リミッツ
蝉の声はとうに聞こえなくなった十月。少しずつ冬に近づいていく中、穏やかな日々を殺す影が近づいてくる…
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
岡山県のある、学力はそこそこ高い公立の高校、何気無い日々を謳歌している学生は友達と駄弁りながら通学し、授業を受け下校する。
そんな何気無い日々のうちの1日、1年B組中々活発なクラスで明るい生徒が多い35人のクラス。今は数学の授業で佐藤 智之という新任教師の授業。まだ若く生徒とも気軽に接する教師だ。そうすれば必然的に校内での人気が高くなる。
「おい、涼」
涼と呼ばれた男子は呼ばれた方に振り返る。ちなみにこの教室は男女別の列が交互に3列ずつ女子の1列だけ5人という仕組みになっている。
「なんだよ、蒼也?今授業中だぞ静かにしてろよ」
二人にとってこの会話はよくあることで特に珍しいものでは無かった。
「そうお堅いこと言うなって、んな事よりコレ見てくれよ」
そう言って差し出したのは一冊の雑誌いや、写真集。グラビアの。
「……」
涼は言葉が見つからず、黙ってしまう。授業中にグラビアの写真集を堂々出すだろうか。確かにこの学校は校則はそこまで厳しくなく持ち物チェックはない。
「なあ、この子おっぱいでかくねぇか?めっちゃ可愛いだろ?」
人は胸の大きさだけでは判断してはならないと思うのだが。だが反論はしない。前にそう言ったが、断固否定されてしまった。
「そうだな」
だから涼はそんな返事をする。
「なんだよー、まぁお前は太ももフェチだからなあ」
蒼也は少しニヤニヤしながら涼に顔を向ける。何に納得してんだよ。前に男子数人でそんな話をしたのだ。男子高校生ならそういう話題の一つや二つあるだろう?
けど流石に気恥しいといいますか。
「ほっといてくれ」
「じゃあさ、この子とうちの生徒会長どっちがいいと思う?」
なんだよいいと思う?って。
この学校の生徒会長は3年A組の綾瀬 凛。黒髪ショートヘアで10人すれ違ったら12人振り向くような美女。決して大きくはないが小さくもない、まさに美乳の持ち主。告白された人数は教師や女子も含め100人を超えるという噂も。時折見せる笑顔はまるで天使のようだと。
「さぁ?どっちも可愛いとじゃないか?」
涼は適当に返した。
「そうだよなそうだよな!」
それでも蒼也は興奮した。声が少し大きい。これは流石に先生にも気づかれたんじゃ………
「新谷、荒川授業中だぞ、静かにしろ。特に新谷学校にそんな物持ってくるんじゃない」
口調こそ厳しめかもしれないが声は割と穏やかで呆れも入っているんじゃないか、と思わせる声。そしてクラスにちょっとした笑いが起こる。
「はーい、次から気をつけまーす」
蒼也は軽い口調でそんなことを言う。
「全く────」
ピンポンパンポーンと突然スピーカーから放送合図のチャイムが鳴り響く。
『砂のトラックが校舎に侵入しました!!教員は直ちに生徒の……ウガッ』
砂のトラック。それは校内に不審者が入ってきた時の暗号だ。正直こんなわかりやすい暗号でいいものかと思う。そして最後の呻き声も気になる。これは案外緊急事態なのかもしれない。
『ガキども。この学校は俺達が貰う。逆らう奴らは殺す。それだけだ』
そこで放送は切れる。とほぼ同時に教室の後ろのドアが勢いよく開かれる。入ってきたのは成人男性二人、自衛隊のような服を着ているのだがその姿は殆ど黒く手には銃を持っている。
「降伏して両手を挙げろ。さもなくば殺す」
生徒は困惑した。いきなり殺すとか言われたって理解が追いつくはずがない。だからただ呆然と二人の方を向いて黙っているだけだった。その状況の中で動いた者もいた。
「なんだ君たちは!?今すぐここから出ていきなさい!!」
佐藤智之が言ったのだ。この状況で動いたことは勇敢な事ではないか。だがここでのその選択は間違いだ。
ドドッ。男は撃ったのだ。天井を。
「手を上げろと言ったはずだ。次は無いぞ」
そしてようやく状況を理解したのか生徒が次々手を挙げだした。もう逃げ出そうとする気力も失ったのでは無いか。もし今のが佐藤智之に当たっていたら、恐らく生徒はパニックに陥り降伏もクソも無かっただろう。
しかしそれでも佐藤智之は手を挙げながら言う。
「君たちの目的はなんですか?それともお金──」
「黙っていろ。それとも死にたいのか?」
その言葉で佐藤智之は黙り込む。この先は危険だと本能的にも理解したのだろう。今喋るのは勇敢では無い。蛮勇、愚かな行為に等しいだろう。
それから間も無い頃もう1人の男が口を開く。
「なぁ。このクラスよく見たら上玉もそこそこ居るじゃんか。ここは一つ犯していいっしょ?」
犯す。この状況では殆どの生徒が理解した。それがどういう行為か。女子の顔色が恐怖から絶望、畏怖に変わる。
「………好きにしろ。ただし…」
「分かってるよ。1時間以内だろ?」
「ああそう………そこのお前、両手を挙げろと言ったはずだ。聞こえなかったのか?」
そう言って銃口を向けたのは荒川涼。先程まで下らない話をしていた人物だった。
「……………」
涼は黙ったままだった。黙ったまま立ち上がった。
「何のつもりだ?貴様」
再び問いかける。が涼は何も答えない。次の刹那。涼は人間がギリギリ視認できるぐらいの速度で二人に迫った。そのまま一回転し、その勢を利用して踵で蹴る。しかし一人はしゃがんで避ける。先程犯すと言った方の男はグシャリと音を立てて、掃除ロッカーまで吹き飛ばされる。掃除ロッカーもベコっと凹んだ。
「何者だ!貴様!」
と声を荒げて言いながら手に持っていた銃を投げ捨て、ナイフを取り出す。近接戦になると予想したのだろう。近接戦において両手銃は圧倒的に不利だからだ。
「答える義務はないね。俺は君等を捕まえなきゃなんない」
口を開いた涼は、そうい言った。
男は思考回路をフル稼働させる。状況を把握しなければと。
(こいつはなんなんだ?ここはただの高校じゃなかったのか?いや、明らかにこいつだけ異質だ。さっきの速度は人間の出せる速度じゃない。そしてあの蹴りの威力も異常だ。細い足であそこまでの威力…)
男は相当訓練されたのだろう。そしてある一つの答えに辿り着く。
(ガキの割に化け物みたいな身体能力……まさか、あの噂は本当だったのか!?だとしたら俺だけでは手に負えない応援を呼ばねばっ!)
そう言って男はポケットから黄色い玉を取り出す。しかし───
「あはっ。呼ばせると思った?君には聞きたいことがあるからちゃんと捕まえないとね」
いつの間にか男に近づいていた涼は男の腹を殴り、黄色い玉を奪う。
「何っ!く…そが。国の………国家のモルモットがぁっ!」
もう一発殴るそれでもまだ意識はあるようだが体を自由に動かせない。
「へぇ。よく知ってんじゃん。尚更捕縛しないとね」
男は最後の手段に出る。それは─────
────自決だ。
拷問されで自身が持っている情報を洗いざらい吐く前に自殺するのだ。
やはり怖いのか目を瞑り息を止め口の奥にあるカプセルを歯で砕こうとする。だがそれも失敗に終わる。口の中に何かが突っ込まれているのだ。それは手だ。先程の青年の。
「死なせる分けないじゃん。君は沢山の情報を持ってそうだしね」
そう言って涼は男の口の中から青いカプセルを取り出す。そして男をもう一度殴り気絶させた。
「うえっ。汚いなー」
涼の手には男の唾液と青いカプセルがあった。すぐにティッシュをボケっとから取り出しカプセルを包む。そして次はウエットティッシュを取り出し手を拭く。涼は決して潔癖症などの類ではないがいつも持ち歩いているのだ。もう一方の男も確認してみる。どうやら死んでいるようだ。自殺で。
そして図ったかのように授業終わりのチャイムが鳴る。暫くの間静寂が続く。無理もないだろう。たくさんの事があり過ぎて未だに困惑している。その静寂を破ったのは他でもない涼だった。
「先生……いや、佐藤さん紐かガムテープ有りますか?」
敢えて先生と呼ばなかった。今涼は佐藤智之という人間と、教師と教え子の関係ではなく社会人として接しているのだ。
「えっ?その、ない……です」
突然声をかけられたため、裏声が出た上に敬語になってしまった。
「そうですか、では取り敢えず四肢の骨を折るか」
そう言って実行に移そうとした時、新たに教室に数人入って来た。再び生徒の顔が青ざめる。が、それは涼にとって馴染みのある人物だった。
「涼、ここからは私たちがする」
一番最初に入ってきた男性が涼に指示する。
「了解です」
と短く答えた。次はクラスの方から声が出る。蒼也だった。
「あ、あんたら誰だよ?り、涼の知り合いなのかっ?」
震えた声で問う。その問いに涼が答えようと口を開く。
「えーと、この方達はな……」
さっきの男性が左手を伸ばして遮る。
「私達が説明させて貰います。先ず私は日本正規軍中将小野 一樹です。そして今日この問題を事前に阻止出来なかった我々をどうか許して欲しい」
そう言って小野一樹は頭を下げる。それに続くように、他の軍人もそして涼も頭を下げた。
「何から話そうか、あぁ、この学校は我々が保護した。他の生徒ももう大丈夫だろう。今回の件にも関係があるのだが、この世界で戦争が始まろうとしている」
「なっ!中将、それは……」
涼が声を上げる。
「もう隠すことは出来ない……我々は戦争を始めさせないように動いてきた。だがそれは限界が来たようだ。今回の件もその事がきっかけだ」
また、クラスから声が上がる。蒼也だった。
「戦争?あんたらは涼に行かせるのか?まだ高校生だぞ!?それに国家のモルモットって何のことだよ。説明してくれよ」
蒼也は友達思いの良い奴なんだ。
だから涼が言う。
「蒼也、ありがと。心配してくれて。詳しくは言えないけど俺等はリミッツって呼ばれてる」
ゆっくりと涼が説明しだしだ。
10年程前に二つの勢力がとある実験をしていた。脳には自分を制限するリミッターがあると。そのリミッターを意図的に外すことが出来るなら人類は新たな道を進むことが出来るのではないか。実験は順調に進んでいった。道は違えどゴールは等しい。けど違った。一方の被検体が暴走を始めたのだ。その結果、研究はどちらとも国からストップがかかり終わったはずだった。
どちらも完成はしていたのだ。被検体となった子供たちを国は引き取り兵器に仕立てあげた。一錠、たった一錠飲むだけで人間離れした力を得ることの出来る子供たち。国は隠した。その存在を。そして密かに利用した。凶悪犯罪者の抹殺、そして何よりも、亜人と呼ばれる知的生物との戦闘に。
日本正規軍特務部隊通称【リミッツ】その総隊長が荒川涼だった。現在隊員は日本各地に散らばっており、今回のような件に備えている。
「俺はこの事が別に苦じゃないし良いと思ってる。給料も貰ってるしな。あ、ちなみに生徒会長もリミッツだぞ〜」
少しからかうように言ったせいか生徒の顔もより落ち着いてきた。
「ま、そんな訳だから。心配すんな、俺らが守ってやるから皆も地球も」
「随分言うようになったじゃないか。彼女でもできたのか?」
小野一樹が涼をからかう。そこで声が上がる。今度は佐藤智之だ。
「小野さん。どうしてこの学校が対象になったのでしょうか?」
「ここが龍脈と呼ばれる場所だからだ。龍脈は亜人達にとって、能力的なものが上がるからと言われている。亜人は人ではない知的生物のことを言う。近年再び現れだしたのだ」
亜人。誰もが知っている。昔一体で数百人殺したと言われる化け物だ。今回入ってきたのは恐らく雇われた傭兵なのだろう。
「嘘だろ……。そんな事が」
誰が呟いたのか、それすら分からない。
これは戦争の始まりと涼が英雄と呼ばれる前の物語。穏やかな日常はもう帰ってこない。