甘い物語の始まり
「……無駄だよ、だって花は枯れてしまったじゃないか」
暫くその場に立って様子を伺っていたアイリスの双子の兄、シオンは顔をしかめて答える。
「……ほら、俺の魔法でも元に戻らない」
シオンは右手に魔力を込めて花に手をあてる。
せめてもの罪滅ぼしにと枯れた花を残った魔力で蘇えらせようとした。
-……だが、花紡ぎの魔法使いの純潔な血を引き継ぐ上級魔法の使い手、シオンでさえも一度枯れた花を元に戻すことは出来なかった。
枯れた花たちを見て、カンナの心には悲しみの感情が込み上げてくる。
「カンナ、悲しむことはない。花をよく見てごらん」
枯れた花の蕾を良く見てみると
花は小ぶりの新しい「種」を付けていた。
アイリスは遠くで様子を見ていた双子の兄、シオンに問いかける。
「兄貴、私はもう故郷に戻ることはない。」
「アイリス……」
「私は同族の血よりも、自分の魔法を回復する術を知ったから……」
アイリスは自分の腕の中に戻った彼女、あの頃と同じく頬に泥を付け、砂ぼこりまみれでも花の種を大切そうに握りしめるカンナを愛おしそうに見つめていた。
「本来ならば花を操る花紡ぎの魔法使いが、
たったひとつの可憐な花に捕らわれることに
なるとはな……
どうやら私が愛した花は
魔法使いも魅了する程の、毒のある花だったようだ」
アスターはシオンの悲しそうな目を見て、ポンっと軽く肩を叩いた。
「……わかった。だが、アイリス。
俺は……故郷からお前のことをずっと見守っているからな……!」
いつの間にかあたりは明るくなり、遠くの山の影から朝日が高台に建つお城を照らしていた。
カンナは温室から一人外に出向き町の様子を伺う。蔓や棘は全て消えて、長年暮らした元の町に戻っていた。
町の人々は次々に目を覚ます。
「あれ……? 俺たち……こんな地べたに寝転がってどうしてたんだっけ?」
市場をくぐり抜け、少し街並み外れた野原にポツリと建つ一軒家。
家の中から足が不自由なカンナの母親の肩を抱いて、カンナの姉、カリンがゆっくりと重たいドアを開ける。
カンナのうちは薔薇の蔓が窓ガラスを破り、蔓が部屋の中まで侵入し、テーブルや椅子をなぎ倒した後があった。
二階のカンナの部屋まで伸びた蔓はベッドの側まで来るとそこで成長を止めた。家族はカンナの部屋に食料を持ち寄り、身を寄せて幾月もひっそりと暮らしていた。
……そう、家族は誰一人眠ることなく家の中に隠れていたのだ。
姉はカンナのベッドの下から光輝く箱を見つける。
そっと箱を開けると小瓶に入った花びらは
妖精の羽についた鱗粉のようなわずかな光を放っていた。
カリンは幾月もの間、カンナの箱を肌身離さず大切に抱き締めていた。
そして、同じように何事もなく無事に家に隠れていた者が、ひとり、またひとりと家から出てくる。
その人々は家から出てきたカリンを見つけると、側に寄り深々と頭を下げた。
「貴女から買ったペンダントが、私たちを守ってくれたのーー……」
カリンは沢山の人に次々と手を握られる。
カリンはその笑顔につられ、照れ臭そうに微笑んだ。
落ち着きを取り戻した町の人々は、早速朝食の準備を始める。
お家の煙突からはもくもくと煙が出て、美味しそうなパンが焼ける香ばしい香りが風に煽られ、遠くのお城にいるカンナの鼻先までやって来た。
水平線上から顔を出した太陽が、空高く昇り町全体を照らし出す。森の向こうから一匹の鳥がカンナを見つけると一目散に飛んできた。
「よかった! カンナ! 無事だったんだね……!」
カンナの相棒のインコのフィルは、彼女の肩にそっと座ると頬にほおずりする。
「カンナ……!」
誰かに呼ばれたような気がして、カンナは後ろを振り返る。
しかし、シオンとアスターの姿はもう、どこにも見えなくなっていた。
「カンナこっちだよ」
甘い声の主はいつものように手招きをする。カンナの座る椅子を引くと、向こう側のソファーに腰をかけ、何もないテーブルに肘をついた。
「……さぁ、お茶会をはじめようか。
聞かせておくれ貴女のお菓子のように甘い旅の物語をー……」
*花紡ぎの魔法使い*end




