閑話3 王国の最強は今日もまたペンを折る
俺の名はグレイズ・フォン・カイエル。王都第一騎士団の副団長を務めている。その俺が今向かっているのは一番近い上司…即ちこの国の第一騎士団長である。扉をノックしようとしたところ、扉の向こうから声が響く。
『グレイズだな。ノックは不要だから入ってくるとよい』
「…失礼します」
ノックは不要と言ったが、一応誰が見ているか解らないため、軽くノックをした上で中に入った。部屋に入り、扉を閉めた上でその部屋の執務机に向かう。
椅子に座っているのは煌めくプラチナブロンドの髪を持つエルフの少女。騎士服を纏う彼女こそこの騎士団のトップであり、王国最強の騎士でもある。
名はフィーナ・フォン・セルディオス。ミランダの領主グラハム・フォン・セルディオス伯爵の孫娘であり、若干15歳という史上最年少の若さで第一騎士団長の座に就いた女性天才剣士。
彼女は王立学院一年で当時学院最強の剣士を倒し、三年生に上がった際当時王国最強だったジェームズ・フォン・アルジェントを地に伏せた実力者。その風貌も相まって人気は高く、婚姻を申し込む貴族も多いが、その悉くを一蹴している。曰く『私を倒せる者でなければ、婚姻は結ばない』と言い放った。
しかも、その祖父が国王ですら敬意を払う英雄レオンハルトの知己。そうなると、こぞって言い寄る貴族は減ったのだ。
そんな彼女の二つ名は【凍て付く乙女】などと呼ばれ、畏れられている。本人はさして気にもしてない様子だが。
「相変わらず律儀だな。まぁ、お前の配慮にも感謝はするよ」
「いえ、フィーナ団長。……ご報告したいことがありまして、参りました」
先程緊急の連絡として入ってきたのはガストニア・グランディアの侵攻。そしてガストニアの総司令官であった第一皇子が魔神を召喚した。だが、それは討伐されたとの知らせも入った。
それに加えて、ガストニアの皇帝・皇妃両陛下と第一皇女がヴィッセル砦に逃げ込んでいたことから、今回の講和交渉のためにジェームズ・フォン・アルジェント子爵とヴェイグ・フォン・アルジェントが護衛として王都まで向かうことも併せて報告した。
その報告を冷静に聞いていたフィーナだったが、俺が報告を終えた途端、持っていたペンを真っ二つに握り潰していた。これには俺も内心緊張が走った。それに気づいたのか、フィーナはコホンと咳払いをして折ったペンと破片を片付けると、引出しから新たなペンを取り出した。
(これで今月は12本目か……)
そう、彼女は声を荒げない代わりにペンをへし折る。その数はトータルで五桁を超えている。酷いときには一日で100本以上のペンがお亡くなりになったほどだ。
普通ならこれで終わるはずだった。だが、今回は違った……珍しく声を上げたのだ。それも、いつものような感じではなく、年相応の少女のような言葉遣いで。
「あの馬鹿公爵、騎士団を何だと思ってるのよ! 魔神相手もそうだけど、25万の兵相手に一部隊だけで何をしろと言うの!? そもそもヴィッセル砦へ一部隊だけしか派遣許可しないなんて、辺境を守る騎士に『あなたたちは捨石です、どうか死んでください』なんて言えるわけないでしょう!! ハッキリ言って、英雄レオンハルトに助けられたようなものじゃない!!」
「………団長」
「はぁ、はぁ……ごめんなさいグレイズ、私らしくもないわね」
「いえ、寧ろ団長といえども耐えられないことだってあるのだと知りました。寧ろ好感を持てます」
王都第一騎士団長は完全な実力主義によって任命されるため、近衛騎士団・辺境騎士団の任命権も有する。だが、配置などの軍事指揮権は軍務相が持っており、しかも現在の軍務相はオームフェルト公爵の一派である。つまりオームフェルト公爵が軍務相をやっているに等しい状況だ。
最近のガストニアの情勢不安を鑑み、団長であるフィーナはリスレットに派遣する辺境騎士団の増員を要請したのだが、それを軍務相に一蹴されてしまった。
『今はイスペイン攻略に注視すべき。ガストニアの情勢がどう変化しようとも、我の強い亜人族に我が王国の騎士が負ける道理など無い。そんな国がグランディアと手を組むなど、もっと有り得ぬ』
それが軍務相……いや、オームフェルト家の答えと言うべきなのだろう。もっとハッキリ言ってしまえば、アルジェント侯爵家への妬みなのだろう……実に下らない理由だと思う。過去13回も失敗した東方遠征に次があるのか正直疑わしいという他ないのだ。
仕舞いに言えば、目の前にいるフィーナに対してオームフェルト公爵家嫡男の婚姻話を持ち掛けられていたらしい。それも正室ではなく妾という形で。これには彼女だけでなくグラハム伯爵まで怒りをあらわにして即刻白紙撤回させたそうだ。
「そう……で、魔神はジェームズ子爵が討ったのかしら? これは再戦も楽しみね」
「いえ、それなんですが……ここから先は箝口令が敷かれている内容です」
俺はそう言って一枚のメモを机の上に乗せた。それをフィーナが受け取り、目を通すと……メモは光となって消えた。これは秘密の会話をする時などに使われる王家のアーティファクトで、現在は外務相に任ぜられているバルトフェルド侯爵しか記述できないようになっている。
それを見た後の彼女の感想は、いつもの表情とかけ離れた笑みを零していた。まるで、その到来を望んでいたかのような表情に俺も思わず冷や汗を流す。
「え、えと、団長?」
「ああ、ごめんなさい。王国最強と呼ばれて二年……私に挑もうとする人は減った。人族を祖父上は買いかぶりすぎかと思ったけれど……戦ってみたいわね」
「はぁ、やはりですか……でも、許可は降りませんよ? ガストニア皇帝・皇妃両陛下、皇女殿下の近辺護衛が貴女の仕事なのですから」
「ぐ、解ってるわ。祖父上も面倒な仕事を置いていくなんて……」
フィーナはそう忌々しげに呟くものの、彼女の剣を教えたのは他でもない祖父グラハム。それに彼女は第一騎士団長で名誉騎士爵。伯爵である祖父には逆らえないという事実があった。そんな彼女の葛藤を置き去りにするかのごとく、俺は踵を正した。
「というわけで、これからバルトフェルド外務相と打ち合わせです。プライベートのことを持ち込んだら、今日から毎日徹夜で缶詰です」
「ちょっとグレイズ!? いきなり厳しくない!? もしかして、妹さんのこと根に持ってたりするの!?」
「そんなことありませんよ? 彼女とて部隊長を張れるほどの立派な騎士ですから。そうですね、強いて言うなら……グラハム卿より多少強引に働かせよ、と許可をいただいているだけです」
「御祖父様の薄情者ぉーーーーー!!!」
王国最強なのに、強い人の存在を聞くと年相応の我侭娘。そんな人を上司に持った時点で俺の運命も決まっていたのだろうと溜息を吐きつつ、駄々をこねるフィーナを担いで執務室を後にしたのだった。
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連絡から二週間後。エリクスティアの王城正門前にて、俺は鎧を身に纏って皇帝らの到着を待っている。その横には渋々鎧を着て立っているフィーナの姿があった。
ここ数日は各部署との打ち合わせや護衛などのセッティングと大忙しであった。それだけならばその彼女がここまで渋い表情を露わにすることはないだろう。仕事に関しては手を抜くことなくしっかりとやり遂げる人間だからこそ、俺も信頼している。
彼女がそんな表情をこの場でも見せている原因は、余計な横槍のせいだ。
「団長、間もなく到着なされるとのこと。それまでに機嫌を直してください……気持ちはお察しいたしますが」
「解っているわ。それまではいいでしょう? あんの馬鹿貴族……」
そう、原因はオームフェルト公爵であった。ガストニア皇帝の護衛に王都騎士団から派遣することも含めて決まっていた対応に突然横槍を入れてきたのだ。
彼はオームフェルト公爵家のレーディン領邦騎士団を皇帝らの護衛として就かせ、アルジェント侯爵家の屋敷ではなくオームフェルト公爵家の屋敷にするのが我が国の国賓に対する礼儀だと言い放った。これには流石のフィーナもキレたうえでこう言い放った。
『あら? 以前リスレットの増員を断られた際はイスペインに注視すべきと軍務相よりお伺いしましたが。東方遠征もロクに成功すらしない状態で国賓らに護衛を割く余裕があるのなら、どうして増員を断ったのか……オームフェルト公爵閣下と軍務相のご両名には詳しくお伺いしたいものですが?』
冷たい視線と併せて本気で殺しかねないと思わせるような殺気を放つフィーナに、オームフェルト公爵をはじめとした連中は腰を抜かして立てなくなるほどの状態に陥っていた。それを見た俺は正直『自業自得だ』と評価することしかできなかった。
公爵に『お前副団長だろ、そいつを止めろ!』などと言われたが、俺にフィーナへの命令権はないのでどうにもできない。
『どうにかしたけりゃグラハム卿を連れて来い』って言おうと思ったが、以前オームフェルト絡みの件はどうしたらいいかと聞いたら『孫のせいで死んだら、責任は私が取りますよ。貴方は気にせずに職務を全うしてください』との言葉ですべてを察した。ご愁傷様というやつだ。
そもそも『四聖貴族』と呼ばれるノースリッジ公爵家、ウェスタージュ侯爵家、オームフェルト公爵家、そしてアルジェント侯爵家の四家には序列がない。それでは公爵と侯爵の力の違いがないのではと思われるが、そういうことではない。
ノースリッジ公爵家とオームフェルト公爵家は初代国王の分家として分けられ、以後国王以下王族を守り、敵と戦う貴族として名を挙げ、公爵位を賜っている。
ウェスタージュ侯爵家とアルジェント侯爵家は、建国以降に王国へと併合された国の王族が貴族として降格した形だ。その二家は降格当初伯爵位だったが、勲功を重ねて現在の侯爵位に昇格した。
現状の大臣職は四家が影響力を持っており、その力と功績が積もりに積もって『四聖貴族』などと呼ばれるようになった。
現在の王国の公爵位は王族の親族かその二家だけ。侯爵位はウェスタージュとアルジェント以外にも四家存在するが、二家に匹敵する勲功を挙げられておらず実質的な力は遠く及ばないに等しい。
現状普通の貴族が上り詰められる最高位が『侯爵』であり、それに王家の血筋が加わると『公爵』となる。例えば、現国王には三人娘がいるのだが、その誰か一人でも侯爵家に降嫁した場合は公爵家への昇格要件を満たす形になる。
ただし、現状新しい公爵位への陞爵には国王と王妃に加えて現公爵家のノースリッジ家かオームフェルト家の当主の賛成、それとセルディオス伯爵家の当主の賛成がないとなれない仕組みになっている。これは先代国王の意思が強く反映されている。
実はアルジェント侯爵家なのだが、その昇格要件を満たしていたことがあった。現当主の祖父であるレオンハルト・フォン・アルジェントの時、彼は当時の国王の第一王女を娶ることとなった。だが、その直後に政変が起きて、第一王女は亡くなってしまった。されど、一時的とはいえ昇格要件を満たしていたことと、彼の打ち立てた実績から見ても公爵への昇格は問題なかった。
だが、彼女の死を酷く悲しんだレオンハルトは公爵位への昇格を永久放棄。辺境伯位を襲爵したが本人は一年間リスレットに建てた屋敷での自主謹慎を実行。これには即位した当時の国王も咎めることはしなかった。
レオンハルトはその時に両親と三人の兄を一気に失っていたのだ。しかも、その前年には兄を一人病で亡くしていた。
『父と姉を失った自分も悲しいが、彼はもっと辛いであろう。私も一年間喪に服す。差配については恙無く執り行え。国益を損なうようなことをすれば、誰であろうとも処すると心得よ』
政変の原因は第二王子の暴走だった。そこに騎士団が加担したというやるせない事実まで……そのため、王都を守る騎士団の長は完全な実力主義へと変化したのだ。
即位したての国王の言葉を基にどの国へも攻め入ることなく、当時のガストニア王国と終戦協定を結んだ。その一年後に国王は謁見の儀を執り行った。その席にはレオンハルトもいて、その時に侯爵位への陞爵が行われたそうだ。
その過去のこともあり、アルジェント侯爵家は本来公爵が任命される三職(宰相・外務相・財務相)の一つである外務相に任ぜられ、実質的に公爵と遜色ない影響力を持つに至った。
それに倣ってウェスタージュ侯爵家も先代国王の第三王女、現国王の妹君が現侯爵第一夫人として降嫁された際、政変の再発を避けるべく公爵への昇格を永久放棄。先代国王はその意思を汲み取り、本来公爵位にしか許されない財務相の職を任じた。
よって、この二つの侯爵家はあくまでも公爵への昇格を放棄しただけで、ノースリッジとオームフェルトの公爵家と家柄自体や影響力は『ただ表面上の肩書きだけが違う』だけでしかないのだ。
現状、それを納得しているノースリッジ派と、納得できないオームフェルト派に公爵位を持つ面々は二分しているような状況だ。このことは国王陛下も無論承知している。
その辺は政治の話ゆえ、子爵家の次男かつ騎士である俺にはあまり縁がない話なのかもしれないが。
すると、伝令の兵士が走ってきて、俺らの前に片膝をつく。
「報告いたします。ガストニア皇帝・皇妃両陛下、ならびに第一皇女殿下を乗せた馬車は王都に到着。ジェームズ子爵閣下らの護衛も無事に到着いたしました」
「ご苦労。下がりなさい」
「はっ!」
気が付くといつもの冷たい表情に戻っていたフィーナを横目で見やりつつ、俺も踵をただした。外国の国賓に恥ずかしい真似はご法度ゆえ、改めて気を引き締めた。国を脅かすのではなく、国を護る……そう心に誓い直して。