表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/7

暫定恋愛

 芳日高校に入学早々、変わった子と知り合い、いきなり付き合うことになる。ただし、付き合うとはいってもお互いに好いているわけではなく、愛してはおらず、暫定的な交際だ。


 入学式を終えて一週間ほどが経過した、ある日の放課後、隣の席の白都凛音(しらとりんね)が帰ろうとしている俺に声をかけてくる。「岡部(おかべ)、ちょっとだけ時間ある?」


 白都凛音って、なんか字面だけ見るとものすごく綺麗で気高そうなお嬢様みたいなイメージが俺は湧くんだが、別にそんなことはなく普通の女子だ。家も金持ちとかじゃない。色の抜けたショートボブで、ちょっとだけ目付きがキツい感じの、当たり障りのない女子。席が隣という縁で入学以来何かと言葉を交わしているから、ひょっとすると、芳日高校で新たに出会った人間の中では一番仲がいいかもしれない。


 俺は通学用のリュックを担ぎつつ白都に応じる。「どっか寄りたいとこでもあんの?」


「あ、じゃなくって、話。いい?」


 なんだ。寄り道に同行しろとでも言うのかと思った。仲がいいとはいってもいっしょに帰ったりしたことまではなかったので、内心、少しびっくりしていたのだ。「秘密の話?」


「秘密の話」と白都はイタズラっぽく笑う。でもその一方で、表情に固さもある。「ここじゃできないから、こっち来て」


「なんだよなんだよ」なんなんだよ。俺は白都に連れられて、廊下の端まで歩かされる。どんな話をされるのか、予想もつかない。


 人気のない空間まで来ると、白都は周囲を窺いつつ、「岡部、好きな人できた?」と訊いてくる。


「できるわけないよ」と俺は笑う。まだ入学して一週間だ。クラスに馴染んだり授業の雰囲気を掴むので精一杯だ。


「私もできてない」と白都が言う。


 俺はまた笑わされる。「なんだよそれ。何の確認だよ。不毛だな」


 白都は笑わず、「でさ、もしよかったらなんだけど、うちら、付き合わない?」と申し出てくる。


「ぶほっ」と俺は驚きの声を発する。


「付き合うっていっても、暫定だよ?」


「『暫定』ってどういうこと? 好きじゃないんだよな?白都。俺のこと」


「好きじゃないよ。暫定ってのは、だから……本命が見つかるまで寂しいし、準備運動がてら仮に付き合いましょうってこと」


「ふうん」俺は言い換えてみる。「形だけリア充っぽく振る舞って、寂しさを忘れましょうってこと?」


「うーん……少し違うかな」訂正される。「形だけじゃなくって、一応ちゃんと付き合うの。お互いに愛し合ってないけど、彼氏彼女の関係は本物なの。ただ、もしも本当に好きな人が出来たときには後腐れなく別れて本命の方へ行きましょう……っていう関係。契約。どうかな?」


「なるほど」などと言いながら実のところまだ内容を把握しかねているんだけど、とりあえず「急にどうした?」と俺は白都を心配する。「病んでる?」


「病んでないよ」と笑われる。「前から思ってたんだ。高校生になったら、そういう相手してくれそうな人を見つけて、やってみたいなって。寂しさも紛れるし、恋愛の予行練習にもなるし、よくない?」


「……俺が相手で大丈夫なの?」と確認してみる。


「もう一週間くらい喋ってるでしょ?うちら。私は岡部で全然いいんだけど。岡部は?」


「俺は……白都のこと友達なのかな?って思ってるよ」


「それでいいんだよ。私も岡部のこと友達だと思ってるし。そんな、知らない人とは仮にだとしても付き合えないでしょ?」


「ああ……」まあつまり、異性同士だけど仲良くしましょうってことなんだろう。「わかったよ。いいよ。暫定で付き合ってみる? 面白そうかも」


「よかった」白都は安堵したように笑う。「そしたらルールをまとめるね」


「ルールなんてあんの?」


「ルールっていうか概要? 岡部も何か付け加えたかったら言ってね」


「うん……」


 どちらかに本命の相手が出来るまでの暫定的な恋愛関係。どちらかが関係を解消したいと申し出た場合、それを拒否することはできない。


 暫定的な恋愛関係だが、関係性を保っている間は通常の恋人同士であるかのように振る舞うことができる。『暫定』とはあくまでも『本命が見つかった際に即座に解消できる』という意味合いでしかない。


 付き合っていることを極力他人に知られないようにする。知られた場合、本命との恋愛を始める際に不利になるおそれがあるから。ただし、相手の名前を明かさない範囲でなら『恋人がいる』などと他人に話すことまでは禁止しない。


「……そんな感じなんだけど」いろいろと説明を終えて、白都が一息つく。「わかった?」


「えっと……これってさ、付き合ってる間はホントの恋人扱いしていいってこと?」


「そうだよ。じゃなかったら意味ないでしょ?」


「まあ」たしかに。それだったら何の意味もない。『自分には恋人がいるのだ』と妄想しているのと大差がない。「ん? え、なに? だったらさ……いや、やっぱいいや」


「なんだよ」白都は脱力する。「気になるなら訊いて。ちゃんとはっきりさせとかないとダメだよ」


「いや……おいおいでいいよ」


「いま確認しといたら? あとあとだと訊きづらくなるかもよ?」


「うーん……あのさ、今でも充分に訊きづらいんだけど、これってエッチとかもしていいの?」


「ぷ」と笑われるが白都の頬もちょっと赤らんでいる。「気ぃ早~」


「ほ、ほらな? だからあとでいいって言ったのに」


「恋人同士だからするかもしれないんじゃない?」と白都が改まって答える。「必ずしなきゃいけないもんでもないけど、それは二人で話し合お?」


「好きじゃなくてもできるもんなのかな……?」


「でも岡部、ぶっちゃけしたいでしょ?」


「え、どうだろう……わからない」想像できない。そもそも今はこの暫定恋愛自体のことで目を白黒させているからあんまり具体的には考えられない。


「私も今はわかんない」と白都も言う。「そこは難しく考えないでおこう。他に何か質問ある?」


「そうだなあ……もう特にないかな」俺は天井を仰いでから、「白都はなんでこんなことしたいの?」と訊く。


「私への質問か。……それはさっき言ったじゃん。寂しくなくなるし、練習になるでしょ? 付き合ってる相手がいるってことは余裕にも繋がるし、そういうのは高校生活にとって大事だと思うんだよ。そう思わない?」


「まあ。本命と付き合えなくても、本命が誰かに奪い去られても、『まあ俺には仮の彼女がいるし』っつって持ちこたえることができるってわけだろ?」


「それもひとつの利点だよね」


「で、俺と白都はどちらが先に本命を見つけられるか、どちらが先に本命と結ばれるか競争ってわけだ」


「ああー……別に焦って探さなくてもいいんだけどね? 本当に好きな相手って、無理矢理作るもんじゃないでしょ? 余裕がないと見えてこないこともあるだろうし」


「『余裕』な。そこでも仮の恋人が活きてくるわけだ」


「たぶん。そういうこと」


「わかった」俺は頷く。「そのルールでいいよ。じゃあ付き合おうか」


 生まれてこの方誰とも付き合ったことのない男が簡単そうに『付き合おうか』などと気取れるのも、やっぱり暫定性があるからこそなんだろう。気楽でいい。たしかに白都の案は俺にとっては悪くないものだった。これで女子と付き合ったときの雰囲気もなんとなく掴めるかもしれない。


 白都も笑い、頭を下げる。「よろしくお願いします」


「よろしくお願いします」と俺も同じようにする。「名前で呼び合う?」


「いいよ。なんだっけ?名前」


「ひっでえな。博希(ひろき)です」


「あ、そうなんだ。へへ。ごめんごめん。まだ知り合って一週間だし」


「仮にも彼氏にしようとしてる奴の名前くらい調べとけよ。……凛音」


「あははは」と笑われる。「照れるなよ、名前呼びくらいで。可愛いとこあるじゃん」


「うるさいよ。女子のこと名前でなんか呼ぶ機会ないし」


「あはは。うん、じゃあ博希ね。岡部~って呼んじゃったらごめん。もう『岡部』の印象しかないからさ」


「いいよ」


 で、俺と白都凛音は付き合い始める。好きなわけではないし、場合によってはすぐさま解消されるような関係性だけど、とりあえず俺に彼女ができる。凛音には彼氏ができる。


 もちろんそのまま恋人らしくいっしょに下校する。クラスメイトに目撃されたとしても、ただの友達だと言えばそれで通るのであまり気にしない。もともと俺と凛音がよく喋っているのは、クラスメイトなら知っている者は当たり前に知っていることだろう。


 しかし、何か彼氏らしいことをした方がいいのかと俺は思い、頑張って探し、「カバン持つ?」と申し出る。凛音のカバンは俺のリュックとは異なり手に提げるタイプなので、手に空きがある俺なら代わりに持ってやることができてしまうのだ。


「マジで? 優しいじゃん」凛音は感心しながら遠慮なくカバンを手渡してくる。「えー、もしかして博希っていい彼氏?」


「いい彼氏だよ」と俺は調子に乗ってどや顔だ。


「中学んとき誰かと付き合ってたの?」


「いや……それはないけど」誰とも付き合っていない。俺は誰にも告白していないし、誰からも告白されていない。基本的にモテないのだ。モテる要素がない。「凛音は?」


「何が?」


「中学んとき彼氏いた?」


「いないよ」と凛音はすぐ言う。「……博希が初彼氏だよ。嬉しい?」


「仮のじゃん。暫定だろ?」


「でも彼氏は彼氏。私は博希のことも彼氏一人分としてカウントするよ?」


「あ、カウントしてもいいの?」


「知らないけど」と笑われる。「それは博希側の自由です。してもいいし、したくなければしなければいいんじゃない? そこまで細かいルールはないよ」


「そっか」


「ふ」と凛音は笑う。ずっと笑ってるな、この女子は。「博希といっしょだと落ち着く。やっぱり博希に声かけてよかったな」


「あっそう?」俺は少し照れさせられる。「ま、友達としてはたぶん相性いいんだろ。俺も凛音とはすぐに打ち解けて話せるようになったし」


「私も。ずっと友達でもよかったんだけど、博希になら提案できそう、って思ってさ。この関係」


「どっちにしろ友達みたいなもんだろ?」


「うん」と凛音は頷き、「でも一応恋人なんだから、恋人らしいこともしとく?」と手を繋いでくる。カバンを持ってやっていない方の手に、凛音が手を重ねてくる。


「おお……」と俺はさらに照れる。「クラスメイトに見られたら即死だぞ……?」


「冗談で繋いでみたって言えばいい」


「それはさすがに通じるかな……?」


「通じさせるんだよ」凛音は繋いだ手をぶんぶん振って歩く。


「子供かよ。ちなみにこれって噂の恋人繋ぎ?」


「はあ? っぷふ! バカがいる」とまた笑われる。「何が噂だよ。これは普通に手を繋いでるだけだよ。お母さんと手繋がなかったの?」


「え? いや、繋いだけど……恋人繋ぎがどんなのかよくわからないからさ。普通繋ぎと全然違うの?」


「知らないの? 常識知らずだね」凛音はあきれている。いやそんな、恋人がいたこともない男子が恋人繋ぎだけ熟知してたらキモくない? そんなことないの?「……恋人繋ぎは、こう」


 凛音の指一本一本が俺の指と指の間に入ってきて、うわあこれが恋人繋ぎか!と俺は感動する。たしかに密着感があるし、指同士が細かく触れ合うから恋人っぽい。普通繋ぎとまったく違うじゃないか。「勉強になります」


「予習が足りなさすぎ」と注意を受ける。「でもこれで、本命とのデートでも恥を掻かずに済んだね」


「ホントに。もしかしたら他にも当たり前に知ってなきゃいけないのに知らないこといっぱいあるんじゃないだろうな俺……」


「恐い恐い」


「恐くはないだろ」


「恋人繋ぎ知らないのは逆にちょっと引く」


「マジかー」知れてよかった。「これからもよろしくお願いします」


「あはは。いいよ。私にも教えてね?」


「教えれることがあればな……」なさそう。


「ねえ。ちなみに博希は、ホントはどういう子が好みなの?」


 理想の女子か。「うーん……黒髪ロング」


「私と真逆じゃん」と色素の薄いショートボブが言う。


「目がくりっと丸くて……」


「それも私と逆じゃない?」凛音も目はくっきりしているが、猫っぽくて丸い感じじゃない。


「おっぱいが大きくて……」


「は? 胸にも注文つけんの?」


「優しく穏やかでちょっとエッチな子かなあ」


「ふうん」凛音は反芻し、感想を述べる。「見た目は完全に私の逆だよね」


「え?」性格は近しいと思っているんだろうか。


「私は、可愛い系でおとなしい感じの子が好き。弟タイプの男子」


 凛音も教えてくれるが「俺要素がひとつもないな」としか言えない。「そうなんだ。年下好き?」


「ってわけじゃないけど、年下っぽい雰囲気の子が好き。可愛くない?」


「男の俺に同意を求められてもなあ。ふうーんってしか返せない」俺達は高一だから、少なくとも今現在、校内に明らかな年下は存在しない。『年下っぽい』男子しかいない。見つけるのはなかなか難しいんじゃないだろうか。まあ俺のハイスペック理想にしたって巡り会うのは簡単じゃないが。「ともかく、お互い、そういうタイプの子を探していかなきゃいけないわけだ。ちなみに、俺が弟系おとなし男子を校内で発見した場合、凛音に知らせた方がいいの?」


「義務はないよ」と凛音。「ルールはさっき話した通り。他のケースは全部博希の判断で構わないから。知らせてくれてもいいし黙っててもいい」


「了解」


「あと、さっきも言ったけど競争してるわけじゃないからね」


「それもわかってるよ」


「あんまり早まって本命のとこ行くと、博希失敗するよ。常識知らずだもん」


「はは。うっせ」でも否定はできない。「レベル上げてからか」


「そうした方がいいんじゃない?」


「かもな」しかしとりあえず恋人繋ぎは習得した。俺は凛音が繋いでくれている手元をなんとなく眺める。「この繋ぎ方ってさ、なんか気持ちよくない? 普段触れないような、指の側面とか指の根本とかに当たるからかな」


「感性がマニアック」


「俺だけ?」俺は繋がれている指を曲げたり伸ばしたり、もぞもぞ動かしてみる。


「ああ……なんとなくね。気持ちいかも……」


「顔赤くしないで」


 俺が指摘すると凛音は余計に赤面し「あんたがなんかヤラシイからだよ!」とプンプンする。「バカ。離すよ」


「怒んないで」


「怒ってないよ」と言いながらも凛音はするりと指を外して、恋人繋ぎを解除してしまう。「あんまり長く繋いでて、知ってる人に見られても不味いでしょ?」


「冗談ですって言えばいい」


「バカ」


 さっき自分で言ってたのに。「……ところで、凛音んちってどこ?」


「絲草」


「あ、そうなんだ。ああ……絲草中学出身って言ってたもんな」


「博希は芳日中学でしょ?」


「うん」俺の方が先に帰宅できてしまうが……。「送ってくよ」


「ふふ」と凛音に忍び笑いされる。「あんまり無理しなくていいからね? 無理して疲れられても困るから。そういう、本物の恋人に対してだったら手の抜けないところを、抜いても構わないってのもうちらのアドバンテージなんだから」


「無理してないよ」と俺は返す。「一応、ちゃんとした本物の恋人として扱うって俺の中では決めてるから。家まで送るよ」


「ありがとう」と凛音は素直に言うが、すぐ「いつまで続けてくれるんだか」と軽口を叩く。


「面倒になったらやめる」と俺も応戦する。


「それでいいよ」肩をすくめる凛音。


 俺達は芳日町を越えて、絲草まで来る。ずっと喋っていて会話がやまない。本当に気は合うんだよなあ、と思う。入学直後にそういう子が隣の席になる確率ってどれくらいなんだろう?とぼんやり考える。凛音にしても、暫定恋愛を申し込む上で、俺の存在は好都合だったはずだ。高校生活を続けていけばもっと適切な男子とはいずれ出会えたのかもしれないが、現時点で言うなら俺は凛音の相手としてベストであったと自負できる。それくらい、歯車が噛み合ったかのように俺と凛音は不思議と仲がいい。


 絲草駅の正面に住宅地があり、白都家はその中ほどに建っている。俺はとりあえずその位置を記憶しておく。


「ありがとう」と凛音にまたお礼を言われる。「カバンも持ってもらったし、歩いてるときも喋ってて楽しかったし、送ってもらったし……下校に関しては完璧じゃない? これで少なくとも本命と下校ならしてもよさそう」


「はは」先生かよ。「でも、たくさん喋れたのは凛音だったからだし、それに自宅がメチャクチャ遠い子だったらどうする? さすがに送ってけないぞ?」


「自転車通学なら、二人乗りして博希が漕いであげたら? バスとか電車通学なら、バス停とか駅まで送ってあげればいいんじゃない?」


「まあそうなるか……」


「相手次第だけどね。そうされるのが鬱陶しい子だっていると思うし。いろんな子がいるから、実際正解なんてないんだよね」


「たしかにな」自分本意で行動しないよう気をつけよう。独善的なのが一番むなしい。「ちなみに凛音はどうなの? 彼氏としての俺の行動、ウザくなかった?」


「私は全然」と凛音は笑う。「よかったよ。逆にびっくりしちゃった」


「何よりだな」


「じゃ、帰るね」と言いながら、しかし凛音は自宅のドアではなく俺の方へとトコトコ戻ってくる。「バイバイのチュウは?」


 凛音が俺の前で目を瞑り、唇を少し突き出して待機する。俺は一瞬にしてうろたえさせられる。暫定的な交際だけど、その交際内容に禁止事項はないのだ……と改めて思い出す。普通の恋人のように、何をしたって許される。恋人繋ぎはもちろん、チュウだって。


「…………」

 なんか、このキスを待つ顔っていうの? キスをしようとするときの顔? 瞳を閉じて、唇の力を抜いて、顔をこちらに向けてじっとしている姿って、メチャメチャ可愛らしいな。凛音が、とかではなくって、凛音でさえこんなに可愛いんだから、たぶんあらゆる女子のキス待機の顔は恒久的に魅力たっぷりなんだと思う。すご。いや、ではなくって、えっと、俺はどうすればいいんだ?


 凛音の顔ばかり眺めていて自分のリアクションを保留にしていると、やがて凛音が目を開ける。「冗談なんだけど。なんか言ってよ」


「あ、や、じょ、冗談かよ。ホントにしちゃってたらどうするんだよ」


 凛音が俺の顔を見て、指差して笑う。「真っ赤じゃん。やったー。ドッキリ成功」


「は、はあ? ドッキリにしてやられたわけじゃないし」と俺は対抗して言う。「見惚れてたの。キスを待ってる顔、可愛かったぞ」


「は? は? はあ!?」と凛音も燃えるように赤くなる。「見るなよ! どこ見てるんだよ」


「お前が見せたんじゃん」


「はあ? ちょっと、あんたホントに目の付け所がヤラシイんだよ!」


「普通だよ。男子はみんなチェックするぞ?」きっと。知らないけど。


「…………」ふうふう荒い呼吸をする凛音。


「まあ、そんな感じ」


「うーん……恥ずかし。まさかそんなカウンターがあるとは思わなかったんだけど」凛音はうつむいて、パンパンと自分の頬をはたく。「まあわかった。男子はみんな変態ってことね……」


「そうだよ。凛音もひとつ勉強になったな」


「嫌なこと知っちゃった」


「じゃ、バイバイのチュウをしてお開きにするか」


「もうしないよ!」凛音は白都家の方へ小走りに移動し、ドアノブに手をかけてから振り返る。「ん。じゃあ今日はバイバイね。ありがとう」


「うん」


「ありがとう」


「別にいいよ、そんなに何回もお礼言わなくても」


「や、付き合ってくれて。私と」


「暫定だろ?」


「暫定でも。恋人は恋人。私の身勝手な話に乗ってくれてありがとう」


「いいよ。面白そうだし」


「チュウはね」と凛音が言う。「もしも博希が欲望に駆られてホントにしちゃってても、私はなんにも怒んないよ」


「あ? はあ……?」


「だって恋人だし。博希が私の唇をどうしようが、博希の自由だよ?」


「…………」


「じゃ!」で、凛音は家の中に引っ込んでいく。


 俺は……なんかドキドキする。別に普段、凛音とチュウなんてしたいと思わないんだけど、シチュエーションとか、ああいうキス待ち顔とかをされて思いがけずときめいてしまうと、もしかすると気の迷いってのもありえるかもしれない……と思ってしまう。恋人だから相手の唇も自由、か。好きでもない恋人なのに。


 だけど正直、凛音の提案に関しては面白いと思った。凛音と付き合い始めました!っつって、ただいっしょに帰って恋人繋ぎを数分しただけなんだが、なんか心の持ちようが付き合う前とは違う。これが『寂しさが紛れる』とか『余裕が生まれる』ということなんだろうか? たしかに俺は安らいでいるし、普通に楽しい。凛音と友達同士であったとしても楽しいのは楽しいんだろうけれど、それとはまた別種の胸の高鳴りを感じている。


 よくわからないけれどとりあえず面白くて悪くない。俺が暫定恋愛に抱いている感想はシンプルにそれだけだった。他には何も考えていない。考えるべきことすら思い至らない。今のところは。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ