13話 人魚の恋バナ(後編)
「……って、間延さんから聞いたんだけど。何か悩んでたりする?」
「うーん。相変わらず直球だね、はとりさん。矢田さんに怒られるよ? いい加減、変化球を覚えろって」
仁来海の西側。人魚の入江と呼ばれる場所で、私は桜ちゃんと流木の上に並んで腰掛けていた。目の前には青い海。足元には白い砂浜。空にはカモメがのんびりと飛んでいる。
桜ちゃんは物憂げな顔でカモメを見つめていたが、私が渡した缶ジュースを口にすると、ぷは、と美味しそうに息を漏らした。海藻のような緑色の長い髪が揺れ、ワンピースの下の尾鰭が砂をペチンと叩く。
人魚は上半身が人、下半身が魚の妖怪だ。その肉を食べると不老不死になるというが、試そうとした奴は悉く返り討ちに合っている。そもそも間延さんが黙ってはいない。
「でも、そっか。間延さんに心配かけちゃってたのか。そんなつもりなかったんだけどな」
「いつも元気な桜ちゃんに笑顔がないと、それだけで気になっちゃうんだよ。だから、うざいとかは言わないであげて……」
こんな仕事をしていると、思春期の少女がどれぐらい難しいか身に染みてわかっている。変な気を回す私に、桜ちゃんは「そんなこと言わないよ」と笑った。
ふと、今よりも幼い桜ちゃんの笑顔が重なって戸惑う。どうしてこんな記憶があるのだろう。私が赴任してきたのは半年前なのに。駐在所で村人の写真でも見たのだろうか。あの時は緊張と不安でいっぱいいっぱいだったから、全く覚えてないけど。
「はとりさん、どうかした?」
「え? ううん、なんでもない。それより、続きを話してよ。言える範囲でいいからさ」
桜ちゃんはもじもじと体を揺すると、内緒話をするように私の耳に顔を寄せた。
「……実は私、人間に恋をしてるの」
「へえ、どんな人?」
内心の動揺を隠して問いかける。
まさかの人魚の恋バナ。童話と違って泡になったりはしないらしいが、桜ちゃんはまだ未成年。警察官としては相手の素性が気になる。
一度口に出したら気持ちを抑えられなくなったらしい。桜ちゃんは頬を赤く染めながら恋の始まりについて教えてくれた。
お相手は市内に住む二十一歳の男性。高校の友達と繁華街に遊びに行った時に、しつこいナンパに絡まれているところを助けてくれたのだそうだ。
童話から抜け出してきた王子様みたいなイケメンで、物腰も柔らか。大学で海洋物の研究をしていて、人魚の桜ちゃんとはとても話が合ったのだという。
「それから、何度かSNSやリモートでやり取りして……。いつの間にか好きになってるって気づいたの。でも、私は人魚じゃない? 変化すれば陸でも生きられるけど、寿命も育ってきた環境も全然違うし、このまま想いを貫いていいのかなって……。周りも反対するだろうし……」
私に恋愛経験はない。けれど、この場で言わなくてはいけないことならわかる。女性としての一歩を踏み出した桜ちゃんに、後悔させないことだ。
「桜ちゃんはどうしたい? 周りがどうとか、人外と人間とか、そういうのは抜きにして、純粋な自分の気持ちを教えて?」
両手を握って顔を覗き込む。桜ちゃんは砂浜に視線を落として少し逡巡したあと、強い眼差しで私を見つめ返してくれた。
「私は……。やっぱりあの人が好き。できるなら、ずっとそばにいたい。もしフラれたとしても、告白する前に諦めるなんて嫌なの」
「結論出てるじゃない。桜ちゃんなら大丈夫だよ。女は度胸! ってね」
下手くそなウインクをする私に、桜ちゃんがふふっと口元を緩める。
「ありがとう。はとりさんのおかげで勇気出た。私、自分の気持ちに正直になるよ!」
少女がキラキラしている姿は眩しい。それにしても、絵に描いたような真っ当な恋愛でよかった。世の中には珍しい人外を捕まえて売り捌く悪徳業者もいるから……。
「実はこれからここで会う約束をしてるの。凄いんだよ! お家がお金持ちで、クルーザーを何台も持ってるんだって。授業のない日は、いろんな海に行っていろんな人外に会ってるみたいなの。凄く勉強熱心だよね」
ん?
「大人のお友だちもたくさんいるみたいで、一緒に来てくれるんだ。大勢いて驚くかもしれないけど、みんな海が好きで、人外にも詳しいから心配しないでってさ。優しいよねえ。好きな人のお友だちと、どう話せばいいかなあ?」
んん?
「ついでに研究もしたいから、珍しい人外がいる場所を教えて欲しいって言われてるの。人間に珍しい人外ってなんだろ? 間延さんは有名過ぎるよね?」
「ごめん。その話、もっと詳しく聞かせてくれるかな?」
***
「オラ! とっととパトカーに乗れ! 人外を捕まえて売ろうなんざ、ふてえ奴だ!」
赤色灯が瞬く中。手錠を掛けられた男たちが本署の警察官に連行されていく。
港には彼らが乗ってきたクルーザー。中には人外捕獲用の網や、人魚の鱗を取る道具など、犯罪の証拠が山のように積まれていた。
桜ちゃんが恋をした相手は、大規模な悪徳業者の下っ端だったのだ。
大学生なのも、海洋物の研究をしてるのも嘘。そもそも最初のナンパからして仕組まれていたらしい。田舎から出てきた純朴な少女を騙すとはタチが悪過ぎる。余罪も相当あるそうだ。
本署に照会して男達の素性が割れた時、桜ちゃんは泣いた。当たり前だ。
それでも、間延さんに慰めてもらっているうちに落ち着いたようで、最後には「もっと素敵な人を見つける!」と息巻いていた。若いって本当に凄い。
「よく気づいたな。桜ちゃんが騙されてるって」
並んでパトカーを見送っていた矢田先輩が、制帽を脱ぎながら言う。
お互い、駐在所を出る前は気の抜けた普段着だったのに、今は制服だ。あの悪徳業者のおかげで、休みが一瞬でぶっ飛んでしまった。事件が未然に防げたからいけど。
「いやあ……。さすがに盛り過ぎだと思って。偶然助けてくれた人がイケメンでお金持ちで海の人外にも詳しいなんて、まるで漫画じゃないですか。大人の友だちを大勢連れてくるのも不自然です。好きな人とは二人きりになりたいって思いません?」
それには答えず、矢田先輩は目尻に皺を寄せた。
「お前も成長したな。間延さんの怒りに触れる前に確保できてよかったよ。間延さんの名前の由来って『魔の日』だからな。本気を出せば加奈子さんよりも強いし、この辺り一帯が大時化になるところだった。漁師さんたちが泣いちまう」
「え? 間延した口調だから間延さんじゃないんですか?」
「誰からそんなガセネタ聞いた? さっきの言葉は取り消しだ。警察官なら裏取りはきちんとしろよ」
せっかく褒めてもらえたのに。
頬を膨らませる私に、矢田先輩は大声で笑うとこちらに向き直った。
「そんな顔すんなよ。着替えたら飯でも行こうぜ。奢ってやるよ」
傷だらけの大きな手のひらが髪に触れる。
今度は最後まで下ろされなかった。