王子様の秘密とほろ苦いクッキーの味
王子様はカンナの肩にそっと手をあてて、右手でお城の大きな扉のドアを開ける。
「さぁ、どうぞ」
大理石で出来た床には、人が歩く部分だけ深緑色の絨毯が敷かれている。カンナは王子様に少しでも良く見られるようにヒールが高いクラシカルシューズを履いてきた。卸したてなのだが、整備されていない道を歩いてきたので靴は泥が付いており、この足で綺麗な絨毯の上を歩くのは申し訳なく躊躇した。
だが、王子様はカンナの小さな手を握りしめ、そんなことは気にもとめなく颯爽とお城の中を案内をする。
後ろを振り返り足跡を確認するが、綺麗な絨毯のままだった。
不思議と思い靴の裏を見ると泥などどこにも付着していない。
「……え?」
絨毯だと思っていた布の繊維は毛先をさわさわと泳がせている。良く見ると毛の繊維などではない。ぎっしりと敷き詰められた芝生が、葉をすり合わせ泥を吐き出し煌びやかな金箔に変える。
「どうかした?」
カンナは目を擦ると何でもないと平然を装う。
扉から中に入り、廊下を案内されただけでも見たこともない装飾品、煌めかしい骨董品に頭の処理が追い付かなくなる。
自分が住んでいた場所とは全く違っていて、今見ているのが幻かと思うくらいだ。それは、「夢」の世界にいるようだったーー……。
お城の窓から眩しいほどの太陽の光が差し込み、ぼうっとした視界を現実に引き戻す。長い長い絨毯の先に神秘的な程真っ白な扉が見える。
「……開けてみて?」
少し屈んでカンナと目を合わせたアイリスは、彼女に扉を開けるように促す。
カンナは金色のドアノブに手を掛けて、右に回す。
大きな扉が開くと、舞踏会の広間かと思うくらい大きな空間が見える。天井からぶら下がる大きなシャンデリアに滑りそうなくらいツルツルに磨かれた床。カンナは圧迫され息を呑む。
……しかし、アイリスは何事もなく扉を閉めた。
自分のポケットから手のひらに収まるくらいの小瓶を取り出すと、瓶の蓋を開け、中から米粒くらいの小さな「種」を取り出す。
種に吐息を吹きかけると割れた殻の先から絹糸のような細い芽がゆっくり伸びてきた。ニョロニョロと伸びた芽は鋼のように固くなる。根の部分を殻から取り出し、そっと鍵穴に入れる。
鍵穴の中でカシャンと音がすると、ゆっくりと扉を開けた。
先程とは全く別の小ぢじんまりとした空間。
部屋の中央には四人が座れるくらいのテーブルが置いてあり、豪華な金の花の刺繍のテーブルクロスに、猫足の可愛らしい椅子。どこに座ろうかと悩んでいるとアイリスが声をかける。
「カンナは私の向かい側の席だよ?」
「は、はいっ!」
ここはアイリスがお気に入りの人にしか見せない秘密の小部屋だった。
カチコチに体をこわばらせ、緊張しているカンナ。一緒に連れてきたインコのフィルが入った篭を自分が座った隣の椅子に置く。フィルは隙を見て、篭の中からアイリスに見つからないように素早くテーブルクロスの中に身を隠した。
「カンナ、持ってきたお菓子を王子様に渡して? 早くしないとせっかくのお菓子が冷めちゃう」
フィルはカンナだけに分かるくらい小さな声で囁く。カンナは篭の中からクッキーが包まれた布を取り出すと、アイリスの前に恐る恐る差し出した。
「ど、どうぞ……」
「……カンナが開けて見せてよ?」
目の前で微笑むアイリス様は優しさで満ち溢れているが、いつもどこか悪戯そうに微笑む。味に自信のないカンナは恥ずかしくて見せることが出来ないと躊躇していた。見かねたアイリスが、カンナのクッキーを隠す手に触れ布を広げた。
「いい香り…………」
「あ、あのね……、チョコチップクッキーだけだと飽きると思って色々な種類のクッキーを作ってみたの……でも、はじめてだから……」
丸や四角に星形、様々な形がある中で、見たことがない珍しい物を見つけ、手に取りアンティークなシャンデリアの光にあてて透かして見る。
「クッキーの中心に、透き通ったガラスみたいな物があるけど、これは食べれるの?」
赤、オレンジ、黄色……クッキーの中心にステンドガラスのようなキラキラと光る半透明の物が挟まれている。
「飴です」
アイリスは見たこともないクッキーを珍しそうにしばらく眺めた後、ぱくりと口に入れた。
「赤がイチゴで、黄色がレモンか……美味しい……」
自信がなくうつ向いていたカンナはその言葉に花が咲いたように明るい笑顔を見せた。
「よ、よかった……! これはクッキーで枠を作り、中心に飴を流し込めるだけなので私でもとても簡単にできるの……!」
シナモン、ココナッツや、カシュナッツなどの木の実が入ったクッキー。アールグレイ等の紅茶の葉を混ぜ混んだクッキー。
「よくこれだけ作ったな……」
「美味しく食べていただきたかったので、頑張りました」
えへへと謙虚に笑う、カンナはとても女の子のらしく可愛らしい。彼女を例えるなら「木漏れ日」だ。庭の木陰で休んでいるときに葉の隙間からそっと差し込める優しい光のようだった。
……そう、アイリスにとってはカンナと過ごすこの時間が堪らなく、堪らなく「癒しの時間」だったのだ。
「……カンナ、チョコチップも入れたんだろう?」
テーブルクロスの下でひそひそと呟くフィル。
「アイリス様、ぜひ、チョコチップクッキーも食べてください……!」
アイリスはティーカップに注がれた紅茶をゆっくり味わいながら味と風味を堪能する。
「……いや、今日はチョコチップクッキーはやめておくよ」
「……へ? どうしてですか?」
小さな窓からどこか遠くを見つめるアイリス。
「……それより、カンナ。私の庭で欲しい花は見つかった?」
「え、ああ、えーっと……」
「それでは、適当に見繕って送っておこう。送り先はいつもの自宅でいいね?」
アイリスはお茶会を終わりにして、席を立つ。
一番力を入れて作ったチョコチップクッキーを食べていただけなかったので、しょんぼりとしながら、カンナも席を立ちお辞儀をした。
アイリスは窓の手前に立ち、少しだけ窓を開けると、春の爽やかな風が入ってきてカンナの髪をなびかせる。
アイリスは瞼を閉じて自分の指先を唇にあてる。
何やらブツブツと小声で呪文を唱えたかと思うと、指先から花の鱗粉のような微粒の粒子が溢れ出す。指先にフッと軽く息をかけて、「魔法」がかけられた言葉を空高く飛ばす。
小さな粒子は円を描き、鱗粉に乗って飛ばされた「言葉」は庭にある花の茎を次々と切り裂いた。
スパンと花の茎を裂くと水しぶきのような光が回りに散らばる。庭にある数多くの花たちの中から選ばれた花は、瑞々しい花びらと葉がふわりふわりと舞って、カンナの手元へとたどり着いた。
虹色の光を輝かせ両手で持ちきれないほどの美しい花たちがカンナの腕の中に落ちるーー……。
アイリスはカンナのそばに寄ると、持ちきれず手からこぼれ落ちた花を拾う。すると、その花びらに、そっと、口づけをした。
愛する恋人の唇に触れるかのように愛おしく、そっと……。
アイリスの唇が触れた場所から、花びらは冷たい氷に包まれる。
「魔法の花」の誕生だったー……。
「…………!! こんなにいっぱい……!!」
「大丈夫だ。直接おうちに送るから、カンナは軽くなった篭と可愛らしい鳥と一緒にお喋りして帰るといい……」
「……フィルのこといつの間に!? 全部知っていたのですね」
フィルはバレたらしょうがないと潔く椅子から飛び立ち、カンナの肩へと止まる。
「二人とも今日はとても楽しかったよ、またおいで」
目標を達成したカンナは深々と頭を下げて、部屋を後にした。
お城から出て、帰り道に夢のような一時の甘い時間を思い出す。
「カンナ、あの魔法の花束は高くつくだろうね。王子様には、申し訳ないけれども、これも家族の為だよ」
カンナは「うん」と頷く。
目標は達成出来たのだが「……どうして、一番大好きなチョコチップクッキーが食べていただけなかったのか」と、頭の中でぐるぐると悩んでいた。
「……カンナ?」
「あ、ううん、なんでもないの。早く、みんなのいるおうちに帰りましょう……!」
***
「私のカンナ……またおいで。美味しいお菓子は君が来るまで少しずつ少しずついただくことにしよう……」
お城に住む王子様は、お一人でした。
お庭にはいくつもの珍しい花が咲き、庭師が常に手入れをしているという噂でしたが、それは王子様が自らすべて一人で管理していたのです。
王子様というはこの地に身を隠すための仮の姿。
町の人たちは彼を王子様だと信じておりますが、
彼の本当の正体は、「花紡ぎの魔法使い」でしたーー……。




