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33話 鬼の婿入り

テーマ:可愛いお化け

 胸の中に刀が飲み込まれていく。


 痛みもなければ、背中に突き抜けたりもしない。今の私は半霊半神。実体化しているとはいえ、生身の体ではないのだ。

 

「はとり!」

 

 矢田先輩の叫び声が雨音に掻き消されていく。


 起きあがろうとするものの、力が入らないらしい。鬼瓦みたいな顔で、何度も何度も地面を掻く。彼の向こうではアリスちゃんも「ママ! ママ!」と鏡面を叩いていた。

 

 大丈夫。心配しないで。

 

 その言葉はもう声にはならなかった。

 

 じっと見つめるマガツコさんの片割れの前で、赤い刀身が完全に胸の中に消える。続けて、柄頭も最後まで押し込む。


「う……。はとり、ちゃん?」

 

 気絶していた加奈子さんたちが声を上げて身じろぎした。人間の矢田先輩とは違い、人外たちは頑丈だ。みんなそれぞれ頭を振りつつ体を起こす。

 

「マガツコ……?」

 

 尾白さんと東尋坊さんが訝しげに目を細める。

 

「マガツコ様……」

 

 コウさんとライさんが呆然とこちらを見つめる。


「あんた……。あんたは……!」

 

 闇の中でも爛々と輝く加奈子さんの赤い目が大きく見開かれた。

 

『久しぶりだな、マガツコ。ずっと会いたかったよ』

 

 私の唇からこぼれ出たのは、私とは全く違う低い声だった。

 

「ア……ア……キテン……キテン……」

 

 マガツコさんの片割れがぶるぶると震える。彼女が持つ鏡子ちゃんには緑青色の直垂を着た鬼が映っている。


 鬼は男鬼にしては珍しくまっすぐな黒髪を後ろでひとつ結びにして、額からは立派な2本のツノが生えていた。唇から牙を覗かせて浮かべた微笑みは、陽治さんと比べると幼く見える。


 そして、その目は夕焼けを閉じ込めたように優しい色をしていた。

 

 彼の胸の中に灯るふたつの光は、私の魂とマガツコさんの和御魂だ。今や私たちは3人でひとり。意識も記憶も混じり合って溶けていた。

 

『何だよ、こんなに泣いちゃって。可愛い顔が台無しだろ? 俺のマガツコはもっとよく笑う女の子だったよ』

 

 目を細めた希天さんが両手をマガツコさんの片割れの頬に当てる。その部分の闇がこぼれ落ち、下から鱗が現れた。肌の色に似た、龍の鱗が。

 

 マガツコさんの片割れは希天さんの両手に己の両手を添えると、先ほどとは違う涼やかな声で「ゴメン、ナサイ……」と呟いた。

 

「ワタシ、ワタシ……」

『いいんだ。わかってる。マガツコの罪は俺も一緒に償うよ。だって、俺たちは夫婦なんだから』

 

 マガツコさんの片割れは、ただ黙ってぽろぽろと涙をこぼした。赤ではなく、透明な涙を。

 

「希天、あんた……!」

『ごめんな、加奈子。500年もこの村に縛り付けて。尾白と東尋坊も、ずっと加奈子を支えてくれてありがとう』

「もお……。もおおお! 500年も待たせるんじゃないわよお! バカ希天!」

 

 涙を流しながら加奈子さんが叫ぶ。けれど、その顔は隠し切れない喜びにあふれていた。

 

「希天様……」

 

 地面を這い、恐る恐る近づいてきたコウさんとライさんが希天さんを見上げる。500年前とはすっかり変わってしまった頭を順番に撫で、希天さんが笑う。

 

『守ってやれなくてごめんな。マガツコをずっと見守っていてくれてありがとう』

 

 コウさんとライさんは声もなく涙をこぼした。

 

『マガツコ、俺、拝殿の中から君の和御魂……思い出と一緒にずっと外を眺めてたんだ。知ってるか? 今って、男が婿入りするのも珍しくないんだってさ』

 

 希天さんがマガツコさんの片割れに両手を伸ばす。そして、彼女の手の中にある鏡子ちゃんを取ると、今にも飛び掛かろうとする矢田先輩に優しく手渡した。

 

『矢田さん。俺、あんたみたいな夫になりたかった。妻を支えて、共に生きていく夫に。マガツコもそうだろ?』

 

 マガツコさんの片割れがこくりと頷いた。その眼窩は希天さんを通して私を見ている。


 もしかしたら記憶を食われたのは偶然じゃなかったのかもしれない。尾白さんも言っていた。私たちは理想の夫婦像だったかもしれないと。

 

『きっと今からでも遅くないよ。全ての罪を贖う日まで、矢田さんたちみたいに一緒にこの村を守っていこう? 2度目の求婚になるけど――俺を、神様(マガツコ)のお婿さんにしてください』

「――ウン」

 

 希天さんが広げた腕の中に、マガツコさんの片割れが体を寄せる。500年の時を経て、ふたりは強く抱きしめ合った。同時に、片割れがまとう闇が大きく膨れ上がり、私ごと希天さんを飲み込んだ。

 

「はと……」

 

 スピーカーのスイッチを切ったみたいに、突然周囲から音が消え、体中をぬくもりが包む。

 

 視界が闇に遮断され、自分が今どこを向いているのかもわからない。息をしているのかも。

 

 けれど、恐れはなく、むしろ安らかな気持ちだった。

 

 プールで泳いだあとの微睡のような――そんな感覚。もしかしたら、お母さんのお腹の中ってこんな感じだったのかもしれない。

 

 それから、どれくらいそうしていただろう。

 

 温かな闇の中でうとうとしていると、ふいに私の胸が淡く光った。まるで蛍火のような、あえかな光が私の輪郭を闇の中に浮かび上がらせる。

 

 それをきっかけにして、足の先が何かに触れた。じゃりっとした感触と共に、体に重力が戻る。

 

 どこかに立っている――?

 

 ふと顔を上げると、そこには美しい田園風景が広がっていた。

 

 隣には愛嬌のある顔をしたカカシ。黄金色の稲穂の上には赤蜻蛉が飛び交っている。三方を囲む山を赤く染め上げるのは、今にも沈みそうな夕陽だ。背後からは海の(さざなみ)がしきりに聞こえてくる。

 

 昼と夜の境界線で呆然と見惚れていると、しゃらん、と鈴の音がした。

 

 目の前の畦道を、美しい白無垢を着た花嫁と、立派な黒紋付を着た花婿が仲良く歩いてくる。

 

 花嫁の顔には鱗が、花婿の額には立派な2本のツノがある。

 

 ふたりはとても仲睦まじく、お互い笑い合い、支え合いながら、道の先にある鳥居へ向かっていく。

 

 鳥居の向こうには1軒の荒屋(あばらや)があった。

 

 夫婦は鳥居の前で立ち止まると、私を振り返った。(カガチ)みたいな縦長の瞳孔の瞳が、私を優しく見つめる。


 それに誘われるように、私の胸の中から小さな光が飛び出し、ゆっくりと蛇行しながら夫婦に向かっていった。

 

 手を伸ばした花嫁が光を迎え入れ、そのままごくりと飲み込む。

 

 その瞬間、私は今まで自分の中にあったものが永遠に失われたと感じた。同時に、それ以上のものが戻ってきたとも。

 

 ぽろりと涙がこぼれる。まるで雨みたいにぽろぽろとあふれだす。

 

 涙が落ちた地面がぐにゃりと歪んだ。

 

 まるで流砂のように、徐々に、徐々に、体が沈み込んでいく。それでも泣き続ける私に、夫婦は口元を綻ばせながら私のズボンのポケットを指差した。

 

 夫婦は私に何かを伝えようとしたが、どこからか響いてきた鶏の鳴き声にかき消されて聞こえなかった。

 

 ただ――。

 

「アリガトウ」

 

 そう言っている気がした。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……あれ、なんか体が揺れてる。

 

「――とり! はとり!」

 

 目を開けると、厳つい顔が視界いっぱいに広がっていた。額には汗。眉間には皺。この光景、前にも見た気がする。

 

 彼の背後には心配そうに私を覗きこむ人外たち。みんな揃って同じ顔をしている。まるで家族みたいに。

 

 私を飲み込んだ闇はもうどこにもない。息苦しいほどの圧迫感も腐臭も消えている。空には高く昇る下弦の月。その美しさを隠す雲は欠片も見当たらない。

 

 リーリーと鳴く秋の虫の音を聞きながら、ぼんやりと思った。

 

 ああ、()()()()()()んだと。

 

「おい、はとり! 俺がわかるか? はと……」

「もう、わかってるわよ正臣さん。相変わらず声が大きいんだから」

 

 間髪入れずに抱きしめられ、息ができなくなる。そういえば、プロポーズを受けた時もこうして抱きしめられたっけ。

 

 何年経っても覚えているものだ。

 

 大きな背中を片手でさすりながら、ズボンのポケットから紙を取り出す。

 

 そこには『真月子』の文字の横に、仲良く寄り添う夫婦の絵が描かれていた。





 

 爽やかな秋の風が吹き込む廊下をコソコソと歩く。パーカーのフードを被り、マスクをつけている様は立派な不審者である。警察官が情けない。

 

「おい、なんでそんな警戒してんだよ」

「だって……。患者の皆様を驚かせちゃいけないと思って」

「心配すんなよ。話は通してるから。ほら、ここだ」

 

 正臣さんが立ち止まったのは、小さな部屋の前。戸惑う私を尻目に、勝手知ったる様子で扉を開けてさっさと中に入っていく。


 そういえば、休みの度にどこかに出かけていたっけ。きっと、ここに来ていたんだろう。そう思いながら、後に続く。

 

 部屋は6畳ほどのスペースで、必要最小限のものしかなかった。ベッド、小棚、その上に置かれた型落ちのテレビ。小さな冷蔵庫もあるが、おそらく一度も使ってないだろう。


 ベッド脇の窓からは明るい日が差し込み、真白いカーテンが風に揺れていた。ほのかに消毒液の匂いもする。

 

 手前には丸椅子が2脚。そこにはすでに先客がいた。白髪の美人と、黒髪の美人だ。


 白髪の美人のお尻にはもふもふの尻尾が9本、黒髪の美人の額には立派なツノが2本生えている。先に村を出ていた尾白さんと加奈子さんだ。TPOを考えたのか、ふたりとも今日は着物じゃなく洋服を着ていた。

 

「おや、遅かったね」


 足を組んだ尾白さんが気怠げにこちらを振り向く。その手にはスマホが握られている。すっかり現代日本に馴染んでいるようである。

 

「出かけにひったくりの通報があったんですよ。確保した犯人は応援の警察官に任せて出てきました」

「相変わらずねえ、矢田くんも。過労死しちゃわないでよお」

 

 笑いながらふたりが立ち上がる。彼女らの前のベッドには髪の長い女性が眠っている。これだけ話していても起きる気配はない。


 枕元のプレートには『矢田はとり』と書かれていた。

 

「……私って、こんなに間抜けな顔してたっけ?」

「正真正銘お前だよ。鏡子を連れてきてやろうか?」

「いいわよ。独り立ちした我が子を親の都合で連れ戻すなんてできないわ。今頃、新しい環境で頑張ってるところなのに」

 

 そう。真月子さんを鎮めて早3日。鏡子ちゃんは私の手を離れて県警本部で働いていた。小野警視監の話だと、早速バリバリ活躍しているそうだ。親としては鼻が高い。


 アリスちゃんも将来は学校の先生になると言っているし、よくできた娘たちがいて幸せ者である。

 

「はとりの準備がいいなら、そろそろ始めようか。早ければ早い方がいいからね」


 尾白さんに頷き返し、ベッドで眠る自分の真横に立つ。こうして自分を見下ろすというのも変な気持ちだ。できれば2度と経験したくはない。

 

「本体の手に両手を重ね合わせて……。そうそう。これから香を焚くから、扉をくぐる感じで中に入るんだよ」

「はい。よろしくお願いします」

 

 尾白さんが反魂香に火をつける。白檀に似た甘やかな香りが部屋に漂う。真月子さんの闇の中に取り込まれた時みたいな浮遊感が私を包む。


 そろそろいけるかな?


 身を乗り出して体に戻ろうとした時、隣に立つ正臣さんから「はとり」と声をかけられた。


「この2ヶ月間、昔のお前ともう一度出会えたみたいで楽しかったよ。最初は驚いたけどな。俺にとって、お前は可愛いお化けだったぜ」

 

 思わず、ぶふ、と吹き出す。この場で何を言っているのか。滲んだ目もそのままに、正臣さんに笑みを向ける。

 

「ちょっと、過去形にしないでよ。これからも私は可愛いはとりちゃんなんだからね! 矢・田・先・輩!」

 

 ちゅ、とキスをする真似をすると、正臣さんは顔を真っ赤にして目を逸らした。それを見て尾白さんと加奈子さんがお腹を抱えて笑う。

 

 楽しそうな笑い声をバックミュージックに、私は私と、ゆっくりひとつに戻っていった。

希天にとっての可愛いお化けは真月子。

矢田にとっての可愛いお化けは、はとりです。


このお話は2組の夫婦のお話でした。


次回、後日談。次々回、エンディングです。

よろしければ最後までお付き合いください。

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