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1話 泣いた赤鬼

テーマ:赤いお化け

「もっと気合い入れて走れ風見(かざみ)ぃ! お前が追いつかなきゃ挟み撃ちにできねぇだろうが!」

「そんなこと言ったってえ。相手は鬼ですよお」


 草木も眠る午前二時。


 私は息を荒げながら田んぼの畦道を突っ走っていた。


 警察官の装備は三キロ以上。加えて舗装されていない道は走りにくい。


 そんな中をアスリートのごとく全力疾走できるのは村中の道を知り尽くした矢田(やた)先輩ぐらいなものだ。


 前を行く赤鬼とて、時折ぬかるみに足を取られているのに。


「はとりちゃん、頑張れ頑張れ!」

「俺たちも頑張って足元を照らすからさ!」

 

 隣の天狗火さんたちがしきりに励ましてくれるが、私は警察学校を卒業したばかりの女の子。


 フィジカルお化けの矢田先輩や人外たちみたいにスタミナがあるわけもなく、早くも足が悲鳴を上げ出した。


「な、なんでこんなことに……」


 一向に縮まらない背中を睨みながら、私は数時間前の出来事を思い返した。



 ***

 


「泣いた赤鬼?」


 眼前には海、背後には山。


 蝉と怪異がはしゃぎまくる夏が去り、ようやく一息ついた秋の午後。


 昭和感丸出しの駐在所の前に設置したくつろぎスペースという名の、ド派手な色をしたパラソル下の机とベンチで、加奈子さんが差し入れてくれた羊羹を齧りつつ、私は小首を傾げた。

 

 その拍子に自慢の黒髪が首筋をくすぐり、思わず肩をすくめる。


 暑さに負けて、ちょっと切りすぎたかもしれない。矢田先輩にも「日本人形みたいだな」と嘲笑われたし。

 

「そうなのよう。昨日の夜、村境の十字路で百目鬼(どうめき)の奥さんが見たって。暗かったから顔まではわからなかったみたいだけど、絵に描いたように真っ赤な鬼だったらしいのよ。ツノも立派な二本でねえ」


 そう言う加奈子さんの額にも立派なツノが二本生えている。


 大抵の鬼はまっすぐか少し湾曲したツノが多いので、彼女みたいに先が捻れているのは珍しい。


 研究者が言うには、妖力の強さがツノに現れているそうだ。

 

 何しろ加奈子さんは、何百年も前からこの地に住んでいらっしゃる山鬼様だ。


 まだ村人が丁髷(ちょんまげ)を結っていた頃に、仲良くしていた何ちゃら法師だかに頼まれたらしく、この駐在所の裏手にある山の管理を担っている。


 時代が時代なら、こうして向かい合ってお茶をする機会などなかっただろう。


 今から百年前の令和の終わり。

 

 進化したAIが新たな次元の扉を開くという、よくわからないシンギュラリティ(技術的特異点)が起こり、想像上のものとされていた幽霊や妖怪たちが一斉に可視化された。


 おかげで、今まで不運な事故として片付けられていた事件の真相が次々と明らかになり、法の外にいた彼らにも量刑が課されるようになった。


 ただ、相手は人知を超えた力を持つ人外たち。


 空から執拗に幼女を狙うロリコン天狗や、トイレを覗き見してくる加牟波理入道(がんばりにゅうどう)……などなど、事件も千差万別で刑務所が空く暇がない。

 

 そう。世の中は大犯罪(警察官泣かせの)時代なのである。

 

 とは言うものの、日々の生活に慣れていくのは世の常だ。


 最初は反発していた人間たちも、今では少し不思議な隣人として人外たちと接しているし、半ば強制的に人間社会に組み込まれた人外たちも、人間たちが作り上げた文化に触れて案外楽しく暮らしている。


 少なくとも、この村では。


「おい、風見。お前、また所長のお供え横取りしやがって」


 隣の平坂神社の掃除を終えた矢田先輩が制帽を脱ぎながら駐在所に戻ってきた。


 短く刈り込んだ黒髪に、夜な夜な海で騒ぐチンピラたちも震え上がらせる目つき。警察官らしくがっしりとした体格。


 正臣(まさおみ)、という勇ましい名前がぴったりだ。

 

 性格も見た目通りで、若い頃は相当ヤンチャしていたらしい。


 そのせいなのかどうか、三十二歳になった今も彼女はいない。


 まあ、こんな田舎で出会いを求める方が間違っているのかもしれないが。

 

「いいじゃないですか。なんか最近、無性にお腹が減るんですよ。餓鬼に取り憑かれたかも」

「そんな餅みてぇなほっぺたしといて何言ってんだ。デブったら被疑者検挙できねぇだろ。ほどほどにしとけよ」

 

 顔を顰めた矢田先輩が机から皿を取り上げ、『所長室』とプレートを掲げた祠の前に置く。


 唇を尖らせて抗議しても、矢田先輩はどこ吹く風だ。


 赤い前掛け姿で祠の中に鎮座した所長も、私の怨みがましい視線に負けず、穏やかに微笑んでいる。


「後輩が失礼しました。オンカカカビサンマエイソワカ」

 

 両手を合わせた矢田先輩が流暢に真言を唱える。


 相変わらずのいい声だが、所長に動く気配はない。

 

 何故なら所長は地蔵菩薩。現世でもあの世でも、彼に助けを求める声は多い。


 依代の(石像)はあるものの、忙しすぎてこんな田舎には滅多に出向いて来ないのだ。


「日課のお掃除お疲れ様、矢田くん。いつ見ても男前よねえ」

「どうも。祭日でもないのに、山から下りて来られるなんて珍しいですね」


 頬に手を当ててシナを作る加奈子さんに頭を下げ、矢田先輩が私の隣に立つ。


 職務に忠実な彼は、余程のことがない限り人前で寛がない。加奈子さん曰く、昔からこうなのだそうだ。

 

 もちろん私とて、配属されてすぐの頃は規範に則って働いていたが、加奈子さんをはじめとした人外たちがこぞって甘やかしてくれるので、最近では警察手帳すら開かない日も増えた。


 やる気と希望に燃えた新人も堕落させるのんびりさ加減。恐ろしい村である。


「今、はとりちゃんにも話してたんだけどねえ。村境の十字路に泣いた赤鬼が出るのよ。別に何か被害があったってわけじゃないけど、気になっちゃって。夜な夜な一人で泣いてるなんて可哀想じゃない?」

「赤鬼というと……。四ツ辻の生瀬さんか小堺さんですか? 二人とも戦国時代にブイブイ言わせていた暴れ鬼ですよね。隠れて泣くタイプには思えませんけど」

「ううん。二人のツノは一本でしょ。目撃されたのは二本ツノの鬼なのよ」


 矢田先輩は顎に手を当てると「ふむ」と空を見上げた。


「二本か。じゃあ、先月東京から越してきた首藤(しゅとう)さんかな。ご挨拶に来てくれた時に、赤鬼の若奥さんがいるって言ってたし」

「あー! そうだわ! 嫌ねえ、歳を取るとなかなか思い出せなくなっちゃって」


 両手を打った加奈子さんの顔がぱあっと明るくなった。


 矢田先輩の頭の中には村人の情報が全てインプットされている。私がこの境地に至るには、あと十年はかかるだろう。


「確か旦那さんの仕事の都合で来たのよね。ここは自然以外何もない田舎だものねえ。都会が恋しくなっちゃったのかしら」

「巡回の時に注意して見てみますよ。鬼とはいえ、女性が夜に一人で出歩いていたら危ないですからね」

「そうしてくれる? 天狗火たちには手伝うように言っておくから」


 本来なら駐在員は十七時過ぎが定時なのだが、隣接交番が数キロ離れているど田舎ではそうも言っていられないので、必要に駆られれば何時だって働く。


 おかげで年中寝不足だ。労働基準法は前時代の遺物となったらしい。転職サイトに登録した方がいいだろうか?

 

「目撃者は百目鬼の奥さんですね。あとで話を聞いておきます。――だから甘いもんばっか食ってんじゃねぇぞ、風見」


 ドスのきいた声に、こっそりと羊羹に伸ばした手がビクッと震えた。

突発的に新作始めました。

6万字ぐらいの中編になる予定です。


もし続きが気になると思って頂けましたら、ご評価やブックマーク頂けますと大変励みになります。

ゆるりとお楽しみ頂けましたら幸いです。

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