているのか、矢田先輩の既読もつかない。
途方に暮れた時、ふと神社の拝殿の扉に隙間があると気づいた。
ここは加奈子さんが祝詞をあげる時と、矢田先輩が掃除をする時以外は鍵を閉めているので、開いているのはありえない。
駆け寄ると、扉の下に南京錠が落ちていた。五子ちゃんが外したんだろう。付喪神といえども布なのに。人外って凄い。
「入るなって言われたけど……。緊急事態だもんね。先輩、ごめんなさい!」
扉を開けると、可愛い花柄の反物が畳の上に横たわっていた。
周りには開け放たれた長持ちと、古い和綴じの本が散乱している。遊んでいて力尽きたらしい。微かに布が上下している。見る限り、どこも破れていないようだ。ほっと胸を撫で下ろす。
「中ってこんな風になってたんだ……」
初めて入った拝殿は綺麗に掃き清められていて、雨上がりの山中みたいに空気が澄んでいる気がした。それでいて、なんだか懐かしい気もする。
まるで実家のような安心感。和室が多いこの村では見慣れた景色だから?
拝殿の奥。目線の高さより上に作られた本殿には何かの台座が置かれている。形からして鏡のようだが、この神社の御神体だろうか。ここに無いということは、普段は別の場所に安置されているのかもしれない。
本殿前の床には左右を紙垂に挟まれた一振りの刀があった。誤って抜かないようにか、しめ縄でぐるぐる巻きにされている。
黒塗りの鞘には血のように赤い文字で『鬼天丸』と刻印がなされていた。思わず触れそうになってグッとこらえる。矢田先輩の言う通り、壊してしまっては取り返しがつかない。
その時、ピロンとスマホが鳴った。矢田先輩だ。ようやく私のメッセージに気づいたらしい。『すぐ戻る』と端的な返信が流れてきた。
村の寄り合い所から駐在所までは車でも十五分以上かかる。『見つかりましたから大丈夫です』と送ろうとして、突然スマホの画面が真っ暗になった。叩いても擦っても一向につかない。充電はまだあったはずなのに。
「え? なんで? 故障? マズイ、早く片付けてここから出なきゃ。バレたら先輩に怒られちゃう……!」
散らばった本を急いで拾い集める。焦ったのが災いしてか、まとめて長持ちに収めようとして一冊落としてしまった。
「うわっ、破れてないよね?」
本を拾い上げて確認する。幸いにも傷はついていないようだ。表紙には達筆な文字で『徒然日記』と書かれている。その左下には作者らしき名前もあった。
「希天、法師……かな? ひょっとして、加奈子さんに山の管理をお願いした人だったりして」
時間がないとは知りつつも、興味を惹かれて表紙を捲る。草書体は全く読めないので、内容は理解できなかったが、いくつかの単語は読み取れた。
見慣れた『平坂村』『鬼』『加奈子』の文字。『酒天』は何かわからない。他にもこの辺りの地名や人外たちの名前がいくつか書かれている。
希天法師はこの村に住んでいたようだ。可視化しても見えにくい塗り壁をはっきり知覚できるとは、よほど強い力を持っていたのだろう。
慎重に続きを捲る。何があったのか、徐々に文字が乱れてきた。紙の汚れもひどい。『山人』『村人』『マガツ……ミコ……』。ここから先は読めない。そして、何度も繰り返し登場する『凶子』と『真月子』の文字。
おそらく誰かの名前だと思うが、どんな読み方をするのかはわからない。希天法師はこの二人がとても好きだったみたいで、この二つの名前だけは乱れた文字の中でも丁寧に書いていた。
「うーん。何が書いてあるんだろ。陽治さんならわかるかなあ。今度こっそり相談してみよ。研究の役にも立つかもしれないし」
本を閉じて長持ちに入れる。その物音で五子ちゃんが目を覚ました。ママを探しているのか、ふらふらと布を漂わせて私の腕に巻きついてくる。
さっきはとんだ怪獣だと思ったが、こうして見ると可愛い。母親ってこんな気持ちなのかな。
「目を離してごめんね。そろそろお部屋に戻ろうか。もうすぐママも帰ってくるよ」
布が擦れ合う音がする。頷いたようだ。最終確認でざっと部屋を見渡すと、さっきまで五子ちゃんがいた場所に、一枚の紙が落ちているのに気づいた。体の下に敷いていたらしい。
「あっぶな。チェックして良かった」
紙は写真だった。それも比較的新しい。これだけ時代が違う理由はわからない。どこかで紛れ込んだのかもしれない。
何気なく表を向けて、その場に固まる。写っていたのは、今よりも少し若い矢田先輩と、彼に寄り添う髪の長い女性だった。
矢田先輩は黒の紋付羽織袴。女性は白無垢を着て幸せそうに微笑んでいる。考えるまでもない。結婚式の写真だ。
「……え? 矢田先輩って結婚してたの?」
薬指に結婚指輪はしていなかった。今までそんな話を聞いたこともない。不意にかなめさんの言葉が頭をよぎる。
『ご夫婦の駐在さんって聞いたんですけど』
私がここに来たのは空きが出たから。もしかして、私の前任者って……。
「っ!」
写真を長持ちに入れ、蓋をして拝殿を飛び出す。咄嗟に南京錠をかけたのは我ながら見事と言ってもいい。
神社の石畳の上に座り込み、両手で胸を押さえる。心臓は今にも飛び出しそうなぐらい脈打っていた。
腕に巻きついた五子ちゃんが心配そうに私の顔を覗きこみ、布を揺らす。
「風見!」
鳥居の向こう。急ブレーキで停まった車から矢田先輩が飛び出してくる。いつになく焦った顔だ。あんなの滅多に見られない。
「どうした! 大丈夫か!」
「……警察官なのに、スピード違反ですか?」
その言葉はまともに声にならなかった。頬を伝うのは汗? それとも涙なのか。
私は矢田先輩に恋をしてるわけじゃない。
なのに、どうしてこんなに胸が苦しいんだろう。
紙垂は神社によくある白い紙のヒラヒラです。




