第91話 入学する前から卒業する離れ業
シュトレオン・フォン・リクセンベール。
旧名はシュトレオン・フォン・アルジェント。
エントワープ大陸西側に位置する大国―――エリクスティア王国南部の大貴族、アルジェント侯爵家(後に公爵と同位となる辺境侯家に陞爵)の四男(第三夫人の長男)として生まれ、5歳にして魔神討伐という大業を成すだけでなく、あらゆる実績を買われた結果……9歳にして王国南東部の広大な領土を得てしまった転生者。
偶発的な形で他国の皇族や気難しいとされるエルフ、先代魔王をはじめとした魔族すら味方につけ、彼が腹いせとしてSSS級魔物や邪神、魔神を倒し、現在の創生神ですら位を譲ろうかと言わしめたその彼は、王国の王宮―――正確には国王の私室で絶句していた。
「……すみません、これは一体どういうことなのでしょうか?」
事の始まりは、新南東部における旧南東部との諍いに関する話し合いということで呼び出された。こちらとしては一方的な被害者であるのに、向こう―――フューレンベルク辺境伯家とオームフェルト公爵家が難癖をつけて侵攻するものだから、容赦なく叩き伏せての繰り返しであった。
捕まえた人質は全て王宮が一括して請求することになるわけだが、「そんな大金は払えん!」の一点張りであった。財務を担当するニコル・フォン・ウェスタージュ・レター辺境侯の試算では十分に支払えるだけの税収を東部や旧南東部は得ている筈なのに、それがどこに消えているのかと追及しても「知らない」という回答しか返ってこない始末。
結局、新南東部への一方的な言いがかりによる侵攻の対処として、王宮は東部・旧南東部への補助金を剥奪する警告を出し、相手も已む無く王宮の仲裁案を呑んだことで決着を見たところでシュトレオンが呼び出された。だが、そんなシュトレオンを待っていたのは一つの手紙の中に入っていた内容だった。
「“高等教育修業証書”……あの、私はまだ9歳ですし、それに該当する学校も通っておりませんが」
「成程、シュトレオン君はセルディオス辺境伯の肩書きを知らないから無理もないね」
「……肩書き、ですか?」
シュトレオンの疑問に答えるのは国王の隣にいるエリクスティア王国宰相を務めるハリエット・フォン・ノースリッジ・コーレック公爵。
ハリエット宰相曰く、王国南西部を治めるセルディオス辺境伯家には代々エリクスティア王家の人種の平等を教育するべく教育係を務めている。教育係とはいっても、実質的にはセルディオス辺境伯家が上となるわけだが。
どうしても非常時や王族が外に出れない時期も存在したため、こんな制度が存在している。直近でその制度を利用していたのはレクトール国王とその祖父に当たる人物らしい。
「グラハム伯は先代と先々代の国王を鍛え上げた先生で、彼に教わったシュトレオン君もそれに倣える形になるんだ」
「そこは分かりますが、何故このような証書が?」
「それはね……上皇陛下とグラハム伯が君の立場を早めに確立させたい思いと、新南東部の貴族の当主が未成年とあれば騒ぎ立てる輩を抑えるためさ」
「……氷解しました」
本来であれば、高等教育を修了させた人間が貴族の当主になるのが常。だが、自分の場合は成年の儀を経てはいても高等教育を修了したという証明が成されていない為に侮る輩が多いため、公的な証明としてこの証書が自分の手に渡ることになった。
手紙にはグラハムだけでなく彼の弟で王都のギルドマスターを務めるバストールの署名も含まれており、今回の一件はセルディオス辺境伯家によるものだとすぐに分かった。
「それで、何か要望があれば受け付ける。言うなれば君の功績の借金に対する返済の一環だな」
「でしたら、シュトヴェールの城壁を十三層にまで強化したいのですが、よろしいでしょうか? 費用や資材は自分のところで賄えますので」
「……ウェスタージュ財務相、いかがか?」
「オームフェルトやフューレンベルクの阿呆共を黙らせるにはそれがいいでしょうね。注文を付けるなら、一番外側の城壁をフューレンベルク領の国境線ギリギリに設定してください。その辺の手続きは財務庁で一括して行いますし、予算は多めに付けますから」
「適正に処理をお願いします」
正直、オームフェルトやフューレンベルクの行いに王宮や財務庁もブチ切れる寸前らしく、特にレクトール・セルデ・エリクスティア国王曰く「出来る事なら私自ら鉄槌を下したいが、あの戦力は無視できない」とため息交じりに零しているらしい。国家に対する忠誠心を疑っても仕方がない行いをしているだけに、現国王の苦悩も分かってしまう。
怒りが顕著なのは財務庁で、西側を治めるニコル・フォン・ウェスタージュ・レター財務相は部屋に飾った宝剣を握って外に出ようとしたところで職員総出で取り押さえられるほどヤバかった。曰く「人を人とも考えていないような連中に財政管理なんか任せたら、アルジェントとリクセンベールに国の財政をおんぶにだっこの状態が常態化しかねません」と。
ようは、王宮に積み重なったシュトレオンの功績が不良債権化するのを一番危惧したというわけだ。国益が不良債権になるという事象自体理解不能であるが。
「それと、こちらで城壁建設に伴う防衛軍を王国軍で派遣します。表向きは新南東部への野外演習となりますが、遠慮せずにこき使ってやってください」
「……面を向き合わせている陛下、宰相閣下や財務相閣下の苦労に比べれば、私などまだいい方なのでしょうね」
「いやいや、君に頼り切ってしまっている我々からすれば、とても君に足を向けて寝られないよ」
「寧ろそうしてください」
「ハハハ、そうやって謙虚なところはバルトフェルド殿にそっくりだな」
シュトレオンとしては、爵位の関係で上となるハリエットやニコル、更に国王であるレクトールに畏まられるのは正直胃が痛みそうで、可能ならば回避したい思いがあった。未だ10歳にもならない人間が貴族の当主なんてやってる時点で、正直代官に任せて異世界に引き籠りたい気分だ。
「それはそれとして、私に何かしらのお願いをしたいと伺っておりますが」
「それなのだが、シュトレオン君には王立学院の試験を受けてほしい。まあ、君の実力なら受からないとも思えないけど」
既に高等教育終了相当の扱いを貰っている自分が態々行く必要もないかもしれない。というか、グラハムの評価では「君なら上級官吏の試験も楽々通るだろうね」と太鼓判を押されている。だが、そんな自分にしか出来ない仕事であるというのは何となく理解していた。
その理由も大体は予想がついていた。
「アリーシャ殿下とメルセリカ嬢のことですね?」
「そうだね。君のところで鍛錬は積んでいるようだけど、君のように実戦を経験したわけではないし、君のように冷静な判断を下せるとも思えない。しっかりと精神を鍛える意味でも学園に通わせたいんだ」
魔物相手ならまだしも、最悪の事態として対人戦闘は覚悟せねばならない。無論そのようにならないような配慮はするが、何が起きるか分からない。ハリエットの提案はせめてもの親心によるものだと理解している。
シュトレオンの場合は図らずも各地で戦闘に巻き込まれており、南方では魔神討伐を成し、北方では豪傑とも謳われた屈強の将軍を一撃で捻じ伏せた。国外では帝国軍相手に単独で大軍を翻弄し、更には国も頭を悩ませていた盗賊団を捕縛せしめたのだ。
この功績だけを見れば訝しむだろうが、彼の能力をハリエットは直に見ている。なればこそ疑う余地も無い、と結論付けられた。
「君の場合、オームフェルト家に結構睨まれているからね。変に心労を重ねる行為は慎むべきだけど、こちらの事情も理解してほしいんだ」
「畏れながら宰相閣下、私と同年の弟が以前トラブルに巻き込まれたことがありますし、兄や姉らも注意するように忠告されています。在校生にはオームフェルト家の係累も少なくない為、トラブルは覚悟しております」
「それもあったな……父から王位を引き継ぐ際、その懸念を始めに口にしていたほどだ」
自分の家臣として働いている元オームフェルト家の人物もその可能性を示唆しており、実際のところでい言えば、実力面で歴然とした差があるのに未だ威張り散らす癖は止めていないらしい。貴様らはアルジェント家に親でも殺されたのか、と思うほどにうんざりしていた。
「王立学園は身分ではなく実力で物を見る場なのですが、貴族というものは徒党を組みたがるのですよ。アルジェント家の場合は兄妹たちで結束しておりましたが……ともあれ、頼みますよリクセンベール卿」
「……その敬称はどうにかなりませんか?」
「諦めてくれると助かる」
結局、神の使徒扱いは治らないということで諦める他なかった。
◆ ◆ ◆
転生してから2年で魔神を倒し、王女や公爵令嬢、第一騎士団長だけでなく隣国の皇女まで婚約者の範囲となった。しかも、母親が遠く離れた聖地を抱える国教の法王の血縁。正直血縁関係でお腹一杯であった。
そんな腹いせの一環としてシュトヴェールの南東で魔法実験をしたところ、うっかり大穴を開けて水が噴出した。それぐらいならまだ良かったのだが、問題はその湖から膨大な力―――精霊神と呼ばれる存在が目覚めたことにある。
『ふあああ……ようやく目覚めることが出来ました。あのボルメテウス、次に会った時には八つ裂きにしてくれます……あら、ごめんなさいね』
「あー、えっと、どちら様でしょうか?」
『私を視れるということは、成程、貴方が眼の持ち主なのですね。水の精霊神、メルディーネと言います』
話を聞くと、メルディーネはボルメテウスという魔神に封印されていた精霊神の一人。アリアーテなどの神たちの一つ下の格に当たる存在らしい。そのボルメテウスというのは死霊の魔神というらしく、王都の北部に住み着いていたらしい。
すると、メルディーネがシュトレオンの眼を見つめていた。
「えっと、何か?」
『……あー、ボルメテウスを滅したのですか。しかも、私の仲間を封じたバルザックラードも……これは、褒美を与えねばなりませんね』
「……すみません。一体誰のことを仰っているのですか? お教えいただけませんか?」
話を聞くに、俺がガストニア皇国で滅した魔神の名はバルザックラードというらしく、王都の北部で反射的に滅ぼした骸骨の正体は魔神であった。神クラスなら概念攻撃も使えるという憶測は間違っておらず、メルディーネも肯定した。その上で、メルディーネは力を集約して蒼き鞘に包まれた太刀をシュトレオンに渡した。
『これは、かつてエイジが使っていた『神刀・八葉』です。エイジが亡くなる前に預かっていたのですが……貴方に託します』
「えっと、ありがとうございます?」
メルディーネはそう言って湖の奥底に消えていった。その直後、湖の真ん中に小島が隆起し、神殿が出来ていた。これは他の精霊神も蘇らせるフラグなのかもしれないが、俺はあくまでも貴族であって勇者や英雄ではない。やりたい人がやってくれ、と述べることしかできない。
この湖はその名にあやかってメルディーネ湖とし、そこでは大量の魚が繁殖している。土地の所有者は表向き王宮で、上皇となったバーナディオスとシュトレオンは揃って釣りに興じていた。
「はっはっは、シュトレオンも苦労しておるの」
「今更だと諦めてますが……バーニィ殿に学校のことについてお聞きしたく思いまして」
「王立高等学院か。あそこは実質的な治外法権みたいなものじゃからのう。あそこの理事長はセルディオス辺境伯の妹が理事長をしておる」
王立高等学院は立場的に中立、肩書きではなく当人の能力を重視するという意味でセルディオス家が代々理事長職を担っていた。その理由はエリクスティアの理念である種族問わず平等にあるべし、という理念を忠実に守り、多種族間の協力によって建国したエリクスティアの信念を後世に伝える意味もある。
「ただ、兄や姉達からはオームフェルト家の人間にちょっかいを受けていたと聞いております」
「理事長殿からの苦情もあって何度も叱責はしたのだがな。連中はどうやらアルジェントが余程に恨めしく、余程に羨ましいようだ」
かつての臣下をまるで除け者のように言い放つバーナディオスだが、それはオームフェルト公爵家に対しての苦労が垣間見える部分でもあった。現在、学院に在籍しているオームフェルト公爵家の人間は三人おり、丁度シュトレオンらと同い年に一人いるので、来年度は四人に増えることになる。
下地はあるのだから、儲けるように考えるのが筋なのだろうが……建国以来の武門であるオームフェルト家は南方の王族の末裔であるアルジェント家をどうしても敵視したいようだ。寄り子の貴族らとの結束を強める意味で共通の敵を作るというのは分からんでもないが、せめて国外にその敵を作るべきだと思う。言って分かるようならとうの昔にそうなっているだろうが。
「息子から手紙は貰った。何でもアリーシャとメルセリカの護衛も兼ねてと聞いた」
「私もこのなりですが、近々10歳を迎えます……普通なら他の子と馬鹿やってるような年頃ですが」
「ははは、それもそうだのう。いずれにせよ、頼むぞシュトレオン」
「はい」
兄であるライディースのことを考えても、一波乱あるのは間違いない。その兄だが、先代魔王のアザゼルに加えてグラハムもティナの夫として相応しい実力を身に着けてもらうということでアルジェント家に通っているらしい。
何度も魂が飛びかけるかもしれないが、自分も通ってきた道なので頑張って欲しい……万が一のことがあったら、直に蘇生する腹積もりだが。
◆ ◆ ◆
既に貴族の当主とは言え、家族の戸籍上ではアルジェント辺境侯家に残っている。貴族としての権利絡みでは別の家だが、もし断絶した時にアルジェント家から養子を送ることも想定してこうなっていた。学院の受験手続きも親の許可が必要となる為、空間魔法でセラミーエの屋敷の自室に飛んだ上でバルトフェルドの執務室を訪れた。
アルジェント家は既にジークフリートが当主の座を継いでいるが、バルトフェルドはその補佐をしながら家族の団欒に時間を割いていた。
「王立高等学院への受験手続きか。大方ハリエットあたりの差し金だろうが、殿下を御守りする意味でお前以外の適任者がいないから無理もないか……」
バルトフェルドが溜息交じりに書類へサインをした後、アルジェント家の印綬を押印した上でシュトレオンに手渡した。
「今更ですが、宰相殿の仰る通りかと思っています。オームフェルト家の人間との関わりは面倒ですが」
「新南東部の諍いのことは聞いている。現状、王国の税収の約4割が南部と新南東部に依存している状況だからな。それだからと言って、東部に税収を渡す気など皆無だ」
税収バランスが集中し過ぎている理由は実に単純で、新南東部の特需によってガストニア皇国との交易ルートで通過地域となる南部もその恩恵を受けている。更にはリスレットで空いた土地に新設した酒造事業が繁盛しているのだ。
流石に自分が飲めないものを作るということに抵抗はあったが、偶々ホップに相当する植物が自生していたため、それと大麦を以前ワインの醸造装置に設定を追加して設置したのだ。エールという割と低価のビールっぽいものはあったため、知り合いの酒職人に出来たばかりのビールを試飲してもらった結果、王都で売り出した方がいいというアドバイスで売り出した結果、軍人系の貴族がこぞって買い占めるほどだった。
ジョッキなどのグラス系統はガストニア側の工房に任せる事にした。元々ガラスなどを取り扱っていた職人が自分の持っていたグラスを見て感動したそうで、職人自身の努力で立派なジョッキやワイングラスが出来上がり、ガストニア皇室御用達の工房として名を馳せていくことになる。
「あくまでもガストニア皇国との誼の影響なのですが……東部の連中は第十五次の出征も検討しているようで」
「……予算を出すのは財務庁だというのに、大方新南東部への侵攻はその資金稼ぎのつもりなのだろうな」
「もしくは兵糧の拠出を狙っているものかと思われます。その気になれば900億トンにもおよぶ麦の山を公爵家城館に積みますが、いかがします?」
「止めておこう。非常識すぎる部分で我々を更に強く恨むに違いない」
神様から貰った穀物を増やす杖は非常にありがたく使わせてもらっており、米の品種改良で完成した種籾を増やすのに一役買っている。転生しても気質は日本人なので米はやっぱり食べたいのだ。