第2話 祝言
貴族に転生したというのも驚きだが、それにいちいち驚いているのも時間の無駄だろう。そう思いつつも、シュトレオンは目を覚ました時にいたメイドであるカナンに絵本を読んでもらっていた。
精神年齢が既に十代後半となっていた俺にしてみればつまらないものと思いがちだが、絵本はこの国や世界で起こったことを抽象的に書いているのであながち馬鹿にはできない。
尤も、書物というのはどうしても執筆者の思想や考えが混じってしまうので、やや懐疑的なぐらいが丁度よいのだ。
「レオン様は本当に物覚えがよろしいですね」
「カナンが解りやすく教えてくれるからだよ」
「そう褒めていただけると嬉しいです。ひょっとすると、レオン様の祝言で神様から贈り物をもらえるかもしれませんね」
「祝言?」
首を傾げるシュトレオンに、カナンはかいつまんで説明してくれた。
この世界の洗礼は三回存在する。とはいっても、平民の洗礼は一回だけで三回あるのは貴族だけだ。
貴族が三回なのは洗礼を受けるための挨拶と、洗礼によって加護を受けたことに対する感謝を示す意味合いもある。転生前の神社参拝における『二拝二拍手一拝(二礼二拍手一礼)』を形式化したものと捉えたほうが理解しやすいだろう。
これは、例えば剣に長けた貴族当主の子がそのまま剣に長けているわけではないし、複数の子を持てば爵位継承する長男はともかく、次男以下の子は基本的に自立するしかない。
なので洗礼の儀式でその子本人の資質を見出し、その道を進めるように家庭教師を付けたりするのが基本的だそうだ。
尤も、家庭教師を雇うとなるとそれなりの家柄でないと難しく、大抵の貴族の子は騎士になって生計を立てたり、平民として暮らすものも少なくないのがこの世界の一般的な常識として成立している。
我が子にせめて一つでも良いスキルや加護を得てほしい……それが、貴族の洗礼が三回あるという理由だ。
貴族の洗礼は三歳の『祝言』、五歳の『洗礼』、七歳の『礼祭』がある。
生まれてきた子がこれからその家にとって祝福された子であるということを神々に報告する『祝言』、無事五歳を迎えられた子が神からの祝福を受ける『洗礼』、そしてそれから二年間無事に過ごせたことと洗礼に対する感謝を司祭と家族で祝う『礼祭』がある。
スキルや神様の加護は『洗礼』で受け取ることが多いのだが、数百年に一度『祝言』でそのスキルや加護を受け取るものもおり、その者は例に漏れることなく国にとっての『使徒』と呼ばれる存在になるそうだ。一応気を付けておこうと思う。
で、この国の貴族の『祝言』は基本王都から司祭クラスの人間が派遣される。アルジェント家は侯爵家なので、大司祭以上の方が派遣されることになると説明してくれた。宗教関連の話は機会がある時に話そう。
「一時は倒れてどうなることかと思いましたが、無事に回復なさって本当に良かったです」
「うん、心配かけてごめんね」
「レオン様……」
人に心配をかけたら謝罪の言葉をかける、と転生前に祖母からよく言われていたからな。シュトレオンの言葉を聞いて、カナンの瞳から涙が零れるほどだった。……フラグとかじゃないよね? 大丈夫だよね? 俺はね、普通に声掛けただけだからね!
そして、『祝言』の日を迎えた。普通は三歳を迎えた後に行うのだが、シュトレオンの場合は誕生日に執り行われることになった。
なお、元の世界と暦や時間の進み方は全く同じであり、面積・距離などの概念もそれに基づいている。そのあたりは俺以外にも異世界の人間がいたのかもしれない。
シュトレオンは母であるミレーヌに連れられる形で玄関先にいたところ、一台の馬車が止まって一人の男性が下りてきた。
男性の歳は二十代前半といったところだろう。白のローブに金の刺繍からして位の高い聖職者ということは見て取れたが、その人は父であるバルトフェルドと親しげに話した後、こちらに来たのでミレーヌに続いて挨拶をした。
「私はラスティ・カーティス・ハイデリッヒ。君が侯爵閣下の子だね」
彼はこの国の国教であるティアット教の大司教であり、昔バルトフェルドに助けられた過去から交友を持ったそうだ。なにはともあれ、ラスティを家の中に招き入れる形で俺も中に入った。
「しかし、その歳で大司教とは恐れ入る。敵もさぞや多いことだろうに」
「いえ、侯爵殿のおかげで法王猊下のお力添えを得ることができました。それに、確かな実績はありますので反対意見も少なかったのです。もっとも、ここは本国から遠方ですので、あまり行きたがらない連中からしたら、僕は十分充て付けに見えたことでしょうね」
本来、大司教・司教の派遣先はレインラース法王をはじめとした教会上層部に委ねられているが、彼がエリクスティア王国での功績が認められて数か月前に王都の大司教に就いたと父との話で解った。
この世界においては、苗字というのは王族や貴族といった上流階級の人間でなければ持つことを許されない。彼の場合はラスティが名前で、カーティスは司教に昇進した際与えられた名字、ハイデリッヒは大司教に上がった際の洗礼名にあたる。司教クラスはどの国であっても貴族階級に等しい扱いを受けるためだ。
ラスティ大司教は元々レインラース法国の生まれだったのだが、幼い時に海難事故に遭った。だが、彼が生命神の加護を受けていたことが幸いし、漂流していた彼を見つけた商船に保護されて、セラミーエ領の孤児院に預けられた。
その後、教会の司祭として実績を重ね、本国に召集されて司教、大司教へと異例の出世スピードを成したのだ。なお、このことは祝言の後でバルトフェルドから聞いた話だ。
ティアット教の総本山があるのはレインラース法国で、エントワープ大陸の海の向こうであるゼーラシム大陸中央に位置している。
そのため、ここに来るだけでもかなりの長旅であり、面倒を嫌った連中がラスティに押し付けた格好になったみたいだが、本人としては恩人である父に報いたいという気持ちであふれていた。
教会の上層部の連中にしてみれば『青二才の厄介払い』でも本人からしたら『恩返しの機会を与えてくれた』という見方の違いに、彼らは昇進の機を逸したのではと思わなくもなかった。
ティアット教は八つの神を崇める宗教で、
「無」の創造神 アリアーテ
「火」の鍛冶神 ヴァーニクス
「水」の商業神 ローゼニア
「風」の農耕神 ミル
「土」の技巧神 ノード
「光」の生命神 サイゼリア
「闇」の魔術神 マルタ
「時」の遊戯神 クロウ
の八つから構成されている。それぞれの職業によって恩恵の受け方が異なるので、一つの神様のみを信仰している人もいたりする。そら、全ての神様の加護を得られたら将来の道に選択肢が増える形になるからな。
ひとしきり話が終わったところで、いよいよ祝言となった。とはいえ、別段特別な儀式をするわけではない。
「シュトレオン君。君は目を瞑って祈るだけでいい。一分ぐらいだけれど、我慢してね」
「はい、わかりました」
ラスティが懐からおおよそピンポン玉サイズの透明な球を八つ取り出して、テーブルの上に置いた。そして、彼の指示通りにシュトレオンは瞼を閉じて両手を眼前で握り合い、祈りのポーズをする。すると、瞼を閉じているために暗かった視界が一気に白くなっていった。




