箱庭と想い出のアップルシナモンロール1
窓のカーテンから微かに朝の光が差し込める。
カンナはうっすらと目を覚ました。
カーテンを少し開けて音のする方向を確認すると普段は使われていない空き家から、氷を鉄のカナズチで加工している音がする。
いわば鍵盤をバチで叩く鉄琴のように、氷を叩く音は羽根のように軽く、叩いては音が弾け飛んだ。目を閉じると自分が空一面に広がる星空の下で、あの日アイリスと星座を見た思い出が甦る。
それは初めての王子様と逢った日のことーー……。
***
「ここが……王子様のお城ーー……?」
見たこともない広いお庭に咲き乱れる花たち。
それは幼いカンナの心を射止めた。
「君は……? だれ?」
太陽の恵みを存分に堪能しすくすくと育った瑞々しい薔薇の蔓には溢れんばかりの薔薇が咲き乱れている。薔薇のアーチを潜り、姿を見せたのは、お目当ての「王子様」。
王子は頬に砂ぼこりを付け、手は泥だらけの小さな幼いカンナを見ると、疑いもせずに腰を下ろし、目線を合わせた。
「迷子?」
カンナは頭を傾げる。
「……おかしいな、普通の人間は門からは入れないようになっているのだけど」
さらにカンナは逆の方向に頭を傾げる。
「あなたが王子様?」
アイリスはその言葉に驚いた。
自分がまさか初めてあった見知らぬ子に「王子様」などと呼ばれると思ってもいなかったので、どう反応したらいいかしばらく悩んだ。
「違うの?」
「うーん……王子だなんて身分の高い者では、ないんだけどね?」
アイリスはふと、花の香りとは違う、もっと美味しそうな甘い香りがカンナからするのに気がついた。
「私はお菓子売り……。王子様、わたしのお菓子を買っていただけませんか……?」
「へーえ?」
道にさ迷いながらも大切に大切に持ってきたのだろう。
篭のハンカチをふわりと取ると、そこには甘い香りの正体があった。
「どうぞ、アップルシナモンロールです」
「え……いいの!?」
「はい! だって王子様は甘いものがお好きなのでしょう?」
アイリスは篭からシナモンロールを1つ手に取ると、パンの匂いを堪能した。
「甘い香りの中に少しだけハッカのような、鼻の奥をツンとくすぐる苦い香りがする」
「シナモンです」
アイリスが一口だけ味見をすると、中から蜂蜜とよく煮こまれた甘い林檎がとろけ出す。シナモンのピリッとした苦味と甘い香りが、林檎と混ざりあい、お互いの味を引き立てていた。
「美味しい……」
もぐもぐとあっという間にパンを1つ平らげ、もう1つに手を出そうとした時、カンナはアイリスの手を止めた。
「食べ過ぎは毒ですよ? シナモンは少しだけ食べるから甘いのです」
「……そうなのか?」
食べたい気持ちをグッとこらえ、アイリスは指についたシナモンパウダーをペロリとなめた。すると、じっと側で見ていたカンナのお腹が「ぐぅぅ」っと可愛らしく鳴る。
アイリスはくすくすと笑うと残りのパンは小さな彼女の為に残した。
「悪いが褒美を渡したいのだが、私は硬貨を持ち寄せていない。変わりに、この城にあるどれでも好きな花を渡そう」
「花をいただけるのですか?」
カンナはまた首を横に傾げる。
「ご不満か……?」
カンナは姉や母親から頼まれた役割を無事に果たせたのでホッとし、気がゆるんだのか、その場にペタんと座り込んだ。
「もうすぐ日が落ちる。ここで座っていては、体が冷えてしまう。どこか休める場所に案内しよう。」
王子がカンナの手を取ろうとするが、目の前がかすれ、もう少しのところで手をつかみ損ねる。カンナはその場に倒れた。
(これで、お姉ちゃんも、お母さんも、みんなご飯を食べれる。
……みんな、お使いは成功したよ? いま……無事に花を持って帰るから……もう少しだけ……待っててね……?)




