第90話 運の良し悪しとアーネストの憂鬱
「流石に、これはねえよ……」
西部でのあれこれを終えて王都に戻ってきてから数日後。ガックリと項垂れているシュトレオンの先には、勢いよく噴出している温泉がある。掘っていたら温泉の水脈をぶち抜いて、噴き出しているというのならまだ分かる。問題はその噴き出している場所が……王都のリクセンベール家の屋敷の中庭であった。
噴き出しっぱなしではいろいろ目立つため、急拵えで魔導ポンプと魔導浄水器を作り、それでやっと収まった。それらの製品は既存のものを少し改良したので、かなりの圧力でも耐えられるようになっている。
事の発端はシュトレオンが中庭で日向ぼっこしていた時、「温泉でも浸かってゆっくりしたいな」とつぶやいた瞬間、局地的な地震が起きて突如温泉が湧きだしたのだ。何を言っているのかわからないと思うが、シュトレオンにも理解できなかった。
すると、騒ぎを聞きつけてアスカがやってきた。イブキとノブユキの一件以降は防犯システム自体を見直しているので、それの故障かと思って駆けつけてきた。
「レオン様、大丈夫ですか……って、何でしょうか? あの機械仕掛けのものは」
「温泉らしきものが噴き出してね、慌てて処置したんだ。今地面に埋めるから」
そう言って機械を浴場の地下に移動させた。うまく配管接続して、結果的に浴場が天然温泉仕様になってしまった。そのついでに王都地下にある地下水道も魔法で補修した。人らしき気配や反応はなかったので、恐らくは大丈夫だろう。
「やあ、レオン君。先程君の屋敷から水が噴き出していたけど、大丈夫かい?」
「お父様! あれだけのことがあったのですから、せめて護衛を付けてください!!」
ただ、噴き出した温泉を見ていたのか、隣のノースリッジ公爵邸からハリエット宰相がやってきた……徒歩で。これには驚きとか通り越して呆れの表情も入っていた。寛容な心を持つメルセリカも、この時ばかりは父親の無防備さに対して説教していたほどだ。
そんなメルセリカの頭を撫でて諌めるハリエット宰相に対し、リビングに案内した上で事情を説明した。すると、ハリエット宰相が頭を下げた。
「ありがとう、シュトレオン君。本来王都の地下水道は国土庁の管轄なのだが、オームフェルト家が業者の選定で横槍をしつこく入れてきてね。それを見てキレたニコル財務相が予算執行を止めていたんだ」
ここまで来ると、アルジェント家に対する単なる嫌がらせというよりも“売国奴”という扱いになるのではないか……という疑問を含みつつハリエット宰相に尋ねた。
「理由が分かりすぎるのも困りものですが……罰することはできないのですか?」
「独自の軍事力を有しているからね。北方の一件で攻め立てることはできるだろうけれど、無理はしないということにした。レオン君が受け持っている領地のこともあるからね」
言い忘れていたことだが、東部や旧南東部にいた貴族の人質(体面上は保護)を食糧と金銭で返還させた。合計で1000万ルーデルと10万トンの食糧の要求には厚かましいと思ったが、「二度目はありません」という文言と共に交換で送り付けた。
それだけ出せるなら領地も……と欲を出したのがフューレンベルク家の一部の連中。だが、それをヴェイグ率いるシュトヴェール領邦騎士団の部隊が鮮やかに鎮圧した。形はどうあれ、功績ということで北西側の領地を任せることにした。
それを聞いたヴェイグは「弟に領地を与えられる兄というのもおかしなことだな」と零していたが、それは自分も同じだ、と返すとその通りであるとお互いに苦笑したのは言うまでもない。
すると、旧南東部領域の西端に位置するミルスティール子爵家当主が、王都のリクセンベール家の屋敷に来て土下座してきたのだ。恐らくは先日の一件の責任を押し付けられたのだろうと問いかけると、その通りであると答えた。
王宮にお伺いを立てたところ、「シュトレオン君で対処してくれて構わない」という回答しか返ってこなかった……俺、9歳なんですけど。ともあれ、誓約書にサインさせた上でミルスティール子爵家を新南東部の寄り子に組み入れた。
「ミルスティール子爵家が一番のとばっちりですからね。フューレンベルクを見限って寄り子になったのは、ミューゼルを治めるネイルビッツ男爵家にとっても僥倖でしょう」
「確か、バルトフェルドのところにいるレーヴィス家の次男の妻がそこの娘さんだったかな?」
「ええ、その通りです」
貴族同士で鉱山や河川、森林などの資源を巡って諍いは多少ある。世代が変わると、力の誇示ということで演習に近い力比べが起きることも結構あったりするほどだ。この話はグラハムから聞き及んでいる。
実を言うと、以前アリーシャやメルセリカを救出したときに排除した盗賊団に関わる話だが、根城にしていたミューゼル西側の鉱山にアダマンタイトの鉱脈が発見された。
これは、南東部への視察の際に通路を埋めようかと立ち寄ったところ、その途中に色の異なる鉱石があったためだ。他にも比較的浅い場所に宝石や質の高い鉄鉱石も採取できたので、ネイルビッツ男爵家には当主だけ話を通し、その寄り親であるアルジェント家にも話した。
「お隣同士で喧嘩しなくてよくなったのは幸いですけど、あの後公爵殿がまた騒ぎましたからね」
「『アルジェントは国を食い潰す寄生虫だ!』の言葉には、私も呆れかえってしまったよ。仮にそうだとしたら、レオン君への功績支払いの代わりにレオン君が国王になっていたことだろうね」
「仮定の話だとしても、嫌ですよ自分は」
確かに、未開発地の開拓に掛かる労力は半端ない上に、成功するかどうかも未知数。未耕作地の再開発なら問題ないとは思うが、東部や旧南東部で致命的なのは人的資源が他の地域と比べて低いことと、それと反比例して亜人族の奴隷の数がかなり多いことから、思うように進んでいない。
この大陸で亜人族主体の国は、中央部に位置する国々(ガストニア皇国、ヴェラジール共和国)とメロックス王国だけで、ゼーラシム大陸では南東部に獣人王が治める帝国が存在するぐらい。
東部遠征は大陸中央の諸国から奴隷を攫う目的もあるのではないか、と邪推してしまう。
自分の場合はというと、区画整理自体はリスレット郊外やアトランティスで散々練習してきたので、特に問題はない。というか、東部は土壌がいいので肥沃な土地柄のはずなのだが、体面ばかり気にして産業に力を入れないというのは、その土地を治める者としていかがなものかと思う。
「そういえば、ケルサタケが結構収穫できまして。後でお渡ししますので、よかったら食べてください」
「本当かい? あの食材は私でもなかなか口にできないからね」
ケルサタケというのは、マツタケによく似たキノコの一種。ケルサロートの生息域にしか生えないため、その採取難易度は極めて高い。乾燥させて粉末状にするとお茶用の粉や万能薬の材料としても重宝されるため、1本で1万ルーデルという破格的な値段が付く。
そこで、神々の加護を駆使して、ケルサロートと同等の性質を持つ樹木―――メープルロートという広葉樹が完成した。春には桜のような花が咲き、秋には赤いモミジの葉とサクランボができるという……そう意図したわけではないのに、スキルや加護が自重してくれなかった。少し落ち込んだ。
寄り子の貴族に数本樹木を植えたところ、大好評だった。ケルサタケも収穫できる(南東部の土壌が育成に適していた)ため、レンベルクに新設されたアルティス商会(アルノージュ商会とティルミス商会の共同出資で新設された商会)に持ち込まれた上で、『転送箱』で王都のアルノージュ商会に出荷されている。
なお、種子があっても特殊な方法を用いないと発芽・生長しないようになっている。この辺は利益確保と東部や旧南東部への牽制も兼ねている。
「今後は定期的に供給できるようになるかと思います。折角でしたら、温泉でも入っていかれませんか?」
「成程、先程の噴き出しは温泉だったか。王都の地下は様々な温泉の源泉があるらしいと父から聞いていたが……時折入りに来ることにするよ」
「その際は護衛を最低でも1人以上は付けてください。自分でもセリカを諌めるのは大変ですので」
エリクスティアの初代国王は、魔王との戦いで傷ついた体と心を癒す為に、小さな温泉街に滞在しつつリハビリをしていたらしい。その温泉街が、色々あって王都に変貌した……前世の現実を当てはめたら負けだと思う。
◆ ◆ ◆
俺の名前はアーネスト。あ、今は貴族になってアーネスト・フォン・スフィアゼイクだったな。生まれはオームフェルト公爵家の生まれなのだが、側室の子ということで長兄からはいつも睨まれていた。理由は分からなくもないが、面倒事は勘弁してほしいと思う。
「いいか、アルジェント家はいつか我が王国を乗っ取り、滅ぼされたかつてのアルルメイス王国を復活させるであろう! 決して油断してはならぬ!」
父はいつも事あるごとにそう言っていたが、忠誠心が高いアルジェント家にそのような思惑などあるのだろうか、と私は幼いころから疑問を持っていた。母が憎しみを持たせないように諭してくれていたのが、今の俺を形作っているのは間違いない。
オームフェルト公爵家の書庫には歴代のオームフェルト家当主の手記が収められており、初代様の手記にはこう記されていた。
『今は強大なアルルメイス王国に及ばぬであろう。だが、彼らの強さを調べ、良きところは積極的に取り入れ、対等な関係を築くことができれば、エリクスティアも強国としての地位に上り詰めたと公言できるようになるかもしれない』
アルルメイス王国―――現在のエリクスティア王国の南西部・南部・新南東部を占めるほどの強国だった。その国が滅んだ理由は、当時のオームフェルト公爵が卑劣な手を使って、王国内を混乱に陥れたことが原因だった。このことは当時から見て先代当主にあたる人物が、当時の当主を斬首したという記載から知った。
元々の発端はオームフェルトの側だというのに、それを相手のせいにして責任逃れする……当時の先代当主の思いは残念ながら次の世代に引き継がれなかった。
学院には自力で稼いで何とか間に合わせた。同級生にアルジェント家の次男(後のシャロリーゼル伯爵家当主)であるヴェイグから授業のノートも見せてもらったりしたし、彼に付き合う形で遠征にも参加していた。私の顔を見たすぐ下の弟は嫌そうな顔をしていたが。
学院卒業後、一応下級官吏の試験は受かったので、総務庁の一部署で働きつつ農民や商人としての独立資金をコツコツと貯めていた。役人のままでいれば、間違いなくオームフェルト家に睨まれるし、暗殺に怯えながら過ごすのは御免こうむる。
役人生活をはじめてから半年ぐらい経った頃、ヴェイグから呼び出しを受けた。向こうは貴族、俺は平民だというのに、ヴェイグは学院の時と変わらずに接してくれた。この辺りの気遣いがアルジェント家らしいというべきだろう。
「ヴェイグの弟の家臣?」
「ああ。リクセンベール家復興のことは多分耳にしてるだろうが、その当主が俺の弟にあたる」
魔神討伐で名を馳せた少年ことシュトレオン・フォン・アルジェント。母親は異なるがヴェイグの弟であり、彼は謁見の間でリクセンベール家復興を願い出て、国王陛下よりそれを認められた。
何せ、本来上級官吏が執り行うはずのノースリッジ宰相の補佐を急遽任されたので、俺もその場に立ち会わせた(ヴェイグの立っていた位置からだと見えづらかったのかもしれない)。その前にかつての父親であるオームフェルト公爵がアルジェント家は危険だと主張するが、国王はそれを一喝したが。
「アーネストからすれば、元の実家のこともあるし無理にとは言わないが」
「いや、是非お願いしたい」
この時点で、既にオームフェルト公爵家としての戸籍や家督継承権は抹消されていたため、特に迷う必要などなかった。最初は王都の屋敷で書類仕事をしつつ、冒険者稼業で食費稼ぎの手伝いをしていた。シュトレオン様の強さもさることながら、その婚約者の方々もみるみる実力を伸ばしていた……10歳にも満たないはずなんだが、かのレオンハルトの再来と考えればいいと納得させていた。
そして、王国の直轄地となっていた新南東部を宛がわれ、急ピッチでの開発が進んだ。不正を働いていたレンベルクの代官を排除し、ウェスタージュ候の子息であるヴァイスが正式なレンベルクの代官となった、俺は新南東部の領都となるシュトヴェールの代官補佐―――ノースリッジ公の子息であるヒューゴの補佐を担うこととなり、加えて新設されたシュトヴェール領邦騎士団の参謀も兼務することとなった。
曰く「参謀は東部の地形を把握している人間が担うべき」ということらしく、俺は二つ返事でその話を受けた。ちなみにだが、それを聞いた俺の血縁上の父親は怒り狂って物を投げまくったらしい。
俺が忠誠を誓うのはリクセンベール家であり、無縁となったオームフェルト家ではない。先日、俺の元を訪れたオームフェルト家の使者にもそう伝えておくと、その使者は「後悔いたしますぞ……!」と捨て台詞を吐いて去って行った。
西部で婚約者との見合いを終えてシュトヴェールに戻った直後、フューレンベルク辺境伯領方面から数万の大軍が大橋の前を陣取った。橋を挟む形で睨み合っていた頃、別の軍が北西部から侵攻したが、それはヴェイグ率いる別働隊が鎮圧した。
シュトヴェール領邦騎士団には、前第一王都騎士団長であるフィーナ殿に加え、東方遠征で活躍したランドルフ殿をはじめとした実力者揃い。彼らは出世そのものに欲はないが、己を身を守るために研鑽は欠かさない。
加えて、彼らを鍛えているのはシュトレオン様の祖父であるイシュタレア将軍に加え、バーナディオス上皇陛下も自ら鍛錬をするついでに兵士たちを鍛えている。
尤も、その先頭に立っている人物ことシュトレオン様の姿に全員が奮起する形となっている。
「私としては、シュトレオン様には後方で構えていただきたいのですが」
「出過ぎるつもりはないよ。僕も命は惜しいから」
強烈な剣閃による一撃で敵の3割近くを削り、それを皮切りに兵士たちが敵兵を圧倒する。死亡した敵兵は手厚く弔い、彼らの持っている装備などは細かく記載した上で回収された。その命令を出したシュトレオン様曰く「遺族に対してまともに遺族年金を払っているとは思えないからね」とのこと。
それを聞いたとき、過去の東方遠征で死んだ兵士の遺族に渡す金を血縁上の父がピンハネしていたことを思い出し、俺は思わず頭を抱えてしまった。
閑話にすべきか悩みましたが、本編扱いにしました。
温泉の秋、味覚の秋、血生臭い秋(ぇ