31話 月を見上げて
テーマ;弱いお化け
濃紺色のカーテンの中に、白い月が昇っている。
左側が輝いているが、下弦の月には1日早い。決戦は明日。尾白さんが手に入れた角隠しを通してマガツコさんの荒御魂を引き寄せるという。
共に挑むのは加奈子さん、尾白さん、東尋坊さん、鏡子ちゃん、アリスちゃん。矢田先輩は立会人だ。陽治さんとかなめさんは参加しない。矢田先輩の代わりに村人たちの避難誘導を買ってくれるという。
「警察官が現場サボっていいんですか?」と聞く私に、矢田先輩は「有給取った」としれっと言っていた。本部からも本署からも許可を得ているらしい。それどころか人外の警察官が何人か応援に来てくれるそうだ。本当に抜け目ない。
「明日、頑張ろうね鏡子ちゃん」
くつろぎスペースの机の上で月光浴をしていた鏡子ちゃんが、「もち!」とでも言いたげに体を揺らした。
お手製の鏡カバーは着けていない。私は自分自身の姿を取り戻した。もう覗いても大丈夫だから。
「おい、はとり。外は寒いだろ。風邪引くなよ」
「やだなあ。引きませんよ。わかってるくせに」
湯気を立てるコーヒーを差し出してくれる矢田先輩に苦笑する。
「それでも心配なんだよ。……わかってんだろ」
向かいに座った矢田先輩がコーヒーを啜る。その眉間には微かに皺が寄っている。
ミニ所長にお祈りをしてから、私もそれに続く。
こんな夜を何度過ごして来たんだろう。失われた時間の大きさに目が眩みそうになる。
「……すごい1日でしたね」
しばしの沈黙のあと、そう口火を切った私に、矢田先輩が「ああ」と返す。
「まさか陽治さんが希天さんと関係があるなんて思いもしませんでしたよ。かなめさんが夜な夜な泣いてた事件ありましたよね。あの時、加奈子さんは陽治さんのこと、あまり意識になさそうでしたけど」
「似てるとは思ったけど、確信はしてなかったんだとよ。でも、オガグズ様について詳しく語り始めただろ? あれで気づいたらしいぜ。役場で調べてみたら旧姓も希天だった。俺が加奈子さんから陽治さんと希天さんの関係を聞いたのはそのあとだ」
「……本人以外が戸籍謄本見れましたっけ?」
矢田先輩は何も言わなかった。不正に目を瞑ったんだろう。
「あの時、加奈子さんがオガグズ様の話を止めたのはどうしてですか? 山頂や拝殿の調査も断ってたみたいですし」
「マガツコさんの荒御魂を引き寄せるのを防ぐためだよ。全てを明かすのは、お前の中のマガツコさんが力を取り戻してからにしたかったんだ。魂は継いでないといえ、体は継いでるわけだしな。食われちまったら困るだろ。東尋坊さんが見せた文献は、村の風習とか、そういう当たり障りのないやつだよ。村人みんなが隠してたら、いかにも怪しいからな」
そういえば、グレムリンの子守りをしていた時に陽治さん本人も似たようなことを言っていた気がする。あの時点でかなり真相に近づいていたのかもしれない。
「……矢田先輩もですよね。私に拝殿の中に入るなって言ってたし、鏡子ちゃんのことも覗くなって言ってましたよね」
「マヨヒガさんの中でも言っただろ。力が戻り切ってないのに、自分の正体に気づいて人格が壊れるのが怖かったんだ。陽治さんやかなめさんと仲良くしてるのを黙認したのは、お前がそうしたがってたからだよ。あのふたりはお前が依代だとは気づいてなかったしな。マヨヒガさんの中でお前を囮にしたのも、力を取り戻した確信があったからだ。俺は最初からお前のためにしか行動してねぇよ」
不意打ちを食らって喉が詰まった。冷たい夜風に負けず、頬が熱くなる。そんな私には気づかず、矢田先輩が話を続ける。
「マガツコさんの力の大部分は荒御魂が持ってる。だから、依代にしたお前の命を繋いだ時、和御魂は力を使い果たして眠らざるを得なかった。力を取り戻すために、今まで通り警察官の仕事をさせろと言ったのは小野警視監だよ。お前が半霊半神になってから、俺は逐一所長を通して報告してた。……まあ、突然駐在所に来るとは思わなかったけどな」
だから髪が伸びたと言っていたのか。小野警視監には私の中のマガツコさんが見えていたのかもしれない。
「お前が姑獲鳥に攫われた時は本当に焦った。山頂から落ちたあと異界に囚われたせいで、せっかく蓄えた力も失いかけてたからな。3日で復活してきたが」
「コウさんとライさんのことを隠したのも、私を守るためだったんですね。あの洞窟も黄泉平坂だったってことですか」
「加奈子さんが言うには、いろんな名前があるみたいだけどな。異界から現世に戻る道なんだとよ。それに……あのふたりのことは、マガツコさんにとっては辛い記憶だろうから」
武士に斬られた時の光景を思い出して身震いする。あのあと、彼らは妖怪化したのだろう。おそらくマガツコさんを守るために。
そして今も、異界でマガツコさんの荒御魂を見守っている。彼らを救うためにも、助けてもらった恩を返すためにも、私は頑張らなければ。
「……私、マガツコさんの片割れに比べたら弱いお化けかもしれませんけど、絶対にやり遂げてみせます。この村の警察官として、矢田先輩の……正臣さんの奥さんとして」
まっすぐに矢田先輩の瞳を見据える。矢田先輩は一瞬だけ怯んだ様子を見せたが、すぐにふっと口元を緩めた。
「あんまり無茶はすんなよ。お前はもう2児のママなんだから」
矢田先輩が鏡子ちゃんに触れる。無骨な指で撫でられ、鏡子ちゃんはくすぐったそうに体を揺らした。
「お前がこいつに鏡子って名付けた時は驚いたぜ。もし娘が生まれたら付けようって言ってた名前だったからな」
「……え?」
「まだそこは思い出せてねぇか。……尾白さんが言ってた通り、お前は神社の管理をしてた。つっても、掃除ぐらいだけどな。もちろん500年前の事情も知ってた。お前は随分マガツコさんに同情してたよ。気づいてるか? 凶子はきょうことも読むんだぜ」
唇が震える。言葉もなく見つめる私を、矢田先輩が優しく見つめ返す。
「だから助けてくれたんじゃねぇの。なかなか目覚めなかったのは、お前の中が居心地良かったのかもな。――まるで揺籠に包まれてるみてぇにさ」
机の上に滴が落ちた。止めようと思っても止められない。マヨヒガさんの中で矢田先輩に尋問された時、『まだ目覚めたくない』と感じた。あれはマガツコさんの叫びだったのだ。
「ごめんなさい、私、私……。そんなことも知らずに、先輩を傷つけて……」
「傷なんてついてねぇよ。ちょっとビビったけどな。いきなり人外の子持ちになっちまったって。でも……」
矢田先輩が私の頬に触れる。その手はとても温かい。何故なら、私は知っているから。何度も、何度も、こうして愛を囁かれたことを。
これから先はお子様にはお見せできない。そっと鏡子ちゃんの木箱に蓋をする。両親の甘い空気を察しているのか、鏡子ちゃんも暴れたりしなかった。
カサついた唇が私の唇に触れる。そのまま角度を変えて何度も啄まれる。いつも荒っぽいのにこういう時だけ丁寧だ。
体に甘い痺れが走って吐息が漏れ出した頃、唇を離した矢田先輩が私の額に自分の額をつけた。
「もうひとり、弟か妹を作ってやるのも悪くねぇよな?」
ふ、と口元が緩む。なんて遠回しなお誘い。けれど、私は警察官。期待には全力で応えなければ。
「ひとりと言わず、ふたりでも3人でも作ってあげましょうよ! しばらく袋綴じの雑誌は読まなくてよくなりますね!」
満面の笑みで返す私に、矢田先輩が肩を揺らして吹き出した。その目尻には微かに涙が滲んでいる。
どちらともなく、ガシッと握手を交わす。
「頼むぜ奥さん!」
「望むところです!」
優しく照らす月明かりの中、私たちはいつまでも笑っていた。




