36話 時告鳥は今日も鳴く
寒風が窓を激しく叩き、外に干した洗濯物が今にも吹き飛ばされそうに靡いている。
取り込みに行きたいが動けない。背後から正臣さんの逞しい二の腕にがっちりホールドされているからだ。
とはいえ、何も悪いことはしていない。居間でテレビを見ようとしたら、いつの間にかにじり寄ってきた正臣さんに、いきなり捕獲されたのだ。夫でなければ、とっくにセクハラで検挙しているところである。
「あの……。そろそろ離してくれない?」
「何でだよ」
何でだよ、ときた。こっちがそう聞きたい。
「洗濯物取り込みたいし……。せっかくお休みなんだから、他にも溜まった家事したいんだけど」
「まだ昼前だぞ。取り込むには早ぇだろ。家事なんて、あとでふたりでぱぱっとやりゃいいじゃねぇか。飯も炊けてねぇんだしさ。動くと腹減るぜ」
珍しく流暢に否定してくる。それだけ動きたくないのか。それとも、そんなにお腹が限界なのか。
そう言われてしまうと振り払えない。だって、炊飯器のスイッチを入れ忘れたのは私だから。
意気揚々とカレーを作ったのはいいのだが、いざ皿によそおうとするまで全く気づかなかったのだ。
「ごめんて……。じゃあ、せめてテレビでも観ようよ。暇じゃない?」
「アンテナ壊れてるぞ。昨日も風強かっただろ」
「えっ、嘘。そういうことは早く言ってよ。仕事じゃいつも報連相徹底してるじゃないの」
唇を尖らせる私に、正臣さんがきょとんとした顔をする。
「言ってなかったか? もう修理も頼んどいたぞ。次の休みに来てくれるってよ」
「ええ……。聞いてない……。それも言ってよ……」
正臣さんは仕事以外のことには雑になる。新婚の時は色々と揉めたものだが、今では上手く受け流せるようになった。慣れたのかもしれない。
「ねえ、暑いんだけど……」
「そんなことねぇだろ。もう11月の終わりだぞ。むしろ寒いくらいじゃねぇか?」
筋肉に包まれてるからだと言いたかったが、伝わらなさそうなのでやめておいた。
どれだけ待っても解放する気はないらしい。家事は諦めて厚い胸板に体を預ける。
逃亡の意思がないとわかって安心したのか、あくまでも腕は私を囲ったまま、そばに置いていた自分のスマホを取っていじり始めた。
「ちょっ……。画面見えちゃうよ?」
「別に見られて困るもんなんかねぇよ。ほら、これ」
そう言って見せられたのは1枚の写真だった。滅多にお目にかかれない県警本部の面々である。
仕事の応援に行っていたのか、同期の犬神くんがど真ん中にいる。彼が胸の前で掲げているのは鏡だ。とても見覚えのある……。
「えっ、鏡子ちゃん?」
「おう。犬上に送ってもらった」
「いつの間にやり取りするようになったの?」
「祭りのあとからだな。鏡子の様子が気になるだろうからって連絡先くれたんだ。本署も照魔鏡使うことが多いしな」
他にもあるそうなので、順番に見せてもらう。写真の中の鏡子ちゃんは、村にいた時よりも鏡面の輝きが増していた。毎日同僚に磨いてもらっているらしい。他の照魔鏡仲間とも仲良くやっているそうだ。
「嬉しいけど、なんか寂しい……。そのうち、彼氏連れて来ちゃうんじゃない?」
「彼氏って何だよ。前から言おうと思ってたけどな。鏡に性別はねぇぞ」
「知ってますー。でも、女の子の名前つけちゃったんだもん。正臣さんだって娘扱いしてるくせに。パ・パ」
語尾にハートをつけて言うと、正臣さんは顔を赤くして黙った。結婚して4年も経つのに、こういうところは 初心なままである。
思わず吹き出す私に、正臣さんが「からかうんじゃねぇよ」とぼやく。ちょっと拗ねているらしく、眉が寄っている。
「ごめんごめん。もう言わないから」
「信用できるか。目が笑ってんだよ」
警察官に嘘は通用しない。ひとしきり笑い、正臣さんの体に再度体を預ける。さっきは暑いと言ったもの、背中が暖かくなっていくにつれて安堵感が広がっていく。
気づけば外の風は静かになっていた。時計の秒針が動く音が、やけに大きく響く。
「なんか、こうしてのんびりするのも久しぶりだよね」
「この1ヶ月、色々と忙しかったもんな。加奈子さんが山を降りたり、突貫工事で神社に社務所作ったり」
「神社の巫女になるって言い出した時はびっくりしたね。でも、コウさんとライさんだけじゃ管理が大変だから、逆に良かったかもしれないね」
そう。祭りを終えたあと、加奈子さんは家財道具一式を担いで神社に居を移した。
これからも村に根を下ろして、末長く弟夫婦を見守っていきたいという。不良人外が棲みつかないように、ちょくちょく山には登っているみたいだが。
「東尋坊さんのことも前向きに考え始めたって尾白さんから聞いたけど、どうなんだろ? 年内挙式あるかな?」
「今まで500年かかってるからな。まだまだ先は長いんじゃねぇか」
東尋坊さんには私たちが生きているうちに頑張ってもらいたい。
「尾白さんはあんまり変わりないけど、コウさんとライさんは神使として活躍してくれてるし、みんな少しずつ変わってきたよね」
正臣さんが「そうだな」と頷く。
無事に祭りが終わり、村には少しずつ新しい風が吹き始めていた。
陽治さんとかなめさんの成功例を皮切りに、村役場は村おこしに力を入れるようになり、村祭りの動画がネットにアップされてバズった影響で、村外からの移住者も少しずつ増えてきた。
先だって移住してきた狢の六助さんも、化け狸の平五郎さんの特訓のおかげでまん丸お月様に化けられるようになったし、人魚の桜ちゃんも新しい恋を見つけたそうだ。これで間延びさんも安心するだろう。
鎌鼬の薊さんは相変わらず悪さをしているけど、私の言うことは素直に聞いてくれる。まだ恩義を感じてくれているのかもしれない。
あの次郎先輩ですらも、塗装を塗り直してピチピチのお肌になったのだ。どうしても髭の落書きが落ちなかったから。
「私たちも変わっていくのかな……」
返事はなかった。部屋の中にしんと沈黙が降り、正臣さんがスマホを置く。
突然、頭の後ろの鼓動が早くなった。それに合わせて私の鼓動も早くなる。半霊半神だった時みたいに記憶で再現したものじゃない。胸の中の心臓が思いっきり跳ねていた。
「変わるか? そろそろ……」
私の体を抱きしめる腕に力が入った。
肩越しに正臣さんを見上げる。真剣な表情だ。何を変えたいのか聞かずともわかる。
でも、あえて「何を?」とはぐらかす。正臣さんは一瞬だけ言葉を詰まらせて、私の目をまっすぐに見つめた。
「はとり、俺はお前と結婚して良かったと思ってる」
「うん」
「これからもそばにいたい」
「うん」
「仕事に復帰したばかりで、本当に悪いとは思うが――」
最後まで言い終わる前に、ちゅ、と唇を塞いだ。まさか遮られるとは思わなかったらしい。目を白黒させている。
「こういう時は『愛してる』だけでいいのよ。望むところだって言ったでしょ」
正臣さんが眉を下げて笑った。
「……愛してるぜ、はとり」
もう一度唇を重ね合わせた瞬間、炊飯器のメロディが鳴った。お米が炊き上がった合図だ。同時に、正臣さんのお腹も盛大な音を立てる。
「嘘だろ、こんな時に」
「続きは食べてからね。腹が減っては戦はできぬでしょ?」
がっくりと項垂れる頭を撫で、くすくす笑みを漏らしながらキッチンに向かう。
冷めたカレーをコンロで温めつつ、いつも通り二人分のお皿を出して、高々としゃもじを掲げた。
「ご飯よ、正臣さん」
キッチンについてきた正臣さんが目を見開き、そして優しく細めた。
口元を綻ばせたまま、ダイニングテーブルの椅子を引く。まるで見ていたかのように、今度は正臣さんのスマホが鳴った。
「はい、矢田です。え? はい。承知いたしました。すぐに向かいます」
「事件?」
「旅行客が車を田んぼに突っ込んだとよ。怪我はないそうだが、嵌まり込んで抜けられねぇらしい」
「えっ、大変。すぐに着替えなきゃ!」
速攻でコンロの火を切って炊飯器の蓋を閉める私に、正臣さんが苦笑する。
「躊躇しなくなったな、お前」
「矢田先輩に鍛えられましたからね!」
ダッシュで制服に着替え、揃って駐在所を飛び出す。ここまで10分もかかっていない。成長したものだ。
「あらあ、はとりちゃんたち気をつけてねえ」
「行ってらっしゃーい」
「頑張ってこいよ」
ちょうど神社の掃除をしていた加奈子さん、コウさん、ライさんが手を振ってくれる。それに手を振り返してパトカーに飛び乗った。今は私が運転席だ。
「よし! 臨場するわよ!」
「安全運転で行けよ」
パトカーのサイレンが村に響く。通りすがりの村人たちが「気張っていけよー」と口々に声をかけてくれる。
人外が可視化して100年。世の中は大犯罪時代だ。警察官の出番はさらに増えていくだろう。
私たちの賑やかな日常は、これからも続く。
サブタイトルの時告鳥はパトカーでした。
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