Day3
Day3
ここにきて三日目となる今日は、朝から筆記試験がおこなわれていた。国語、数学、英語、理科、公民、地理歴史といったこれまで習ってきたことが、どの程度まで理解できているかを、はかるためのテストだった。
しかし桑原にとっては単なる苦行でしかない。もともと机に向かってじっとしていることができないタイプだ。勉強なんて、中学生のころから、まともに取り組んだこともない。だから問題を見てもちんぷんかんぷんで、内容がまるで理解できない。早々に鉛筆を放り投げ、時が過ぎるのを待っているだけだった。
退屈だ。薄暗く、辛気くさい、館の中に閉じこめられていることが自体が耐えられなかった。窓の外はまさに春日和。抜けるような青空がひろがっているというのに。
かわいい女の子とデートでもしたい気分だ。デートか。おのずと桑原の視線は白河玲子のもとへと注がれていた。
前の席につく彼女は今、熱心に問題に取り組んでいた。休むことなく鉛筆が動いている。
しかし未だに気になるのは、遊戯室で一緒にピンポンをプレイした時のことだ。向かい合った際に、彼女からうけた威圧感は、何だったんだろう? あのあとは、ひどくつかれてしまって、部屋にもどったとたん、力つき泥のように眠っていた。
まさか玲子のせいじゃないだろう。だがしかし……。
それもふくめて、もう一度、玲子とふたりきり、話をしてみたい。そしてもっと親密な関係に。いつのまにか、あれやこれや、不埒な妄想が桑原の脳裏をかけめぐっていた。
※
「ねぇ、どうかしたの?」
カナがそう声をかけると、ハッとして玲子は顔をあげ、キョトンとした瞳を向けた。
「テストはもうおわったよ」
机におかれたままだった解答済みのテスト用紙は、教授が自ら集めて、すでに教室を出ようとしていた。
「考えごとでもしていたの?」
カナが言うと、こくん、と玲子はうなずいた。
その仕草がかわいらしく、思わずカナがほほえむと、玲子もまたにっこりとほほえみ返す。
自由な時間のほとんどを一緒に過ごすほど、ふたりはすっかり仲良くなっていた。
「あの森をぬけると、湖があるらしいんだ。行ってみない?」
そうカナが誘うと、玲子は素直にうなずいた。本日の課題は終わり、夕食までは好きに過ごしていいことになっている。
森の中の小道を通りぬけた先に、小さいながらも美しい湖がかくれるように存在していた。
湖面は鏡のように空の青さと白い雲をうつしている。バサバサと名も知れぬ水鳥が、水しぶきをあげて飛びたった。ほとりに埋め込まれた木の杭が、浮かぶ白いボートをロープでつなぎとめている。
おそる、おそる、確かめながら、二人はボートに乗り込むと、ゆっくりと櫂をこいだ。とくに問題はないようだ。ボートはなめらかに水面をすべっていく。
「玲子」
湖の真ん中あたりでボートをとめると、しばらくしてからカナは切りだした。
「どう思う? この洋館でのこと」
聞かれた玲子は、あいかわらず、ぼうっとして、緑色の水に手をひたしている。
「へんな場所だって思わない?」
玲子はゆっくりとうなずいた。
「そうか、玲子もそう思ってたんだね」
このボートの位置からは、ちょうど、途切れた森の間に洋館の全景が見える。やわらかな陽光を浴びて、金色にそまった、歴史ある建築物は、それそのものが生命体のようで、禍々しいオーラのまとっているかのようだ。
嫌な予感。一言でいえば、そうしたものに、カナはここへ来てからというもの、苛まれていた。
直感がするどい、と昔からよく言われた。先のことが見えてるんじゃないの? なんてよくからかわれたものだった。その通り。カナにはほんのすこし先の未来が、実際に、見えるのだ。
それは一般に予知夢と呼ばれる能力だった。自分の意志と関係なく、何のまえぶれもなしに、突然、それは起こるのだ。
電流が流れたかのような衝撃が全身をつらぬくと同時に、真っ白くなった頭の中に、カナは未来の映像を見るのだった。そして高い確率で、その見た通りのことが数分後から数日後、現実に起きるのだ。
この館に来てから、カナは二度、未来を見ている。玲子のことを気にかけているからだろうか、そのいずれにも彼女が映っていた。
一度目は部屋の真ん中で、半裸の玲子が絶叫しているというもので、二度目はつい先ほど、テストの最中のことだった。電流につらぬかれたような衝撃ののちに、カナが見たのは、全身を血まみれになって倒れている玲子だった。思い返すだけで怖ろしい。
森の奥? 場所ははっきりしない。けれど、間違いなく、ここの周辺だろう。何かの残骸のなかに、泥と血にまみれて、無残に横たわる玲子の姿。腕は折れ、腹部は何か、とがったもので貫かれていた。生きているのか、死んでいるのか、ピクリとも動かない。この玲子があんな目にあうなんて、とてもじゃないけど、耐えられない。
しかし予知夢はかならず当たるというわけではなかった。事故の予知夢を見て、未然に防いだなんてこともあったから、ああなるのを避けるために、出来るだけのことをしなくては。
「玲子、まわりには十分に気をつけて。約束してほしいの、ひとりで勝手に行動しないって」
「ありがとう。でも急にどうしたの。わたしに何か悪いことでも起こるみたい」
人に変人あつかいされるのをおそれ、予知能力をかくしているカナには、そう問われても説明することはできなかった。
「とにかく注意してほしいの。いいね」
と強く強く念をおす。
※
カナ。どうしてこんなに優しくしてくれるんだろう。
わたしに向けられる好意はあまりにも、まっすぐで、最初は戸惑っていたけれど、今ではこちらも彼女にたいし、心をゆるすようになっていた。
とてもいい人で、一緒にいると、感じていた孤独もうすらいでいくようだ。やはり友達というものはいいものだと、あらためて思う。
けれど、それも今だけのことだろう。一ヶ月、二ヶ月と一緒にいれば、彼女もまた、他の子たちと同様に、私を怖れ、去っていくにちがいない。その目に畏怖の色を浮かべて。あれほど悲しいことはない。
そんな目にもう二度とあいたくなくて、もうずっと長い間、友達をつくっていない。
でもここにいるのはわずか一週間。その間なら、カナとも仲の良い友達のまま、別れることができるだろう。
だから……今はこのかりそめの友情にひたっていよう。
「よぅ、おふたりさん。どこ行ってたんだよ」
その時声をかけられて、振り返る。
桑原謙二。最初見た時から、苦手だと思っていた相手。見るからに粗暴で、性格に問題があり、周囲の者を不快にさせずにいられないタイプの男。こういう相手には近づかないほうがいい。
「行きましょう」
カナもまた桑原にいい印象をもっていないらしい、うながすようにそう言った。
「おい、そんな冷たくしなくてもいいだろ」
しかし桑原は、なおも諦めることなく、くいさがってくる。
「しつこいな。何のようよ?」
「つーか。おまえになんかキョーミはねえよ。俺はこの白河玲子さんに話してんの」
「あのねえ、玲子もあんたにキョーミなんてないから!」
「だまってろよ、ブス!」
「なんですって?」
口喧嘩を始めるカナと桑原。
もういいから、こんなやつ、無視して早く帰ろう。目でおくった合図に、カナは気づいてくれたらしい。
「玲子、走ろ!」
そう叫び、駆け出した。
「まてっつってんだろ」
本性をあらわし、怒号をあげて、追ってきた桑原が、背後からわたしの手首をつかんだ。
いやっ、さわらないで!
嫌悪、恐怖、そして怒り。
スパークをおこしたかのように、頭の中が一瞬、真っ白くなって。何かがはじけて、とんだ。風もないのに、木々の枝がいっせいにゆれて、小鳥がにげていく。
すると目の前に、まさしくはじけとんで、地べたに尻餅をついている桑原が、驚愕に目を見開かせ、わたしを見ていた。
「おまえ、何をした?」
恐怖にうわずった声で、桑原はさけぶ。
「今のうちに逃げるのよ!」
カナの声に、我にかえって、走り出した。
もう桑原は追ってこない。
私が? 何をしたの?
こちらが聞きたいくらいだった。
桑原が、わたしの手首をつかんだ瞬間、それは起こったのだ。
あれはわたしがしたことなの?
恐怖にゆがむ桑原の顔がふたたび浮かぶ。あの目、おそろしいものでも見るように、私を見ていた。
※
読書にあきて、つかれた目をやすませようと、杏が窓から外をのぞいた時に、中庭をこちらに駆けてくるカナと玲子をみとめた。
玲子。彼女のオーラがまた見える。驚いた。漆黒のオーラはさらに大きくなり、彼女をとりまいている。
漆黒のオーラ。思い出す。昨日の朝に起こった出来事を。手相を見るといって、玲子にふれた途端、受けたはげしい衝撃。その後しばらく疲れがとれなかった。鏡を見ると、徹夜明けのように目の下に隈ができていた。
あれからもう玲子に近づくことはもちろん、姿を目にすることさえ怖ろしくなってしまった。できれば同じ屋根の下にさえいたくないほどだ。
玲子……何者なのか。人間じゃない……化け物なのかもしれない。
ハッとした。視線に気づいたのか、玲子が立ち止まり、こちらを見返していたのだ。
漆黒のオーラはなおいっそう大きくうねるようにして、まるで生き物のように彼女のまわりをつつんでいる。
へびににらまれたカエルのようだ。カナは身動きできなくなっていた。なんだろう。この感じ。力が吸いとられていくような……。
しばらくして玲子が姿を消しているのに気がついた。すると、ようやく呪縛がとけたように、体がときはなたれて、床にへなへなとすわりこむ。力がはいらない。心臓がはげしく鼓動をうっていた。玲子……あの子はいったい。
※
館の窓の向こう、部屋の中に、杏、彼女が立っていた。こちらに向けられた、その視線にははっきりと怖れの色がうかんでいた。
遠くてもわかる。わたしにはわかってしまう。なぜならば、はなれたここにまで、伝わってくるからだ。彼女がいだく恐怖の感情が。
桑原もそうだった。わたしに触れたとたん、体がはじけとんだ彼もまた、おどろきと恐怖のいりまじった目でわたしを見ていた。その瞳から伝わってくる恐怖の感情。
自分の手のひらに目をおとす。わたしは…なに…なにものなの?
誰も彼もが、わたしを怖れ、はなれていく。
過去のトラウマ。
いやだ。もう思い出したくない。忘れてしまいたい。
みんな、みんな、みんな。目におそれの色を浮かべて、いなくなる。わたしの前から逃げてしまう。
やめて。そんな目でわたしを見るのは。わたしは普通の女の子。おねがいだから、そんな目で見ないで!
「玲子、どうしたの?」
カナ。
「ううん。なんでもない」
彼女の顔ももう見られない。
こわくてたまらない。カナにまで、あんな目で見られたら。もうわたしは生きていられない。
「もう平気だって。桑原は追ってこないから」
違うの。だめ、わたしに近づかないで。でないとあなたもまた。
「玲子?」
おねがい。優しくしないで。そうされるほど、あなたに嫌われた時のショックが大きくなるから。
わたしはカナをおいて駆けだしていた。
うしろで彼女が呼んでいる。
これ以上、傷つくのはもういや。
だから……もう。
※
夜の静けさの中、灯りをおとした室内にベッドからむっくりと起き上がるひとつの影。
時刻は夜の三時になろうかという時刻で、深い森の奥にある、館内には死のような沈黙がおりていた。
そこは七海の部屋。
苦いコーヒーを何杯も飲んで、眠気をおさえ、今まで起きて待っていた。
電気をつけることなく、部屋の中をさぐっていく。たんすの中、引き出しの裏、デスクまわり、ベッドの下、置き時計の中。そしてついに見つけた。シェードランプの傘をはずしたその内側に、取り付けられていた超小型カメラ。
これ一個だけじゃない、この部屋、いや館内のいたるところに、他にいくつもカメラは仕掛けられているのだろう。
そこまでして、いったい俺たちの何を監視しているのか。
とにかく向こうがその気なら、身を守るためにこちらも相手を知らねばならない。
まず気になるのは、麻木教授がこもっている、一階奥にある部屋だった。授業以外の時、彼女はそこに閉じこもったまま、一切外へは出ないのだ。食事も中で済ませているらしい。
ドアはカードキーを通してロックを解除してから開閉するもので、無論、それなしでは入ることはできない。どうにかしてあの部屋にはいることはできないだろうか。
※
化け物、化け物、化け物。
おびえた瞳で、彼らはわたしを見ている。
それは見慣れた顔だった。
おさななじみ、近所に住んでいた同年の子供、小、中学生の頃のクラスメイト、そして今現在高校のクラスメイト。
そういった面々の顔、顔、顔。
彼らは皆、一様に、怖ろしいものでも見るような、恐怖とそして憎悪のまざった瞳で、こちらを見ている。
化け物。
誰かがさけんだ。
ここから消えうせろ!
続いて、そんな声があがる。
耳をふさぎ、目をとじても、彼らの糾弾する声と、そして憎悪に歪んだ顔は消えてくれない。
なぜ、わたしを責めるの?
何もしていない。
わたしは何もしていない!
暗闇の中、わたしは逃げた。
誰もいない所へ。
誰にも傷つけられず、誰も傷つけない、場所をもとめて。
いつしか私はまだ幼い、小さい姿に変わっている。
裸足で、冷たい床のうえを走って、しかしどこまでいっても、あたりは暗いまま、光りはない。
見えてくるシルエット。
それは……パパとママ?
救いを求めるように、わたしは小さな手をのばす。
わたしのパパとママ。
「おねがい。たすけて!」
しかし。
その顔は、彼らと同様、恐怖と憎悪にみにくく歪み。
「おまえは私たちの子供ではない」
「近づくな」
「化け物!」
そう叫んだ。
わたしの足元の床にいくつもの、おおきなひびが走り、そしてバラバラと下へ剥がれ落ちていく。
まるでわたしの心のように。
下へと崩れ、落ちていく。
底のしれない、深く暗い穴へと落ちていくわたしの体。
だれも、だれも、助けてくれない。
暗闇の底へ。
…………。
目がさめた、わたしの瞳はぬれていた。
伝い落ちる熱いものを手でぬぐい、身を起こす。
室内は暗い。時刻は午前二時をまだ、過ぎたばかりで、夜明けまでまだ遠い。
夜明け。そんなもの、わたしには永遠に来ないのかもしれない。
カーテンをあけると、満月に照らされた、深海のような光景が見えた。目の前の深く広い森が、わたしを誘っているような気がする。
結局、この館に来ても、何も変わることはなさそうだった。数日後にはまた、日常の生活にもどらねばならない。あの街へ、家へ、学校へ、帰るのだ。そしてまた孤独の日々が始まる。これ以上もう、耐えられない。
部屋を出た。玄関ドアをあけ、外へ出ると、ひんやりとした外気が頰にあたる。薄いTシャツにホットパンツという格好では、まだ寒い。けれどこれくらいの冷たさが、今のわたしには心地よかった。
芝生をふみしめるサクサクという音を聞きながら、森の中へと誘われるように、歩いていく。
※
真夜中、自室のベッドの上で、桑原は意識を取り戻した。いつここへ戻ってきたのか、はっきりしない。記憶をさぐり、思い出す。
…………。
確か……。そうだ。白河玲子の手首をつかんで、それからだった。
あのあと、体から力が吸い取られてしまったみたいに、地べたに座りこんだまま、立ち上がることができなくなったのだ。数分後、どうに身を起こして、館に戻ったものの、体調はよくならず、食欲もわかずに、這うようにして二階の自室へもどって……ベッドにたおれこみ、そのまま眠ってしまった。
時計を見ると午前二時過ぎで、と、なると睡眠はそれなりにとったはずだった。しかし、いまだ体は鉛のように重く、ズキズキと頭痛がした。まったく疲労はとれていないようだ。
もう一度、眠ったほうがよさそうだ。その前に用をたしておこうとバスルームにはいって、桑原は洗面台の鏡に写る自分の顔に声をなくした。頰がかけ、目のまわりに大きな隈ができて、ひどく憔悴していたのもそうだが、何よりも、髪が真っ白になっていたことに、おどろいた。
俺の身に何が起こったんだ?
思い当たるのは……玲子、彼女にふれた時に受けた衝撃。あれが原因としか思えない。
いったん落ち着こうと、冷蔵庫から出したミネラル・ウォーターを口にふくみ、風をいれるために窓をあけて、何気なく下を見た桑原は中庭を森のほうへと歩いていくひとつの影を見つけた。満月の光を浴びて浮かび上がるその姿。それは白河玲子だった。
※
行き場のない絶望感にさいなまれ、わたしはあてもなく森の中をさまよっていた。
小道をはずれ、奥のほうへと、さらに進むほどに気温は低くなり、いつしか冬にもどったような寒さに体はふるえていた。
もっと寒くなって、身も心も凍えてしまえばいい。そうすればわたしは二度と目覚めることのない、眠りにつくことができるのに。
木々の枝が絡み合い、屋根となって月光をさえぎるそこは、ひどく暗く、そして虫の声さえもしない静寂にみちていた。
すべての生き物が死に絶えてしまったような世界に、ひとり。ひとりきり。
さみしい。さみしくてたまらない。
けれど、永遠の眠りにつきさえすれば……そう。その苦しみから解放される。
……。
大きい岩棚の上に身を横たえて、体が芯まで凍えていくのに任せたまま、目をとじる。現世に未練など、ほんのひとかけらもない。
ガサ、ガサ。枯れ草をふみしめる音に気づいて身を起こした。
わたし以外の誰かが……森の中にいる。誰?
木々のあいだから現れた人影、射しこむ月光を浴びて照らされた顔は。桑原だった。
?
どうして彼がここに? 嫌な予感に胸がつまる。
そして近づく彼を見て、おどろいた。ひどくやつれた顔、そして……黒かった髪が真っ白になっていた。
「こんばんは。白河玲子さん。偶然だな、こんな場所で会うなんて。あんたも夜の散歩かい。ちょうどよかった。聞きたいことがあったんだ」
こんな真夜中、しかも森の奥で、そんな偶然があるはずもない。この男、わたしのあとをつけてきたのだ。
「おまえ、何か特殊な力を持っているのか?」
「え?」
「俺の髪を見ろ。これはおまえがやったんだ」
「……」
暴力的な本性をあらわにして、迫ってくる桑原。
「でもな、特殊な力を持っているのは、お前だけじゃねえんだ」
何だろう? 意識を集中しているのか、険しい顔つきになって、桑原は全身に力をみなぎらせていた。
その時だ。信じられないものをわたしは見た。地面に落ちている小石がいくつか、ゆっくりと宙に浮かび上がったのだ。
※
桑原が自らの超能力に気づいたのは、子供の頃、だれかと喧嘩をしている最中、怒りにわれを忘れている時だった。
サイコキネシス。対象物にふれることなく、念じることで、それらを動かすという力。
力のつよいケンカ相手ふたりに羽交い締めにされて、暴れている時に、室内の窓ガラスがいっせいに割れた。
それを皮切りに、椅子や机がたおれたり、本がとびだしたり、ボールが飛んでいったり、といった現象がいくたびが起こるようになった。
それはいつも、桑原の怒りがピークに達した瞬間に起こることから、原因が自分にあると気づいたのだ。
最初こそ信じられなかったものの、本で知識を得るうちに、そういうことも起こり得ることを知った。
制御できなかった力は練習を繰り返すうちに、自らの意思でコントロールできるようになっていった。が、それはものすごい集中力を必要とした。
ふらふらになるくらいに精神統一しても、できることはせいぜい、ペン一本を動かせる程度で、ほとんど使い物にはならないレベルだった。
しかし今、怒りに身をまかせた桑原はその能力を見事にあやつっている。
怒り。今、桑原にあるのはそれだけだった。得体のしれない力をひめた玲子、己の存在をおびやかす存在である彼女を排除しようと、彼の闘争本能は、持っている力の全てを最高レベルにまで押し上げていたのだろう。
相手がいっ時、好意をもった女性であるということもまた、彼の怒りに油をそそいでいた。
ちきしょう。かよわいふりをして、俺をたぶらかし、こんな目にあわせるなんて。ゆるせねえ。とっつかまえて、俺の足元にひざまずかせてやる!。
※
石が宙に浮かんだ。と思った瞬間、それはいっせいにわたしを襲うように飛んできた。
いたいっ!
よけきれず、いくつか、頭に、肩に、腕に当たった。
何? これは……。恐怖にとらわれ逃げ出した。
何が起こったのかわからない。けれど、桑原の全身から発せられる殺気から、彼が何か、をしたのは間違いなかった。
わたしの頭上で木の枝が折れ、後方から石がまた飛んで来た。必死になって逃げる。ほとんどパニック状態になりながら。息がきれ、心臓がはげしく脈打った。
しかし暗い森の中をそんなふうに走るのはやはり危険だった。木の根のくぼみに足をとられて、地面にもんどりうって転がる。
いたいっ!
ひざを、腰を、したたかに打って、するどい痛みが全身をつらぬく。
もう、立ち上がれなかった。
すぐうしろに近づいてくる桑原の気配。
振り返りわたしは見た。凶悪な目をした桑原が、手をのばして、わたしの足をつかもうとするのを。
…………。