10話 襲来! 小野篁警視監
テーマ:人型のお化け
三辻の大捕物から一夜明け、私は神社で日課の掃除に勤しんでいた。
矢田先輩の姿はない。捕まえた猪口暮露たちの件で、本署に呼ばれて出かけて行った。戻って来るのは早くとも昼過ぎになるだろう。
ともすれば拝殿の方へ視線が向きそうになるのを必死にこらえて、手早く落ち葉をゴミ袋に詰める。
警察官が不法侵入なんて笑えない。昨日のお手柄も一瞬でパアになってしまう。
「それにしても、あの人外たちなんでこの村に来たんだろ」
自慢じゃないが、この村に盗るものは何もない。顔見知りばかりなので潜伏にも向かない。たとえ悪さをしようとしても、加奈子さんをはじめとした人外たちにボコボコにされるだろう。
同期が駆けつけるまでの間に猪口暮露たちの事情聴取をしたのだが、みんな口を揃えて「村に来た前後の記憶がない」と言っていた。
嘘をつくメリットがないので、とぼけているとは思えない。どことなく不完全燃焼の事件だった。
「まあ、今は考えても仕方ないか。とりあえず、今日は一日まったりしようっと」
ゴミ袋を近くのゴミ捨て場に捨て、駐在所に戻る。矢田先輩がいないと不安ではあるが、その分肩の力は抜ける。
「やあ、おはよう。昨日はお手柄だったね」
駐在所の中には年齢不詳の綺麗な男性がいた。
高そうな三つ揃いのスーツ。後頭部でお団子にした長い髪に、貴公子のような魅惑の微笑み。どう見ても村人じゃない。
一秒、二秒……。引き戸に手をかけたまま、男性の顔を凝視する。ようやく警察の人間だと気づき、全力で気をつけをして敬礼する。
「お、おはようございます! 風見はとり巡査、ただ今、帰所いたしました!」
いつの間に現れたのか、矢田先輩の席に座っていたのは、上司の小野篁警視監だった。
小野篁とは平安時代に活躍した人で、あまりにも優秀なため、昼間は現世の役人、夜はあの世の役人としてダブルワークをこなし、死後は地獄の閻魔様の補佐官としてその辣腕を発揮している。
人外が可視化してからは、警察庁長官兼各駐在所の所長に就任した閻魔様と共に、陰日向となって人間を助けてくれているのだ。
つまり、私みたいな入りたての新人が会える相手じゃない。
「そう畏まらないでよ。君のことは閻魔様……所長からよく聞いているよ。いつも元気で頑張っているってね」
「は! ありがとうございます! これも矢田巡査部長のご指導のおかげです!」
「だから畏まらないでって。所長にはフランクなのにさ。依代を掃除する時、いつも頭を撫でてあげてるんでしょ?」
「えっ? なんでそんなこと知ってるんですか?」
つい素に戻った私に、小野警視監は優雅に肩を揺らした。
「浄玻璃の鏡って言ってね。地獄には現世の様子を見られる道具があるんだ。忙しくて中々出向けないけど、所長はいつも君たちのことを見守っているよ」
顔が赤くなるのがわかった。さすが地獄の閻魔様。これからは気をつけよう。
「あっ、そうだ。何か飲み物お出ししますね。緑茶とドクダミ茶、どちらがお好みですか? コーヒーもありますよ」
「いいよ。忙しいのに長居しちゃ悪いからね。用事を済ませたらすぐに帰るよ」
小野警視監は立ち上がると、黒革の鞄から木箱とクリアファイルを取り出した。
木箱は本部に預けていた照魔鏡の赤ちゃんだ。調査結果は本署経由ですでに聞いているので、私も矢田先輩も正真正銘の照魔鏡だと知っている。
受け取ったクリアファイルには書類が二枚挟まっていた。それぞれ『照魔鏡育成許可書』、『照魔鏡育成手順(外部持出厳禁)』と書かれている。
……ということは。
「私が照魔鏡を育てるんですか?」
「そう。赤ちゃんのうちは環境を変えない方がいいからね。何時でもいいから、日光に一時間、月光に一時間当ててあげて。満月の夜は二時間ね」
小野警視監は書類の中のイラストを指でトントンと叩いた。
「雨の日は濡れないように、こうしてアクリル板で囲うこと。一ヶ月ぐらい続ければ立派な照魔鏡になるよ。鬼の持ち物だったなら、もっと早いかもしれないね。ママの顔を覚えて里心がつくといけないから、自分の姿は映さないように気をつけて」
「ママ……」
結婚してもいないのに子持ちになってしまった。
照魔鏡の経験を積むため、事件の際は申請書なしで照魔鏡の力を借りてもいいと言われたので、ありがたく拝受する。赤ちゃんの名前はあとで矢田先輩と相談して決めよう。
「ここは人間より人外の方が多いから、大変だと思うけど頑張ってね。期待してるよ。矢田くんにもよろしく」
「はい! ご足労いただきましてありがとうございました!」
敬礼する私の肩を軽く叩き、小野警視監が駐在所の引き戸に手をかける。
「ああ、そうだ」
何かを思い出したらしい。そのまま足を踏み出そうとして肩越しに振り返る。その弾みでお団子から髪が一房落ち、警視監の頬に影を作った。
「髪、少し伸びたね。よく似合ってるよ」
「え?」
敬礼を解き、首筋に触れる。
短く切り過ぎたと思っていた髪は、肩まで伸びていた。
***
「うーん、いつの間に伸びたんだろ。確かに、君を覗いた時は長い気がしたけどさあ。そのあと触っても別に普通だったんだよね。忙し過ぎて気づかなかったとか? そんなことある?」
駐在所前のくつろぎスペースに座り、手にした針を動かしながら、机の上の照魔鏡に話しかける。
日光浴が嬉しいのか、それとも私に懐いてくれているのか、照魔鏡は愛嬌たっぷりに一つ目を細め、応えるようにカタカタと揺れた。
なんか可愛い。鏡だけど。
「矢田先輩なんて言うかなあ。君のこともあるし、驚いて腰抜かしちゃったらどうしよう――って、噂をしたら帰ってきた」
パトカーが静かに駐車場に停まる。相変わらず運転が上手い。運転席から降りてきた矢田先輩はいつもより疲れている気がした。
「お帰りなさい。久しぶりの本署はどうでした?」
「ちょうど近くで尻目が出て、確保に付き合わされた」
尻目は名前の通り、お尻に目のある妖怪だ。常識のある尻目は慎み深く目の辺りだけをくり抜いた衣服を身につけているが、警察官が出動したということは原理主義者の露出狂だったんだろう。私もできれば遭遇したくない。
「うわ、えぐ……。お疲れ様です」
「ありがとよ。今日は平和なことを祈るぜ」
ぐったりと椅子に腰掛けた矢田先輩が机の上の照魔鏡を見て眉を寄せた。私の髪はスルーだ。矢田先輩のことだから気づいていない可能性がある。
「あの……。私の髪ってこんなに長かったでしたっけ?」
「はあ? 前からそんな感じだったぞ。寝ぼけてんのか?」
瞬殺された。私の勘違いの可能性が高くなったので、これ以上何も言わずにおく。
「それより、これ、この前の照魔鏡じゃねぇか。ここで育てんのか? あと、さっきからせっせと何作ってんだ」
「この子のお洋服です。裸のままだと可哀想だし、姿を映さないようにしろって言われたので」
作りかけの鏡カバーを見せつつ、小野警視監との一件を報告すると、矢田先輩は顔をしかめて大きなため息をついた。
「偉いさんが俺のいねぇ時にいきなり来んなよ……。まずいもの見られてねぇだろうな?」
「まずいものって? 矢田先輩が時々夜に読んでる、袋とじがある雑誌とかですか」
「馬鹿! お前が壊した備品とかだよ! 俺が揉み消すのにどれだけ苦労してると思ってんだ!」
思いっきり雷を落とされた。冗談の通じない先輩である。
般若顔の矢田先輩を取り成すため、手つかずだったコーヒーと茶菓子を差し出し、愛想笑いを浮かべる。
「まあまあ、そう怒らないでくださいよ。小野警視監って初めて間近で拝見しましたけど、凄く綺麗な方ですね。物腰もスマートで、さすが元公卿って感じ。生きてる人間だったらモテモテかも」
「……お前、ああいうのがタイプなのか?」
まさか、そんなことを聞かれるとは。思わず目を瞬かせる。
「小野警視監は芸能人枠ですよ。恋人にしたいタイプとはまた別です」
「それって、どんなタイプなんだよ」
珍しく絡んでくる。「セクハラですよ」と返そうとして、はたと気づいた。これは結婚相手のことを聞くチャンスでは?
「そういう矢田先輩はどうなんですか? もしかして、私が知らないだけで、とっくに結婚しちゃってたり――」
駐在所の固定電話が鳴った。村人はスマホに直接かけてくるので、村外からだ。矢田先輩が素早く立ち上がり、引き戸を開けて中に駆け込んで行く。
後輩なのに出遅れてしまった。慌ててあとを追いかける。
「はい。こちら平坂村駐在所。……はい……はい。わかりました。すぐに向かいます」
矢田先輩は真剣な顔でメモを取ると、受話器を置き終わらないうちに叫んだ。
「大井山で遭難者だ。あそこは不良人外の溜まり場だから、本署と近接交番から応援が来て救助隊を組む。登山準備! 急げ!」
補足①
閻魔様が駐在所の所長を兼務しているのは、駐在所は原則一人体制のため、もしもの時はすぐに対応できるようにです。
補足②
地蔵菩薩は閻魔様の化身。つまり同一人物です。ちなみに閻魔様は人類史上初めて死亡した人間です。
補足③
駐在所に不在時、固定電話への着信は、はとりと矢田のスマホに転送されます。