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ハッピーエンドは先細り

作者: ムクダム

良い結果が得られるから行動するのか。

 人間とっての最大の不幸は、何かを希望することができなくなることだと考える。自分で目標を定め、その目標に向かって自分なりのやり方で挑戦することこそが自由であり、幸福である。そして、一番大事なのは挑戦の結果がどうであったかということは、挑戦したという事実の価値、尊さには全く関わりがないということだ。自分の意思で何かに挑戦したということの素晴らしさに比べれば、その結果の価値は実に瑣末なものであると思う。

 良い結果を得たいという気持ちを否定する訳ではない。人に褒められたい、気になるあの子と仲良くなりたい、何かを手に入れたいという気持ちから何かに挑戦するのはごく自然のことだ。ただ、目標を達成できなかったからといって、挑戦したという事実に価値がないと考えるのは良くない。自分で考え、挑戦したというだけで十分に価値あることなのだから。

 いつも良い結果が得られることが約束されていたら、人は挑戦することをやめてしまうのではないかと思う。成功するか分からないからこそ、人は自分にとって未知なることに挑む心持ちになれるのではないか。挑戦しようという気持ちがなくならない限り、人は何歳になっても生き生きとして、精神的に幸福でいられると思う。肉体的な機能不全は如何ともし難いけれど、心の健康というのは、自分の人生の捉え方次第でいつまでも維持することが出来るのではなかろうか。

 映画やなんかも観ていても、主人公が何かを成し遂げてハッピーエンドっていう筋書きよりは、望んだ結果が得られなかったけれど、また前を向いて進んでいくという流れの方が好みだ。ハッピーエンドという結果が伴うと、それに向かって挑戦した主人公の気持ちが陳腐化されてしまうように感じるようになってきた。ハッピーエンドになったからこそ、主人公の行動に意味があったのだという解釈がされるのは悲しいことだと思う。出発地点にあったはずの尊さが、ハッピエンドーという終わりに向かって先細りになっていくイメージがあるのだ。

 永遠に生きることのできる人なんておらず、どんな人も事象としては同じ結末を迎えることになる。その最後の瞬間をどんな気持ちで迎えるのか、それこそが人間最大のテーマだと考えるのだ。個人的には、何も思い残すことがないという気持ちよりは、まだまだやりたいこと、知りたいことがあるのに、という気持ちで最後を迎えたいなと思う次第。その気持ちがある限り、永遠に近いものを掴むことが出来るのではないかと思う。終わりを迎えるその瞬間にも、次に何をしたいか考えているというのは、人生を全うしたということと同じではないだろうか。 終わり

 

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