21話 その微笑みは今日も変わらず
テーマ:道路のお化け
「おはようございます! 次郎先輩!」
金木犀の香りが鼻をくすぐる道路脇。これから通学してくる子供達に負けないように元気よく敬礼する。
次郎先輩は私のもうひとりの先輩だ。着任したその日から、40年もこの通学路を見守ってきた。信号がないにも関わらず、今まで子供達が交通事故の悲劇に見舞われずに済んだのは次郎先輩の力が大きい。
何しろ次郎先輩にはファンが多い。矢田先輩と比べて小柄だけど、その顔に浮かぶ穏やかな微笑みは見るものの心を和ませる力を持っている。
次郎先輩がここで立番をしている限り、交通ルールを破ろうとは思わないだろう。現に、やんちゃ盛りの子供達も、ここを通る時はきちんと横断歩道を渡るし、いつも忙しそうな大人達も必ず一時停止する。
「おい、風見。子供達が来る前に綺麗にしとけよ。先輩だって、さっぱりした気持ちで顔を合わせたいだろ」
「わかってますよう。次郎先輩、失礼します!」
手にした濡れタオルで先輩の顔を拭う。先輩は何も言わずにただ微笑んでいる。24時間外にいるから土埃がひどい。体もところどころ欠けている。強化プラスチック製といえども、経年劣化には勝てないのだ。
先輩の名前は見守り次郎。通学路の安全を見守るために設置された警察官の人形である。名前の由来は『見守り地蔵』にかけているから。それに、太郎はすでにいそうだという大人の事情もある。
通学路の見守り活動の時は、必ず次郎先輩の掃除から始めるのが歴代駐在所員の伝統らしい。矢田先輩も着任時は、まず次郎先輩に挨拶したそうだ。
「アリスママ、おはよー」
「おはよう。みんなお勉強頑張ってねー」
色とりどりのランドセルを背負った子供達が元気に挨拶をして通り過ぎていく。その笑顔を見ていると自然とこちらも笑顔になる。空が映り込むほどピカピカになった次郎先輩も、いつもの笑みを浮かべて子供達を見守っている。
「ママだってよ。すっかり定着したな」
「いいんですう。それだけ母性にあふれてるってことにしておきます」
横断歩道を挟んだ向かいでニヤニヤしている矢田先輩に舌を出す。
「まあ、流石に最初は戸惑いましたけどね。だんだん慣れてきたっていうか……。もし子供を産んだら、アリスちゃんみたいに育つかもなーなんて思ったり」
矢田先輩は2、3秒たっぷりと黙った後、「……かもな」と呟いて目を逸らした。何だその間は。話を振っておいて引かないで欲しい。
抗議しようと唇を尖らせた直後、矢田先輩の後ろから、マフラーの音をけたたましく響かせてこちらに突っ込んでくる車が見えた。
「矢田先輩! 後ろ!」
警笛を鳴らしながら、急いで子供達の前に出る。車は減速することなく目と鼻の先を掠め、私達を嘲笑うように走り去って行った。
「っざけんな! 追うぞ!」
校門前に立っていた二宮先生に子供達を任せ、パトカーに飛び乗る。子供達は回る赤色灯に興奮しているようだが、こっちはそれどころではない。
速度計測器を作動つつ、無線で本署に応援を要請する。相手は改造車の上、ナンバーも折り曲げている。この村であんな舐めた運転をする命知らずはいないから、おそらく村外の人間だろう。
「絶対に逃さねぇぞ……。前の車、止まりなさい! 止まれっつってんだろ!」
暴力団顔負けの迫力に、思わずこちらの肩も跳ねる。
前の車はさらに速度を上げて逃亡を図ったが、村の道を知り尽くしている矢田先輩を振り切れるはずもない。巧みに袋小路に追い込まれ、あえなく御用となった。
「ちくしょう、何だよ! こんな田舎道でルール守ったって意味ねぇだろ!」
「ちょっとテンション上がっちまっただけじゃねぇか。見逃してくれよ!」
車から降りて来た……というか矢田先輩が引き摺り降ろしたのは人外と人間を含めた6人。みんな20代ぐらいに見える。
好き勝手に喚き散らしているが、スピード違反、一時停止違反、定員外乗車違反とトリプル役満だ。若さ故のはっちゃけで許されるわけがない。
「あのね。君達何キロ出してたかわかる? 80キロだよ? 子供達にぶつかったらどうするつもりだったの」
「うっせえな、ババア! 俺達は助亜苦労だぞ! 俺達をパクったら先輩達が黙ってねぇぞ!」
「バッ……」
20歳を捕まえてババアときた。あんた達より若いわよ、と言いたいのをグッとこらえる。警察官が不良と喧嘩するわけにはいかない。いかないのだが――。
「へえ、助亜苦労も堕ちたもんだな。少なくとも俺が新人の頃は最低限の仁義は切ってたぞ。事故で逝っちまった八重崎も草葉の陰で泣いてるだろうな」
「は? 何でお前が伝説の総長の名前を……って、まさか矢田? 嘘だろ? 何でこんな田舎に……」
リーダー格の若者が顔を青ざめた。矢田先輩は機動隊上がりだ。先輩とやらに武勇伝を聞かされているのかもしれない。
容赦無く『指導』される若者達に手を合わせていると、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。応援が到着したようだ。朝っぱらから大変だったが、無事に確保できたし、これで万事解決……。
したはずだった。
「何よ、これ! 次郎先輩の顔が!」
その日の晩。学校の前に複数の不審者がいると通報を受け、駆けつけた私達が目撃したのは、油性マジックで落書きされた次郎先輩だった。
可哀想に。いつも素敵な微笑みを浮かべている口元には、昔の漫画にありそうな泥棒ヒゲが描かれ、帽子の旭日章には熟れたトマトが投げつけられていた。
光量の乏しい街灯の下では、まるで頭から血を流しているように見える。おそらく昼間の報復だろう。矢田先輩のこめかみからピキッと音がする。
刹那、暗闇の向こうに走り去る複数の足音がした。条件反射で駆け出した矢田先輩が、猟犬の如く後を追いかけて行く。
「お前は応援を呼べ! 次郎先輩から離れんなよ!」
答える間もなく、みるみるうちに背中が闇に飲まれていく。応援が到着するまで、犯人の身が持つだろうか。
ため息をつきつつ無線に手を伸ばそうとして――殺気を感じ、咄嗟に横に飛び退いた。
ガツン、と派手な音と共にバットがアスファルトに叩きつけられる。ライトを照らしても持ち主は見えず、闇の中にバットだけが浮いている。相手は透明人間なのだ。
「私が本命か……!」
矢田先輩を襲うより、私を襲う方が簡単だと思ったに違いない。悔しいが否定できない。
「っ! 煙?」
腰から警棒を抜き出して応戦しようとしたところで、闇の中に灰色のもやが広がった。煙の妖怪、煙々羅だろう。透明人間の近くに潜んでいたのだ。多勢に無勢でますますやばい。
「至急至急! こちら平坂村駐在所の風見! 平坂小学校前で複数の被疑者と遭遇……あっ!」
無線を持った手を思いっきり殴られる。強い衝撃はきたが、力が弱いのかあまり痛くはなかった。
体制を整える間もなく、今度は背後から腰を殴られた。バランスを崩して地面に膝をつく。頭上から何かが風を切る音。まずい。まずすぎる。
咄嗟に両腕を交差させて頭を庇ったが、痛みは一向に訪れなかった。
私の目の前。手を伸ばせば届くところに、素手でバットと対峙する警察官がいた。矢田先輩にしては小柄な体だ。さっきの無線を聞いて、近くにいた警察官が駆けつけてくれたのかもしれない。
助っ人の警察官はそのまま声もなく暴漢達を制圧すると、私に手錠をかけさせた。
「ありがとうございました! あの、どちらの所属の方ですか……?」
お礼を言いつつ姿を確認しようとしたが、完全に煙が消えていないので顔がわからない。かろうじて、穏やかな微笑みをたたえた口元に黒い何かがついているのが見えた。……ヒゲ?
「風見!」
徐々に晴れてきた煙の向こうから、息を切らした矢田先輩が駆け寄ってきた。両手にはボコボコに腫れた顔をした若者達が抱えられている。
犯罪が増えて、制圧時の暴力には多少目を瞑ってもらえるようになったとはいえ、流石に不味くないだろうか。
「悪い。今回のは俺の判断ミスだ。怪我は……ねぇな。ひとりで捕まえるなんてやるじゃねぇか」
「あ、いえ、応援の方が捕まえてくださったんですよ。こちらの……あれ?」
振り向いた先には、真っ暗な闇だけが広がっていた。
「おはよー、アリスママ」
「はい、おはよー。今日も元気だねえ」
交通安全と書かれた黄色の旗を掲げつつ、横断歩道を歩く子供達に笑顔を向ける。
昨夜のひと騒動から一転して通学路は平和だった。矢田先輩と助っ人警察官のおかげで暴漢達は全員検挙。この一件で、『平坂村には矢田がいる』と改めて周知されたそうなので、今後は羽目を外しに来たりはしないだろう。
「それにしても、昨日の警察官は一体誰だったんでしょうね?」
到着した応援の警察官達に確認したところ、昨日あの辺りを警邏していた警察官はいなかった。そもそも休みか何かでたまたま村にいない限り、あんなに早く辿り着けないと言われた。
幻でも見たというのだろうか?
「もしかして、次郎先輩だったりしませんかねえ」
「まさか。次郎先輩はまだ40歳だぞ。付喪神になるにはまだ早ぇよ」
向かいで矢田先輩が笑う。
私の背後には静かに道路脇に佇む次郎先輩。トマトは綺麗に拭い去ったものの、口元には落としきれなかったヒゲがついている。
その微笑みは今日も変わらず穏やかだった。




