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ソウル・サヴァイヴァー  作者: おたふく
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Day4

 Day4

 天上に白く光る満月、その下にひろがる森。その中を走るふたつの影。追うものとと追われるもの?

 それは……。桑原と……、玲子。

 つまづいて転んでしまい、動かない玲子。

 近づいていく桑原。

 獲物をとらえた肉食獣のような、残忍な笑みを浮かべる桑原の顔が、暗闇の中で、見えたような気がした。

 彼は玲子の足首を乱暴につかんで、そして、次の瞬間、後方へと弾けとんだ。反発する磁石のように。

 半身を起こし、玲子は桑原にたいして向き合った。

 その体から、なんだろう、黒い霧のようなものがのびて、桑原に向かってのびていく。

 黒い霧にのまれてしまった桑原は、しばらく痙攣するように体をひくつかせて、そして動きを止めた。

 もう動かない。

 ……。

 カナは目をあけた。

 カーテンの隙間から差し込む陽光。朝になっていた。

 今のは……夢。また予知夢を見たのだろうか?

 玲子。いつも予知夢の中には彼女が出てくる。

 何かが起ころうとしているのは確かだった。とにかく玲子に話を聞いてみよう。

 そう考えて、食堂で待っていたけれど、いっこうに部屋から降りてこない。しびれをきらし、部屋をおとずれると、ノブには鍵がかかっておらず、中は空っぽだった。

 ひえびえとした室内の雰囲気から察するに、出て行ったの数時間前、真夜中のあたりだろうと思われた。

 そんな時間にどこへ?

 夢に見た光景が頭をよぎる。

 ひょっとして……。

 調べてみると、桑原もまた、部屋にいなかった。

 カナは階下へとおりて、麻木教授をつかまえると現状をうったえた。

「玲子がいないんです。きっと森の中にいる!」

 報告をうけて、麻木の指示により、捜索が開始された。

 どこに隠れていたんだろうと思うくらい、館内にあらわれた男性従業員ら、数十名が四方に散らばっていく。

 館内で待機するように、言われたものの、じっとしていることなどカナにはできなかった。すぐに玲子をさがしに、教室を飛び出した。


 ※

 玲子と桑原が二人同時に消えたと聞いて、即座に杏の脳裏には嫌な予感がひろがった。

 二人の間に何かトラブルがあったにちがいない。当初から、玲子が桑原を嫌っているのは、傍目にもよくわかったからだ。

 なかでも、玲子と一番仲良くしていたカナが、心配なのだろう。待機しているようにとの忠告を無視して、探しに外へ出ていくと、まもなく七海も出ていった。

 漆黒のオーラをもつ玲子。いまや怖れさえ抱いている彼女と、最初からどうも好きになれなかった桑原。苦手な二人が消えたところで、杏にしてみればどうでもよかった。

 むしろホッとしていたくらいだったが、皆がではらった館内の雰囲気はあまりに重く、陰鬱で、たまらずあとをおうように、外へ出た。

 中庭を進んでいると、森の中へと駆けていく幾人かの従業員の背中が見えた。改めて、館内に、これほど多くの人がいたことに驚いていた。

 というのも、そんな気配などまるでなかったからだ。とくに夜などはひっそりとして、自分一人だけが取り残されているような、そんな気分にいつもなっていたくらい。

 それにしても今朝の天候は、昨日までの晴天がうそのように、不穏な黒雲がいっぱいにひろがって、風も強くなってきたようだ。嵐の前触れ、まさにそんな感じがする。

 杏の足を立ち止まらせたのは、森の入り口にさしかかった時、木の幹についた黒い染みのようなものだった。それは、実際についているものでなかった。ある能力を持つ者だけ、つまり杏のようにオーラが視える人だけが判別できる、それはオーラの残像だった。

 それは漆黒の色をしていた。つまり玲子のものにちがいない。

 見ると、残像は森の奥へとさらに点々と続いているのがわかる。

 後を追って、どれくらい進んだだろう。ある箇所に、それはさらに強く残っていた。

 少しひらけた空間、大きな岩棚があるそこで、何かがあったのだ。杏はそう直感した。

 よく見ると、周囲の木の枝がいくつも、ナイフで切ったように、きれいに折られ、岩棚の上には不自然に多くの小石がちらばっている。

 岩のうしろには茂みには、人が押し入った形跡があきらかにのこっており、黒い残像も葉についている。

 この先に、いる。杏のなかで予感はさらに強くなっていた。

 やはり。そこにいた。大きい白樺の木の根元に二人はたおれていた。身をまるめ、うつぶせにたおれている玲子、そこから少しはなれた場所に、仰向けに桑原がたおれていた。

 双方ともに、ピクリとも動かない。

 怖い。けれども確かめずにいられなかった。おそるおそる近づいて、杏は悲鳴をあげて座り込んでしまった。

 それは確かに桑原謙人、その人のはずである。背格好、身につけている服装には見覚えがあった。

 けれどその顔は、枯れ木のようにシワがより、頰はかけ、目が落ちくぼんで、まるでミイラのようだったのだ。


 ※

 空一面にひろがった黒雲から、ポツリポツリと雨が落ち始めて、大地をゆっくりと濡らしていく。その様子を、窓越しにカナは見つめていた。

 行方不明のふたりを、発見したのは杏だった。

 何を見たのか呆然とした表情で、幽霊のような足取りで、洋館にもどった杏は、教授にあらましを告げたのだ。

 それを聞いた教授は従業員らを引き連れて、森の中へはいり、ふたりをつれてもどってきた。

 そして簡易タンカに乗せられた、桑原と玲子は、館内にある医務室と、その隣の診察室へ、それぞれ別れて運ばれたのだ。

 怪我でもおったのか、桑原のほうは顔に包帯が巻かれていた。それはミイラ男を連想させる異様な姿だったが、それよりも、カナは玲子のことが心配でならない。

 彼女の安否を確認するまでは、落ち着くことができず、このホールで報告があるまで待つつもりだった。

 そう。杏に。現場を発見した彼女に、状況を聞ければ一番いいのだが、なにやらひどいショックを受けたらしく、自室にこもったきり、部屋から一歩も出てこない。彼女がそこで何を見たのか。考えだすとこわくなる。

 ともあれ、カナが見た予知夢が当たるとすれば、これにかぎらず、今後も、玲子の身に何か危険が起こることになるのだが……。

 するとドアがひらいた。従業員のひとりがやってきたのかと、振り返ると、玲子が立っていた。おどろき、近寄り、声をかける。

「もう、大丈夫なの?」

 ひとりで普通に歩き、ここへやってきたところを見ると、体調は悪くないのだろう。見たところ、怪我もないようで、頭や腕、足にも、包帯、絆創膏などされてはいない。

「水をおねがい……」

「まってて」

 のどが渇いていたらしい。カナが差し出したミネラル・ウォーターをひとくちで飲み干すと、ようやく落ち着いて、ホッとした顔つきになった。

「何があったの?」

 すかさずカナがたずねると、思い出すように眉間にしわをよせて。

「ねむれなくて、散歩に出たの。そうしたら桑原があらわれて。彼は怒っていた。わけがわからずに逃げて。そして転んでしまった。……あとはおぼえていない」

 そう言った。そしてそれはカナが夢で見たとおりのことだった。


 ※

 と、カナにたいして説明をしたけれど、実際にはその後の記憶があった。

 桑原の凶悪な目つき、残忍な笑み、私の足をつかんだ、彼の手のヌルヌルとした気色の悪い感触まで、はっきりとおぼえている。

 わたしに触れるな!

 全身が怒りで熱くなって、その怒りを解きはなった。その記憶があった。

 するとわたしの足から、ふれている桑原の手を通して、何かがはなたれた、ような、気がしたのだ。そのあと、彼の体がはじけとんだ。

 あれは何だったのか、よくわからない。

 わたしが彼をはじきとばしたのだろうか? それとも、わたしの中にある、何か、が?

 考えたくない。それが事実だとしたら。わたしは自分が、普通でない、化け物だと、認めることになる。

「白河くん。ここにいたのか。だめだよ。勝手に出歩いては」

 低い男の声。ホールにはいってきた従業員だ。

「まだしばらく安静にしていなきゃ。医務室へもどるんだ」

「でも……」

 体調はすっかりよくなっていた。どこも痛いところはない。

「玲子。この人の言う通り、もう少し寝ていたほうがいいよ」

 カナに言われて、しかたなくうなずいた。そして聞いてみる。

「桑原さんは?」

「彼なら大丈夫。ショックを受けて、気をうしなっていただけだ。しばらく休めば元にもどるよ」

 嫌いな相手とはいえ、怪我をさせたとあれば、いい気はしないので、ホッとする。

 そういえば。ふと、気づく。ひたい、腕、そしてひざ……。飛んできた石に当たったり、転んだりして、痛めたはずの、その箇所には、小さな傷あとすら残っていなかった。


 ※

 どうもただならぬ事態が起こりつつあるらしい。そうした予兆は思えば、ここへ来る前からあった。不穏な空気は常に、館内に充満していたのだ。

 それがついに発動し始めたのだろうか。桑原と玲子がいなくなった、と聞いて、まず七海はそう思った。

 そして発見された二人。不気味だったのは、運ばれてきた桑原の顔が、ひとめから隠すよう、包帯でぐるぐる巻きにされていたことだった。どんなひどい怪我をすればああいう状態になるのだろう? 見当もつかない。何よりタンカに乗せられた、そのぐったりとした様子は……もうすでに死んでいるかのようにしか見えなかった。

 その推測を裏付けるように、医務室にはいったまま、彼は姿を見せない。従業員らに容体をたずねても、「大丈夫です。命に別条はありません」と言い張るばかりだ。

 生徒らを動揺させないために嘘をついているのか、それとも隠さねばならない理由があるのか、そのあたりはわからない。この館、というか、持ち主である財団への疑念は深まるばかりだ。

 実際、部屋に隠しカメラが設置されているのを発見しているし、その後、館内に、いくつかそれらしきものを見つけていた。彼らが生徒を監視しているのは確実だった。そしてこのトラブルである。

 桑原がもし本当に死んでいるとしたら……。もはや冗談ではすまない事態だ。超能力者ばかりを集めて何かの実験をしているのではないか、という推測も、あながち間違いでないかもしれない。

 いや、実験ならばまだしも、超能力者同士を争わせて、生き残りゲームのようなものをしているのではないか? デス・ゲームもの。昨今、映画やマンガなどで好んで取り上げられるそうした内容を連想せずにいられない。

 それと同じようなことが、今、この場で起ころうとしているのか。館の雰囲気を考えると、十分にあり得る気がする。どこか人ごとのよう考えいた七海も、ここへきて、身の危険を感じずにいられなくなっていた。

 どうしよう。どうすればいいのか。一番いいのは、とりあえず逃げること。できるだけ早く。もはや取り返しがつかなくなる前に。しかし、広大な森を歩いて、抜け出ることはほぼ不可能だろう。とすれば、車がいる。

 アメリカに家族旅行に行った時、車の運転をさせてもらったことがある。オートマ車ならなんとか動かせることができるはずだ。けれど、館の周囲を歩いた時に、車庫らしき空間はどこにもなかった。しかし、どこか、ひと目につかぬ場所に、たとえば地下に、必ず車はあるはずだ。でなければ、あまりに不便すぎる。

 地下……。地下へ通じるドア。……教授の部屋の中に、その出入り口があるという気がした。まずはそこにはいる必要がある。ドアをあけるためのカードキーをどうにかして手にいれられないだろうか。

 とにかく医務室の前でねばってみたところで、中にはやはりはいれそうにないので、ホールにもどりかけた途中、玲子と会った。

「もう、いいのかい?」

「え、ええ」

 あいまいにうなずくと、軽く会釈して、玲子は医務室にはいっていった。

 それにしても。桑原とちがい、玲子は見たところ、怪我ひとつなく、肌つやは輝いているようで、精気にあふれていた。

 しかし……冷静に考えて、そんなことがあるだろうか。春とはいえ、明け方直前ともなれば、まだ冷え込みのきびしいこの時期に森の中に一晩ちかく、倒れていたのだ。こんなに早く体力が回復できるはずがない。とすれば彼女はいったい……。

 

 ※

 杏はあれからずっと、鍵をかけた自室にとじこもっていた。いつまでも脳裏から消えない、干からびてミイラのようになった桑原の姿におびえながら。

 それはまるで、精気をすべて吸い取られてしまったかのようだった。

 精気を……吸い取られる。思い出す。玲子の手にふれた時のことを。全身の力が奪われていくようなあの感覚。あのあと、一日中けだるく、衰弱した状態におちいってしまったのだ。

 間違いない。玲子の持つあの漆黒のオーラは、他人の精気を吸い取ってしまうだ。

 白河玲子は人間ではない、おそろしいちからをひめた、モンスターなのだ。

 そんな怖ろしい化け物と、一緒に屋根の下に生活していたなんて。おそろしい。

 そして身の危険を感じた。次にねらわれるのは自分かもしれない。一刻も早く、ここから逃げなければ。玲子の獲物にさえてしまう前に。


 ※

 強さをましていく雨に、外に出ることさえもかなわず、カナは館内の書庫にいた。

 読書などずいぶんとしていない。けれど、ネットもつながらず、テレビもないここでひとり、ひまつぶしにすることといえば、本を読むしかなかった。

 海外の何とかという有名なミステリー。がまんしてしばらく読み続けているうちに、面白くなってきて、時間がたつのも忘れていた。

 そんなカナの顔を上げさせたのは、晩餐のしたくができたとことを伝える、館内アナウンスだった。

 食堂にはすでに七海と、そして玲子が来て、テーブルについていた。

 カナに気づき、にっこりと玲子がほほえんだ。

 すっかり元気になったようだ。その姿は昨日よりも、はるかに健康そうにみえる。

 それから、しばらく。いくら待っても残るひとり。杏が降りてくる気配はない。

 直接、部屋にまで従業員が呼びにいくと、ほどなくして言い争う声が階下にまで響いてきた。

 つづいてドタバタという足音とともに、階段を降りてくる杏のすがた。

「だから、私はもう東京へ帰るって言ってるの。すぐに車を出してよ」

 引き止めるような格好でうしろをついてくる従業員にむかって、そうどなる。

「杏様。しかしそれはできません」

「どうして? あなたたちに強制されて、わたしはここにいるんじゃないでしょ。自分の意志で帰って何がいけないの?」

「むかえのバスはちょうど一週間後にくることになっていまして」

「予備の車がほかに置いてないっていうの? そんなのあり得ないんだけど。じゃ、タクシーを呼んでよ」

「あいにく、この遠方まで来てくれるタクシー会社はないんです」

「どういうこと? もしもの緊急時とか、どう対処するつもりだったの? 現に桑原さんがあんな状態で、ちゃんとした病院に運ぶべきじゃない? そもそも無事でいるの?」

「ご心配にはおよびません。命に別条はありませんでした。回復して今は安静にしておられます」

「それって、本当? いいよ。じゃ、確認させて」

「眠っておられますので、それはご遠慮ください」

「どうしてよ。関係ないよ。どこ? どこにいるの?」

 ヒステリックにさけびながら、廊下を駆けて奥にある診察室のドアを強引に開けようとするも、そこは固く施錠されて、びくともしない。

 自己中でエキセントリックで、何より見た目の美しくない杏のことを最初からカナはどうも好きになれなかったけれど、言っていることは正論だと思わざるをえなかった。

「とにかく、私は帰るから」

 荷物をまとめたリュックをかかえ、ついに杏は外へ飛び出した。といっても、すでに時刻は午後七時を過ぎ、天候は最悪で嵐のようになっている。

 案の定、全身ずぶ濡れのかっこうで杏はすぐにもどってきた。

「もういい! 明日の朝になったら、絶対に歩いてでも帰るから!」

 泣き出しそうな顔でそうさけび、部屋に引き返そうとして、食堂で成り行きを見ていた一同に気がついたらしい。その中に玲子がいることも。

 杏の顔におびえの色が一瞬やどり、動きがとまる。

「こいつよ……この娘がやったんだ」

 恐怖を吐き出さずにはいられない、といった風に、あとずさり、指をさしながら。

「桑原をあんなにしたのは、あんたなんでしょ? ひどい顔だった。あんなになって、生きていられるわけがないっ。桑原は死んだんだ! 白河玲子、あんたが殺したんだ! 人殺し!」

 絶叫する。

 そして他のふたり、今度は七海とカナに顔を向けて叫んだ。

「あなたたち、気がつかないの? かわいい顔してるけど、こいつは人間じゃない。化け物よ。気をつけなさい。桑原と同じ姿にされるから!」

 そしてもう一度、玲子にむかって「化け物!」そう叫び、二階へ駆け上がっていった。

 食堂に残った三人は気がぬけたように立っていた。

「女のヒステリーって怖いねぇ」

 緊迫した場の空気をなごませようとしたのだろうか、七海が少しおどけて言うものの、まるで笑えない

 カナはそっと横目で玲子の様子をうかがった。うつむいたまま、玲子はくちびるをぎゅっと強くかみしめている。何かかけるべき言葉をさがすものの、まるで思いつかない

 それにしても、ひどすぎる。いくら取り乱していたとはいえ、人を化け物呼ばわりするなんて、とうてい許されることではない。

 すると玲子が毅然として立ち上がり、診察室へ向かっていった。ドアをたたき、中に呼びかける。

「開けてください。桑原さんの無事を確認させて」

 しかし中からいっさい返事はなく、ドアが開く気配はまるでない。

 何度もたたき、ついには泣きくずれるようにドアにもたれかかって、それでも玲子は叩くのをやめようとはしなかった。

「おねがい。開けて。桑原さんは生きていると言って」

 結局返事はないまま、食堂で出された食事もとることなく、玲子は二階の自室へ駆けのぼって行ってしまった。

 従業員も給仕の女性も知らぬ間に姿を消して、食堂にはカナと七海の二人きり。

「君はどう思う?

 七海がこちらを見て言った。

「ふつうの娘だわ。化け物だなんて」

「あれは言い過ぎかもしれないな。けど、白河玲子にはかくされた何かがある。人にはない力が。それは認めざるをえないんじゃないか」

「……」

 本当はカナにもわかっていた。玲子が特殊な人間であることを。

 しかし認めたくない。認めてしまったら、あまりにもかわいそうだ。せめて自分だけは何があろうと、彼女と普通に接してあげたい。

 しかし。この館に起こる異変。その中心にいるのは白河玲子。彼女であることは、認めざるを得なかった。


 ※

 人殺し。

 わたしは人を殺してしまったのだろうか。

 桑原謙人。

 森で起こった出来事。

 彼に足をつかまれた、その瞬間。

 彼の手を通じて、私の中に流れ込んできた、あの閃光、光のようなもの。

 あれは。

 わたしはあの時の恍惚とした感覚を、はっきりとおぼえている。

 桑原は死んだ。

 あの時に死んだのだ。

 殺したのは……わたし。

 わたしが何かをしたからだ。

 化け物。

 おまえは人間じゃない、化け物だ。

 杏が憎悪に満ちた表情でわたしを糾弾した。

 その通りだ。

 わたしは人殺しの化け物だ。

 ああ……。

 今まで知り合った全ての人たち。家族、友達、先生、近所の人たち……。

 彼らは……本能的に知っていたのだろうか。わたしが人間でない、化け物だと。

 だから……怖れ、嫌い、去っていったのだ。

 暗闇に浮かぶ彼らの顔。

 ああ、また。

 この幻影がわたしを苦しめる。

 化け物、近寄るな、消えちまえ。

 恐怖と憎悪に顔をゆがめ、彼らがあげる罵声の中を、わたしはただ逃げ惑う。ひとりぼっちで。

 誰にも受け入れてもらえず、どこにも行くあてもなく。

 なぜ、生まれてきたのだろう?

 忌み嫌われて、覚えのない罪を背負わらされ、泣きながら、孤独にふるえながら、逃げ続ける。

 そんなことが死ぬまで続くのだろうか。

 ……。

 いやだ。

 もううんざりだ。

 死……死……死……死……。

 逃げる先はもう、死しかないのだろうか。

 死んでしまえば、泣くことも、苦しむことも、孤独にふるえることもない。

 目をとじて……祈る。

 いつだって残酷で、何度祈っても決して願いなどかなえてくれたことのない神に、今一度だけ。

 どうか死後の世界を見せてください。

 安らかで、あたたかく、いつまでも心おだやかでいられる死後の世界を。

 願いはかなえられた。のだろうか? いや、たんにそれは、半睡状態にあった意識が作り出した、妄想にすぎなかったのかもしれない。

 そこは荒涼とした場所だった。

 空は灰褐色の厚く重い雲におおわれて、草木も生えない赤茶けた大地は乾き、ひびわれていた。生きとし生けるものの姿など、どこにも見えない、寒々と凍てついた世界。

 そんな中、たったひとつだけ動く影。痩せた裸すがたの少女が、身をふるわせて、足をかかえてうずくまっていた。

 なんて、みじめで、あわれで、救いようのない姿。

 さみしい……さみしい……さみしい……。心の声がきこえてくる。

 その少女は、わたしだった。

 これが死後の世界。

 死んだあとにわたしを待っているのは、今よりもなお、苦痛にみちた永遠の孤独なの?

 嘘。

 嘘だ!

 こんなの嫌!

 思えば、死んだあとに報われると、なにを根拠に信じていたんだろう?

 天国もあれば、そう。地獄だってあるのだ。

 乾いた笑いがもれる。そう……わたしは永遠に地獄をさまよう運命なのだ。

 わたしの中で何かが、こわれた。心の中からマグマのようにドロドロとした、どす黒いものが溢れ出てくる。

 それは怒りの感情。自分を取り囲む全てのもの、人、現実世界そのものにたいする激しい憎悪。

 全てを燃やしつくしてやる。永遠の呪いをかけてやる。わたしの受けた苦しみをそのまま、今度は皆に味あわせてやる。

 かまわない。多くの人から嫌われようと、恨まれようと、憎まれようと。あげくに化け物とののしられようと。


 ※

 壁が床がテーブルが椅子が、室内のあらゆるものが揺れていた。

 地震?

 頭から毛布をかぶり、ソファに座り込んで、息をひそめていた杏は、顔をあげ、室内を見回した。

 目まいのするような揺れはなおも続いている。大きい地震だった。

 しかし何かがおかしい。そのわりには、建物がゆれる音がまるでしないのだ。

 室内はさらに、うねうねとゆがみ、かたむいて、身の危険をおぼえて杏は立ちあがり、部屋から逃げようとして、揺れているのは、大地でなく、自分の方だと気がついた。

 意識もないまま筋肉が極度に緊張し、全身が激しくふるえていたのだ。それは、彼女の防衛本能が、迫りつつある危機を感じ取っていたせいだった。

 何か、怖ろしいものが近づいてきている。それがわかるのだ。

 バチバチッ。するとつぎに、火花のはじけるような音とともに、天井のシーリング・ライトが消えて、すぐにまたついた。

 切れかけた電灯に、白と黒と、明滅する室内。まるで古い映画フィルムの中にいるようだ。

 気づけばさっきまで聞こえていたはずの激しい雨音は消えて、鼓膜につきささるほどの静寂が室内をみたしている。

 これは夢にちがいない。ふと杏は思う。

 あまりにも今、起こっていることが非現実的すぎて、そう考えるしかなかった。

 ならば、必要以上に怖れることはない。

 しかし、そう、頭を切り替えても、一向に、体の震えは止まらない。嫌な予感は大きく、膨れ上がっていくばかり。

 それにはっきりと感じるのだ。何かが、着実に、こちらにむかって忍び寄ってくるのが。

 ドア一枚をへだてた向こうに、それはいる!気配を確かに杏は感じ取っていた。

 夢だ、これは夢なんだ。何度、自らに言い聞かせても、もはや恐怖は消えない。

 ドアの隙間から、けむりのようなもの入りこんできた。

 ちがう。それは漆黒のオーラだ。玲子がまとっていたオーラ。

 まるで獲物をねらうように、それは明らかに杏の方へと向かってくる。

 あれに触れたらどうなるか、よくわかっている。精気を吸い取られて、干からびたミイラのような無残な姿に変わり果てた桑原の姿が脳裏に浮かぶ。

 逃げなきゃ。でも、どこへ? ひとつしかない出入り口であるドアから、それは侵入してくるのだ。ほかに逃げ場はない。

 確実に広がり迫ってくるオーラに、ついに杏は壁際まで追い詰められてしまった。

 すると何だろう。うねうねとアメーバーのようにうごめき、オーラは何かをかたちづくりはじめた。

 丸くなり、伸縮しながら、突起のようなものがとびだして。頭、そして腕と足。人間のかたちになっていく。

 それは……玲子。オーラは等身大の白河玲子となって、今、杏の目の前に立っている。そこから伸びた手が、杏の喉にかかり、しめつけていく。

 息が……。息ができない……。

 たんなる気体にすぎないはずなのに、ものすごい力で首をしめられて、杏は苦しみもだえた。

 ガタン。後頭部をうちつける。

 うしろは窓……。

 救いをもとめて手を伸ばし……。

 しかし、ここは三階だった。


 ※

「ぎゃあああああああっ!」

 切り裂くようなするどい悲鳴におどろき、室内のベッド上に寝そべり、落ち着かない時を過ごしていた七海が身を起こすと、ちょうど、窓の外を上から下へ、黒い影が落下していくのが見えた。

 何事かと窓をあけ、下をのぞくと、暗くてはっきりとわからないが、地面に人のかたちをしたものが倒れていた。

 ありえない方向に腕と足が曲がって、それはピクリとも動かない。墜落したのだ。

 首をひねって見上げると、上階の部屋の窓が外に向かって開いていた。それは杏の部屋だった。


「大変だ。杏が窓から落ちた!」

 そう叫び、部屋のドアを数回たたくと、すぐに麻木教授は出てきた。

「杏が窓の下に倒れてる。早く行ってくれよ!」

 七海のうったえにも、まるで動揺する気配もなく、例によって無表情のまま、麻木は外へ出て行った。その態度はあらかじめ、こうした事態が起こることを承知していたかのようだった。

 後を追おうとして、しかし七海は立ち止まる。教授の部屋のドアが開いたままなのに気がついたのだ。願ってもないチャンスだった。

 中へしのびこむと室内は、ほかと同様にヨーロピアンの家具でまとめられ、清潔で整って、いかにも雰囲気がよかった。しかし、そこからは人が住んでいるという気配がまるでしない。無味無臭のまるでモデル・ルームのような空間だ。大きな木製のデスクも、ベッドも、使用したという形跡がまるでない。

 これは……。あくまでもかりそめの、目くらましのための部屋なのだ。そう直感し、七海は室内を注意深く見回して、とある箇所で目をとめた。壁の一面をうめる大きな書棚。その真ん中に、わずかにできた、不自然なすきま。

 手をかけてひっぱってみると、思った通り、それは横にスライドし、その奥の壁には別の場所につうじるドアがあらわれた。ひらいてみると、地下へとつづく階段になっていた。足元からはブウウウンと低い、機器の稼働するような音が響いてくる。

 下まで降りきり、自動ドアから中へとはいると、そこは最新の電子機器類にかこまれた、コントロール・ルームとでもいうべき空間になっていた。

 コンピュータが何台もおかれ、キーボードがあり、無数のモニターが所せましと並んでいる。その画面には館内の各部屋、廊下や、中庭などが映し出されていた。思ったとおり、隠しカメラによって全ては監視されていたのだ。

 そのうちのひとつの画面には、館の外、壁に設置されているカメラがとらえた、倒れたままの杏の姿が映っていた。かたわらに様子を見ている教授の姿もある。

 他の画面には、さわぎの気づいたのだろう。窓をあけ、何事があったのかと、下をのぞいているカナの姿。

 そしてまた別の画面には、何をしているのか、部屋の真ん中に直立不動で立っている玲子が映っていた。荒い画面ではっきりとわからないが、凍りついたように動かないその姿からは、鬼気迫るものが感じられる。

 明らかに異常な様子ではあったが、しかし今はそれを気にしている暇はなかった。教授がもどってくる前に、調べなければならないことが山ほどあるのだ。

 デスクの上に散らばった書類に目をとおし、引き出しをあけ、中をあらためた。

 滞在している生徒、ひとりひとりの、おそらく本人さえも知らないような、詳細な数枚におよぶレポートがそれぞれ各ファイルごとにしまわれている。

 中にはかくし撮りしたと思われる写真もたくさんはいっていた。上部に記された日付には、五、六年前のものもまじっており、これが長期に渡る調査であることを伝えていた。

 ずっと目をつけられ、観察の対象になっていたことに改めて七海はゾッとした。

 そして気になったのは、プリントアウトされたレポート上に、後から書き加えられたらしい、手書きによるメモだった。

 陽性反応あり。能力弱い。サイコキネシス? オーラが視えている。彼女は本物?

などといった調子で記された文章は、特殊な能力を持つ者を調査していることを裏付けるもののように思えた。推測していたとおり、この洋館には超能力を持つ者が集められているのだろうか。

 次にパソコンの中を検めようと、キーボードにふれかけて、七海は部屋の奥から届く声に気づいた。思わずピクリと身をふるわせる。

 油断していた。ここには教授、ひとりしかいないと決め込んでいたが、見れば、このコントロール・ルームには椅子とキーボードがそれぞれ三つあるのだ。だとしたら、地下にまだ他に人がいても不思議ではない。

 すぐに逃げるべきだと思った。しかし、今をのがしたらチャンスはもうないだろう。肝心の脱出のために必要な車もまだ見つかっていないのだ。

 先へ進むしかなかった。はいってきたドアの反対、その奥にまた別のドアがあり、どうやらその向こうから、声は漏れ聞こえていたようだ。

 自動ドアがひらくと、短い廊下だった。宇宙ステーションを思わせる、シルバーの床と壁のメタリックな外観。両側の壁に黒色のドアが一つずつ。さらに廊下の奥に、もう一つ、オーク材でできたドアがある。

 まただ。また声がした。奥の部屋から漏れるそれは、どうやら女性のうめき声のようで、苦痛に満ち、明らかに助けをもとめている。

 何が起こっているのだろう。ぞわそわと恐怖に粟立つ肌。しかしもうここまで来て、引き返すわけにはいかない。

 ドアを開け、部屋にはいると、中は薄暗く、かすかに防腐剤として使われるナフタリンのにおいがした。

 椅子にすわる女性のシルエットを七海は認めた。モデルのように長身でスタイルのいい、長い髪の女性。薄い絹らしき素材のドレスをまとっただけという、ほとんど半裸のような格好で、ぐったりと背もたれに身をあずけている。

 一瞬、拷問をうけて全身が青あざだらけとなった姿が脳裏をよぎり、躊躇するものの、意を決し、ちかづき確かめる。そして驚き、声をなくした。

 それはその妄想が当たっていたからではない。顔や露出している手足はどこにも傷ひとつついてはいない。けれど、椅子にもたれる女性の肌は、カサカサに乾き、干からびて、無数のシワがより、顔は目が落ちくぼみ、頰がげっそりとかけて。さながら、栄養失調の老婆のようだった。しかし不思議なことに、その体型は二十代の若い女性そのものなのだ。

 頭をよぎったのは、包帯で顔をぐるぐる巻きにされた桑原の姿だった。あれは……このようになった顔を隠すためだったのではないか。多分……いや、そうにちがいない。桑原もまた、この女性と同じような姿になっていたのだ。これは……何を意味しているのだろう?

 ん? 女性が、まばたきをしていたのに、気づき、顔を向ける。声もしたのだから、当然、彼女はまだ生きているのだ。

 しかし、もはや自ら体を動かす力はのこっていないらしく、ただ訴えかけるような、眼差しで七海の顔を見つめるだけだった。

 たすけて。

 七海の頭の中に、直接呼びかける声がひびいた。テレパシーだ。目の前の女性が助けてを求めている。

「何か脱出する方法を知っていますか?」

 七海はそうたずねると、意識を集中して、彼女の心の中に、答えをもとめて、もぐりこんだ。

 うかびあがる、車の中のイメージ。ハンドルをにぎり、運転している彼女の姿が見えた。

「ここに、車できたんですね。それは今、どこに停めてあるんです?」

 館の裏、一見するとただの壁にみえる、その一部が上にむかってひらいていく。その間から地下へとすべりこんでいく車。どうやらそこが車庫になっているらしい。

 車からおり、女性が車庫を出る。とそこはメタリックな壁と床。黒いドア、そしてオーク材のドア。見たことがある眺め、それ…… この部屋をでて、すぐ隣にある黒いドア。そこが車庫に通じていたのだ。

 「キーだ。車のキーはどこに?」

 さらに彼女からイメージがながれこんでくる。部屋の壁際の……ソファ……そのうえに……。女性のものであろう、ブランドもののハンドバッグが置かれていた。中をさぐる。車のキーはそこにあった。

 これで、ここから逃げられる!

 ホッと、気がゆるんだせいだろう。そこへきて、ようやく周囲の様子、部屋のおくに、誰かがいることに七海は気がついた。

 ……男がいた。

 どうして今まで気がつかなかったのだろう? かなりの広さがある部屋の奥、そこには大きなベッドがあり、その上に、男は裸であぐらをかき、手のひらをうえにして膝にのせて、いわゆるヨガの結跏趺坐のポーズで瞑想していた。

 意識を完全になくした、無我の境地にあるのだろう。そのため、気配をまったく感じなかったのだ。

 男は、三十歳前後だろうか。目鼻立ちのはっきりとした顔、大柄で筋骨たくましい、見事な肉体。それはルネッサンス時代につくられた神々の彫像のように完璧な姿をしていた。

 それにしても……七海はその顔に、既視感をおぼえずにいられなかった。どこかで見たことのある顔なのだ。

 誰だろう? ……そうだ。何のことはない。それはこの財団の会長、西行寿三郎だった。

 日本人ばなれした彫りの深い顔の造り。秀でた額、高い鼻に、がっしりとした顎。まちがいない。男は西行寿三郎、その人だった。

 だが、しかし……。ありえない。なぜなら西行寿三郎は、とうに八十をこえた老人なのだ。

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