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30話 時を告げるカザミドリ(後編)

「やあ、美味かった。長らく日本を離れていると和食が恋しくなるものだね。住んでいたのは遥かに向こうの方が長いんだが」

「あら、あんたが食べたのエビフライ弁当じゃないの。せめて幕の内弁当を食べてから言いなさいよお」

「固いことはいいじゃないか。1ヶ月ぶりに戻って来た旧友にかける言葉は他にあるだろう」


 加奈子さんはグッと喉を詰まらせると、蚊の鳴くような声で「おかえり……」と言った。


「ただいま。東尋坊も済まなかったね。逐一、状況を知らせてくれて助かったよ。カラスはどこにでもいるから伝達役としては優秀だ」

「たまたま八咫烏殿が来とったからな。お願いしたら快く引き受けてくれたぞ」


 八咫烏は3本足を持つカラスだ。そういえば神社の鳥居で見たような?


 首を捻る私の頬を、矢田先輩が「ご飯粒ついてるぞ」と拭う。


 彼は私が自分の立場を自覚した途端、急に嫁扱いするようになった。朝までは先輩と後輩だったので、いささか心臓に悪い。今頃、病院にいる私の心拍数は高まってると思う。


「さて、腹も膨れたし、改めて自己紹介でもしておこうか。矢田夫婦はともかく、鬼夫婦は初対面だからね。――私は尾白。見ての通り狐の妖怪さ。青鬼君には九尾の白狐と言ったほうがわかりやすいかな?」


 水を向けられた陽治さんの喉がごくりと鳴る。そして、背筋をまっすぐに伸ばすと、畳に手をついて頭を下げた。


「……お噂はかねがね。この村一番のお力を持つ大妖だと伺っております」

「それは否定しない。だが、そこまで畏まらなくていいよ。私はただ、他の妖怪より長生きしたというだけさ。……君たちは東京から来たんだってね」


 陽治さんは自分たちの素性と、ヤマビト信仰の調査のために平坂村に引っ越して来たことを話した。


 希天さんの日記を読んで、マガツコさんがオガグズ様へ変貌した事件について把握したとも。そして、土砂崩れのあと、この村に何が起こっているのかも概ね理解していると。


「うん、うん、そうか。聡い鬼が来て何よりだよ。希天の撒いた種は立派に芽吹いたわけだね。――はとり」

「はいっ」

「何故そんなに驚くんだい。……君はマガツコに過去を教えてもらったね? 今、自分の状況についてはどこまで把握している?」


 ちらりと矢田先輩を見る。正直に話せよ、とでも言いたげに頷いたので、「実はあんまり」と答える。


「私が矢田先輩の奥さんで、マガツコさんの依代になったのは思い出したんですけど、どうしてそうなったかはわからないし、まだ新人気分が抜けないんです。矢田先輩を正臣さんと呼ぶのも、少し違和感があって」

「そうかい。それほど君の記憶は手放し難い幸せなものだったんだろうね。あの子にとっての理想の夫婦像だったのかもしれない」


 尾白さんの言葉に、加奈子さんが寂しそうに微笑んだ。彼女は弟と義理の妹を一度に亡くしたのだ。その傷は500年経った今でも癒えていない。


 そんな加奈子さんを横目で見て、尾白さんは話を続けた。


「1ヶ月前の落雷で、マガツコの荒御魂を封印した祠は壊れてしまった。自由になったあの子は降らせた雨で土砂崩れを起こし、自分の片割れと希天を求めて村に下りた。――そこで君と遭遇したんだ、はとり」


 尾白さんの金色の瞳が私を見据える。


「君はこの村の警察官として、あの神社の管理を任されていた。マガツコの荒御魂が解き放たれたと鎌鼬の(あざみ)から知らされた時、君はマガツコの和御魂を守るために拝殿から依代の鏡を持ち出した。そして、避難が間に合わずに記憶を食われそうになった薊を庇って、代わりに食われたんだ。そうだね、正臣」

「……俺はその時、近隣住民の避難誘導に駆けずり回ってて不在だった。戻った時には、お前は駐在所の前で倒れてて、そばには割れた鏡があった。どれだけ声を掛けても起きなくて……。病院に連れて行ったら原因は不明だと言われた。記憶を無くしたお前が駐在所の2階から下りて来たのはその3日後だ」


 なるほど。だから泣きそうな顔をしてたのか。意識不明になった妻が呑気に下りてきて、さぞや驚いただろう。その上、記憶まで失っていたとなれば、その心労は計り知れない。よく今まで後輩として面倒を見てくれたものである。


「和御魂が君を依代にしたのは、記憶を食われた()()()()()()()()だ。その副作用で体から生き霊が抜け出てしまったがね」

「だから、半霊半神なんですね。私が実体化しているのは、マガツコさんの力ですか?」

「そう。顕現した神は実体化するからね。精神体より力も増す。まだ目覚めたばかりの荒御魂は君の中に眠る和御霊には手を出せず、一旦異界に退くことにした。薊の必死の抵抗も功を奏したんだろう。荒御魂は風が嫌いなんだ。白無垢を飛ばされてしまうからね」

 

 確かに、大井山で遭遇した時も薊さんの猛攻に押されているようだった。あの時、薊さんが助けてくれたのは、私に借りを返すためだったのかもしれない。


「君を体に戻すには、食われた記憶を取り戻して和御魂を元の依代に戻さなくてはならない。だから私は村を離れて大陸に渡ったんだ。割れた鏡を直し、反魂香を手に入れるために」

 

 そう言って、尾白さんは紫色の風呂敷に包まれた箱を私に差し出した。許可を得て風呂敷を解くと、中には鏡子ちゃんによく似た鏡と、いい香りのするお線香の束があった。


 1日、2日ならともかく、1ヶ月以上も離れた魂を体に戻すには、このお香を炊く必要があるのだそうだ。

 

「500年前、神に変貌したあの子は村人たちを殺し、奪った生気で希天を救おうとした。おかげで希天は息を吹き返したよ。でもね……」

「村人を殺し尽くしても、マガツコの理性は戻らなかった。村を彷徨ううちに、人外たちまで襲い始めて……。それに耐えられなかった希天は、愛する妻を救うために外法に手を出したのよ」


 尾白さんの後を継いだ加奈子さんの言葉に、ふと夢を思い出す。希天さんは術に詳しかった。中には自分の血肉を使ったものがあったような……。


「まさか、あの刀って……」


 本殿の前に安置されている刀に視線を移す。それは夢で見た刀に酷似していた。初めて拝殿に入った時、確か黒い鞘には『鬼天丸』と刻印されていたはずだ。鬼天丸。希天丸。


 ドクン、と跳ねる胸は私のものか、それともマガツコさんのものか。私の動揺に気づいた加奈子さんがその場に立ち上がり、刀を愛おしそうに手にして、こちらに戻って来た。


「そう、これは私の弟。希天が自分の血を使って魂を宿らせたものよ。私はこれでマガツコをふたつに分けたの。来たる日まで眠らせておくために」

「マガツコを救うには当時の私たちでは力不足だった。希天は後世に希望を託すために、()()()()()()()()()()()を作ったんだ。今ならクローンと言った方がわかりやすいかもしれないね」


 尾白さんは、ふう、と息を吐くと眉間を揉んだ。そこには深い皺が刻まれている。


「新しく生まれた希天の肌は青かった。きっと、血を全て刀に使ったからだろうね。マガツコを封印したあと、私は希天を江戸へ連れて行った。京から遠く離したかったし、あの辺りには東尋坊の知り合いの天狗が多くいたからね。……ここまで言えばわかるだろう、陽治。何故、()()()()()()()()()()()()のか」


 陽治さんはしばし畳を見つめたまま黙っていたが、隣で不安げに見上げるかなめさんに気づき、決心したように顔を上げた。


「……僕の一族は代々、怪異に関わるものが多い。僕の母も民俗学を研究していましたし、従兄弟にオカルトライターや怪談師なんてのもいます。僕も当然のように民族学の道に進みました。何故、そんなに興味を惹かれるのか、ずっと不思議に思っていましたが……。ここに来てはっきりとわかりました。僕の旧姓は()()です」


 思わず「えっ」と声を上げた。しかし、私以外の全員は知っていたらしい。ただ黙って頷いている。


「あなたが来た時、驚いたわ。あの子の……希天の面影があるんだもの。笑った顔なんてそっくりよ」


 加奈子さんの言葉に、かなめさんは複雑そうな顔をしている。まあ、それもそうだろう。夫の元親族や元妻が突然現れたようなものだから。


 それを察した尾白さんが、口の端を緩めて「安心おし」と優しく言う。


「希天の複製体の血を引いていると言えども、何百年と交配を繰り返してきたんだ。陽治と希天は完全な別人だよ。魂が宿っているのは、あくまでもこの刀だしね」

「そうだよ、かなめ。僕が愛しているのは君なんだ。希天さんの血を引いていると知った今でも、その気持ちは変わらないよ」

「陽治さん……」


 ひし、と抱き合う鬼夫婦にその場の空気が緩む。少しだけ羨ましくなり、矢田先輩を見上げたが、目を逸らされてしまった。


「怪異を収集する過程で、希天は……希天の血を引く君のご先祖はマガツコを救う方法に気づいた。だから、作ることにしたんだろう。照魔境を」


 木箱から出された鏡子ちゃんが目をぱちくりさせた。


「――よく育ってる。これなら十分だろう。西洋の魔鏡もあれば、さっきみたいに長く足止めもできる。その隙に、マガツコの正気を取り戻し……」


 そこで言葉を切り、尾白さんは私を見つめた。その瞳の強さに思わずドキッとする。

 

「この刀で君がとどめを刺すんだ、はとり。そうすれば奪われた記憶は戻り、あの子もようやく救われる。苦しみから解放されて、永遠の眠りにつけるんだ」

「私が……? マガツコさんの片割れを……?」

「我々では神を殺せない。でも、その身に和御魂を降ろした君ならできる。いつだって神を殺すのは、神の力を借りた()()だからね」

 

 尾白さんの言葉を後押しするように、加奈子さんが私の両手を握りしめた。その手は酷く震えている。


 けれど、その身に宿る体温は燃えるように熱かった。

 

「お願い、はとりちゃん。どうか、どうかあの子を助けてあげて。それが希天の……弟の最期の願いなのよ」


 加奈子さんの赤い瞳が揺らぐ。私はその場にいるひとりひとりの顔を順番に見つめて、そっと目を閉じた。


 今までの出来事が瞼の裏をよぎっていく。同時にはっきりと思い出した。大井山のマヨヒガに行く前、胸に抱いた思いを。平坂山で塗り壁に囲まれた時、矢田先輩に語った思いを。


「……わかりました」

「はとりちゃん……!」


 加奈子さんの顔が期待に輝く。


 そうだ。この顔を曇らせないために、私は警察官になったんだ。


 隣で私を見つめる矢田先輩を見上げる。この人の隣に立ち続けるために、私は鳴かなくてはいけない。大きな声で、羽を広げて。


「私は時を告げるカザミドリ。マガツコさんの片割れの目を覚まさせて、みんなをまるっと救ってみせますよ。この村の治安を守るのは、警察官の私の仕事ですからね!」

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