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未来屋 環恋愛作品集

モブキャラ男子は三条千歳をあきらめない

作者: 未来屋 環

 ――そう、今日こそ僕は生まれ変わる。



 『モブキャラ男子は三条千歳をあきらめない』/未来屋(みくりや) (たまき)



 中学まではとにかく目立たない存在だった。

 友達がいないことに気付かれないよう、一人教室の端で本を読む振りをして休み時間をやり過ごす――そんな日々に別れを告げたくて、僕は人生最大の勇気を振り絞り、今この場所に立っている。


 そう――軽音楽部の部室に。


 正直、楽器の心得(こころえ)は全くない。幸いにも音楽の成績は悪くないけれど、取り立てて良くもない。

 それでも、このままでは今後もモブキャラとして人生を終えてしまいそうで、僕は一念発起(いちねんほっき)、いわゆる高校デビューを夢見て軽音楽部の体験入部にやってきた。

 この前生まれて初めて行った美容院でワックスの使い方を教わり、我ながら随分と垢抜(あかぬ)けた気がする。コンタクトは親に反対されたので眼鏡(めがね)のままだが、毎朝鏡を見るのが少し楽しみになった。



 まさに新しい人生が始まろうとしている、そんな記念すべき今日――何故か僕の目の前では、二人の男子が一触即発状態で睨み合っている。


「てめぇ、もう一度言ってみろよ。俺のドラムが、何だって?」


 そう(すご)むのは、黒い髪を無造作(むぞうさ)に伸ばしたがたいのいい男だ。先程まで激しい勢いでドラムを叩いていた。

 あまりに上手かったので、先輩をはじめ、皆何も言えなかった。正直、新入生でこのレベルが求められるのだとすれば、僕の入部は間違いなく認められないだろう。


 そんな彼に異を唱えたのが、眼前(がんぜん)に立つ金髪の男子だ。

 女性のように線が細く、綺麗な顔をした彼は、無言のまま冷めた眼差しで相手を見据えている。


『――君のドラム、うるさいんだけど』

 

 先程彼がそう言い(はな)った瞬間、室内の空気は見事に凍り付いた。

 そういう意味では、先に喧嘩を吹っ掛けた金髪の彼の方が()が悪そうだが、全く動じる気配がない。そんな態度が、余計にがたいのいい彼の機嫌(きげん)逆撫(さかな)でしている。


 もはや僕の高校デビューどころの騒ぎではない。

 誰かこの二人を早く仲裁(ちゅうさい)してほしい――そんな(かす)かな期待を胸に先輩たちをちらりと見るが、皆僕と同じように固まっている。



 どこからか救世主が現れないかと、誰もが祈ったその時だった。



「――ほらほら、二人ともそこまで!」


 足を進めると同時に、肩下で切り揃えた髪がさらりと揺れる。

 眼鏡をかけたその女子は、(りん)とした声と共に、目の前で睨み合う二人の間に割って入った。

 虚をつかれた二人が驚いたように目を見開くが――そんなことを意に介す様子もなく、彼女は金髪の男子に言う。


「今のは鬼崎(きさき)が悪いよ。思うのは自由だけど、もっと言い方あるでしょ」


 次に彼女はがたいのいい男に向き直った。


冬島(ふゆしま)も気持ちはわかるけど、他の人に迷惑がかかるから喧嘩は別の所でやるように」


 金髪の男子――鬼崎くんは一つため息を()き、「はいはい」と言いながら部屋を出て行く。

 残されたがたいのいい男――冬島くんはそんな彼の後ろ姿を睨んでいたが、やがて「ちっ」と舌打ちをして同じく部屋を出て行った。


 そして――ぽかんとしたままの僕たちを振り返り、彼女はにっこりと笑う。


「さて、体験入部も無事終わったことだし、帰りますか。今日はおつかれさまでした!」


 それが、僕と彼女――三条(さんじょう)千歳(ちとせ)のファーストコンタクトだった。


 *** 


「お、いっちー、おはよう!」


 朝、一人で学校に向かう途中、よく通る声が背後から響いた。

 ――僕をこんな風に呼ぶひとは、たった一人しかいない。

 振り返ると、(あん)(じょう)そこには三条さんが立っていた。


「さ、三条さん、おはよう」


 僕の名前は一瀬(いちせ)拓也。

 華々しい高校デビューはし損ねてしまったが、なんとか軽音楽部への入部は果たすことができた。


 僕の返事に、三条さんが満足気に笑う。

 猫のような瞳が優しく細められるさまにどきりとしながら、僕も慌てて笑みを浮かべた。そもそも女子にあだ名で呼ばれるなんて、生まれて初めての経験だ。きちんと笑えているか不安でならない。

 そんな僕の胸の(うち)など知るはずもなく、彼女は「今日も部活頑張ろうねー」と手をひらひらさせながら、(かろ)やかに通り過ぎていく。


 そのまま三条さんは前方を歩く同級生の女子に話しかけた。

 少し距離があるので話の内容は聞こえないが、楽しそうに笑っている。


 こうやって見ていると普通の女の子なのに――あの日、先輩たちを含め誰も動けない中で、彼女は(おく)することなく同級生の男子二人に立ち向かっていった。

 僕の中で、三条さんの凛とした声がよみがえる。

 ずっと教室の端で生きてきた僕とは、別の世界のひとのような――そんな明るい彼女の横顔から目を離せずに、僕はその後ろを一定の距離を保ちながら付いていった。



 学期初めの穏やかな授業は淡々と流れていき、僕たちは無事に部活の時間まで辿り着く。

 軽音楽部が所有するスタジオは2つ――高校1年生から3年生までの各バンドには曜日毎に練習日が割り振られる。

 残念ながら今日スタジオを使う権利のない僕たちは、空き教室に集合した。


「じゃあいっちー、(れい)、発表曲何にする?」


 そう言って黒板の前でチョークを握るのは、言うまでもなく三条さんだ。

 一番前の席で彼女を見上げる僕の隣には、同じ軽音楽部の1年生である二見(ふたみ)冷が座っている。


 僕たちの学校は校則がとても緩く、学生たちは皆思い思いの格好をしている。

 あとで知ったことだが、あの体験入部の日に喧嘩をしていた金髪の男子――鬼崎くんは高校生ながらにしてプロのミュージシャンだった。

 確かに彼のキーボード演奏はとても素晴らしく、なんて神様は不公平なんだろうと思ったものだ。


 しかし、恐らく僕と同じ一般人であろう二見さんも、一般人の割には少し変わっていると思う。

 地毛であろう黒髪の先っぽだけを丁寧に青く染め上げた彼女は、三条さんとは逆であまり(しゃべ)らない。

 

「――任せる。あたしはベースが弾ければそれでいい」


 二見さんはぼそっとそう呟いて、ポケットから出した携帯電話をいじり出した。

 そんな彼女に、三条さんは「OK、かっこいいベース期待してるよ!」と明るく返す。


 ――そう、三条さんと二見さん、そして僕は同じバンドのメンバーになった。


 結局軽音楽部に入部したのは、体験入部の日に喧嘩をしていた鬼崎くんと冬島くん、他のクラスの男子生徒5人、そして僕たち3人だった。

 鬼崎くんと冬島くんはバンドを組むつもりがないらしく、また5人組の男子たちは同じバンドになるよう示し合わせてきたため、残り()の僕たちは三条さんの号令でバンドを組むことになり、今日(こんにち)に至る。


 まさか女子二人とバンドを組むことになるなんて――願ってもない状況だが、ろくに同性の友達すらいなかった僕からすると、一気にハードルが上がりすぎだ。

 そんな(よろこ)びと不安に翻弄(ほんろう)される僕を、三条さんの台詞(せりふ)が追撃する。


「それにしても、6月に公演があるなんて、想像以上に早くてワクワクしちゃうね!」


 そう、僕たちは毎年恒例の6月に学内で行われるお披露目(ひろめ)ライブに出ることが決まっていた。新入生は全員出演し、2曲演奏しなければならないらしい。

 そのため、僕たちは前回の部活で担当パートを決めた。

 元々ベーシストだという二見さんは当然ベースだが、僕と三条さんは初心者で、特に楽器にこだわりもない。


「いっちー、やりたいパートある?」

「えっと、特に……」

「いっちー、楽器持ってる?」

「えっと、何も……」

「いっちー、ボーカルはど」

「無理無理無理無理」


 そんな煮え切らない僕の返事に少し首を(かし)げた後、三条さんは何かを(ひらめ)いたような笑顔でこう言った。


「じゃあ、私ギターボーカルやろうかな。兄貴のお下がりのギターがうちにあるし」

「えっ、そうなの?」

「うん。そしたらいっちー、ドラムやろうよ。スティックさえ買えば練習できそうだし」


 そして僕は、初体験のドラムパートを担当することになった。

 ――正直、不安しかない。

 それでも、バンドの華であるボーカルや、とても弾けそうにないギターに比べれば何とかなりそうだ。


 そんな経緯もあり、発表曲についても僕には特にこだわりがない。

 それでも、三条さんは僕に「ねぇ、いっちーはやりたい曲ないの?」と()いてくれた。


「特に……初心者でも叩けそうなものであれば」


 すると、三条さんはにんまりと笑みを浮かべて「じゃあ、この曲でどう?」と黒板に曲名を書き始める。

 それを見た僕と二見さんは、目を丸くした。


「「……『いぬのおまわりさん』?」」

「そう! これをガチガチのメタルっぽくやったら面白いかなって。童謡だったらそんなに曲長くないし、アレンジ前提だから多少自由に演奏してもおかしくないし、どう?」


 想定外の提案に、僕は何も言えない。

 すると、隣に座っていた二見さんが「……悪くないかも」とぼそっと(つぶや)いた。

 それを聞いて、三条さんが嬉しそうに(うなず)く。


「こういう曲だからこそ、演奏がしっかりしているとむちゃくちゃ映えると思うんだよね。だから冷、かっこいいベースよろしく!」


 そこから、残るもう1曲を決める作業に入った。童謡と言われると、あまり音楽に詳しくなくてもアイデアを出しやすい。3人で話し合い、最終的に二見さんが提案した『どんぐりころころ』に決まった。

 

「よしっ、じゃあこれから3人で練習頑張っていこう!」


 三条さんがそう言って、元気に「えいえいおー!」と右手を突き上げる。

 それにつられて手を伸ばそうとしたところで、隣の二見さんの冷たい視線に気付いた僕は、慌てて手を引っ込めた。


 ***


 その後、僕たちはスタジオ練習に(はげ)んだ。

 二見さんのベースは、僕の想像以上に上手かった。原曲が童謡とは思えないような複雑なリズムを紡ぎ出していく。

 最初は初心者だったはずの三条さんも、めきめきギターの腕を上げていった。元々センスがいいんだろう。弾き語りなんて難しいだろうに、5月の連休明けにはきちんと形になっていた。


 ――その一方で、僕は最低限の音を叩き出すことしかできない。

 楽器屋でスティックと共に買った教則本を読みつつ、スタジオ練習の日に実際にやってみるものの、手に意識を向ければ足が、足に意識を向ければ手が(おろそ)かになる。

 まだ1ヶ月、時間はある――そう思いつつも、他の二人に置いて行かれているようで、僕は段々気が重くなっていった。


 しかし、そんな僕に三条さんは「いっちー、ちょっとずつ良くなってるよ!」とあたたかい声をかけてくれる。

 その言葉に救われつつもいたたまれないような、そんな複雑な気持ちに僕は(あえ)いでいた。



 そんな或る日、帰りがけに二見さんがぼそりと言った。


「――ねぇ、やる気ないんなら、やめたら」


 僕は驚いて振り返る。二見さんは冷めた眼差しでこちらを見ていた。

 三条さんは職員室にスタジオの鍵を返しに行っていて、いない。

 攻撃的な視線に(さら)されながら、僕は「いや、その……」と言葉を紡ごうとした。それを普段は言葉少なな二見さんが(さえぎ)る。


「やりたい楽器もない、やりたい曲もない、だったら何で軽音楽部に入ったの? 初心者だから多少は目を(つむ)ってたけど、練習も大してしてないみたいだし。ちょっとは千歳(ちとせ)を見習ったら」


 淡々とした言葉がぐさぐさと僕の心に刺さる。

 あれ、二見さん、三条さんのこと名前で呼んでいるんだ。

 クールに見えるのに、仲良いのかな。

 そんなどうでもいいことが頭を(よぎ)る程度に、僕の思考は停止していた。


「……あ、えっと――」

「言いたいことあるなら言いなよ」


 回らない頭と舌を何とか動かしながら、僕は続ける。


「――その、僕は僕なりに頑張ってるよ。確かに三条さんみたいに音楽のセンスはないけど……」

「は?」


 怒気(どき)(はら)んだその声に、僕は押し黙った。


「センスって何。よくそんなこと言えるね。千歳がどんなに努力しているかも知らない癖に」


 そして、二見さんはつかつかと速足で帰って行く。

 あんなに強い感情をぶつけられたのは生まれて初めてで――僕はそのまま、一人でぽつんとスタジオ前の廊下に立ち尽くしていた。


「――あれ!? いっちー、まだいたの?」


 どれだけ時間が過ぎただろう。こだまする声にはっと我に返ると、廊下の先に三条さんが立っていた。


「……あ、うん」

「もしかして、私のこと待っててくれた? ごめんごめん、先に帰っても良かったのに」


 駅まで一緒に帰ろうか、そう言って笑う三条さんが、僕には(まぶ)しく映る。

 何も言えずに彼女に近付いたところで、ふと三条さんの左手が僕の視界に入った。


 僕は小さく息を()む。

 ――その指先は、いずれも水ぶくれや皮の(めく)れで痛々しい姿になっていた。


 僕の視線に気付いたのか、三条さんが「うわ!?」と手を引っ込める。顔を上げると、彼女はその手で頭を掻きながら照れ笑いをしていた。


「いやぁ、ギターってなかなか難しいね。TVで観ると簡単に弾いてるように見えるけど、やっぱプロって……」

「……どうして」

「え?」

「――どうして、三条さんはそんなにすごいの」


 思いがけず(こぼ)れ出した言葉に、僕は自分で驚く。

 何を訊いているんだろう。きっと三条さんも困っているに違いない。

 案の定、目の前の三条さんは目を丸くしたままこちらを見つめていた。


 ――しかし、彼女はその瞳をやがて優しく細めて、口を開く。


「――私は別に、すごくなんかないよ。ただ目の前のことを、一生懸命やってるだけ」


 そして、彼女は笑った。


「だって、人生1度きりだし、後悔したくないじゃん。折角(せっかく)いっちーと冷とバンド組めたんだから、できることは全部やっておきたい。ただそれだけだよ」


 ***


 それから、僕は毎日足繁(あししげ)くスタジオに通うようになった。

 各バンドが割り当てられているのは、放課後の時間のみ。つまり、始業前の朝の時間と昼休みは自由に使うことができる。


 或る日、早朝からスタジオでドラムを叩いていると、突如として「うわ、誰かいる!」と男の声が響く。

 驚いて顔を上げると、スタジオの入口に、あの体験入部の時に鬼崎くんに食ってかかっていたドラマー、冬島くんが立っていた。

 がたいの良さと目付きの悪さがあいまって、すごい威圧感だ。即座に立ち上がって周囲の片付けを始めると、冬島くんが「待て待て待て!」ともう一度声を上げた。


「――何、おまえもドラム?」

「……あ、はい……初心者ですけど……」

「何で敬語なんだよ」


 そう言って、冬島くんが小さく笑う。


「初心者だったら、とにかくテンポを身体に刻んだ方がいいぞ。メトロノームあるだろ。それ使えば」


 そして、冬島くんは奥のスタジオに入っていった。

 もしかして、思ったよりもいいひとなのだろうか――顔、怖いけど。

 間もなく嵐のようなドラムロールが壁を隔てて伝わってくる。

 僕はアドバイス通り、メトロノームに手を伸ばした。



「もう6月公演来週かぁ、時の流れは速いねー」


 或る日の練習終わり、スタジオを片付けていると三条さんが感慨深そうに言った。

 確かに。必死で練習を繰り返していたら、1ヶ月はあっという間だった。

 二人には到底追い付けていないけれど、あの頃よりは僕のドラムもだいぶましになった……と、思いたい。


「――そういえば、いっちーって何か好きな食べ物ある?」


 唐突に三条さんからそう訊かれて、僕は「え」と固まった。

 目の前の三条さんは、興味津々でこちらを見ている。その隣で、二見さんは僕に目もくれず淡々と使い終わったシールドをまとめていた。


「えっと……たこ焼き、かな?」


 そう答えると、三条さんは目を丸くする。あれ、と思っていると、二見さんもこちらを驚いたような顔つきで見ていた。


「……ごめん、変だった?」

「いやいや、全然。ただ、ラーメンとかカレーとかがっつりめのものだと思ってた」

「――まぁ、その二つよりは良いか」


 ぼそっと二見さんが呟く。どういう意味だろう。

 すると、三条さんが満面の笑みで言った。


「――はい、発表します。私たちのバンド名は『takoyaki』に決定しました!!」

「……え!? 何で!!?」


 思いがけない発表に問い返すと、三条さんは笑顔のまま続ける。


「冷と決めてたんだ。今回の発表曲、私と冷のアイデアが採用されたから、バンド名はいっちーの好きなものにしようって」


 だからって、食べ物の名前にしなくても。

 そう思いつつ、「いいアイデアでしょ」と胸を張る三条さんと、満更でもなさそうな顔の二見さんを見ていると、そう悪くない名前に思えてくるから不思議だ。


「――あの……僕の意見を聞いてくれて、ありがとう」


 そう言うと、三条さんは「こちらこそ!」と明るく笑った。


 ***


「続きまして、3ピースバンド『takoyaki』のパフォーマンスです。『takoyaki』の皆さん、よろしくお願いします」


 そして、僕たちは今、6月公演のステージに立っている。


 既に男子5人組バンドと、冬島くんは出番を終えていた。

 僕たちの演奏後、トリを務めるのはプロの鬼崎くん――この部屋に集まっているほぼ全員が、彼のパフォーマンスを待ち望んでいることは想像に(かた)くない。


 しかし、彼目当てで集まった大勢の観客たちの視線は、僕たちをも緊張の(ふち)へと追い込んでいく。

 現に、トップバッターを(にな)った男子たちの演奏は、なかなかに荒れた。冬島くんはどこ吹く風で見事なドラムソロを披露していたが、あれは彼の強心臓と高い技術がなせる(わざ)だろう。

 ドラムセットの前で緊張にじっと耐えていると、ふと前に立つ二見さんの顔色もあまり良くないことに気付いた。


 こんな状態で、十分な演奏ができるだろうか。

 弱気になって(うつむ)いた、次の瞬間――



「皆さんこんにちは! 『takoyaki』です!!」



 ――凛とした声が、室内中に響き渡る。


 僕は思わず顔を上げた。

 二見さんも声の発信源に目を向けている。


 ステージ中央に立っていた僕たちのフロントマン――三条千歳が、一瞬こちらを振り返った。

 その顔に浮かぶ満面の笑みを見た瞬間、僕の心から不安と恐れが消えていき――代わりに勇気の炎が灯る。

 同様に、視界の中にいる二見さんの顔が、ふっと冷静さを取り戻した。


 それを確認したあとで、三条さんは前に向き直る。


「本日はお越し頂き、ありがとうございます。トリの鬼崎達哉まで残り15分、私たちと楽しく盛り上がっていきましょう!!」


 身も蓋もないMCに会場が笑い交じりにどよめいた。

 そのまま「1曲目、皆さんも是非歌ってください! 『いぬのおまわりさん』!!」という曲紹介と共に、二見さんのベースが踊り狂う。


 ――そこからは、無我夢中だった。

 会場中が、音で揺れている。

 三条さんの歌声、ギターの旋律、二見さんのベースの音、観客たちの手拍子――幾つもの音が渦巻く中で、僕は必死にドラムを叩いた。



 そして――1曲目を終えて2曲目の『どんぐりころころ』に入った瞬間、異変は起きた。


 この曲は、三条さんのギターから始まる。

 しかし、2小節目で唐突に音が狂い、そのまま演奏が止まった。

 一体何事か――顔を上げた僕と、驚いたような表情で振り返る三条さんの視線が交錯(こうさく)した。そして、右手を強張(こわば)らせたその様子を見て、状況を即座に理解する。


 ――ギターの弦が、切れたのだ。


 こうなっては、演奏を続けることは難しい。

 三条さんの隣に立つ二見さんも固まっている。

 どうすべきだろう、一旦この場を止めるべきか、それとも――


 その時、僕の瞳に三条さんの呆然とした表情が飛び込んできた。

 いつも明るい笑顔を絶やさない彼女のその顔を見た瞬間、僕の頭はこれまでの人生で最も速く回転し、そして――いちかばちかの解を導き出す。


 

『折角いっちーと冷とバンド組めたんだから、できることは全部やっておきたい。ただそれだけだよ』



 ――そうだ。

 僕も、僕にできることは全部やってやる。


 そう決意した僕は、ドラムを凄まじい勢いで叩き出した。


「――え?」


 三条さんの口唇(くちびる)が、戸惑いながら形を作る。

 それでも、僕は必死でドラムを叩き続けた。脳内で、冬島くんのソロをイメージしながら。

 ドラムを始めて2ヶ月の初心者の、ぶっつけ本番のドラムソロだ。とても形にはなっていないだろう。

 それでも――時間稼ぎくらいには、なる。


 次の瞬間、僕のドラムにベース音が絡んできた。さすが二見さん、僕の企みに気付いてくれたのだろう。

 僕たちは必死で音を紡ぎ出していく。

 格好良くなくたっていい。

 それでも、このまま何もせずに終わってしまいたくはない。


 そんな僕たちの悪あがきに、神様が微笑んだ。


「――それではリズム隊のソロに続いて、2曲目は新しいギターでいっちゃいましょう! 『どんぐりころころ』!!」


 いつの間にか新しいギターを手にステージに戻った三条さんが、そう宣言する。

 会場中にまた手拍子が(あふ)れた。




「いやぁ、本当に助かったよ! 鬼崎、ギター貸してくれてありがとね」

「別に。使う可能性があったから持ってただけだし」


 すべてが終わったあと、僕たちは鬼崎くんにお礼を言いに行った。

 三条さんは僕たちがソロで繋いでいる間に、前方の列に座っていた鬼崎くんからギターを借りて事なきを得た。

 鬼崎くんはキーボードだけではなく、一通りの楽器は演奏できるようだ。さすが天才高校生ミュージシャン。


 そして会場の片付けに戻ろうとしたところで、「おい」と背後から低い声が響く。

 振り返ると、そこには冬島くんが立っていた。

 あいかわらずの鋭い目付きに、僕は思わず息を呑む。

 しかし、その口から飛び出したのは意外な言葉だった。


「あれ、良い判断だったな」

「え?」

「三条の弦が切れて、カバーに入っただろ。大半の観客は何が起こったか気付かなかったんじゃねぇの。まぁ、ドラムソロそのものはおいといて――初心者にしちゃあ上出来だと思うわ」


 そう言い残して、冬島くんはドラムセットの方に行ってしまう。

 お礼を言いそびれた僕が口をぱくぱくしていると、三条さんがすっと隣にやってきた。


「それにしても、いっちーの機転は素晴らしかったね。本当にありがとう」

「え、あ、いや……僕も必死で、何が何だか」


 すると、ベースを担いだ二見さんが通りすがりざまにぼそっと「やるじゃん」と呟いて、さっさと歩いていく。

 そんな彼女の様子に、僕と三条さんは顔を見合わせて、小さく吹き出した。


 ***


 ――あれから、もう20年経つのか。



 高校3年間、無事に僕たち3人は『takoyaki』の活動を(まっと)うすることができた。

 3年生の文化祭では色々と想定外の事態が起こったけれど、今では良い思い出だ。

 あの3年間には、僕のかけがえのない青春の日々が詰まっている。


 ただ――心残りなのは、結局最後まで三条さんに想いを伝えられなかったことだ。


 僕は三条さんのことを好きだった。

 けれど、それが恋愛としての『好き』なのか、友情としての『好き』なのか――それを見極めることができないまま、卒業の日を迎えてしまった。


 その結果、立派な大人になった今でも、僕は時折三条さんのことを思い出す。

 本気で逢おうと思えば、それこそ知人のSNSを追って、いつか彼女に辿り着くこともできるだろう。

 しかし、そこまでできないのは――単純に、僕に勇気がないからだ。


 明るく社交的な彼女のことだ。きっと今は、公私ともに充実した幸せな日々を送っているだろう。

 そんな彼女に逢いに行って――今更、「好きでした」と伝えて、何になるのか。



 そう悶々としながら過ごしていた或る日、出張中の新幹線の中で取り出した雑誌の奥付で、僕は思いがけない邂逅(かいこう)を果たす。


『編集長:三条千歳』


 同姓同名? まさか。

 僕は(はや)る気持ちを抑えながら、読み(ふけ)る。


 その内、もう一つの懐かしい名前を見付けた。

 それは、かつての同級生『鬼崎達哉』のインタビュー記事だった。

 編集長の手によって行われたそのインタビューを読んでいる内に、懐かしい記憶が溢れてくる。編集長の顔は明かされず、彼とのやり取りはあくまで公的なものだったが、誌面から伝わってくるぬくもりが僕をあの頃へと引き戻していく。


 ――間違いない。このひとは、確かに三条さんだ。

 そう確信した瞬間、僕の胸の奥底に火が灯った。



 ――あぁ、僕は、三条さんのことが好きだ。



 僕は即座に、奥付に書かれていたメールアドレスに自分の名前と連絡先、そして『もしよろしければ、久々に逢えませんか』としたためて、一思いに送信した。

 そこまでしてから――自分の大胆さに思い至り、ため息を吐く。

 そもそも、送信先は編集部のメールアドレスだ。三条さんの元に行き着く前に、他の人の目に触れて削除されてしまう可能性の方が高い。

 30代も後半を迎えているというのに、何とお粗末なことだろう。



 それでも――僕は、三条さんのことが好きなのだ。

 できることは全部やっておきたい。ただそれだけだった。



 新幹線が目的地に到着する。

 駅のホームに降り立ったところで、胸のスマホが震えた。

 見慣れない番号からの着信に、僕は不審に思いながら「もしもし」と語りかける。


 そこで僕の鼓膜を震わせたのは、20年振りに聴く声だった。


『――もしもし、いっちー? 元気にしてる?』


 僕の勇気を振り絞った悪あがきに、神様がもう一度微笑んだ瞬間だった。



(了)

最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。

こちらの作品は、完結済の長編青春群像劇『夏よ季節の音を聴け -トラウマ持ちのボーカリストはもう一度立ち上がる-』の登場人物の一人、三条千歳のスピンオフ作品リクエストを頂き、書いたものです。

とはいえ、本編を読んでいない方にも楽しめるひとつの作品にしたいという思いがあり、着手したもののなかなか進まず、気付けば半年近くかかってしまいました……。

(そして一気に書き上げたら約10,000字のボリュームに……)


スピンオフ作品はほとんど書いた経験がないのですが、書くにあたり決めていたことは下記の3つです。


①初見の方も楽しめる。

②できれば、本編を読みたいな、と思って頂けるようにする。

③本編を読んだ方の読了感を壊さず、「読んでよかった!」と思える作品にする。


結局、悩んでいた時間がほとんどで、本文の大半はラスト1日でざーっと書き上げました。

モブキャラ男子が振り絞った勇気のお話、すこしでも楽しんで頂けましたら幸いです。


リクエスト頂いた歌川詩季さん、そして、お忙しい中あとがきまでお読み頂きましたみなさま、ありがとうございました。


【追記】

ウバクロネさんに素敵なイラストを頂きました!


二見冷↓

挿絵(By みてみん)

敢えての6弦ベースが職人肌の二見っぽいです……!

髪色にネイル、ベースとブルーのコーディネートもばっちり決まっていて、彼女のクールさを存分に引き出して頂きました。

ウバさん、ありがとうございました(´ω`*)

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― 新着の感想 ―
 タイトルで「わ~、三条さんのお話だ~」となって読みました。  正直、本編でいっちーの印象は皆無なのですが(^^;)  そっか~、20年後かぁ。って、本編エピローグのちょい後くらいでしょうか。  繭…
[良い点] ∀・)カッコいい!!その言葉に尽きる作品だと思いますけども、ラストシーンまでの怒涛の展開は僕に想像しえなかったです。凄い素敵なロックンロールでした。その哲学が物語にしっかりこめられていたと…
[良い点] 相変わらず素敵です。 スポーン、と20年後に跳んでいるところもいいです。 何より驚くのは、男子を主人公にして男子目線で書けちゃってることです。 これって、実力の証ですよね。
感想一覧
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