賽の河原戦争
目の前の川が三途の川だと解るのは、看板にそう書かれているからだ。無造作にもほどがあるだろうに、さらに「貴方は死にました」とも書いてある。そんなこと書かれずとも、ボクは死んだと理解している。原因は覚えていないけど、死の苦痛はあった。
三途の川ならば、当然小舟がある。水先案内人に乗るよう促され、貧相なそれに腰掛けた。世界は霧っぽく、先は見えない。川を下っていくことだけが頭に入る。イメージならば川を横断するのだけど、ボクの行先は違うらしい。案内が言うには賽の河原送りであるという。
自分の人生を振り返って、鬼に虐げられる理由を探した。けど、幼いボクには何が悪になるか詳細には不明となる。おかしなことに、案内人はボクの行き先を羨んでいた。
彼の羨望のワケを知らなかったが、目的地に着いて疑問が晴れた。ボクのような者が想像する河原はなかった。そもそも、案内人がここをあの河原だと言わなければ、代わりに要塞という言葉をあてはめていただろう。
塹壕、周囲を見張る各種大砲。有刺鉄線、コンクリートの壁、機関銃陣地。そして巡回する武装した子供の兵士達。何もない原っぱには地雷注意と書かれた看板がある。大きな、斜めの壁(あれは要塞本体の壁か)の中に、生活の音を響かせる建物があった。
だが何よりもこの場を象徴しているのが、天高く血見上げられた石ころの塔。複雑な足場、固定のための機材。シンボルにしてはお粗末だ。だが、賽の河原であると知るにはいい粗雑さ。
ボクは船を降りて、兵士達に通された。規律が行き届いた軍隊。壁の中に入り、役所へ行き、手続きが始まった。ボクも兵士として登用されるとのこと。一体何と戦っているのか、我慢しきれずに聞く。やはり石を崩そうとする鬼が相手だった。
手続きが終わるボクに名前が与えられた。スZ913。最初のスはいろは唄から。Zは無論アルファベット順。数字は1000まで。それだけの情報で、ここの兵士の数、その膨大さに恐怖した。
スZ大隊に入隊した。ボクが挨拶をすると、みんな返してくれた。いじめが心配だがまだそのようなことはない。
早速訓練に参加。走り、撃って、銃の扱いを知る。同じ班になったスZ902へ、多くの質問をすることにした。
「ここって、賽の河原なんだよね?」
「ああ、間違いないよ。昔は石を積んでは鬼に壊されていたんだって。けど。イA001が現れてからは変わった。子供達を率いて、ここに流れ着いた資材を集めた。そして基地を造り、襲ってきた鬼を撃退。石を安全に積めるようになったんだ」
「そうなんだ」一人の革命家が、世界を変えたということ。ただ一つ謎がある。「なんで石を積んでいるの?」
「さぁ。目的なんて忘れたよ」
訓練が終わり、休む。軽食を頬張るもの、本を読む者、子供らしく遊ぶ者。様々。食事をしたところで死人に活が湧くのか。ボクは首を傾げる。
そこへ、心を煽る警報。ボクが辺りの空気を探す内に、みんなは武器を持っていた。それに倣い武装。人の行く先に流れを任せる。どの場所からも人が走り集う。
ようやく人の声がした。曰く、
「鬼襲来警報。鬼襲来警報。全兵士はただちに移動し、防衛に備えよ。繰り返す・・・・・・」
鬼が来るらしい。スZ隊隊長のもと、ボクは配置についた。塹壕、ライフルを持って、最前線。となりにはスZ902がいた。獰猛に歯を見せている。戦の匂いに興奮しているようだ。そういえば、ボクはここでも死ぬのだろうか。
砲煙が背の遠くより。まだ見えぬ敵へ先制攻撃だ。銃を構えてはいるけども、見えるのは砲撃の砂煙。そもそも鬼はどのように挑んでくるのだろうか。周囲は舌なめずりをしていて、しばらく質問は無理そうだ。
けど、むしろ話しかけられた。スZ902だ。
「スZ913、初めてだよな」
「うん。狙って撃てばいいんだよね」
「それさえできれば何でもいいや」
「死ぬことってあるの?」
「死人がどうやって死ぬのさ」
煙より巨躯が現れた。それは、日本人なら誰もが思い浮かべるような鬼だった。赤く、筋骨隆々で、ほとんど裸、手には棍棒。棍棒。銃などは持っていない。
隊長の大声が轟く。撃てと命令。兵士達は撃ち始めるが、ボクは躊躇った。死ぬ死なない以前に他人を傷つける事が忌避として恐れになる。やることは指を動かすことだけなのに、複雑骨折で体が動かないようだ。スZ902がボクを見た。
「最初はそんなものだ。安心しろ、鬼は頑丈だ。一発程度ではどうともない」
確かにそうだ。鬼達は着弾し体を貫かれているのに勇猛果敢。止まる気配がない。機関銃の乱射さえ彼らには雨粒。
僕は息を吐いて、撃った。当たったのかどうか判らない。だが撃った。そうなれば戦火に燃やされるのみ。撃ち、リロードし、発砲。死ぬとは思えない敵も痛みを叫んだ。罪悪感が胸に到来。
しかし、こんな想いは無知からだろうと、冷静な自分に指摘される。彼らの巨体がボク達を襲えば苦痛の一言ではすまない。象が可愛かろうと、道具なくば彼らは畏怖そのもの。優位であるからこそ、ボクは悩めるのだ。
鬼がついに退き始めた。音も、色も、匂いも定義も、全て戦場だった。戦争だった。ただの射的であるが、だからこそ未知数を恐れるのだ。
戦闘終了。イA001が激励してくれると隊長から聞いた。防衛に参加した兵達は集い、我らのリーダーの言葉に耳を傾ける。
イA001は女の子だった。勝ち気そうで、意思を滾らせる瞳と眉が印象的。高台へ立つ彼女へ視線は殺到。よく見れば、兵士達に男女の差はない。子供が集められているのだから、差もそうそうないのだろう。
激励とは言うが演説だった。耳に良い言葉が並ぶ。次への戦を示唆される。さらに褒めて、話は終わった。兵士の感動は大地を揺らす。ボクはただ、これが果てなく続くのかと考えた。演説も悪くないし、人も悪くない。けど、足の疲れは気にしていしまうのだ。
何年か経ったかもしれない。暦もないこの世界において時間に限りはない。だから、何ヶ月ぐらいしか経っていないかもしれない。
ボクにも後輩ができた。スZ920だ。彼の容貌は人を惑わす。子供であるからこそ、死んだ本能が動く。周囲からは美少年二人のスZ隊アイドルと言われた。ボクも彼の同類と扱われている。実際、スZ920はボクに懐いていた。
必要ないと思われる格闘訓練を、ボク達はわざとやった。肉体が触れ合い、肌が接触し、吐息が重なる。彼を押し倒して見つめあった時、ボクは心の高鳴りを覚えていた。目の前のバラは赤く染まり、堕落の諦観と期待で目を背けた。指と指は重なっていた。
結局、何も出来なかった。風紀委員に見つかった。ボク達の関係性に文句はないが、場を弁えろとは言われた。それからは、スZ920と就寝時間に会うのが密かな楽しみとなった。
鬼を何度か撃退し、平和。だからこそ、イA001は新しい計画を考ええた。外征だ。目的は調査。本音は資材集めだろうと、スZ902は言っていた。ともあれ、ボク達のような一兵卒は上の指示に従うだけだ。死人に命はない。そう考え、この軍人魂に納得した。けれど、では使命はどうなるのか。命を使うことは無い。
外征先は、三途の川の上流。水先案内人がいる、最初に現れた場所。あそこへ。そのためにわざわざ強襲揚陸艦まで造った。海軍まで新設している。川で海軍とはどうなのだろう。軍とするなら他の艦も造ると宣言され、駆逐艦がいくつかできた。
ボク達は揚陸艦に乗る。三途の川は想像されるより広く、大河と言っていいい。なんでも、昔から大きく、広がっているそうだ。ワケの仮説として、幽霊船に対応するためだと言う。ボク達も確かに幽霊だ。
出発。船を守るように駆逐艦は展開。先端にはドリルがある。こんな、海より狭い場所なら役に立つだろう。
ボクはスZ920と雑談していた。彼は、最初にこの世界に来たことを思い出していた。
「ぼくには兄弟がいたんです。仲が良くて、一緒に遊んでいました。でも、あっちが先に死んじゃって。もしかしたら会えるかも、とか考えていたんですけどね」
「もしかして、上流の向こう側にいると?」そこはまだ行ったことがない。ボクらは下に流れたのだから。
「そうです、先輩。今回は僥倖と言うべきでしょう」
嫉妬した。独占欲だって沸いた。けど肉親の情はボクのとは違うものだと理解している。けれど彼には気付かれた。「これ」と彼が何かを差し出した。黒曜石だった。
「ぼくだと思って」
ボクもポケットから拾い物のビー玉を出した。「拾い物だけど」「ぼくもです」二人の未来が決定したような会話。
警報が艦内に響き指示が飛ぶ。ボク達には関係のない、海軍の海戦だ。聞いたところ、鬼の戦艦が前方に待ち構えているということ。戦艦にどう勝つつもりなのだろうと思ったら、勝利が放送された。曰く、ドリル駆逐艦によりえぐった。随分強引な勝ち方だ。
その後は事件もなく、死者が初めに現れる台地に着いた。陸兵たるボクらは上陸。水先案内人が軍艦と手漕ぎ船を見比べていた。風が豊かに吹き、哀愁を募る。
川の対岸には行ったことがない。それは通常の死者が横断するもの。どうして賽の河原に向かわされたのか。理由など忘れている。
ボク達は川を横断した。少年少女、兵士達の進軍。草原を踏み、霧を抜け、サーチライトを浴びる。サーチライト。人工物。人の文明がここにも及んでいる。兵士達の緊張は肌にさえ現れる。負傷を覚悟した。
だが何もされなかった。代わりに国の相貌たる高き壁が屹立していた。壁上に兵士が巡回し、サーチライトが自動で動く。そして、その兵士は大人であった。ここはいわゆる、あの世なのだ。いささか無機物臭いが。
無線で状況を報告したはいいが、待機を命令されたのには苦心した。ライトが集まり、軍人も集まる。体格上勝てない相手に囲まれて気乗りはしない。
イA001が来た。彼女は自分が最高責任者であることを明かす。快諾され、全員で壁の先へ進んだ。
すす汚れたビルが群れとして立ち並ぶ。排気ガスを堂々と排出する下には、やる気のなさそうな人々の顔。灰色の霧。ボク達の行き場は公民館だ。体育館のように広く、そこで説明を受けた。子供の大きさでも入り切らなかったため、順番だ。
この街、この国は帝国と呼ばれていた。ある男女が築き上げた国家。あの世に危険はなかったが、同時に安全も快楽もなかった。だから文明が築かれた。死後の永遠を安心にするための存在だともいう。
イA001は、帝国の創始者にして皇帝、その人を見る。顔を背けた。あからさまで、誰もが気づく。説明者が優しく、彼女に問う。
こう答えた。
「それは、私の両親だ」
統治者の家系。どよめく。だったら共にきて暮らさないかと大人の勧誘されている。イA001は断固たる態度でこれを拒絶した。ボクの目は、彼女の目から流れるものを認めた。
帝国内を自由に見て回ることが許された。理由が何かは話されなかった。だが道を見れば老人だらけだ。さぞ若さに飢えているだろう。子供を歓迎するのも納得できる。
スZ920と並んで街を行く。彼は見るからに出会いを期待していた。時折少人数だけの子供を見ては肩を落としている。彼を尊重しボクは送り出せるだろうか。別れを言外に悟りつつあるボクは、離別に震えた。立つ鳥を地上から汚したくはない。
誰かの名を呼ぶ老婆の声。ボクに向けている。銃を向きかけるが自制。ただし怪訝な目で敵意をぶつけた。
「どうしてここにいるの? どうしてそんな格好をしているの?」老婆はまくし立てる。
「誰ですか、貴方は」頭痛がした。どうやらボクは、この人を知っている。
「おばあちゃんよ。貴方の祖母」
頭痛が収まり、記憶が墓地より立ち上がる。この人はボクの祖母。一度、二度会って、それきりだ。それでもボクを憶えていたらしい。
「えっと・・・・・・久しぶり」
「あぁ、解ったんだね。よかった。どうしてここに? まさか、死んじゃった?」
スZ920の視線を受けつつ、ボクはおばあちゃんに説明していた。彼女はボクが賽の河原に送られたと聞き、卒倒しかけた。鬼と戦っている言えば、難しい顔で表情を埋めた。
「大変だったねぇ」
労ってくれるが、実感がなかった。大変だとは思っていまい。彼女は続けて言った。
「ここで暮らさない? 大丈夫よ、何も怖くないから。大人達が守ってくれる。鬼退治より、安心して暮らせるよ」
おばあちゃんの背に、スZ902がいた。一人ぼっちで、大人へ鋭い目つき。ずっとスZ920にいたせいで、彼とは話していなかった。
彼はつまらなそうにポケットに手を入れた。猫背で地面を見る。速く帰りたがっている。
ボクはおばあちゃんに向き合った。
「ごめん。ボクにも大事な仲間がいる」
祖母は反論を口にしようとして、口を閉じ、また開けて、閉じた。目もつむり熟考。そしてふところからお守りを取り出す。ボクへ手渡した。
「おばあちゃん、止めないよ。けど、元気でね。塞ぎ込んだり絶望したりしないでね。死んだ後では、そっちのほうが心配だから」
ボクも何かをあげるべきだろうか。彼女はボクと一緒に居たいのだろう。孤独で寂しいのかも。バッグを探ろうとして、止められる。
「いいよ。一方的に送らせて」
「・・・・・・ありがとう」
おばあちゃんの覚悟を受け取った。まるで惜別だ。
ボク達は歩く。スZ920が探している人物を見つけるのだ。と、思えば何の因果かすぐに見つけた。目で見て解る。兄だ。
スZ920が彼に近寄る。目をテラテラと輝かせた。ボクは嫉妬の息に追い立てられる。けれど、彼から零れかけるものをボクは知った。彼へ対する言葉の形容は、幸福に限定されてしまった。どうしたって、肉親への情はあるものだ。血の赤さは絆を狂わせない。たとえ血が流れなくとも。
スZ920はボクを見て、歩み寄り、上腕を撫でた。ボクは胴の中心を指でなぞる。二人に笑みが浮かんだ。ボクらにはボクらにしか理解できない言語がある。それが、何よりもの満足であった。
別れた。けれど、心にはいる。スZ902と合流し、歩き続ける。彼は「残るのか」と聞いてきた。「石にね」とだけ答える。彼の手が肩に乗る。見れば、いたずらっ子の歯をキラリ。
自然と子供は集う。イA001がボク達の顔を見渡す。覚悟を決めた者。揺らぐ者。この二種類の兵士が、彼女の瞳に写っている。だから、言葉にする。
「我々はここの軍ではない。河原の軍だ。残りたい者は残れ。帰る者は私と来い」
揺らぐ者に動揺。忠誠心と肉親への確かな心で右往左往。子供ならば家族の待つ家に帰りたい。しかし、家は果たしてどちらであろうか。ボクにとっては河原だった。
一人が前に進み出て、一人が後ずさり。別れは始まる。去る者はどちらも、名残惜しげに俯いた。イA001の背中に悲観の文字が刻まれた。そう、見えた。
あれからしばらく。仲間は一時的に減った。しかし子供の死とは今も普遍で、すぐに補充された。兵士になって、鬼と戦い、石を積む。ただそれだけの日々を虚無と共に過ごす。イA001はもう川登りなんて考えていない。
今日も今日とて防衛戦。固定された石の塔をどう崩すのか、鬼の戦略が気になった。雑念がいけなかったのだろう、ボクは矢に射抜かれた。スZ902がボクを介抱。けれども痛みはない。おばあちゃんがくれたお守りが、ボクを守ってくれた。スZ902には笑われた。死ぬこともないのにと、涙を流して。
鬼は退く。また守りきった。首飾りにした黒曜石を見る。はたして何を守ったのだろうか。石を積み上げる理由は誰も知らない。意味の解らぬものを守り続けて、何が残るというのだ。
あぁ。気付いた。ここは賽の河原だった。石を壊されようが、守ろうが、建てようが、元の目的には沿っている。
納得しながら、次の戦いに備えた。