医療による弊害
医療の発展により、寿命が著しく伸びた。
それは、本当に人類の為に必要な事なのだろうか。
現状で抱える問題と将来の懸念は、言わずもがなであろう。
労働人口の減少は、将来的に日本経済へ深刻なダメージを与える。
言わば、現状における労働人口では、それ以外の者達を支えきれない。
これは、起こりうる未来であり、早急に対処すべき問題で有ろう。
現在の日本社会は、とりわけ弱者に厳しい環境となっている。
働かざる者は、食うべからず。それは、確かに正しい。
だが病気や障害により、労働が困難な者はどうすればいい?
単に、非労働人口を労働人口に転換させるだけでは、済まない問題でも有る。
そして、それら非労働人口を労働人口に転換させる政策は、未だ完全ではないと言えよう。
先ず、障害により働けない者達は、満足な保障を得られていない。
言わば、生活が出来ないどころか、働きたくても働けない環境に有る。
これは、企業側だけの問題ではなく、政策が追い付いていない事が考えられる。
寧ろ、生活弱者に与える保障を増やす事よりも、経済を活発化させる事に重きを置く事が、優先的におこわわれるべきだと考えるからであろう。
それは間違いなく、正解であるのだ。
雑多な言い方をするならば、働ける者が働いていない者を支える。
労働者からすれば、それは不平等そのものであると言えよう。
非労働人口を、労働人口が支えきれない。
これは政策だけの問題ではない。予算を拡充されば解決する問題でもない。
労働人口の中における潜在的労働力の数は、これからの社会において増加する一方だと考える。
それは、将来的な希望を見いだせない事が、一つの要因として上げられるだろう。
現代の社会は、年老いて死ぬまで働き続けなければ、生きていけない傾向にある。
それは社会保障に関する対策が、不十分なだけでない。現在の社会は、若者が未来に希望を見出せないのだ。
また、将来の希望だけでなく、子供を産み育てる事にも、様々な問題が生じている。
これから社会を担う若者は、非労働者の為に馬車馬の様に働く。
それは、奴隷と何が違うのだろう。
なおかつ、己れが年齢を重ね、満足に体を動かせなくなった時、誰が支えてくれるのだろう。
では病気や障害を持つ者、果てや年老いて満足に体を動かせない者。これらを強制的に働かせる事で、著しい改善が見込めるのであろうか。
それは、はっきり言おう。不可能である。
障害者が社会で活躍する事は、健常者の数倍、いや数十倍の苦難が生じる。
また、障害者を受け入れる体制は、未だ少ない。
言わば、働きたくても働く場所がない。それが、事実であるのだ。
では、もう一つ。
病気、障害、老齢、それらに属し、非労働者となった者達。
これらが、完全に存在し得ない社会となったら、どうなるのであろう。
著しい消費者の減少により、経済にダメージを与えかねない。
それ以前に、倫理観における問題が生じる。
満足な労働が出来ない、収入が見込めない、生活が困難である、国から満足な保障を得られない。
こんな状況で生活苦に喘ぎ、日々を過ごす事が、幸せと思えるのだろうか?
少なくとも障害者の中に、労働者として己の生活基盤を確固たるものにしたいと、考えている者は多く存在する。
ただし、それは健常者の何倍も努力を重ねた結果、健常者の半分にも満たない報酬を得るだけである。
努力に対する見返りとしては、不十分が過ぎると言いたい。
はっきりと断言しよう。
生きる事は、どれだけ困難な事か。死ねる事が、どれだけ幸せな事か。
医療の発展で、生き永らえさせられるのは、不幸でしかない。
長生きする事は、本当に幸せなのだろうか。
私はここに疑問を呈する。