第87話 実年齢は投げ捨てるもの
エリクスティア王国の地域には特色がある。広大な領土を持つだけでなく、各々の土地の特性を生かした産業が根付いている。例えば南部は農耕が主体となった産業であり、豊富な水資源と合わせて一大の農業地帯で王国の台所事情の大半を担っている。逆に北部は降雪地帯も多いため、農業よりも牧畜が主体となっている。国王に次ぐ権力を持つ宰相職をノースリッジ公爵家が担うのは食料の安定供給の側面もあるというわけだ。東部は鉱山などが点在しており、林業や鉱業、それに付随する加工業が主体である。武の一門と謳われたオームフェルト公爵家お抱えの騎士団が精強なのはその辺の事情もある。
そして、西部はというと……牧畜や農業も多いが、基本的には軍馬の産地で知られる。西部は広大な丘陵や草原が多く、魔物の領域が少ないために軍馬や羊を飼うことが多い。沿岸地域に行くと、大きな港町では貿易船や定期連絡船の往来で賑やかである。この辺りはミランダでも見られた光景だが、領都レターはその数倍以上の規模であると父バルトフェルドは述べた。
西部最大の都市であるレター。セラミーエと同規模の都市であり、道行く人々の視線は数台の馬車に向けられる。ウェスタージュ家の紋章が入った馬車にアルジェント家とリクセンベール家の紋章が入った馬車が連なるのだ。これは何事かと人々に動揺が走る。するとウェスタージュ家の馬車から降りた人物が一人。紛れもなくニコル・フォン・ウェスタージュ・レター財務相その人であった。
「皆さん、どうか落ち着いてください。今回は私の願いでアルジェント辺境侯家の方々をご招待したのです。戦争などといった諍いではないことをこの場で申しあげておきます」
その一言で『領主様の言葉なら信用できるな』『安心しました、ニコル様』という安心した声が聞こえ、人々はいつも通りの人々の往来に戻っていく……その中で『あぁ~、ニコル様、抱いてくださいー』とかいう色めいた言葉が聞こえたのは記憶の中から消去したかった。本来なら騎士か彼のお付きが発するべきだというのに、当主自ら声を発して信頼されるということは顔の広さを認識させられる。
馬車はそのまま一行が宿泊する予定であるアルジェント家の別荘に案内された。というか、その場所はウェスタージュ家の領主館もとい城に隣接する形であった。別荘の立地もさることながら、その城がある場所も驚きだった。
「これは、凄いな」
「海の上に浮かぶ城……といいますか、要塞みたいですね」
正確には汽水となっている湖の上に建てられた城で、別荘はその離れにあたる。本来は引退した当主の離宮として使う予定だったのをアルジェント家が買い取った形である。なお、現財務相の祖父母はレターの南にある飛び地に屋敷を構えている。別に祖父母との仲が悪いわけではなく、彼らとしても実の息子が贅を尽くした愛人の住まいに住みたいなどと思わなかったのだろう。
案内された部屋は高級ホテルと見紛うような間取りとなっている。シュトレオンの場合、婚約者であるアリーシャ、メルセリカ、シャルロットに加えてフィーナとリリエルの6人部屋状態。多人数の為の大部屋もあるあたり先代ウェスタージュ侯爵の溺れっぷりが見て取れる……まだ事を起こす気はないので一緒に寝るだけだが。
「この場合、先代であるウェスタージュ侯爵を褒めるべきか呆れるべきか悩むな」
「……でも、そのお蔭で私たちは一緒に寝れる」
「何なら手を出してもああああ!? アイアンクローはあああっ!?」
「リリエルは相変わらずですね……貴女もレオン様の騎士なのですから、自覚を持ってほしいところです」
「そう言いつつも後ろから抱きしめていたら説得力がありません」
「モテモテだよね、レオン君は。私は楽しいからいいけれど」
結局夕食の時間まではそんな風に過ごしつつ、室内でもできる範囲の魔法の訓練をすることにしたのだった。その途中でメリルが来て『お兄様の初めては私が守ります!』とか宣言していてどうしたものかと焦ったのは言うまでもない。
夕食ではウェスタージュ家の伝統料理が出てきた。イメージ的にはグラタンに近い印象だ。羊乳なので濃い目の味かと思えばそれほどしつこくない味わいであった。とはいえ前世の日本人としての感覚というか料理人の父の影響で味覚が肥えていたせいか、何か物足りないと感じてしまったことが表情に出たのか、ニコル財務相は苦笑を浮かべていた。
「ふふ、やっぱりアルジェント家の食事には敵わないかな?」
「いえ、とても美味しい料理であります。……普段の食事で舌が肥えてしまったせいもありますが」
「あの料理を味わえば無理からぬでしょう。妻たちの料理が一番なのは変わりませんが」
「おい、ニコル。人前で惚気は勘弁してくれ」
「バルトフェルドがそれを言いますか? 昨年喜びのあまり夫人を抱きしめたというのに」
「……参った」
父の意外な一面を見れたことに内心驚きつつも、夕食を終えて大浴場へと向かった。流石にまだ男女一緒に入るわけにもいかないため、クロードとエシュハルト、そしてアーネストも誘った。
「ふう、温まる……」
「レオン様、よろしいのですか?」
「止められてはいないし、アルジェント家の別荘ならこれぐらいは許容範囲でしょう」
貴族当主が使用人と一緒に風呂に入るというのは良くないという貴族もいる。だが、アルジェント家にはその括りはない。これはアルジェント家の初代当主曰く『裸の貴族など恥を晒すだけの空しきこと。下々の者たちと何も構えず本音を話せる場は必要』という教えを今でも守り続けている。なお、その言葉はその当時の国王から賜った言葉らしい。
「周りが煽ってくるのは解ってるけど、今の年齢だと無理でしょうに……成人してるとはいえ、僕は9歳だから」
「レオン君を見てると本当に同い年か解らなくなるけど」
「むしろ自分と同い年に思えてしまいます」
「解っちゃいるけどさぁ……」
成長スピードが速いのは否定しない。とはいえ、それでいて婚約者たちはまだ“婚約”であって正式な“婚姻”という関係でない以上、手を出すのはダメである。そこまで性欲に飢えないのはやっぱりフィーナとの一件が大きいと思う。あれで拙速は駄目だと理解したから我慢も出来ているというわけだ。
神様たちからのお願いで色々実験したり作ったりすることが楽しいというのも否定はしない。すると、アーネストがシュトレオンに問いかけてきた。
「レオン様、今回は3泊の予定とお聞きしましたが……」
「そうだけど、何かあるの?」
「明日は九の月半ば。確か西部では月夜祭にあたるのです。恐らく城で盛大なパーティーが催されることになるかと」
前世ではお月見の季節。この世界では形を変えて月夜祭という催しに変わっている。主に豊漁・豊作を神に感謝してお供えを行い、来年の祈願も兼ねた収穫祭みたいな面もあるが……もう一つ変わった風習がある。それはこの日にお見合いをして婚姻を結び、男女の交わりを行うと絶対に子ができるというものだ。
元来月見の風習にそんなものは存在しないはずである。少なくともシュトレオンの知る限りにおいては。そうなった原因は数百年前の勇者たちが魔王討伐を成した後にあるとエルシュリンデが語った。
『勇者は国王の次男でね……彼が後の王妃となる女性と九の月半ばに婚姻し、交わったことで翌年無事に健康な赤子が生まれたの。多分そのことを教会が脚色を過分に付けて触れ回ったせいだと思うの』
それを裏付けるような形で出生率が伸びたことから、そのまま慣習として残ったようだ。その裏で神様が何かしらのテコ入れを行ったことは想像に難くない。世界の発展でどうしても急に増やせないのは人的資源である。
アーネストの懸念とは、その日に婚約者もとい結婚相手を紹介され、そのまま交わらせる算段なのではないかと危惧していることだった。そこまでやったら婚前交渉に抵触するどころか教会が怒るのでは……と考えたのだが、実を言うとフィーナとの一件があった日はその九の月半ば。広めた側である教会もこの日をはじめとした特定の日の婚前交渉は認めている形だ。
「まあ、クロードは従士という形で出るから流石にないけど……ハルトは父から任命された騎士爵だからパーティーに出席することになるし、アーネストもだね」
「あれ? 確か自分は貴族籍が抜けて平民になりましたが?」
「……証明書を後で渡すけど、アーネストも叙爵になる。相手方との家格を合わせるために男爵位ということになった」
「ええっ!? 大した功績など上げておりませんよ!?」
アーネストも吃驚である。元貴族に爵位を渡すというのは、扱いを間違えれば諍いの種になる。それも見越した叙爵の理由を端的に述べると『政治任用』というのが正しいだろう。
籍を抜いて書面上はオームフェルト家の人間でなくなったとはいえ、貴族という生き物は自らの利のためならば血の繋がりを利用することもある。アーネストが望まなくとも、彼の係累がそれを利用する可能性は残っている。ならば、新たな貴族家を立ち上げることでその画策をそらす狙いがある。
『血の繋がりは消せないが、彼が叙爵すれば新南東部に新たな貴族家が加わる。その寄り親は自動的にリクセンベール伯爵家となり、セルディオス辺境伯家とアルジェント辺境侯家となる。寄り子を無理やり奪おうものなら南部全体を巻き込む図式だね』
新南東部の寄り子一つで王宮・北部・西部・南部を怒らせることになる。そんな導火線をあえて踏みに行くというのなら余程の自信家か馬鹿と言うほかない、との見解をハリエット宰相が言っていたのを思い出しつつシュトレオンはアーネストに事情を説明する。それを聞いた彼の反応は苦笑ものだった。
「なるほど、正装を持参しろというのはこれを見越してですか……」
「地方都市クラスの代官なら男爵が妥当と判断されたものあるけどね」
風呂から上がると、ちょうどメイドから呼び出しがかかる形でシュトレオンは城の執務室に案内された。部屋の中にはニコル財務相だけであり、護衛の兵士の姿はなかった。
「申し訳ないね、シュトレオン君」
「いえ、お気になさらず。して、父らを呼ばずに私をお呼びになった理由は一体何でしょうか?」
「まあ、君に嫁を宛がうことではないから安心してほしいかな」
彼の招きでソファーに座るシュトレオン。向かい合う形でニコル財務相が座ると、一息吐いてから話し始めた。
「明日の午後に見合いをして夜の晩餐会で発表の手筈となってるんだけど、君や殿下らにはその後見人を務めてほしいのです。アーネスト君は現状立場が弱いですので」
「そちらに触れるのでしたら、リクセンベール伯爵家は再興貴族なのですが……」
「その本家筋であるリクセンベール皇家の存在は既に公表されていますし、君の実父であるバルトフェルドの存在はいくらオームフェルトの阿呆でも無視できません。西部の勢力下にある貴族には礼を失することがないよう招待状に含めましたが、油断はできないのです」
東部の影響下になくとも、オームフェルトの武名を尊敬する軍務系の貴族は多い。南部でも表向きオームフェルトへの対抗心を表明している武官の貴族にも建国から続く武の名門という肩書きから頭を下げる貴族はいると聞き及んだことはある。なので、現公爵と血の繋がりを持つアーネストの後見という意味で自分にも同席してほしいと願い出たというわけだ。
それに王国の定期謁見は基本全員参加だが、一部の貴族当主は騎士団などといった事情により免除されていると以前触れたことがある。西部や東部ではそういった貴族がそれなりの数に上るらしく、今回アーネストの見合いをする相手の男爵家は軍務系の貴族なのだ。幸いなのはアーネストの素性なら下手に反発も起きないというぐらいだろう。
だが、明日は九の月半ばという状況から、その連中が晩餐会に娘を押し込む可能性がある。ウェスタージュ家から庶子の嫁を出すのも、彼らからすれば『出し抜ける』という目論見を抱く輩が出てこない保証もないとニコル財務相は断言した。
「いくら貴族籍を抜けたとはいえ、血の繋がりというのは厄介なものでしてね。君は知らないだろうけれど、4年前の魔神討伐を公表した直後、君との繋がりを得ようと軍務系の連中が押しかけてきたことがあった」
「初耳です。父は何も仰っておりませんでした」
「バルトフェルドや僕、ハリエットやバーナディオスで結託して白紙にしてあげてましたから。まあ、君も含めたバルトフェルドの子息は英雄レオンハルトの曾孫、そしてイシュタレア終身南方将軍とランバルト将軍の孫…血縁はなくともその係累となれば箔も付きますからね」
「ランバルト将軍?」
「ああ、彼女はあまり語りたくないでしょうから話さなかったんですね……ランバルト将軍はウェルノール子爵家の出―――バルトフェルドの第二夫人であるエリス夫人のご実家であり、先代王妃が過ごした家です。西部の領邦騎士団を代々束ねる家系でもありますね」
子爵家が領邦騎士団を束ねるのは南部でも同様だったのでそこまで違和感はなかったが、よもや義母の実家が西部の貴族だとは初耳だった。というか意外にもアルジェント家は軍務の家系であることに若干驚きはした。外交には下手すれば殺傷事も有り得る以上無理からぬことだが。
というか、その縛りで行くと自分の場合は実の母が特殊な事情からしてその線は薄いのだが、血は繋がってなくても父の夫人の一人にその係累がいることを利用する貴族がいるのも事実だとニコル財務相はワインを飲みつつ呟いた。
「それは置いといて……今回アーネスト君の見合い相手ですが、一人はコルセラッハ男爵家の令嬢。もう一人は僕の庶子ではありますがしっかり認知しています。彼女の実家はレターの船大工で、懇意にしてもらっています」
その庶子を生んだ母親はニコル財務相が少年時代に出稼ぎで働いていた職場の娘で、ニコル財務相が家を継いだ際に彼女を使用人として雇いたいと頭を下げに行ったそうだ。昔とほとんど変わらない容姿の人物が貴族だったことに彼女の父親は驚きもしたが、それ以上に子どもを産んだことも驚いたそうだ。
「僕が手を出したというよりは妻達が画策してなし崩し的にですけどね。バーナディオスには大笑いされたので王妃に悪知恵を仕込みました。そのお蔭で女子に恵まれましたし結果としては上々ですね」
「忠告ということで心にしっかり刻んでおきます」
「そこまで深く受け止めなくていいですよ。話を戻しますが……シュトレオン君がいてくれると話はもっとスムーズにいくでしょうから」
そこまでのことなのかと思わなくもないが、ウェスタージュ家の立場を考えると文官系の貴族。古来武と公は並立でありながらも融合はしていない。それは中世から近代における日本の戦国時代でも同じことがいえる。
貴族の中には魔物の存在を認識しつつもそれを自ら討ち果たすのは『穢れ』であると思う者が少なからずいる。それを平然となして冒険者の存在を重用する傾向が強いのは武門の一派などと言われる軍務系の貴族家。王家が冒険者に理解が深くても貴族生来の『誇り』の問題である。
その点で言えばリクセンベールを家名に選んだことは都合が良かったのだろう。一部の貴族から良い目で見られてはいないが、万人に良き印象を与えるというのは最早洗脳のレベルである。そこまで労力を割く理由もないし、敵対しないのなら放置するに限る。何かしら危害を加えるのなら言い逃れできない証拠をキッチリ揃えてから社会的に抹殺するだけだ。
それにしてもニコル財務相の言葉は些かオーバーだと思わなくもないシュトレオンであったが、それは誇張表現でなかった事を知ったのは翌日のお見合いの席であった。