22話 大井山のマヨヒガ
テーマ:お屋敷のお化け
遠くから祭囃子が聞こえる。
氏子達が月末の村祭りの練習をしているのだ。実りの秋を象徴する軽快なリズムは、ただ耳にしているだけで心が躍る。平坂神社の御祭神もさぞや喜んでいるだろう。
「何だか、あっという間だったなあ」
神社の参道を箒で掃きながらひとりごちる。この村に着任したのが4月。怒涛の半年を乗り越え、ついに10月も下旬だと思うと感慨深い。この調子だと気づいたら年を越していそうだ。
ど田舎とはいえ、年末は事件も多くなる。歳末の特別警戒実施に向けて、より気を引き締めていかないと。でも……。
ちらりと拝殿に視線を走らせる。賽銭箱の向こうの入り口は南京錠で固く閉ざされている。あの写真について、まだ矢田先輩に何も聞けていない。どう聞いていいものか考えあぐねている。
もし、奥さんが本当にオガグズ様に記憶を食われたのだとしたら、納得の上での別れではなかったはずだ。矢田先輩がどれだけ傷ついたかと考えると胸が痛む。
小波さんもそうだ。記憶を奪われていなければ、八千代さんとの別れはもっと違ったものになっていただろう。
満月の夜に陽治さんから聞いた話が頭から離れない。平坂山の山頂に祀られ、封じられていたオガグズ様は今も村の中を彷徨っている。いずれ、また私の前に現れるかもしれない。
怖くないといえば嘘になる。けれど、逃げるわけにいかない。村人たちや矢田先輩のために、私はオガグズ様を捕まえてみせる。
どうすればいいのか、今は皆目見当もつかないけど……。
「……はい。はい、わかりました。これから臨場します」
駐在所に戻ると、矢田先輩が真剣な顔でスマホを握っていた。様子を伺う私に気付き、通話を切ってこちらに向き直る。
「尾白さんの屋敷で不審者だ。中を歩く人影を見たらしい。様子を見に行くぞ」
尾白さんはかつて大井山を管理していた妖狐だ。そして、彼女の屋敷はカワウソの子供たちが遭難した時に、オガグズ様に操られていた犬上くんが発見された場所である。
「じゃあ、出動服の方がいいですね。すぐに用意します」
「風見」
「はい、何ですか?」
装備品のキャビネットに走る足を止め、矢田先輩を振り向く。いつにも増して怖い目だ。それだけ事態が切羽詰まっているのだろうか。
矢田先輩はそのまま少し黙ったあと、私から目を逸らした。
「何でもない。念のために鏡子も連れて行けよ。何があるかわからないからな」
矢田先輩が鏡子ちゃんを名前で呼ぶのは初めてだった。
尾白さんの屋敷はマヨヒガという妖怪だ。
マヨヒガは山中に現れる家で、中の物を持ち帰ると富が得られるというが――所有者がいる以上、立派な盗難である。
「平坂村駐在所の矢田と風見です。不審者の通報を受けて参りました。差し支えなえれば、中に入れていただけますか」
ボストンバックを下げた矢田先輩が扉の前で訪いを入れる。
マヨヒガは話せないが意思はある。矢田先輩の呼びかけに応え、古風な木の引き戸を開けてくれた。
尾白さんの屋敷に足を踏み入れるのは初めてだ。外見の通り、中も伝統的な日本家屋だった。
表玄関を越えた先にはたくさんの和室と、土間や台所、お風呂やトイレ、納戸、広縁、そして囲炉裏のある茶の間があった。広いだろうなとは思っていたが、まさかここまでとは。尾白さんはさぞかし優雅な生活を送っていたのだろう。
屋敷はL字型になっていて、一番奥には渡り廊下で繋いだ離れもあった。あの向こうが庭で、さらに進んだ先がオガグズ様と遭遇した池だ。あの時のことを思い出すと体が震えるが、今は仕事に集中しよう。
不審者を見逃さないように、慎重に屋敷の中を回る。お香でも焚いているのだろうか。どの部屋を覗いても、白檀の甘い香りが漂っていた。
「……誰もいないみたいですね。もう逃げちゃったのかな」
「どうだろうな。俺たちの動きに合わせて移動している可能性もある。しばらく様子を見るぞ」
そう言って、矢田先輩は茶の間の囲炉裏の前に腰を下ろした。職務中に人の家で寛ぐなんて珍しい。とはいえ、私も延々と山道を登ってきて疲れているので、矢田先輩に倣って対面に腰を下ろす。
そのまま囲炉裏にくべられた炭をぼんやりと見つめていると、マヨヒガがお茶を出してくれた。温かい。嬉しい。
「マヨヒガって不思議ですよね。手があるわけじゃないのに、どうやって用意してくれたんだろ。ふっと目を向けると、いつの間にかそこにあるんですもん」
「さあな。理外のことは、いくら考えてもわかんねぇよ。あと、マヨヒガさんだ。俺たちより長生きなんだから、敬意を忘れんなよ」
そうだった。「失礼しました」とマヨヒガさんに小さく謝り、ミニ所長にお供えしてからお茶を頂く。玉露だ。めちゃくちゃ美味しい。予算の乏しい駐在所では、どう逆立ちしても飲めない。
湯呑みから立ち上る湯気がゆっくりと天井に昇っていく。驚くほど静かだ。山の中なのに鳥の鳴き声すら聞こえない。まるで現世から隔絶されたみたいに。
そういえば、平坂山の洞窟もこんな感じだった。もちろん中の様子は違うが、雰囲気が似ている気がする。
コウさんとライさんは今頃どうしているのだろうか。あの幽霊たちから無事に逃げ切れているといいけど……。
あれから何度か平坂山に登ったが、ふたりには一度も会えていない。周りからは何度も諦めるように言われた。けれど、あの出来事が夢だとは思いたくなかった。役所の人間を連れて行くという約束を、私はまだ果たしていない。
「――見。風見」
はっと意識を取り戻す。慌てて顔を上げると、眉間に皺を寄せた矢田先輩が私をじっと見つめていた。
「ごめんなさい。ぼうっとしちゃって。そろそろ移動しますか?」
「お前、この村に来て半年経ったよな。今まで過ごして来てどう思った?」
まさか、そんなことを聞かれるとは思わなかった。駐在所ならともかく、通報のあった現場で。内心戸惑いつつも素直に答える。
「塗り壁さんたちに閉じ込められた時にも言いましたけど、大切な場所ですよ。守りたい気持ちに変わりはありません」
「そうか。じゃあ、俺のことは?」
どういう意味だ。一瞬胸が跳ねたが、当たり障りなく「尊敬してますよ」と返す。
「怒ると怖いけど、何も出来ない私のことを見捨てずにいてくれますし、何より頼りになります。村人たちからも信頼されてますよね。矢田先輩は私の目標です。いつかきっと、矢田先輩みたいな警察官になってみせます」
頬が熱い。何だか恥ずかしいことを言った気がする。矢田先輩はくしゃりと顔を歪めると、手の中の湯呑みに視線を落とした。
そのまま沈黙が続く。感動させてしまっただろうか。「矢田先輩?」と声をかけつつ顔を覗き込むと、矢田先輩の強い眼差しとかち合った。
「俺を尊敬してるのか」
「? はい」
「じゃあ、質問には嘘偽りなく答えるか?」
えっ、なんか怖い。でも、いいえとは言えない雰囲気だ。恐る恐る「はい」と答える。
「なら聞くが――拝殿の中で何を見た?」
時間が止まった気がした。
心臓が大きく跳ねる。自分の呼吸音がやけに大きく聞こえる。しかし、動揺を表に出してはいけない。相手は警察官だ。私は今、矢田先輩に取り調べを受けている。
「何、言って……。何も見てなんかいませんよ」
「入ってない、とは言わないんだな」
しまった、と心の中で呟く。やすやすと誘導尋問に引っかかってしまった。
矢田先輩の鋭い目に射抜かれながら、今まで逮捕されてきた数多の犯人を思う。彼らはみんな、このプレッシャーを受けていたのか。
「お前が拝殿の中で日記を読んだのはすぐにわかった。長持ちの中の配置が変わってたからな。あの写真が紛れ込んでいたとは思わなかったが――別のところに隠したはずだったんだけどな」
ショックで言葉が出ない。早鐘のように鳴る心臓から吐き出された血が、全身を巡って行く感覚がする。
「や、やだなあ矢田先輩ったら」
それでも何とか絞り出した声は、ひどく震えていた。




