第12話 今日の天気は、黄昏のち魔神
リスレットに来てから三か月と少しが過ぎた。シュトレオンはヴィッセル砦で鍛錬に励んでいた……ヴィッセル砦はエリクスティア王国とガストニア皇国の国境沿いに建てられており、石造りの砦というよりは要塞に近い。
ここで剣術を学ぶためにあれこれと努力していたのだが、今は食堂で一人出されたジュースを飲みつつ、黄昏ていた。すると、一人の男性が俺の前に軽食を差し出してくれた。
「おやおや。まだまだ若いのに溜息とは、苦労人の英雄だね」
「そんな称号いらないですよ、リックさん。まさか、こうなるだなんて予想できませんよ……」
リックはここの砦のコックをしている竜人族の男性。亜人族としていることは知っていたが、目にする機会が少ないので『架空の生き物』とすら囁かれてるほどだ。彼曰く隣国のガストニア皇国は竜人族をはじめとした亜人族の国であるとのこと。
で、シュトレオンが鍛錬をせずに一人黄昏ているのには理由があった。それは、三か月前……シュトレオンはここを守っている領邦騎士団長に会うため、兵士にその場所を聞いた上で目的地である修練場に来ていた。すると、有無を言わさずに飛んできた魔法を、身体強化した右手で空に弾き飛ばした。
『む? ……ほう、私の魔法を弾くとはいい腕をしているようだな。丁度いい、まとめて相手してもらおうか』
『おい、坊主。悪いことは言わねえからとっとと帰ったほうがいい。悪影響が出ちまうからな』
『そうやって未来の可能性を摘むのは其方の悪い癖だな』
『話が違うわ! 第一誰かも解らずに魔法撃ちやがっただろうが! 怪我なんてさせたらどうする!?』
一組の男女の言い争いを見ているうち、面倒になって初級の雷撃魔法を撃ち込み、二人は仲良く地面に倒れこんだ。そして、2人の静止役として嫌そうな表情でやってきたヴェイグは、止めるべき相手が気絶していることと、目のハイライトが死んでいる状態のシュトレオンを見て、事情を察した。
ただ、その後が大変だった。
『さあ、シュトレオン君。感じさせてくれたまえ、君の愛のベーゼを!!』
『お前みたいな脳筋女に構わせたら俺が子爵閣下に殺される! 俺がしっかり責任を持とう』
『失敬な、私はこれでも20歳の未婚だ。貴族の心得もある』
『そういうことじゃねえよ!! グレイズの奴がホント不憫でならねえ…』
女性の騎士はエリクスティア辺境騎士団南方方面部隊長リリエル・フォン・カイエルといい、ハーフエルフで王都騎士団に異母兄妹の兄がいるらしい。一方、男性の騎士はセラミーエ領邦騎士団副団長ライドウ・フォン・レーヴィスといい、ガエリオ男爵の兄にあたるが爵位は騎士爵に止まっている。
シュトレオンと模擬戦をしようと突撃してくるリリエル、それを咎めるライドウ、それを回収することになるヴェイグという図式がたった3日で出来上がってしまい、確かに剣術の腕は上がったが、それ以上に基本身体能力ばかり上がる始末だ。しかも、時には全力の身体強化も使ってくるから侮れない。
「剣術学びに来たはずなのに、斥候の方面でステータスとスキル伸びるって予想できませんよ」
「はは、それもそうだよね」
シュトレオンとリックの出会いもそれに端を発したものだ。彼と出会ったときは取り付く島もなかったのだが、ほぼ毎日の付き合いで打ち解けていった。月に一度実家に帰ることは転移魔法で済ませている。何だかんだ俺も順応しているのだろう……納得いかないけれど。
「それじゃ、気分転換に外に出てきます」
「ああ、気をつけてね」
シュトレオンはリックとそう言葉を交わすと、砦の外に出た。ここから北は険しい山脈が連なっていて、南部にも比較的険しい山々が連なる。砦の立地は南北の山脈の切れ目に存在している。ここから数キロメートル歩くとガストニア皇国の領内に入る。
流石にそっちまで行く余力は現状ないので景色を眺めているだけだったのだが、ここでシュトレオンは弱弱しい呼吸音が聞こえることに気付き、そちらに歩を進めた。
すると、砦からはちょうど死角となっている窪みに倒れこんでいる女性の姿を見つけた。彼女の腕に抱かれる形で幼い少女の姿があり、こちらはまだ健康そうであったため、俺は母親らしき人物に回復魔法を躊躇わずに掛ける。そのまま彼女の腕を掴むと医務室に転移した。
医務室にはヴェイグがいた。第三騎士団は職務の特性上、回復・治療魔法の習得を必須としている。そのあたりの魔法も使えたことが彼の不幸だったのかもしれない。なので、治療師が不在時の代理をしている。
いきなり姿を見せたシュトレオンと意識を失っている二人に驚きつつも、簡単に経緯を説明した上で、ヴェイグの協力を借りて二人をベッドに寝かせた。
「レオン!? って、彼女らはいったい」
「ちょっと気分転換に外行ったら、彼女らが倒れていたんです。回復はさせてるから大丈夫だと思うけれど……」
そう、ここでシュトレオンとヴェイグは気付いた。その女性と少女の関係は不明だが、その二人も竜人族なのだ。しかも、少女のほうはどことなくリックの面影を感じる。だが、このことは秘匿すべきだ、と意見は一致した。
だが、運命というのは本当に気紛れだと思う。
リックがヴェイグの食事を持って医務室にやってきたのだ。彼は眠っている二人の姿を見て持っていたトレーの力が抜けたため、それをシュトレオンが慌てて支えた。リックが落ち着いてから、俺らは彼に問いかけた。すると、リックは辛そうな表情でこう切り出した。
「……まず、詫びなければいけない。私はガストニア皇国の現皇帝、ブレックス・ティーヌ・リクセンベールという。そこに眠っているのは、私の妻と娘だ」
「皇帝って……兄様、ガストニアのことはご存知ですか?」
「俺が聞いた限りだと、皇帝が病で倒れて意識不明と聞いていたんだが……精神体や幽霊というわけでもないし、本物だろう」
ガストニア皇国の皇族は滅多にその姿を見せることはなく、基本的な差配は皇族の指名を受けた大公が取り仕切っているとのこと。
今から五か月前、リック改めブレックスは謎の襲撃を受けた。彼の特異体質により毒は無効化されたが、また命を狙うものが現れないと限らない。そして、その黒幕も暴く必要がある。
そのため、彼は竜人族や竜のみが使える竜魔法によって分身を生み出し、床に臥せたと偽りのお触れを出した。
「でも、他の皇族にはばれる可能性が……」
「妻と子供たちには無論伏せた上でな。だが、二人がここまできたということは……」
「兄様」
「ああ、直にお触れを出す。団長たちや子爵閣下にも無論連絡する」
ヴェイグはそう言って、急いで医務室を飛び出していく。シュトレオンはブレックスに一つ確認したいことを尋ねた。それは、彼の子どもが今回の首謀者として関わっている可能性の有無だ。
「リックさん、いえ陛下。もし仮にご子息が今回の件に関わっているとしたら、いかなる処罰を行うつもりですか? エリクスティアに踏み込んだ時点で、この国の法で裁かねばなりませんから」
「……今の私は権力も持たない無力な存在です。シュトレオン君、恥を忍んで君にお願いをしたい。5歳の少年に頼むべきことではないかもしれないが……せめて、息子がこれ以上の愚行を起こさないよう、けじめをつけていただきたい」
その言葉を言い終わった直後に響く振動。これは間違いなく、戦闘が始まった合図なのだろう。この砦に駐屯する騎士団が出撃していき、勇ましい声が砦中に響く。
彼らの実力ならば守り切れる公算は高いだろう。だが、創造神であるアリアーテ様が態々時期まで忠告したのだ。間違いなく、彼らは何かしらの切り札を持っている可能性がある。シュトレオンも立ち上がっていこうとしたとき、ブレックスに呼び止められた。
「これを持っていくといい」
「これは……」
「僕の祖父がレオンハルト殿から預かったものだ。今まで誰も抜き放った者がいない武器。それと、ちょっとしたおまじない程度だけれど、受け取ってほしい」
ブレックスはシュトレオンに黒を基調とした装飾の剣……いや、転生前の世界でいう『太刀』を手渡した。そして彼は意識を集中させて何かの呪文を唱えると、俺の意識は真っ白に染まる。そして数秒たった頃に再び視界が開けると、その目線の高さが高いような違和感を覚える。
「え? 誰?」
ふと横にある鏡を見やると、そこには先ほどの5歳の姿ではなく、一回りほど成長したようなシュトレオンの姿がそこにあった。筋肉もしっかりついており、いわゆるイケメンフェイスがそこにあった。寧ろこいつ誰だ? みたいな心境だった。
服装は鎧になっているが、特に動きを阻害されないつくりになっていて、寧ろ動きやすい服を着ているときと差異がないように思える。そんな様子にブレックスは笑みをこぼした。
「ふふ、これは将来女性たちを惹きつけて止まない魔性の男になりそうだね」
「勘弁してください……万が一の場合は、リスレットに逃げてください」
「ああ、わかっているよ。君に竜神の加護があらんことを」
ここ数か月で砦内部の構造は把握しているので、最短距離で砦の屋上に辿り着く。そこから『世界地勢』で現在の状況を確認する。
戦況的にエリクスティアの優勢は変わらず。ガストニアの軍勢は完全に指揮系統が崩壊している。だが、後方にはグランディア帝国の軍勢が迫っている。その数25万。
帝国の総大将は解らないが、ガストニアの総大将であるゲルバルト第一皇子が健在……だったのだが、突然周囲の空気が一変する。この力の感覚はあの白い空間にいた神々と似て異なるもの。するとアリアーテ様から緊急の通信が入った。
≪中々イケメンになったとからかいたいが、そうもいかなくなってしもうた。拙い事態じゃ。あの皇子、魔神を復活させおった≫
「え、それって……」
≪心配はない。お主が先ほど貰った武器なら、魔神を倒せる可能性がある≫
聞けば、俺が先ほどブレックスから受け取った武器は神器の一つであり、それを抜く条件というのは『創造神の加護を有すること』であったと説明する。
≪説明はあとじゃ。まずはそいつを抜き放ってくれ≫
「……まぁ、わかりましたよ、っと!!」
するとシュトレオンの周囲が真っ白な空間へとなった。そこには自分とアリアーテと、厳つい顔つきとジェームズ並にがっしりとした筋肉を持つ人物が腕を組んで立っていた。
「えと、ひょっとして……」
「レオンハルト・フォン・アルジェント。お前の曽祖父であり……転生前のお前の祖父だ。久しいな、篤志」
そう、転生前の俺―――杉山篤志にとっては祖父であり、今の俺―――シュトレオン・フォン・アルジェントにとっては曽祖父の人物がそこにいた。レオンハルトは静かに近づくと、シュトレオンの頭に手を置いた。
「まったく、揃いも揃ってこの世界に飛ばされ、挙句の果てに身内とは……アンタの差し金と思いたくなるぞ」
≪ホッホッホ、それを言うなら地球の創造神の仕業になるかの≫
「やれやれ……のんびり話したいが、そうもいかない。篤志…いや、シュトレオン。お前に俺が身に着けてきた剣術の全てとその太刀の使い方を伝える。俺には魔法の才がなくて封印どまりだったが、魔法の才に溢れたお前ならいけるはずだ」
そう言って、シュトレオンの脳裏には数多の剣術の知識と技術、そして手に持っている武器の使い方を流し込まれた。さすがに膨大なので少し酔ったような感覚に陥る。これにはレオンハルトだけでなくアリアーテも苦笑を浮かべていた。
「うう、気持ち悪い……」
「普通なら意識がぶっ飛ぶんだがな。シュトレオン……お前はまだまだ若い。自分の好きなように生きるのも、人生だぞ? これは人生の先輩としてのありがたいお言葉だ」
「はい、解ってます」
≪では、下界に戻すぞい。頼んだぞ、シュトレオン君≫
そう言って、シュトレオンの視界は再び白く染まった。目を開けた時に飛び込んできたのは、いつの間にか草原に立っていたことと、目の前に悪魔よりも悍ましい容姿と不気味な黒いオーラを放っている生き物とは呼べないような何かであった。何故かその化け物の片腕が地面に落ちていたが。
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俺ことヴェイグ・フォン・アルジェントは辺境騎士団の兵士として戦闘に参加していた。敵兵は少なく、このまま押し切れるかと思っていた。だが、そこに姿を見せたのは皇族と思しき人物。その彼は酔いしれたような表情でこう言い放った。
「僕は新生ガストニアの栄えある皇帝、ゲルバルト・ティーヌ・リクセンベール。竜の血を持ちし我に歯向かおうなど無駄ということを示してやろう!」
そう言って彼は一本の剣を抜き放った。漏れ出しているオーラからしてもヤバい代物の魔剣だということはそこまで知識のない俺から見ても明らかだった。
だが、その魔剣は突如不気味な光を放ち、ゲルバルト皇子と名乗った人物を忽ち飲み込んだ。空模様もそれに呼応するかのごとく暗雲が立ち込め、稲光が走る。
そして黒い澱みは大きくなりつつも次第に人のような形を成し、その澱みが晴れると姿を見せたのは体長5メートルほどの頑丈な肉体に覆われた化け物。悪魔の翼を8枚持ったその存在は突然背後を振り返った。
『喜べ、我の贄になるのだからな』
そう言って腕を振るうと、遠くで突如火の柱が立ち上る。それが収まると、その存在を覆うオーラはより一層邪悪さを増している。
逃げたくても動けない……これはもう、ただ死を待つことしかできないのだと。団長らでも何とか剣を構えるので精一杯。そんな中、その化け物は突然俺の目の前に近づき、俺の首を締め上げた。
「ぐっ、がっ、ああああ……っ!?」
『我を封じた忌々しいアルジェントの血。今、ここで滅してやろう』
恐怖に支配されてしまったのか、体が動かない。これはもう駄目だと、俺は覚悟を決めた。もう少し、親孝行しておけばよかったかなと……瞼を閉じた。
『ガアアアアアアッ!?』
すると、突然何かの衝撃で首の苦しみが取れ、宙に浮かんでいたはずの俺の体は、地面に座っている感覚を確かに認識した。俺は恐る恐る瞼を開けると、目の前にいたのはなびく青みがかった銀の髪を持ち、漆黒の鎧を身にまとった少年の姿。俺は最初その人物を認識できなかったが、次第に感じ取れる魔力の感じに覚えがあることを知る。
「お前、レ、レオンなのか?」
その問いかけに、少年は顔だけ振り向いて笑みを零した。おそらく魔法か何かで成長した姿になっているのだろう。そういう魔法があることを妹から聞いたことがある。
この状況を打破できるのは、目の前にいる人物だけだと、俺は感じた。だからこう言い放った。
「頼む、皆を……守ってくれ……レオン!!」
自分よりも年下の弟に頼るとは本当に情けない限りだ。だから彼ができないことは、俺が力の限りフォローしてやろうと思う。それが、兄たるものの務めだと思うから。