16話 迷子のグレムリン(前編)
テーマ:宇宙のお化け
「三日もお休みいただいてすみませんでした。風見はとり、本日より職務に復帰いたします!」
ビシッと敬礼したと同時に、駐在所前のくつろぎスペースから拍手が起こる。
集まっているのは加奈子さんをはじめとしたご近所の人外たちだ。ご近所ではないが、すっかり村に馴染んだ陽治さんやかなめさんもいる。
机の上には早くも空いた酒瓶やビール缶が転がっている。その隙間で、嬉しそうに目を細めた鏡子ちゃんが日課の日光浴をしていた。
駐在所の入り口で立つ矢田先輩は渋い顔だ。朝っぱらから目の前を宴会場にされるのが嫌なのだろう。
「よかったわあ、元気になって。姑獲鳥に攫われたと聞いた時はどうなるかと思ったけど」
頬に手を当てた加奈子さんが優しく笑う。
加奈子さんは私が攫われてすぐに、平坂山の人外を総動員して捜索に当たってくれた。山頂に残した姑獲鳥ママをすぐに保護できたのも、四合目に下りた私をすぐに発見できたのも、そのおかげだそうだ。
ただ――。
「無理はしないでくださいね。あの高さから川に落ちて、無傷で岸に流れ着くなんて奇跡なんですから」
気遣ってくれる陽治さんに曖昧に頷く。
そう。私は洞窟を抜けたのではなく、岸辺に流れついたところを発見されたことになっていた。
確かに出口に向かって走った記憶はあるのだが、気づいたら血相を変えた矢田先輩に抱き抱えられていたのだ。
毛布に包まれながら、「応援を連れて戻らなきゃ!」と叫ぶ私に、その場にいたみんなが口を揃えて言った。
夢でも見ていたんじゃないか、と。
村役場によると、四合目へ抜ける洞窟があるのは間違いないらしい。けれど、見せてもらった写真に写っていたのは、通って来たのとは似ても似つかない洞窟だった。
コウさんとライさんについて加奈子さんに聞いても、「そんな人外たち知らないわよ?」と言われる始末。
他の村人たちも、二人のことは知らないみたいだった。狐の姿も見ていないという。
みんなの言う通り、あれは夢だったのだろうか? でも、この手に残ったライさんの毛の感触は消えていない。先に行って、とコウさんに背中を押された感触も。
あの二人は、一体何者だったんだろう?
「姑獲鳥の奥さんも無事で良かったわよねえ。お子さんが亡くなったのは気の毒だけど、旦那さんが『たとえ妖怪になっても愛します』って言ってくれたし、時間はかかっても、いつか心の傷が癒えるといいわねえ」
加奈子さんの声に、はっと意識を引き戻される。
保護された姑獲鳥ママは最初こそ支離滅裂なことを言っていたようだが、市内から駆けつけた旦那さんが根気よく話を聞いているうちに落ち着きを取り戻し、徐々に現実を受け入れつつあるとのことだった。
私を攫った時、姑獲鳥ママは妖怪化したばかりだったらしい。我が子の葬儀の準備にかかりきりになっていた旦那さんの一瞬の隙をついて、病院から抜け出してしまったそうだ。
お見舞いに来てくれた旦那さんの顔はひどく窶れていたが、それでも決意に満ちた目をしていた。
「今回の件では、自分の力不足を痛感しました。これからは、より一層職務に邁進して皆さんの安全を守ってみせます!」
拳を固めて宣言する私に、やんや、やんやと声が上がる。まるでお祭りだ。
ついに我慢できなくなったらしい。こめかみに青筋を浮かべた矢田先輩が、「騒ぐのはやめてください!」と一喝した。
「ここは駐在所なんですよ。風見を可愛がってくれるのはありがたいですが、酒盛りまでされちゃ他の相談者の方が入りにくいでしょう。気が済んだらそろそろ解散してください」
「やあねえ、矢田くんったら。人外には酒がつきものよお。まあ、でもお仕事の邪魔になっちゃいけないからねえ。はとりちゃんの快気祝いは、また改めてしましょうか」
加奈子さんの一言で、その場は解散ムードになった。めいめい椅子から立ち上がり、ゴミを片付け始める。手慣れているからか、やたら早い。
「――あの、陽治さん」
矢田先輩の目を盗んで陽治さんに近づく。
陽治さんはみんなが集めたゴミをまとめて、ゴミ捨て場に持って行くところだった。かなめさんはくつろぎスペースの机を拭きながら村人たちと談笑している。
「ご相談したいことがあるんですが、仕事が終わったらお家にお邪魔させてもらってもいいでしょうか。しばらく夜間対応は免除されているので、呼び出しもかからないですし」
「いいですけど……。僕ですか? かなめじゃなく?」
「山頂の祠のことで」
それだけでわかってくれたようだ。陽治さんはちらりとかなめさんを見て、小さく頷いた。
「わかりました。かなめにはあとで話しておきます。よければ晩御飯をご一緒しましょう。はとりさんが攫われて凄く心配していましたからね。腕によりをかけると思いますよ」
ありがたいことだ。仕事を休んでいた三日間、いろんな人外たちが入れ替わり立ち替わり私を見舞ってくれた。犬上くんも鼻水垂らして泣いていたっけ。
私は恵まれている。この場所を――みんなを愛し続けていきたい。コウさんが別れ際に言ったように。
「風見! 朝の申し送りしたら巡回するぞ。早く勘を取り戻せよ」
「はい! 今日からまたご指導お願いします!」
仕事が終わったら連絡すると陽治さんに伝え、矢田先輩の元に戻る。
その時、空から降ってきた何かがくつろぎスペースの机の上に落ちた。激しい音と共に土埃が舞い、近くにいた村人たちがむせる。
無惨にへこんだ机の上で、ギリギリ直撃を免れた鏡子ちゃんが、大きく目を見開いてわなわなと震えていた。
「……えっ?」
たっぷり間が空いたあと、村人たちから戸惑いの声が上がる。視線が集中する中、いち早く机に駆け寄った矢田先輩が鏡子ちゃんを拾い上げ、続いて駆け寄った私に手渡す。
可哀想に。鏡子ちゃんは目に涙を浮かべて私の胸に鏡面を寄せた。
「どうしたの、矢田くん。一体、何が落ちてきたの?」
「人外……だと思うんですが、村人じゃないですね。初めて見ます。加奈子さん、わかりますか?」
矢田先輩が指差したのは、羽のない蝙蝠に鳥の嘴をつけた人外だった。大きさはサッカーボールぐらいで、もふもふの灰色の毛並みからは悪魔みたいな尻尾が伸びている。
加奈子さんは机の上に体をかがめて目を眇めていたが、やがて小さく首を横に振った。
「見覚えがないわねえ。少なくとも妖怪じゃないわよ。新しい人外かしら」
他の人外たちも見覚えないみたいだった。遅れて駆け寄ってきた陽治さんが目を丸くする。
「おや、珍しい。グレムリンですね。イギリスの妖精で、普段は航空機や人工衛星にくっついて空にいるはずなんですけど……。まだ子供みたいだから、落ちちゃったのかな。電気が主食なので、機械類は遠ざけた方がいいですよ」
その言葉で、みんなが一斉にスマホを隠した。
唯一、電子機器を持ち合わせていない加奈子さんがしげしげとグレムリンを眺める。深く眠っているのか、グレムリンはぴくりとも動かない。微かに寝息が聞こえるので、生きてはいるようだ。
「これがグレムリン……。道理で見覚えないはずよね。一体どこの子かしら。今頃、探してるんじゃない?」
「まさかここに落ちてるとは思わないでしょうしね……。矢田さん、現代は機械にあふれていますから、早く保護者を見つけないと混乱をきたしますよ。妖精に効くかはわかりませんが、妖力封じのお札を貼った方がいいと思います」
「本署に連絡してすぐに対応します。――すみませんが、皆さんも協力して頂けますか」
その場にいた村人たちが同時に頷いた。それぞれ知り合いの人外たちに心当たりを聞いてくれるという。
「矢田先輩、私達もチラシか何か作った方がいいですよね。巡回の時に渡して……」
「いや、お前は子守してろ。よかったじゃねぇか。病み上がりで走り回らなくてもいいぞ。機械には極力近づくなよ」
「えっ」
それって、一番大変なんじゃ……。
まさかの二児の母になってしまった。やきもちを焼いたのか、胸の中の鏡子ちゃんが抗議するように揺れた。
グレムリンの容姿は私の創作です。