暴君
舛大地が子供のころ、日本では最後の大規模なテロ活動が起こった。世界でも有数な安心安全な国で、警察官の道を歩み始めたのは、そんな非日常から国民を守る存在への憧れによるものが大きかった。
警察官として派出所勤務となって二年。大地は、日常に慣れていた。世間には凶悪犯罪者が以外にも少ない。最も重い罪でも、車によるひき逃げ、覚せい剤の使用。殺人はここ数年担当地で発生しておらず、年二回の実弾射撃訓練以外で、拳銃をホルスターから抜いたことも無かった。
訓練の時から拳銃を抜くときは、警察官人生を終える気持ちで抜けと教育を受けた。勿論、その徹底した教育は、銃社会ではない日本で当たり前のこととして受け取った。
その日、大地はパトルールのためパトカーに乗って市内を巡回していた。朝の通勤ラッシュの中、今日もいつもと変わらない日常が繰り返されるのだと思っていた。突然無線の入感知らせる電子音が響いて、一本の報告が流れた。
『並木3より本部。現場到着。えー、現状負傷者が多数出ている模様。すでに現場には救急車が到着しているが、現状足りておりません。負傷者の数は2、30名と思われ、死者数は不明。萩方面からも応援を求』
『本部から並木の3。並木の3。負傷者は12、3名とのこと了解』
『繰り返す。負傷者は”2、30”名!”2、30”名!』
『本部より並木の3、2、30の負傷者、間違いないか?』
『すでに病院に搬送された者もいるため、さらに負傷者は多い模様!』
『本部より各車、現場応援に迎え』
『並木4、7現場に向かう』
『荻警ら隊より、並木本部。こちらも応援可能。避難誘導等の指示はそちらにお任せしたい』
大地は指示を待たず現場に急行した。自分が行かねばもっと人が死ぬだろうと思った。勿論自分は死なないと思っていた。
排ガスの臭いの染みついた灰色の町。鉄骨を積み上げて作った橋の欄干から、どす黒い車のエンジンオイルの様な液体が、川に流れ落ちていた。いや、いつもと違うのは、鼻を突く異様な生臭さだ。まるでこの橋の上で大量の魚をさばいた直後のような異臭があたり一面に立ち込めていた。そしてその場に取り残された車は、爆発があったかのように内側から外側にひしゃげ、引き伸ばされたプラスチックが、まるで内臓のようにぶら下がっていた。
そんな非現実的な橋の周りを、警察官が必死に駆け回っていた。防刃衣と警棒姿の者もいれば、メッシュ生地の夏衣に身を包んだ者もいる。荻
警ら隊だ。みんな口々に叫んでいる。
「落ち着いてください!歩ける人は上荻方面に避難してください!自力で歩けない人は手を上げてください!!」
大地は不思議な物を見た。救急車の上についている赤いランプがもぎ取られ、アスファルトの上に砕けて落ちていた。
報道記者や野次馬が、その破片を踏んだり蹴り回したりして、ガラスが割れたような派手な音がした。
「早く非難しなさい!」
「報道テレビの吉永です!けが人はどの病院に運ばれたんですか!!」
「確認中です!ここも危険ですからすぐに非難してください!」
その時、背筋をびりびりと震わせるような轟音が、警官たちに浴びせかけられた。
殺戮者は、まだそこにいたのである。