第92話 貴族同士の争いによる特需事情
ナスタニア準男爵領。新南東部リクセンベール領の南側と接しており、宝石をはじめとした豊かな鉱山資源は旧南東部の台所事情を支えていた。
そんな場所に何故準男爵領があるのかというと、元々ここら一帯は不毛の土地として厄介払いされた土地柄であった。
ナスタニア準男爵家は元々東部の騎士団に所属していた平民だが、武功を立てたことでオームフェルト家から煙たがれた結果、今の領地に移住した。鉱山資源の発見によって貴族として認められ、旧南東部のフューレンベルク辺境伯家から嫁が送られたまでは良かったものの、フューレンベルク辺境伯家は当主の両親を人質に取った挙句、産出する宝石を原価で売り捌く羽目となった。
「はぁ……また、この手紙か」
現当主のジョーリッジ・フォン・ナスタニア準男爵は自身でも“凡庸”と評しているが、彼の弟や妹は皆非凡とも言うべき才覚で活躍している。そもそも凡庸な人間に貴族の当主など務まるはずなど無いのだが……その彼は受け取った手紙の中身を見て溜息を吐いていた。
すると、執務室の扉をノックする音が鳴り響いたので入室を促すと、入ってきたのはジョーリッジの妻であるファリス・フォン・ナスタニアであった。
「あなた、またうちのクソッタレな実家からの手紙ですか?」
「はは、正解だ。もう果たす義理はないというのに、リクセンベール伯爵家を裏切ってフューレンベルク家の栄光に手を貸せとな……正直、芋焼の火種にしてやろうかと思ったが、芋が可哀想だ」
「そうですね。折角の甘い芋が苦くなりそうです」
シュトレオン・フォン・リクセンベール伯爵(当時は子爵)の大捕り物によって、フューレンベルク辺境伯家に軟禁されていたジョーリッジの両親は解放された。脅迫めいたことはしていないという辺境伯家に対し、ニコル・フォン・ウェスタージュ・レター財務相が直接フューレンベルク家の屋敷に乗り込んで、屋敷を守っていた兵士を全員倒した上で辺境伯に剣を突き付けたらしい。
『フューレンベルク。僕はですね、国の財務を与る者として国の法を守れない人間に生きてもらう価値など無いのですよ。もしリクセンベール伯に脅しを掛けようものなら、その時は僕自ら貴方を殺してフューレンベルク辺境伯家に歴史からご退場願いますので』
結局、フューレンベルク辺境伯家は辛うじて残ったが、新南東部の成立を認めずに度々侵攻しているらしい。尤も、その新南東部には後ろ盾としてバーナディオス先王がいて、自ら剣を振るっていると聞き及んでいる。
そこまで大規模の動員にはなっていないということで王宮も黙っているが、王国に弓を引く行為を黙っているということは何かしらの動きを待っているとみていいのだろう。もしくは、あの先王陛下のストレス解消の矛先としての“生贄”なのかもしれない。
「今更問うことではないが、ファリスは良かったのか?」
「実家は面白みがありませんもの。こんな田舎でも貴方がいてくれるから退屈しませんのよ」
「そうか。これだけはフューレンベルクに感謝はしてやるさ。彼らに頭を下げる気などないが」
その関係性が特殊過ぎるということは……それを目の当たりにしたジョーリッジの弟とリクセンベール家当主しか知らない事実だということは、ここだけの話であった。
◆ ◆ ◆
フューレンベルク辺境伯側から度重なる侵攻を受け、それを難なく撃退するリクセンベール伯爵の騎士団。この事実を周囲の人間から見た時、各々の視点によって大きく異なってくる。
レンベルクで小さな薬屋を営んでいたガルベスターは、一家が襲われたこともあってシュトヴェールに出来た新商会の薬品類の販売に携わることになった。魔族が取り仕切っていいのかと疑問に思った彼だが、シュトレオン・フォン・リクセンベール伯爵の鶴の一声で決まったため、彼は思わず目を白黒させていた。
妻や娘が商会のカウンターで切り盛りしており、今日も今日とて冒険者向けのポーション作りに精を出していた彼は、様子を見ようと店の方に顔を出すと、そこにはかつてレンベルクで知り合った冒険者たちがいた。
「ガルベスターの旦那、お久しぶりです!」
「お前たち、北部に行ったというのにわざわざ戻って来たのか? こっちは今大変だというのに」
レンベルクの冒険者たち全てが魔族を嫌っているという訳ではなかった。リクセンベール伯爵家が治める前はフューレンベルク辺境伯家の代官の圧力と闇ギルドの暗殺を恐れて魔族を嫌うように振舞うしかできなかったのだ。
それでも我慢できない冒険者たちは他の地域に移ったが、ガルベスターが作る薬品類に大変世話になった者が多い。彼らのパーティーは北部で実績を重ねていたが、新南東部の噂を聞いて出戻ってきた形だ。
「忙しいと聞いたからこそですよ。旦那が倒れたと聞いたときは驚きましたよ」
「あの時は私も不覚を取ったからな」
ケルサロートの習性を熟知していたからこそ……いや、その慢心があったためにガルベスターは倒れてしまった。妻や娘でも助けられなかった自分を救ったのは、かのレオンハルト・フォン・アルジェントの孫であった。
「にしても旦那、この街の噂を王都でも聞いたのですが」
「噂? この街だと色々な噂が流れるからな。どんな内容だ?」
リクセンベール領の領都として日は浅いが、摩訶不思議な噂が混在する。
曰く『一夜にして城壁が複数増えた』とか、『近くに出現したダンジョンをSSS級討伐経験のあるS級冒険者が一日で踏破した』とか、『町の南に突如大きな湖が出来て、釣りスポットになっている』とか……歴史が浅いのに加速的に増えていく噂話ばかりで、ガルベスターは「逆に飽きないな」と呆れてしまうほどだった。
ガルベスターの問いかけに、一人の冒険者の男性が答えた。
「なんでも、ここら辺の街の所有権はフューレンベルク辺境伯家にあり、リクセンベール伯爵家を唆したアルジェント辺境侯家が黒幕だ、と王都で喚いていた連中がいましてね。そいつらは直ぐにお縄になったのですが……レンベルクでも、そんなことを言いふらしている奴らがいたんですよ」
その言葉にガルベスターは深い溜息を吐いた。何せ、彼は被害者として一連の流れをリクセンベール伯爵とかつての上司であるアザゼルから聞いていた。
新南東部に該当する領地は旧南東部が開発できないと放棄された部分を王宮が直轄地としたものの、オームフェルト公爵家がしゃしゃり出て代官を出すことで実効的な支配をしていた。その実態は金食い虫にも等しい有様で、しかも闇ギルドまで関与していたために財務庁のトップまで駆り出される事態となった。
ちなみに、レンベルクで同様の噂を流した輩も事実に無い噂の流布という容疑で捕らえられ、内密に処刑されたらしい。
『―――オームフェルト? フューレンベルク? ハッ、シュトレオン君のように開拓できる才能すら持たない連中に彼の正当性と異質さなんて推し量れませんよ。しかも、オームフェルトの阿呆に至っては本来そういった交渉事で持ち出してはいけない公文書まで持ち出した以上、取り潰さないだけマシだと思え、あのファッキンオークめ』
曲がりなりにも公爵と同等の爵位である辺境侯家の当主が言っていい台詞ではないが、彼が毒舌を吐くときは相手が悪い行いをしたと判断した時にしか出さない。先代国王はもとより、現国王も彼の言い方を一切咎めることはしない。寧ろ財務相が毒を吐くことで宰相はお小言を言うだけで済むという役割分担が出来ているからこそ、エリクスティア王国は安泰な時世を得られた。
その代償としてアルジェント辺境侯家が割を食っている形ではあるが。
「悪辣な噂もあったものだな。この街には時折フューレンベルクの襲撃があるが、今や特需のようなものになっている」
「他の貴族の軍の襲撃が特需ってどういうことですか?」
「それが普通の反応だと思う。まあ、リハビリの一環で俺も時折剣を振るうがな」
ガルベスターは先代魔王の下でかつて“四天王”と呼ばれるほどの実力を有していた。比較対象で言えば、ノースリッジ家と長いこと争っていたネルガイヤー将軍ですら赤子の如くひねりつぶしてしまう実力を有する。
長いこと剣を置いていたことと、シュトレオンに助けられたことを痛感し、再び四天王としての勘を取り戻すために冒険者としての依頼を受けている。
「はっはっは、どうした若造共! シュトヴェールは目と鼻の先だぞ! この儂すら超えられぬとは笑止千万!」
「仕方がありません、バーニィ殿。彼らは魔物と戦わぬからこそ、本気の命のやり取りに慣れておりませぬので」
先代国王のバーナディオス・セルデ・エリクスティア。その執事で史上最高ランクの冒険者であるセバス。この二人とガルベスターだけでもヤバいのに、王国最強クラスの実力を有するフィーナ・フォン・セルディオス辺境騎士団長、シュトレオンの親衛騎士も一線級の実力を有していて、極めつけはシュトレオンの兄であるヴェイグ・フォン・シャロリーゼル伯爵。
本人曰く「弟には負けるがな」とは言いつつも、得物の大剣を軽々振り回して戦場のあちこちに地震を起こし、敵兵を亀裂で開いた裂き目に叩き落していく。その彼の噂を聞いたガストニアの大公が「わしの弟子にしてやろう!」という一声でヴェイグの魔改造計画がスタートしたのは別のお話。
普通なら貴族同士の争いに冒険者が介入することなど無いのだが、襲撃で死んだりして遺品が残ると騎士団だけでは手が回らない為、その回収や騎士団への炊き出しを行っている有志の食材調達など、雑用部分の依頼を冒険者に回している。
危険が伴うことなので色目が付いた依頼ということもあり、新南東部だけでなく南部出身の冒険者も稼ぎに来ているだけでなく、旧南東部や東部の冒険者でフューレンベルクやオームフェルトの息が掛かっていない者たちが流れ込んできている。
「そっちの連中もですか。危険じゃありませんか?」
「間者の危険性のことか? そういう奴らは専ら最前線で発生した遺品回収に回されるからな」
仮にくすねたとしても、旧南東部や東部のものを奪ったにすぎない為、新南東部からすれば何の損益にもならない。言い換えれば東部や旧南東部の者同士の奪い合いに過ぎないので、それに関して新南東部は一切関与しない姿勢としている。
「そういうお前らもひと稼ぎに来たのだろう?」
「ハハハ……まあ、冒険者の性って奴ですよ」
本来ならば、王宮が止めた時点で争いを止めるのが慣習なのだが、それでもひっきりなしに襲い来る連中。その執念だけは見上げたものだ、とガルベスターは内心で呟いた。
結局、その襲撃は堪忍袋の緒が切れた挙句、バルトフェルドを無理矢理説得してオームフェルト公爵家とフューレンベルク辺境伯家に乗り込んだニコル財務相の最後通告が出される3ヶ月後まで続いたのだった。
◆ ◆ ◆
年が変わり、初めてリクセンベール領で過ごす正月。ガストニア皇国の伝統を引き継ぐという意味で正月の料理が出されるのだが、前世のシュトレオンならば馴染みのある日本の正月に出てくる御節料理と雑煮、餅料理にアリーシャとメルセリカが舌つづみを打っていた。
「シア、お疲れ様」
「レオン君のお陰だよ。それにしても、よく知ってたね?」
「そういう知識だけはあったからね」
適当に誤魔化したが、単に前世では母親の手伝いとして駆り出されることが多かっただけだ。本来なら正月だからとグータラしている妹も手伝うべき案件だが、妹に甘い母親なので何も言い返せなかった。
「それで……正月早々にフューレンベルク家から手紙か……馬鹿じゃないのか?」
シュトレオンが呆れたのは、その手紙の内容だった。
なんでも、近年の不作で食糧不足に陥り、幾許かの援助を頼みたいというものだった。あれだけ軍を動かしておいて攻めた側が何を言っているのかと思うし、人手不足も単にフューレンベルク側の問題でしかない。
フューレンベルク辺境伯家に繋がる近しい血縁者は家臣や寄り子を入れると三人いるが、彼らの意見をまとめると『既に縁を切った実家に遠慮はいりませんので、どうぞご自由に裁定なさってください』とのことだ。寧ろ、かの家の元寄り子の貴族たちは『フューレンベルク? あんな奴らに食わせる麦などありません』とかなり辛辣な意見が飛んだ。この辺は散々痛めつけられた反動なのだろうと思う。
「前に王宮の仲裁という形で食糧援助したんだぞ? 連中はうちらや俺の実家をただで食糧をくれる優しい奴らだと思ってるのか?」
「父上も溜息を吐いておりましたから。ウェスタージュ財務相をこれ以上怒らせたら、次はオームフェルト公爵の首が飛びますよ」
早急に転移魔法でバルトフェルドとハリエット宰相、ニコル財務相に相談したところ、揃って『何を言っているのか分かっているのか?』という答えが返ってきた。
襲撃を止める見返りとして未開発地や耕作放棄された土地の再開発費を国の監視で“貸し付けた”わけだが、その使用用途が“防衛戦力の充実”という名目で装備類を買い漁っているのがアスカからの報告で上がってきた。これで食糧なんて送ればまた襲撃するのが目に見えている。
「……めでたい正月に面倒事とか、本当に勘弁してほしいよ。その件で、とうとうレクトール陛下がオームフェルト公爵とフューレンベルク辺境伯を呼び出すそうだ。代理なんか出せば、その時点で王国に対する叛意ありという形で罰するらしい」
ただ、王国としても東部の領地などいらない為、そこで勢力拡大を狙っていたパルメイス辺境伯家に白羽の矢を立てた。
旧南東部に該当するフューレンベルク辺境伯領の内、耕作放棄された場所が多い西半分がリクセンベール領に編入され、現行の約4割の領地に落とされた上でフューレンベルク辺境伯家は子爵家に格下げとなる。その主な理由は新南東部への度重なる身勝手な侵攻だ。
フューレンベルク家お抱えの騎士団も解体されることとなり、人格・能力に問題がないものは新南東部の騎士団に編入され、それ以外はチェリ大公国との最前線に容赦なく送られることが決定した。
「クロードは良かったのか?」
「僕にどうこう言える事じゃないし、既に捨てられた身だからね。僕自身、あんなひ弱な父親と別れられてせいせいしてるよ」
「……辛辣に言うのな」
「僕なんてまだ優しい方だよ。ファリス姉さんなら『ケツの穴が小さいあのボンクラには当然の報いです』って言ってるだろうし」
オームフェルト公爵領もパルメイス辺境伯領と国境を接する北西部が割譲され、過去14度にわたって行われた東方遠征の遺族に対する賠償金を20年分割で支払うように命じた。当然オームフェルト公爵は抗議したが、レクトール国王はこう述べた。
『我が国において最大の功労者であるアルジェント辺境侯家を敵視するというのならば、初代国王から続く公爵家とはいえ断絶させることも考慮せねばなるまい。今の其方らの振る舞いは武家の名に恥じると気付くがいい、愚か者共が』
先王のバーナディオスですら踏み切ろうとしなかったオームフェルト公爵家の断絶にレクトールは言及した。その最大の理由はシュトレオンに関することであり、アリーシャとの婚約の一件で現国王の一族と繋がりのあるヘンケンブルク公爵家が危うく断絶しかかったのだ。
その場合は当事者のシュトレオンからの取り成しで回避できたが、オームフェルトの場合はアルジェント辺境侯家だけでなくウェスタージュ辺境侯家、更にはノースリッジ公爵家も不快を露わにしている。グランディア帝国が混乱しているからこそ、まだ穏便に済んでいるというのもある。
結局、オームフェルト公爵家は大人しくその裁定案を呑まざるを得ず、パルメイス辺境伯家が躍進し、リクセンベール伯爵家はシュトレオンが王立高等学院に入学するのと同じくして南東部の守りを担う辺境伯家に陞爵となるのだった。