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男子は変身ヒロインになれません!  作者: 近藤銀竹
第五章  戦が避けられないなら必死で生き残るしかないと思った
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第十八話 『魂の発動者』

 眼を醒ますと、前方の遙か遠くに巨大な白亜の尖塔がきらめいているのが見えた。馬車から身を乗り出して、全力疾走しているスレイプニルたちに叫びかける。


「あれがイマジナリアか?」

「そうだ。じきに湖や森も見えてくるぞ。荒野の多いデジールと違って、イマジナリアは肥沃だから目にも麗しい」


 なるほど、確かに白い尖塔はダークグリーンの森林から飛び出していて、ヨーロッパの風景写真のような眺めが広がっていることがわかってきた。

 馬車はさらに、動物とは思えないような速さで突き進む。目的地は、ただ美しいでは済まされない状況になっているということが理解できた。

 草原には大軍が整然と陣を構えて戦の準備をしている。

 一方、城壁の中からは細い煙がたなびいている。見えない場所に大軍がひしめき、城の前の広場を埋め尽くしていることが想像された。


 さらに城に近づくと、詳しい戦況が見えた。イマジナリアの城は城壁の所々に穴が開いている。何か大きな岩でもぶつけられたようにも見えた。

 ヴォイダート軍の先頭には、車輪のついた梯子のような道具を並べており、これを登って城壁内に侵入しようとする思惑が見て取れる。主な兵隊はダリーだ。ウノシーの大柄な姿もちらほやと見られる……大体、一連隊あたり一体ってところだ。

 イマジナリアはやや劣勢、いよいよ籠城に追いこまれる、といったところか。


 急がないと。

 馬車を降ろしてもらう場所が決まった。スレイプニルに最後の指示を出す。


「俺を城門の前へ!」

「いいのか? 陣の横っ腹を刺すって手もあるんだぞ」

「いや、この攻撃は俺が止める。戦死者はいないに越したことはないんだ……俺を降ろしたら、全速力で戦場を離れて、デジールへ帰ってくれ」

「その根性、気に入ったぜ!」


 スレイプニルがひひんと笑う。


「派手にいくぜ! 掴まってろ!」


 馬車はそのままイマジナリア城と敵陣との間に突っこみ、スレイプニルが言った通り、派手な減速と方向転換を行う。馬車は車輪を横にスライドさせ、進行方向と反対を向いて停車した。


「吐いてねぇな。よし……英雄よ、行け!」


 スレイプニルが声をかけてくる。


「燃える登場シーンをありがとう! ラピルーによろしく!」


 彼らにねぎらいの言葉をかけると、彼らはそのまま、来た道を全速力で駆け去っていった。


 風に乗って、ヴォイダートの陣からざわめきが聞こえてくる。いきなり目の前に人間が立ちはだかり、どう対応するか迷っているようだ。


 急に太もも辺りに震えが来る。

 今から一人で、この軍団を相手にするのだ。数千の大集団が、こちらを見ている。こんな一対多の闘いをいつも繰り広げている祓魔姫ふつまひめたちは、並々ならない緊張と恐怖にさらされながら毎日闘ってきたということか。

 いや、恐れてもいられない。これを食い止められれば、イマジナリアの損害は相当減らせるはずだ。


 こいつらは……俺がやる!

 敵陣を睨みつけると、同時にヴォイダートの進軍ラッパが鳴り響いた。

 ダリーたちが雄叫びを上げながら、こちらに走ってくる。人間界にいたダリーと違い、全員が手に剣や手斧を持っている。梯子を登った後、あれでイマジナリアの妖精を殺すのか。

 恐怖感が、震えを伴って身体を駆け上ってくる。

 俺はその感覚を振り払うべく、肺一杯に空気を吸いこんだ。不思議なことに、今まで着けていたことさえ忘れていた両腕の腕輪に重量を感じる。

 そして叫ぶ。


「インヴォーーーク!」


 ざわり。

 両腕に埋めこまれた魂が脈動する。

 そして、何かが両腕に侵入する感覚と共に、右手にはカメレオンの鱗、左手にはハチドリの羽毛が生えてきた。

 敵の勢いが、一瞬だけ緩んだ気がした。『魂の発動者』の気配を感知したのだろうか。

 いや、そんなことを気にしている暇はない。さっそくやってやる!


「『ハチドリ』、発動!」


 念じた瞬間――周囲の雄叫びが、地響きが、かき消えた。


 今まで轟音をとどろかせて迫ってきていたダリーの大集団が、駆け足ポーズのまま彫像のように静止している。

 目の前に迫っていたダリーに歩み寄る。

 何も映していない目、振り上げた手斧、地を掻く足……全て止まっている。いや、ごくわずかずつ動いている。それこそ、時計の短針よりもゆっくりと。

 俺だけが、千百九十二倍の加速をした世界を生きている。

 その代償は――一秒の発動につき十九分五十二秒間、プレートメイルを着てトレイルランニング。ぐずぐずしてはいられない。


 俺はとりあえず、目の前のダリーに右手を振るう。逆袈裟にカメレオンの鞭が伸び、ダリーの肩から脇腹にかけて裂傷を作った。黒い繊維が露わになるが、血は吹き出さない。

 これで一体、倒したはずだ。

 俺は進軍する最前列のダリーを、左翼の端から順に斬っていった。黒ウィルの集合体であるダリーが相手だからできる作業だが、これが人間や妖精だったらと思うと御免被りたい。

 前列のダリーには全て斬りこみを入れ、梯子車は全て前輪を砕いた。

 これで、まずは進軍が止まるはず。

 感覚で三十分以上かかったと思われるが、全ての作業を終え、城門の前に立った。


「『ハチドリ』、解放!」


 宣言と同時に鬨の声が耳に届き始め、間髪入れずにジェット機のエンジンのような爆音が覆い被さった。俺が高速で移動したために起きたソニックブームだ。次いで、走っていたダリーの先頭から、横一列に黒い血が噴き出す。脚をもつれさせた先頭に後ろの列が躓き、それが伝播して先陣の半分くらいが倒れこんでいた。それと同時に、梯子車がゆっくりと前のめりに倒れ、地響きを立てた。


 一瞬で、ヴォイダート軍は悲鳴と怒声に包まれた。

 事態の飲みこめない恐慌状態の中、イマジナリアの城内から無数の矢が放たれ、城門が開き始めた。門扉やイマジナリア軍に轢かれては堪らないので、城門から離れてイマジナリア軍に道を譲る。

 ヴォイダート軍がさかんにラッパを鳴らしている。悪堕ちした妖精の指揮官が、ウノシーが、ダリーが、回れ右をして我先にと退却していく。

 イマジナリア軍は城門から飛び出したスピードのまま突撃し、数多くのダリーと数体のウノシーを破壊し、敵軍の妖精数人を捕縛した。


 イマジナリアの快勝を目にし、俺は安心して城壁に背中を預けた。

 いや、そのつもりだったが、急に膝から力が抜けて地面にへたりこんでしまった。

 全身の筋肉がズキズキする。関節は言うことを聞かず脱力している。


 これが……鎧トレラン三十分の疲れか……


 俺は身体のパーツが崩れ落ちたように座ったまま、イマジナリア軍の突撃とヴォイダート軍の退却を見守った。

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