思い出
私が物心つく頃には身の回りにオートバイがあるのが普通でした。
それもどれも製造から3~50年経った年代物ばかり。
「パパは毎日仕事に乗っていくから、面倒見てやらないとダメなんだよ。」
と休み毎にオートバイの修理やら、メンテナンスをしている父を幼い私は「オートバイのお医者さん」と言っていました。
今私が乗っているバイクは妹が産まれる直前に父が「バイク乗り人生で最後のバイク」と母に頼み込んで購入したものらしく、
私には良く
「七海、このバイクは世界で一番立ち姿が美しいバイクなんだよ」
と言っていたものです。
当時の私は意味も分からずふ~んと思っていただけでしたが、地域のコミュニティを主催していた父のバイクは、やはりそれなりに認知されたものだった様です。
「親父さんは…残念だった。俺も長い間ご無沙汰で最後の挨拶にも行けなかった。」
「気にしないで下さい。父は大袈裟な事が嫌いで、葬儀も密葬にしましたから。バイクでは死なないって言ってたくせに、病気でアッサリと亡くなるなんて」
「そうか…苦しまずに逝ったなら、まだ救いがあるな。」
看板持ちのおじちゃんはそれでも申し訳無さそうに呟くのでした。