寝落ち通話
凛音とだけ仲良くしているわけにもいかない。交友関係は幅広く持たないといけないし、入学直後の今はナイーブな時期だ。
海堂敦士っていう奴が新しく知り合った同性ではもっともよく話すんだが、訊かれるのはやはり凛音とのこと。「博希って白都さんと付き合うの?」
俺は少しドキリとしながらも「付き合わないよ」と答える。「なんで?」
「仲いいだろ?」
「まあそうなるよな」順当な論理展開だし、訊きたくなって当然だと俺自身思う。「ただの友達だよ」
これもありきたりな返しだなあと思っていると、「女友達っていいよな」などと敦士がしみじみする。「俺も欲しかった。なあ、女友達ってどうやって作るんだ? コツとかある?」
「欲しかった……って、まだまだこれからだろ」まだ一年生の四月なんだけど。「コツなんて知らないよ。作りたくて作るもんでもないだろうし。たまたま気が合って仲良くなるだけなんじゃないの?」
「そういうもんなの?」
「俺も女子と仲良くなったのなんて初めてだし」モテる要素のない男。「偶然、波長の合う奴が隣の席に来て、波長が合うから喋ってる内に仲良くなれたって感じ? 仲良くしたくて喋ってたわけでもないしな」
「波長が合う、か。漠然としてんな」敦士は肩をすくめる。「でも博希と白都さんはそんな感じだよな。見てても、すごい自然なふうだし。……なんていうの? なんか、ひけらかすために異性と友達やってる奴とかいるじゃん? ああいうわざとらしい感じじゃないんだよな」
「そういう奴がいるんだ?」まあそれも、暫定恋愛のような『余裕』を持つための手法なのかもしれない。知らないが。「俺も別に女子が得意っていうわけじゃないんだけど、凛音相手だとなんともないな」
「名前で呼んでるし」と頭を抱えられてしまう。「羨ましい。羨ましいぞチクショウ」
「いや……そんなにか」
「白都さん可愛いじゃん?」
「えっ、そうか?」
可愛いか? 可愛くなくはないと思うが、可愛いのか。まあ好みは人それぞれなんだろうけれど、個人的には少し意外な意見だった。そうか。凛音って可愛いのか。まあキス顔はよかったけど、あれは凛音でなくてもたぶん可愛い。
敦士は鼻白んでいる。「博希さあ。ふざけんなよ」
「や、俺にとっては友達だから。友達を顔で選んでるわけじゃないし、友達をいちいち可愛いとも思わないだろ」
「気取った台詞」
「なんでだよ」俺は苦笑させられる。「まあ敦士は凛音のこと好きなんだな?」
「好きかはわからないけど……まあ付き合いたいと思ってるわけだから好きなのかな?」と敦士は独り言のようにつぶやく。「そうだとしたら、博希はどんな気分なんだ? もしも万が一、俺が白都さんと付き合ったりしたらどう思う?」
「どう思う?……か」どう思うだろう。凛音が敦士と付き合うことになった場合、それはつまり敦士が凛音の本命になったということで、暫定恋愛の契約が解消されるということだ。凛音が本命と結ばれるのは悪いことじゃないはずだし、俺は祝福するだろう。別に凛音と敦士が付き合い始めたとしても俺が凛音の友達でいられなくなるわけでもあるまいし。「いいんじゃない?」
「ヤキモチ焼かない?」
「焼かないよ」俺は笑う。「でも凛音、年下っぽい可愛らしい男子が好きだって言ってたぞ」
「いやそれ絶対俺じゃないじゃん」
「それはそうだろう……」
「なるほど。まあときどきでいいから白都さんに俺のことよく言っといてくれよ」
「はは。マジで? 別にいいけど」
駄弁っているとチャイムが鳴り、休み時間が終わる。どこかへ遊びに行っていた凛音もいつの間にか席に戻ってきていて、やがて次の授業が始まる。
敦士も俺とおんなじで取り立てて何と言うこともない男子だけれど、間違いなく悪い奴じゃない。そこら辺の男子なんかより普通に性格などもいいと思うんだが、いかんせんアピールポイントがなくて凛音にも紹介しづらい。そういう微妙な人間性を見抜いてくれる女子がいつか現れてくれるといい。
授業中、敦士のことなんぞを考えるともなく考えていると視線を感じ、顔を上げて右隣を見遣ると凛音が頬杖をついてこちらを眺めている。目が合うと、パチ、パチとウインクされる。うわ、なに? 気持ち悪ぅ。
目を逸らして教科書を読んでいるとポケットのスマホが震え、誰かと確認すると凛音からメッセージが届いており、『彼女のウインク、ドキドキした?』だって。
『ウザかった』と俺はメッセージを返す。それから追記で『ああいうのは綺麗な子がやるから意味があるんであって、そうじゃない子の場合は自分の顔を武器にする権利がないんだし、他の手で気を引くしかない』とアドバイスを送る。
すぐに消しゴムが飛んできて、ベチッと頬に当たる。消しゴムの欠片とか消しカスではなくて買ったばかりであろうまだ大きいままの消しゴムが飛んできてメチャクチャ痛い。思わず「あっ!」と声が出てしまう。
化学のおじさん先生から「どうかしましたか? えーっと、岡部くん?」と不審がられてしまう。
「いえ、すいません」と言うしかない。見ると、凛音は口元を隠してクスクス笑っている。ちっ。それでも消しゴムを拾ってそっと凛音の机に置いてやる俺は偉い。自画自賛。凛音はまだ飽き足らんとばかりに俺の手をシャーペンで刺して俺をヒヤリとさせてきやがったが。もちろん芯を出していないシャーペンだ。
そんな子供みたいなちょっかいをかけてきて……と俺はあきれるが、あきれながらもこの状態を楽しんでいた。好き合ってはいないけれど付き合っていて、それを周りに隠したまま恋人らしい戯れをする。バカらしいっちゃバカらしい気もするが、やってみるとそこはかとなく面白いのだった。それこそ子供の内緒の遊びみたいだった。大人っぽく言うならば、そういうプレイって感じか。
そのあとも凛音は延々とくだらないスタンプをスマホに送りつけてきたり、ラストは『愛してる』のスタンプだったり、かと思えば無言でじーっと見つめてきたり、無視したけども、真面目に授業を受けろよとしか言いようがなかった。俺と凛音は仮にとはいえ付き合っているんであって、決してお互いにイタズラをし合って相手を困らせる戦いをやっているわけじゃないんだけれど。
一転して、夜は恋人らしいことをしてみる。寝落ち通話。そういう文化があることも俺はまた知らなかったのだが、まあどちらかが寝落ちるまでスマホを通話状態にしておいてお喋りし続ける行為らしい。凛音にやってみようと誘われ、俺は就寝準備をすべて済ませてからベッドに上がり電話をかける。「もしもし」
「もしもし」とスマホの向こうで凛音の声がする。「お疲れ様」
「ああ……お疲れ様」と俺も返す。「なんか電話だと変な気分だな」
「え、イヤラシイ気分ってこと?」
「違う。電話はなんか緊張するってこと」
「あはは」と凛音が笑っている。「電話苦手な人?」
「あんまりしなくない?電話なんて」
「そう? 私は友達とよくするけど」
「そっか。女子は電話好きだしな」
「女子だからってのはわからないけど」
「ふうん……」
なんか会話会話……とネタ探しをしていると「今なにしてる?」と訊かれる。
「ベッドで寝転がってる」と俺は答える。そういう質問でもいいのか。「凛音は?」
「いっしょ。ベッドで寝転がってる。部屋の電気も消したし、あとはもう寝るだけ」
「ああ、なるほど。電気を消しとかないと寝落ちれないか」俺はベッドから降りて、改めて消灯する。部屋が真っ暗になる。「眠れるかわからないけど」
「……なんで?」
「凛音と電話してるから」
「緊張で?」
「うーん、っていうか、他人と喋りながら寝落ちることなんてできる? 想像できないんだけど」
「他人じゃないでしょ? 恋人」と凛音は訂正してくる。
「暫定の」
「暫定でも」
「うん、恋人」と俺は合わせる。
「私は普通に寝るよ。たぶん私が先に寝落ちるから、そしたら通話切っていいよ」
「……寝落ち通話したことあるの?」
「あるよ」と言われる。「他の男の人と」
「そうなんだ」
「……ムカついた? ちょっとムカついた? 他の人としてて」
イタズラっぽい凛音の言葉に、俺は平静さを意識しつつ「ムカつかないよ」と答えるが……この胸を細く貫く針の穴みたいなものは一体……?
などと戸惑っていると「冗談だよ」と言われる。「女子の友達としかしたことないよ。博希の他に電話するような男子いないし」
「ふうん」男友達を作ることも凛音の自由なので好きにすればいいんだけど、挑発されると心が揺らぐのが人間だろう。「……まあ、凛音は落ち慣れてるからすぐ寝ちゃうかもってことだな? 凛音が寝たら俺も寝ればいいんだな?」
「うん。今日はまだなかなか寝ないかもしれないけど」
「それはなんで?」
「博希との初電話だから」と凛音。「緊張はしてないけど、気合いは入ってるよ」
俺は力が抜ける。「入れなくていいよ別に」
「何事もメモリアルだよ」
「うーーん」
「女子臭いってか?」凛音が苦笑しているのがわかる。「博希、なんか喋って」
「うわ、雑な振り」しかも唐突に振ってきやがって。「……今日学校で凛音と仲良くていいなって言われたよ俺」
「男子に?」
「うん」
「なんで?」
「なんでって、可愛いからだってさ。凛音のこと可愛いってさ」
「そうなんだ」
「反応薄っ」
「あはは。別に? 博希はなんて答えたの?」
「俺? なんて答えたかな。俺も『そうなんだ』みたいな感じだよ」
「『そうなんだ』だよね」
「うん」
だけど俺は、凛音なんてどこが可愛いんだろうか?と思いながらも、凛音が褒められたことに関しては満更じゃない気分でもあった。やっぱり暫定的とはいえ、彼女だからなんだろうか? 彼女を評価されると嬉しい? そんなもん?
「私も友達に博希のこと言われたよ」
「なんであんな格好よくないのといっしょにいるの?って?」
「あはは。言わないよ、そんなこと」凛音は一呼吸置いてから言う。「いい人そうだって」
「つまんねえコメント」と俺は笑う。「一番つまんなくない?」
「悪そうな人って言われるよりいいでしょ?」
「まあなあ……どうかな」
総合的にはあんまり変わらない気もする。どちらにせよ興味を持たれていないって感じだ。
凛音は早くもあくびなんかをしている。「……博希はそういう素朴そうなところがいいんだから。それでいいんだよ」
「眠たい?」
俺が質すと、凛音は不甲斐なさそうに笑う。「眠たい。博希の声、落ち着くから」
「またそうやって自分の眠気を人のせいにする」
俺はスマホのマイク部分に息を吹きかける。ふー。凛音のスマホの方に俺の吐息が行ったはずだ。
「ぶほーーって、なに?」
「ASMR」
「……なんて?」
「知らない? ASMRって」
「んー? 知らない。エッチなやつ?」
「必ずしもエッチではないけど」と俺は注釈しておく。「耳を刺激して気持ちよくする音のこと。厳密には違うかもしれないけど。焚き火の音とか、波の音とか、耳掻きの音とか」
「ああ……なんか聞いたことある」
「動画サイトとかにあるよな。聞いたことある?」
「や、嗜んだことはないけど。話に聞いたことはあるよ」
「それがこれ」俺はぶほーーと吹く。「イヤホンしてる?今」
「してない。ハンズフリー設定だよ」
「じゃああんまり効かないかもな」
そもそも素人の俺が適当に息を吹いているだけなので少しも深みなんてないだろう。
「ふうん。なんだっけ? Aなんとか?」
「ASMR」
「ふうん。賢くなったよ。すぐ忘れそうだけど」
「絶対寝た瞬間忘れるだろうな」
「寝る前に忘れそう」
「ふん。そうかもな」
「……そういうエッチなことばっかり詳しいんだから」
「エッチじゃないって」
「ぷしゅ、ぴゅー」と変な音が聞こえてくる。
「わ、なに?」
「あはは。聞こえた? キスの音」
「なんか聞こえたけど、空気でも抜けたのかと思った」
「ひどー。抜けるも何も、空気なんて貯めてないし」
「もっとこう、大袈裟にやるもんなんじゃないの?」俺も試してみるが、ぴちゅーんと高い音しか出ない。
「ネズミ飼ってる?」
「はは。うっせ。難しいな。もっと唇をスムーズにムチュッて開ければいいんだけどな」
「ん……」凛音の吐息と、すぼまった唇が空気を吸う音とかがスピーカーから流れてくる。
「お? いい、いい。上手い上手い。エロい」
「っぷは。エロい言うな」
「どうやったの?」
「んー? スマホに実際にチュウした」
「あー、いいんじゃない? もう一回もう一回」
「やらないし」と言われる。「なんでAなんとかLの練習会みたいになるの」
「ASMRな。本命との通話で役立つかもしれないだろ?」と俺はいい加減なことを言う。
「立たないでしょ。いつ使うんだよ……」
「直接会ってキスできないときとか?」
「お互いがスマホにキスし合うんでしょ。絵面最悪すぎじゃない?」
「客観的にはな」でもやってるカップルもいるかもしれないじゃないか。「キスどころか、電話でそういうことをしたりする場合もあるらしいしな」
「そういうことって」と喋りながら気付いたらしい凛音は「またそういうことにばっかり詳しい!」とあきれる。「知識の偏りが不健全」
「しょうがないだろ。恋人がいなくてずっと悶々と暮らしてきたんだから」
「悶々と暮らしてたの?」
「いや、言うほど悶々してないけどな?」
「そうなんだ。……どっちなんだよ」
「人並みだよ」
「一般的?」
「うん、一般的」
「ねえ、男子ってどれくらいで我慢できなくなるの?」
いきなり。「いきなりかよ」
「いきなりって、ただの会話じゃん。どれくらい?」
「知らないよ。そんなの人それぞれじゃない?」人それぞれ、いい言葉だ。
しかし「博希はどうなの?」とピンポイントで尋ねられる。
「おま、そ、そんなの言えなくない?」
どれくらいで我慢できなくなるか?って、つまり、どれくらいの頻度なのか?ってことだろう? 言えるわけない。
「恥ずかしい?」
「当たり前だろ……」
「教えてくれたら、私のことも教えてあげる」
「凛音のことって、なんだよ」
「んー? 私のこと」スマホの向こうで凛音が忍び笑いをしている。「博希は何日くらい我慢できるの?」
「知らない」と俺はわかりやすくとぼける。
「教えて」
「嫌だ」
「教えろー」
「酔っ払いかよ。別に興味ないだろ?そんなこと」
「彼氏のことだし。大事なことでしょ?」
「大事っつったって」俺の悶々の面倒を見てくれるわけでもあるまいし。
「知りたい」
「…………」なんか、眠たいせいもあるんだろうけど、聞こえてくる凛音の声色がとろんと湿っぽくて、俺も寝転がっていてだんだんと浮遊感を覚えてくる。本当は五日くらいな気がするけれど「一週間くらい」とサバを読む。
「一週間くらいで我慢できなくなる?」
「そうだよ」と俺は投げやりに言う。
「そっか」
「そっかじゃないよ」
「照れてる。ちょっと可愛い」
「うるさい」俺は寝返りを打ってスマホに背を向ける。
黙ってゴロゴロしていると、「私も月に二回か三回くらい我慢できなくなるよ」と凛音の声が背後でする。
「は!?」俺は反射的に振り返るけど、なぜか自分の頻度を白状したときより恥ずかしくなり「そんなこと言わなくていいから」と凛音を諭している。「女子なんだし」
「女子とか関係ないよ。私のこともちゃんと知っといてもらわないと困るし?」
「わかったわかった。把握しとく」
「……私はなんでも博希に話したいよ。フェアでもいたいし。博希は?」
「いや、それは俺もそうだけど」暫定的な恋人じゃなかったとしても、友達としてだってそうだ。「でも、話したくないことは話さなくていいから。俺が何かしたからって、凛音も同じことを絶対しなくちゃいけないってわけでもないし」
「わかってるよ」と凛音。「ありがとう」
「わかってるならいい」と俺。
「はあ」と凛音が一息つく。凛音がベッドだか布団だかの上で動いたのがなんとなく物音でわかる。「変な話ししちゃった」
「お前がしたんだからな?」
「うん。……博希、悶々としてる?今」
「今? してないよ」
慣れない通話の方に意識を取られすぎて悶々どころじゃない。
「そっか」
で、ぴたりと静かになる。物音はしているので凛音も寝落ちてはいないんだろうけれど、会話が途絶える。
「えーっと……」
俺が何か喋ろうとしていると、ふすふす笑われる。「ずっと喋ってなくちゃいけないわけじゃないんだよ?」
「あ、そういうもんなの?」
「そういうもん。離れてても恋人とおんなじ空気感を共有したくてするもんだから。寝落ち通話って」
「あー、息遣いとか寝返りの音とかも共有するのが目的ってこと?」
「そう。聞こえてる?私の音」
「動いてるのがなんとなくわかる」
「うん。おんなじ部屋にいるみたいでしょ? そういう気分になりたくって通話しっぱなしにするの」
「なるほど」
「博希はこういうの好き?」
「こういうのって、寝落ち通話のこと?」
「うん。毎晩私からかかってきたらウザい?」
「毎晩は面倒臭いかもなあ」と俺は正直に答える。「いや、繋がりっぱなしってのは別に嫌じゃないんだけど、なんか喋らなくちゃいけない義務感?みたいなのが芽生えるだろ? それが辛いかな」
「喋らなくてもいいんだけど、まあ繋がってたら喋らなくちゃってなるよね。うん、正直でよろしい」
「凛音は毎晩したい?」
「ううん。今日のはただのお試しだから。こういうのがあるからやってみない?っていうだけの話だったし」
「まあ、また知らないことを知れてよかったよ」
「またレベル上がった?」
「上がった上がった」
「よかったね」凛音は「目が冴えてきたからまだしばらくは眠れないかも」と宣言していたけれど、それからしばらくすると話し声がだんだん不明瞭になってきて、途切れたり、何を言っているのかよくわからなくなってきたりして、やがて完全に沈黙する。物音もしなくなる。
俺は一人取り残されたような気分になり、これは寝落ち通話の欠点だなと思う。眠気に差がありすぎると置いていかれた方が寂しい目に遭う。眠りに落ちた凛音の気配に耳を澄ましても、眠っているんだから音なんてほとんどしなくてむなしい。せめて寝息でも聞こえてくればいいんだけど、スマホから離れてしまったのか、今は何も聞こえない。
俺はなんとなく恋人らしく締めようと「好きだよ、凛音」なんて言ってみる。
それから通話を切ろうとしていると、久しぶりに、数分ぶりに向こうから物音がし始める。凛音の「すうぅぅ」というような呼吸音が聞こえ、続けて布団だか枕だかをバシバシ叩く音も。「わ、私のこと好きなの!?」
「起きてんじゃん」
「や、うとうとしてたのにびっくりして起きたよ!」
「寝たみたいだったから最後に彼氏っぽくして終わろうかなと思ったんだよ。聞いてんじゃないよ」
「聞こえてきたんだよ」と凛音はいっそ逆ギレしているかのような勢いだ。「私のこと好きになっちゃった!?」
「好きじゃないよ」好きじゃないよってのもどうかと思うが。「前といっしょだよ。別に好きではないよ。友達としてはもちろん好きだけど、恋愛的に好きにはなってないよ」
「よかった。びっくりした~」
よかったってのもどうなんだよって感じだけども。「もう。早く寝て」
「びっくりしてまた目が冴えてきた……」
「いい加減寝ようぜ」
「寝ていいよ。無理に相手しなくていいんだから」
「うん」
「じゃあとりあえずおやすみってことで、静かにしよっか?」と凛音が提案する。
「そだな。そうしよ」このままじゃ、いつまで経っても眠れそうにないし。
「ん。じゃあおやすみ。今日もありがとう」
「律儀にしなくていいから」いちいちお礼は言わなくていい。「おやすみ」
再び音が消え、俺は暗い自室で一人になる。妙な高揚感……の余韻みたいなものがある。目を閉じてしばらくじっとしていたら眠れるだろうか?などと考えていると、小さな囁き声で「私も大好きだよ、博希」と言われる。
返事をするとまた頭が覚醒してしまうから寝たことにしてスルーしようかとも思うが、ボケを流しっぱなしにするのも忍びなくて「結婚しよう」と返す。
「高校卒業したらね」とボケが止めどなくて俺はあきらめる。進学校に入学したんだから大学へ行かなくちゃいけないだろ。
疲れるんだけど、それは倦怠感とか無意味な体力の消耗ではなく、実りのある濃い一日を過ごしている証なんだと感じる。ただただ無為に過ぎ去っていくだけのはずだった毎日が、凛音と付き合ったことで、逐一鮮明になる。何事もメモリアルじゃないけれど、日々の何かしらが俺の中で特別になる。暫定の恋愛だろうがその点に偽りはなく、この関係が解消されたところで俺が得た豊かさ自体は剥奪されやしないのだ。そう思った。