3話 歪なお月様
テーマ:黄色いお化け
「はとりさん、集めた落ち葉ってどうすればいいですか?」
「そこのゴミ袋に入れちゃってください。あとでゴミ捨て場に持って行くので」
落ち葉で満杯のバケツを抱えたかなめさんに微笑み、地面に置いたゴミ袋を指差す。
昨日のお礼にと平坂神社の掃除の手伝いを買って出てくれたのだ。固辞する理由もないし、村人と交流をはかるのも仕事のうちである。
「手伝ってもらって、本当にありがとうございました。この時期、落ち葉が多くて大変なんですよねえ」
「警察官って、こんなことまでするんですね。鄙とはいえ、結構広い村なのにお二人しかいないんでしょう? 大変じゃないですか?」
「大変ですねえ。でも、少しずつ慣れてきましたよ。人外は多いけど人間は年々減っているし、この神社みたいに無人の場所が増えると素性のよろしくない怪異が住み着きますからね。せめて清めておかないと」
村の治安を守るのが警察官の務め。矢田先輩に繰り返し教えられたことを思い出しつつ喋る。
かなめさんは感心したように息をつき、キラキラした目で私を見た。ちょっとだけ照れる。
「すごいです。夫婦二人で支え合って村を守っているなんて。私も陽治さんとそうなれるかな」
「ふ、夫婦? 違いますよ! 私も先輩も独身です!」
「え? そうなんですか? ここに引っ越す前、ご夫婦の駐在さんだって聞いたんですけど」
誰だそんな出まかせを言ったのは。本署にいる同期か? 村役場の人間か? 見つけたらタダじゃおかない。
「駐在さんって住み込みでしたよね。仕事でも家でも、ずっと一緒にいて好きになったりしないんですか?」
「好きに……?」
考えたこともなかった。この環境に慣れるのに必死だったし、息をつく暇もなく日々が過ぎていったので、そんな余裕がなかったのだ。
確かに矢田先輩にはお世話になっている。怒ると怖いし物言いも乱暴だが、職務には忠実で面倒見もいい。三十代でも村では貴重な若手だ。けれど、それで好きになるかというと別問題である。
まだまだ殻を穿いたヒヨッコが言うのは失礼かもしれないが、相棒というか、ただの仕事仲間よりもちょっとだけ近い、そんな感じ。
でも、どう説明しよう? 上手い言葉が思いつかない。
「この神社って小さいけど立派ですね。拝殿はお掃除しなくていいんですか?」
腕を組んで固まった私を見て、空気を読んだかなめさんが話題を変えてくれる。やっぱり聡い人……いや、鬼だ。全力で乗っかって「それがですね」と応える。
「中に色々と貴重品があるらしくて、矢田先輩に『壊すからお前は入るな』って言われているんですよ」
この神社は加奈子さんがいる平坂山を向くように鳥居が立っていて、その真正面に拝殿。右手に御手水。左手の隣地に駐在所がある。
拝殿の中には古い文献や、魔も人も断つという物騒な妖刀が置かれているそうだが、見たことがないので本当かはわからない。
それとなく矢田先輩に聞いても教えてくれなかった。きっと興味本位で侵入するのを警戒しているのだろう。失礼な話である。
「この神社、御祭神も不明だし、村役場に聞いても謂れがハッキリしなくて。陽治さんならわかるかな」
昨日言っていたオガグズ様とやらに関係あるかはわからないが、民俗学を研究しているなら詳しく知っているかもしれない。
「昨日はごめんなさい。陽治さん、研究のことになると話が止まらなくなるんです。駐在さんって二十四時間体制じゃないんですよね。今後は夜間にご迷惑おかけしないように気をつけますね」
「定時やお休みはありますけど、基本的には駐在所にいますし、何かあれば遠慮せず連絡してください。お気持ちはありがたいですが、気を遣われて被害に遭われるのが一番辛いです」
これはガチだ。警察官は村を守るために存在する。肝心な時に駆けつけられないようでは本末転倒である。
「頼もしいですね。警察官って本当にすごい。何かお手伝いできることがあったら言ってくださいね」
「ありがとうございます。そう言ってもらえると、朝から晩まで走り回っている甲斐がありますよ。労働基準法なんてあったもんじゃないですよねえ」
「……はとりさん。公務員には労働基準法は適用されませんよ」
「え⁉︎」
ゴミ袋の口を縛りつつ目を丸くする。その時、駐在所の窓から「風見ー!」と声がした。矢田先輩だ。
右手にスマホを握っている。村人から通報があったらしい。
「東の平五郎さん家で不審者だ。今すぐ臨場するぞ」
***
この村は三方を山、一方を海で囲まれている。
西は昨夜かなめさんが侵入しそうになった大井山。北は加奈子さんがいる平坂山。そして、東は天狗の東尋坊さんが管理する三国山だ。
三国山は他のふたつの山に比べて標高が低く、植生も豊かなので、動物由来の人外が多く住んでいる。
通報した平五郎さんも化け狸だ。裸ではなく着流しを着ているものの、蕎麦屋の店先に立っていそうな見た目をしている。
「不審者ってあれかあ……」
茅葺き屋根の平屋の陰で、私はコスモスが咲き乱れる庭の一角を見張っていた。
視線の先には、歪な形をした黄色いお月様がぷかぷかと浮いている。
もちろん本物じゃない。変化の力を持つ人外の仕業だ。
「最初はサア。集落の若ぇのが練習してんだと思ったのヨ。でもよお、見覚えがねぇもんだから、こりゃよそモンだと思って通報したのヨ。ほれ、このチラシもらってたもんだから」
背後で矢田先輩に状況説明をしていた平五郎さんが、むくむくの毛に包まれた手でチラシを差し出した。
いかにも安っぽいコピー用紙に、『不審者を見つけたら警察に通報してください!』と見出しが踊っている。
啓発のために私が作ったチラシだ。作っている時は己のセンスのなさに絶望したものだが、こうして役に立つと嬉しい。
「あいつに声をかけようかと思ったけんど……」
「いえ、通報していただいて良かったです。逆上して襲ってきたら危険ですからね。風見、俺が網を持つから職質かけろ」
矢田先輩はメモを取り終えると、持参したボストンバッグから網を取り出した。
見た目はただのカラス避けだが、この村唯一の美容師である南さん――妖怪髪切りが切った髪を編み込んでいるので、ちょっとやそっとでは破れない。
まず私が職質をかけて、逃げたら挟み撃ちで確保。いつも通りの流れだ。
「あのー、少しよろしいですか?」
矢田先輩が前に回り込んだのを確認して近づいた途端、お月様は文字通り尻尾を出して、その場から逃走をはかった……ものの、待ち構えていた矢田先輩にあっさり捕まった。
「ダメですよ、逃げちゃ。ここは私有地ですから、住居侵入罪になりますよ」
「ご、ごめんなさい! ごめんなさい! 悪気はなかったんですう!」
嗜める矢田先輩の腕の中でぶるぶると震えているのは、すっかり変化が解けた子狸……ではなかった。狸の尻尾は太いが、不審者の尻尾は細い。何より目の周りの黒い毛が縦に走っている。
「ありゃあ、お前さん狢じゃねぇか。隣町の集落で暮らしてんじゃなかったんかい」
様子を伺っていた平五郎さんが目を丸くして駆け寄ってきた。
そうか。狢だったのか。道理で顔が細いと思った。
狢とはアナグマのことで、熊ではなくイタチの仲間だ。この辺りでは、狐、狸と続いて変化妖怪の三大勢力となっている。
狢さんは鼻水を啜り上げると、涙が滲んだ声で身の上話を始めた。
「狢の集落では変化の上手さで上下が決まるんです。でも、オイラは生まれた時から変化が下手で……。その上、孤児なもんだから、いづらくなって逃げてきたんです。平坂村なら狸の方が多いから馬鹿にされないと思って」
他所のことはわからないが、少なくともこの村の狸たちは絵に描いたように大らかだ。変化が下手なぐらいで差別したりはしないだろう。
「事情はわかりましたけど……。なんで、平五郎さん家の庭でお月様になっていたんですか?」
もう逃亡の恐れはなさそうなので、網を外しながら尋ねる。狢さんは一瞬だけ言葉に詰まり、困ったように平五郎さんを見上げた。
「この集落の顔役は平五郎さんだと聞いて、ご挨拶に伺ったものの返事がなくて……。留守だと思ったんで、戻られるまで練習してようかと」
「そういや昼寝しとったわ。すまん、すまん」
笑いながら頭を掻く平五郎さんに脱力する。向かいの矢田先輩も苦い顔だ。
とはいえ、事件ではなさそうでほっとした。狢さんは矢田先輩の腕から飛び降りると、小さな両手を揃えて平五郎さんに頭を下げた。
「狢の六助と申します。改めて、これからよろしくお願いします」
「おう、おう。こちらこそ、よろしくナア。変化も教えてやるから安心しな。俺がお前さんを立派な大妖怪にしてやるヨオ」
まさに太鼓判。軽快に腹鼓を響かせる平五郎さんに、六助さんの顔が綻んだ。
***
六助さんに転入届の出し方や、村の簡単な説明をして駐在所に戻った頃にはすっかり日が暮れていた。幸いにも他に事件は起こっていない。
これからパトカーを磨いたり、報告書を書いたりしなくてはいけないが、とりあえず今日も無事に乗り越えられそうだ。
「六助さん、村に馴染んでもらえそうで良かったですね。変化の上手い平五郎さんが教えてくれるなら安心ですし」
駐在所の鍵を開ける私の横で、パトカーのトランクからボストンバッグを取り出しながら矢田先輩が頷く。
「百歳越えの古狸だからな。若い頃は四国で頭領やってたらしいぞ」
「えー、うっそだあ! 四国って言ったら化け狸の本場じゃないですか。のんびり屋の平五郎さんが頭領だなんて想像つきませんって」
笑いながら引き戸を開け、バッグを持った矢田先輩を促す。
矢田先輩は私の顔をじっと見つめたまま動かなかった。その視線の強さに少したじろぐ。
「どうしたんです? 中に入らないんですか?」
「お前、明日休みだよな」
突然何を言うのか。
駐在所の警察官は交番勤務みたいに三交代制ではなく日勤のみで、土日は休みだ。他の駐在所ではずらして取るところもあるだろうが、ここは一緒に取る。
つまり、矢田先輩も休みである。疲れのあまり忘れてしまったのだろうか。
「あの……。もしかして休日出勤ですか?」
恐々と口を開く私に、矢田先輩は眉一つ動かさずに言った。
「予定空いてるか? 一緒に出かけようぜ」