6話 付喪神の赤ちゃん
テーマ:丸いお化け
家の中に戻り、紅茶を飲んで人心地つく。陽治さんが帰ってきて、かなめさんも落ち着いたようだ。血の気が失せていた肌が鮮やかな赤色に戻っている。
「さっきの、怖かったですね。あんなに不気味な幽霊は初めて見ました。たぶん矢田先輩も遭遇したことないんじゃないかな」
ぽっかりと空いた眼窩。まともな形を成していない体。あの声を思い出すと、また頭が痛くなってくる。
陽治さんはこういう古い土地には色々なものが集まってくるのだと言った。
「この村は地形も特殊です。山の主が神ではなく妖怪というのも珍しい。それも、四方とも名の知れた大妖怪だ。魔をもって魔を制すと言いますか、まるで何かを閉じ込めているような……」
「……それはヤマビト信仰と何か関係があるんでしょうか」
「わかりません。それはこれからの研究次第ですね」
私たちを安心させるためだろう。陽治さんはにこりと笑った。
「あの類のものは招かれないと入れない。この家には私がいますから大丈夫です。それよりも、本題に入りましょう。貴重なお休みをこれ以上消費しては申し訳ないですからね」
まだ釈然としないが、ごねたところで何かわかるわけでもない。陽治さんを先頭に、かなめさんと連れ立って納戸に向かう。
納戸は家の北側。あまり日の当たらない場所にあった。中は六畳ぐらいのスペースで、電気をつけても薄暗く、隅に畳んだ段ボールがいくつも置かれている。それでも埃臭くないのは、かなめさんがしっかり掃除しているからだろう。
陽治さんは納戸の奥に積まれた長持ちから正方形の平べったい木箱を取りだした。体育会系の部活に入っている子のお弁当箱ぐらいのサイズだ。
促されて箱を開けると、中には白い和紙で包まれた円盤があった。
「そっと紙をめくってみてください」
言われたまま紙をめくる。出てきたのは古びた鏡だ。そこに映った姿に驚いて、つい落としそうになったが、かなめさんが咄嗟に支えてくれて事なきを得た。
「す、すみません。手が滑っちゃって」
「大丈夫ですよ。僕も落としそうになりました。誰でも驚きますよね。鏡に目が浮かんでいたら」
目? そんなものあったっけ?
心臓の鼓動を落ち着かせながら、もう一度鏡を覗き込む。すると、綺麗に磨かれた鏡面の上部に、つぶらな一つ目が浮かんでいた。
目が合うと嬉しそうに細めるので、釣られてこちらも笑顔になる。
「僕の実家から持ってきたものです。引っ越してきた時はただの鏡でしたが、昨日の夜、見てみたらこうなっていました。いわば付喪神になりたての赤ちゃんですね。まだ弱いですが、照魔鏡の力があるようです」
「照魔鏡⁉︎」
照魔鏡は人外の正体を明らかにする鏡だ。これさえあれば詐欺知らず。つまり警察には欠かせない力である。
人外が可視化されてから百年。ありとあらゆる手を使って照魔鏡をかき集めているものの、数が少なく、貸出申請をしてもこんな田舎には滅多に回ってこない。これさえあればすぐに解決したのにと涙を飲んだ事件はたくさんある。
「警察組織にとって、照魔境の力は何よりも必要でしょう。お譲りいたしますので、捜査にお役立てください」
「えー! ありがとうございます! 本部から表彰されるかも!」
ものすごい棚ボタだ。何度も頭を下げ、リュックに入れた照魔鏡と渡されたお土産――余ったスイートポテトを抱えて帰路につく。
少し怖い目に遭ったが、行ってよかった。かなめさんとも仲良くなれたし。
けれど、とても言えなかった。
一瞬だけ見えた自分の髪が長かったかもしれないなんて。
***
駐在所に戻ると、巫女服を着た加奈子さんと上下ジャージ姿の矢田先輩がくつろぎスペースでお茶を飲んでいた。
加奈子さんは神社の祭日――毎週日曜日と祝日に祝詞をあげにくる。つまり神主の役目も担っているのだ。鬼が神社で祝詞をあげるというのも、なかなか凄い絵面だが、何百年も続いているなら立派な伝統である。
「お帰りなさい、はとりちゃん」
「ただいまです、加奈子さん。もうお勤めは終わったんですか?」
「日の高いうちにね。今は矢田くんとまったりしてるとこ。いい男は目の保養になるのよねえ」
東尋坊さんが聞いたら泣きそうなことを言い、加奈子さんは嫣然と微笑んだ。矢田先輩は聞こえないふりをしている。
「首藤さんはどうだった? 変なものが見つかったって話だが、問題なさそうか?」
「よくぞ聞いてくれました! 見てくださいよ、これ!」
リュックから取り出した木箱を掲げて胸を張り、意気揚々と照魔鏡について報告する。
さぞかしいい反応が来るかと思いきや、矢田先輩は眉を寄せて私の手の中の木箱をじっと見つめた。
「……鏡を覗いたか?」
「いえ。鏡を包んでいる和紙を少しめくって、一つ目があるのを確認しただけです。生まれたての赤ちゃんを裸にするのも可哀想かと思って」
咄嗟に嘘をつく。何故かはわからない。けれど、そうしないといけない気がした。
背中を汗が伝っていく。相手は自分よりも遥かに経験を積んだ警察官だ。動揺を悟られないように必死に平静を装う。
矢田先輩はしばらく私を観察していたが、やがて目を逸らして「それならいい」と呟いた。
「鏡に化けた人外かも知れねぇからな。本部で確認が取れるまでそのままにしとけよ。もし雲外鏡だったら生気吸われちまうぞ」
「そうよう。照魔鏡と雲外鏡って似てるからねえ。駐在さんと言えども、はとりちゃんは人間なんだから気をつけないと」
先輩と大妖怪のありがたいお言葉を拝聴し、木箱をリュックに戻す。そして忘れないうちに、さっき遭遇した白い幽霊についても報告した。
「意思疎通の難しそうな人外……いや、幽霊か。しばらく七辻の巡回を強化した方が良さそうだな」
「そうしてください。かなめさんも不安でしょうし」
「私も注意しておくわねえ。もし、またちょっかい出してくるようだったらすぐに言って。懲らしめちゃうから」
どう懲らしめるのか怖いが、ご厚意は受け取っておく。
七辻は西の山に近い分、治安はあまりよろしくない。みすみす被害を出しては警察官の名折れだ。より気合を入れて頑張ろう。
その時、村内のスピーカーから十七時のチャイムが流れた。ノスタルジーを掻き立てられる音楽が辺りに響き、加奈子さんが椅子から立ち上がる。そろそろ山に帰るのだろう。
「じゃあ、矢田くん、はとりちゃん。また明日ね。山で待ってるから」
「え? 明日?」
そんな話は聞いていない。首を傾げる私に、椅子から立ち上がった矢田先輩が頷く。
「喜三郎さんが落ちた川の実地調査だ。早い方がいいからな」
「あ、そうですね。了解です。出動服と長靴出しておきますね」
出動服はいつもの制服とは違い、頑丈で動きやすい作業着みたいなものだ。山に入る時は必須である。見た目は正直ダッサイが、そんな我儘は言っていられない。
登山口まで加奈子さんを送るという矢田先輩に手を振り、暮れ出した空を見上げる。
夕焼けに照らされた鳥居の上で、三本足のカラスがかあと鳴いた。
雲外鏡が生気を吸うのは、この話だけの設定です。
照魔鏡を元に鳥山石燕が創作した妖怪のようですが、詳しい方、もしいらっしゃったら教えてください。
また、神主の役目を負った加奈子が巫女服を着ているのは、その方が可愛いからです。