閑話 エリクスティア王国宰相の気苦労
私の名前はハリエット・フォン・ノースリッジ・コーレック。ノースリッジ公爵家の当主である。私自身は四男の立場であり、3人の兄はいずれも職に就いている。私は元々家を継ぐ立場ではないため、王宮の文官でも目指して平穏に過ごそうと考えていた。
だが、兄たちは意見をそろえていたらしく、ある日父に呼ばれた私を待っていたのは、無慈悲な宣告だった。
「次のノースリッジ家の当主はハリエット以外にいない。それが3人の答えだそうだ」
「……はい?」
元々、次期国王として最有力だったバーナディオスと王立高等学院の同級生だったことも起因しているが、それ以上に宰相としての政治・経済・法律などに詳しいとなれば、物覚えの良かった私が望ましいと当時の宰相である父はそう断言した。
「それに、第26代の失政のこともある。お前にとっての祖父―――私の父は、王を諌められなかったことを悔やんで自ら命を絶った。お前は、バーナディオス殿下から本音を語り合える相手だと認められたそうだな。ならば、そのほうがよいと判断した」
兄たちは武に長けていたため、コーレック領邦騎士団の幹部になっていた。長兄は騎士団長、次兄は副官、3人目の兄は参謀という塩梅だ。何か優遇はしたほうがいいのかと聞くと、揃って「環境さえ整えてくれれば文句はない」の一点張りだった。
兄たちがこぞって欲がなかったために、要らぬ貧乏くじを引かされた気分とはこのことだろう。
「ハリエットも災難ですね。単なる文官で終わるはずが、気付けば次期宰相ですか」
「お前がそれを言うのか、ニコル……」
私にそう話しかけたのは、ニコル・フォン・ウェスタージュ。ウェスタージュ侯爵家の息子だが、とても継承にかかわるような人間ではなかった。
だが、父親や兄たちの度重なる浪費と借金にニコルの祖父母が悩んでいたことを知り、加えてニコルが結婚しようとしていた相手に横槍を入れようとしたため、身内殺しの誹りを覚悟の上で内部告発を起こし、父親と4人の兄を自らの手で処断、補助金の横領に関わった貴族の当主だけを全員教会送りという形で追放した。家族は平民に落としたうえで、再起の機会を与える意味で未開発地に送り出したのだ。
身内殺しに関しては国費の横領という罪があるために強く言われることはなく、寧ろ善政を敷いていたニコルの祖父の評判もあって、当事者のニコルがそのままスライドしてウェスタージュ家当主となった。財務相の椅子も継ぐことになり、さっそく東方遠征に関して厳しい目を向けている。
ウェスタージュ家の借金は国としても無視できるものではなく、已む無く補助金の投入で凌ぐことにした。この約20年後にその借金が全部チャラになるというということなど、私もニコルも露にも思っていなかっただろう。
「そうそう、バルトフェルドが今度結婚式をやるそうで。レナリアにエリス、それにミレーヌと高等学院の綺麗所を全てかっさらったようです。レグナスの豚野郎は大層ご立腹でしたね」
「そう笑い話にしないほうがいい。まあ、ミレーヌにプロポーズしようとして、緊張のあまり殺気を出して気絶させたのはお笑いものだったが」
バルトフェルド・フォン・アルジェント・セラミーエ侯爵。私とニコルの同級生であり、学院卒業後すぐに若くして侯爵位を継いだ。その理由は親馬鹿だった先代当主がバルトフェルドにとっての妹を亡くしたため、領地運営がまともに機能しなくなっていたのだ。
レグナスというのは、レグナス・フォン・オームフェルト。オームフェルト公爵家の次期当主であり、認めたくはないが、私やニコル、バーニィやバルトフェルドと同級生にあたる。武家の出身でありながらまともに動けるような体型ではなく、4人の中で実力の弱い私ですら勝ててしまう相手だ。
これで武の名門というのが聞いて呆れる、というニコルの言葉に同意したくなるのは無理ないかもしれない。
それから時は経ち、英雄レオンハルト・フォン・アルジェントが亡くなって3ヶ月後、子に恵まれなかったバルトフェルドの第三夫人であるミレーヌが男子を生み、バルトフェルドはその子に獅子の名を与えた。
シュトレオン・フォン・アルジェント。奇しくも私と同じ四男で、私の娘であるメルセリカやバーナディオスの娘であるアリーシャ殿下と同い年。彼と一日違いで生まれた三男のライディースも無論その誕生を自分のことのように喜んだ。
その5年後、シュトレオン君は魔神討伐というレオンハルトでも成し得なかった偉業を達成する。だが、私にはそれよりも先に片付ける事項が発生していた。
この事柄の直前に、自分の長女であるコレットがアルジェント家で向こうの長男に婚前交渉紛いともいえる行動をとった。ジークフリード君の私室に下着姿で突撃したというのだ。
呼び出して事情を聞くと、コレットはこう説明した。
「ジーク君ってば、お手製の料理を食べさせたり、一緒に買い物に行っても一線を引いたままだったんです。それをエリザベートに相談したら、『回りくどいことなんてしたら絶対に気づかないから、ストレートに行くべき』って聞いたので……申し訳ありませんでした、お父様」
私は怒るどころか、むしろ笑ってしまった。バルトフェルドも結構な朴念仁で、その気質が綺麗に息子たちにも継がれていたことにだ。何せ、彼の次兄のヴェイグ君もティファーヌ殿下の猛アタックで、已む無く受け入れた経緯がある。
この頃、オームフェルト公爵家から縁談がしつこく送られてきたが、断る理由をどうしたものか悩んでいた。娘のとった行動は諌めるべきものだが、私にとってはこれも好機と考え、利用させてもらうことにした。幸い、ジークフリード君も娘に対して好意があると知っていたから。
表向きは貴族らしい打算で、実際には相思相愛の恋愛結婚。私も気が合った女性を妻にしたので、娘にも幸せになってほしいという気持ちがあった。とはいえ、そんな嬉しさを隠しつつ、私は真剣な表情でコレットを窘めた。
「コレット、いかなる事情があるとはいえ、婚前交渉は恥ずべきもの。これは理解しているな?」
「はい……」
「お前には、罰としてアルジェント家の嫡子に嫁いでもらう。そして、孫が生まれたら実家へ顔見せに来ること。これが私からお前に与える罰だ」
それは罰なのですか? とコレットは盛大に首をかしげている。
だが、これでいいのだ。コレットが嫁ぐことによってノースリッジ家とアルジェント家は縁戚関係となる。そして、アルジェント家は先日の戦闘でガストニア・グランディア連合軍を打ち破った。東の連中に横槍を入れさせぬことと、バルトフェルドに嫁入りは気分を損ねるだけなので、次期当主のジーク君に嫁がせる。
そのさらに2年後……神礼祭の直前にアリーシャ殿下と娘が攫われたが、何事もなく無事に帰ってきた。事情を聞くに、助けてくれたのは“レオン”と名乗った少年だった。この国でレオンを名乗っていいのはアルジェント家の人間だけ。そして、レオンハルト亡き今、その名を持つのはシュトレオン君だけである。
お手付きの噂を考えるなら、バーナディオスはアリーシャ殿下を彼に嫁がせるだろう。なので、私はメルセリカを彼の嫁にあてがう。これで彼の婚約者は4人……相手はまだ7歳だというのに、私も大人げないだろう。だが、これも国の未来を考えてのことだ。
「とはいえ、まだ7歳の娘の未来を決めるというのは……私も悪い大人のようだ」
「あなたったら……セリカもレオン君を気に入っておりますし、悪いことではないと思いますよ?」
この後、チェリ大公国による北方侵攻はまだ許容できた。だが、連中は東部の領邦騎士団の中に大公国の兵を紛れ込ませ、本陣を強襲したのだ。私はその時に深い手傷を負い、居合わせたネルガイヤー将軍の介錯を受けるはずだった。
だが、それを食い止めて救ってくれたのはシュトレオン君だった。彼はネルガイヤー将軍だけでなく、周囲の兵士を気絶させていた。捕まえたのは将軍だけだが、大将格を捕えただけでも大きな手柄だ。
この前にメルセリカの身を案じてリクセンベール家の屋敷に預けたが、そのまま住み込ませてリクセンベールの仕来りを学ばせることにした。それを聞いたバーナディオスは娘のアリーシャをそのままリクセンベール家に住まわせる形としたようだ。またの名を負けず嫌いともいうが。
あの家は、大半の貴族なら忌避すること―――冒険者としての趣も持ち合わせている。この前、娘が同行していたメンバーと一緒に飛竜を狩ったと聞いたときは流石に椅子から転げ落ちた。それだけ娘のレベルが上がっているということは、おそらくシュトレオン君の影響なのだろう。
朱に交われば赤くなる、という古の例えがあるが、まさにそれなのだろうと言わざるを得ない。
「ヒューゴ。先んじてリクセンベール卿にお願いしていたことだが、お前を南東部に送る」
「僕が南東部にですか? カール兄さんやラル兄さんではいけなかったのでしょうか?」
私に対してそう尋ねたのは、息子で三男のヒューゴ。幸いにも才溢れる息子たちに恵まれたが、長男のカールヴィッツと次男のガイラルディアは私の要求にあと一歩足りない。私も宰相として教えることがあるのは事実だが、現陛下に対してどこか一線を引きがちになってしまう。
そこで、成長著しいヒューゴを新進気鋭の新南東部の貴族であるリクセンベール伯爵家に送る。レンベルクとシュトヴェールの代官は既にいるが、彼らの負担を軽減する意味も含めてシュトヴェールの領主館の執事を務めてもらう。
「お前をリクセンベール家に送ることでレクトール陛下や上皇陛下に対する覚えを良くし、2人の尻を叩かせる。かの家の功績はお前もよく知っていることであろう?」
「あれだけの広大な領地を開拓しましたから、正直驚いています。僕も現地に行きましたが、しっかり手の入った耕作地はすぐにでも農業ができる環境でした」
私も正直驚いた。シュトレオン君の規格外さは知っていたつもりだったが、広大な耕作地と防風の為の植林は見事というほかない。あのタイプの耕作は南部でかなりみられるが、それを受け継いでいるあたりはアルジェントの血縁所以なのだろう。
彼に下賜された領地のうち、魔物の領域や狩場を除いて既に7割は開発の基礎段階以上、残る3割も既に街道だけ整備済みというありさまだ。リクセンベール辺境伯領―――その主都となるシュトヴェールは、城壁の規模だけでいえば王都に準ずる。セラミーエ領との主要街道は整備済みで、王都の大通りに匹敵する道幅を有している。
各種ギルドも既に立ち上がっており、大森林地帯へ赴く冒険者の数はかなり多い。東部の冒険者の連中が出稼ぎに来るほどで、マナーの悪化も心配されたがここの領主はSSS級討伐経験持ちのS級冒険者。彼を怒らせたレンベルクでの顛末は当然伝わっており、一定の秩序がしっかりと形成されていた。
そもそも、彼の親衛騎士がA級相当の実力者でシュトレオン君に対して篤い忠誠心を有している。その中にはフィーナ・フォン・セルディオスにランドルフ・フォン・ナスタニアをはじめとした実力者もいる上、彼の兄であるヴェイグ・フォン・シャロリーゼル伯爵もいる。
先日、セラミーエ領との境界線にあたるリクセンベール領南西部がシャロリーゼル家に与えられた。ヴェイグ君とは先日偶然出会って話をしたが、彼は苦笑しつつ「弟に頭が上がらない情けない兄ですよ」と零した。彼は自分の力量を弁えている上、シュトレオン君からは可能な範囲内で便宜を図ってほしいと言われているので、私からは何も言わなかった。
ヴェイグ君の伝手でノースリッジ家の家臣たちの子弟が新南東部の騎士団に入団する予定だが、私の兄らはそれを聞いて「騎士の名に恥じぬ実力と品格を身に着けさせねば、我らが末代まで笑われよう」とのことで、ネルガイヤー侯爵にもお伺いを立てて合同訓練の頻度が増えた。
「……ここだけの話にしてほしいのだが、オームフェルト公とフューレンベルク伯の様子が芳しくないことは知っているな? 恐らくだが、持って数年という結果が出ている」
「もしや、御家騒動でしょうか?」
「ああ。その機を逃すまいとパルメイス伯も動くことを考えれば、何が起きても決して不思議ではない。新南東部も無関係ではいられないであろう」
シュトレオン君に喧嘩を売れば、彼らに加えてアルジェント家や上皇となったバーナディオス、ガストニア皇国までついてくる強力な布陣だ。いくらオームフェルト公爵といえども、彼らに対して喧嘩を売るということはないと信じたいが、無いとも言い切れない。
人というものは、追い込まれると何をしでかしてもおかしくないことをよく知っているから。
「無論、パルメイス伯が動くとなれば、北部も関係なしとは言えなくなる。最悪、ウェスタージュを除く四聖貴族が動くことになるやもしれん……ヒューゴ、しっかりと励むがよい」
「分かっております、父上。流石に成長著しいセリカに槍の腕前では勝てませんが」
妻譲りの容姿と私の祖父譲りの槍捌きには、さしもの私も舌を巻くほどだった。その原動力となっているシュトレオン君に並び立ちたいということなのだろうが、娘も含めてリクセンベール家は間違いなくエリクスティアの守護者たる存在としてその地位を確立しつつある。
ならば、王を補佐することを至上の使命たらんとするノースリッジ公爵家のあり方はおのずと決まってくる……少しは明るい未来があることに、思わず笑みを漏らしたのだった。
以前書いたもののサルベージです。一応見直しとかはしていますので、多分大丈夫かと思っています。メイビー、たぶん。