おれたち00(ダブル・オー)
おれは暗闇の中で耳をすます。自分の息遣いのほかは何も聞こえない。俺はA国のスパイ。B国のある重要な情報を手にいれた。この国の秘密警察が気付く前に祖国に届けなければ。
カチャリ。闇の中に冷たい金属音が響く。突如、ばかに明るい光が背中にあたる。
「動くな!」
無情な声が響く。気付かれた! クソ! おれはゆっくり両手を挙げるふりをして、おもいきりやつの股間を蹴り上げ一目散に走り出した。こんなところでつかまるわけにはいかない。
おれは真夜中の暗闇の中を一人で歩いている。でもひとりでこの闇の中にいるわけじゃない。あいつはきっと近くにいるはずだ。おれはB国の秘密警察。ふとどきにも、わが国から大事な機密をA国に持ち出そうとしている奴がいる。ぜったいにおれの手で連行してやる。
おれは立ち止まって細い横道に身を隠す。奴だ! 絶対に間違いない。ほんのわずかだが息づかいが聞こえる。おれにはわかる。逃すものか。懐中電灯をつけた。やつの背中がはっきりと現れた。小柄だが、頑丈そうな男だ。おれはやつの背中に銃を突きつけた。
「動くな!」
やつはゆっくりと両手を上に挙げた……。 体中に痛みが走る。ちくしょう! 油断した! やつの姿があっという間に暗闇に消えていった。おれは激痛に耐えながら走り出す。絶対に逃すわけにはいかない。
小柄なスパイは大きな十字路に出た。秘密警察も後に続く。暗闇に響くのは二人の足音と激しい息遣いだけだ。ふいに強い光がスパイの顔を照らし出す。秘密警察の懐中電灯だ。スパイがたまらず顔を背ける。その隙をみて秘密警察の男がとびかかる。懐中電灯の明かりのなかにもみあう二人の男が現れては消え、現れては消える。
二人の男の取っ組み合いはしばらく続いた。が、徐々に優劣の差が出始めた。小柄なスパイが秘密警察の男の上に馬乗りになり、その首に手をかけた。秘密警察の男は力のかぎりその手を振りほどこうとしたが、抵抗むなしく間もなく指の力がぬけ、二、三度虚空を引っかいた後、音もなく地面に落ちた。
スパイは上着の内ポケットを探った。情報は無事だ。スパイは地面に転がっている懐中電灯を拾って明かりを消した。悪かったな。お前にうらみはない。だが、俺に出会ったのが不運だったんだ。あきらめろ。家族はいるのか? 国が面倒みてくれることを祈る…。
スパイは歩き出した。ガツッと鈍い音がして、スパイはその場に崩れ落ちた。
けたたましい非常ベルの音がする。チクショー。仲間がいやがったのか。おれもヤキが回ったな。薄れゆく意識の中、スパイは思っていた。おれはきっと拷問にかけられるだろう。だが、何があってもおれは口を割ったりしない。絶対に。あたりがすこし明るくなってきたようだ。もうすぐ夜があけるのか…。おれはまた明るい朝日をおがめるだろうか…。
非常ベルはなおもなり続けている。あたりは先ほどの暗闇がうそのように明るくなった。太陽の光ではなかった。野球場のようなぎらぎらした大きなライトが十字路に倒れている二人の男を容赦なくてらしていた。
二人の男が倒れているのは街ではなかった。十字路の周りにある建物はペラペラのベニヤ板。十字路も数メートル先で終わっており、周りはコンクリートの壁に囲まれていた。すべてが作り物だった。
ついさっきまで激しい戦いを繰り広げていた男たちが力なく横たわっていた。二人とも顔に深い皺をいくつも刻んでいる。頭はつるつるにはげあがり、わずかに残る髪はすべて白髪。かなりの高齢だろう。
セットの中から数人の男たちが出てきて、倒れている二人をとりかこんだ。みな白い服に身をつつんでいる。白衣を着てめがねをかけた理知的な顔をした男がひとりいた。担架を持った一団があらわれ、手なれた様子で二人をどこかへ運んでいった。白い服の男の一人が白衣の男に話しかける。
「じいさんのくせにあいかわらず元気ですね。病室でおとなしくしてくれればいいものを」
白衣の男はにが笑いした。
「まだ自分が腕っこきのスパイか秘密警察だと思い込んでいる。病室に閉じ込めても鍵をこじあけて病院の外に出てしまう。どの国の病院でも、もてあましている。なまじ体力は人一倍あるから、あぶなくて仕方がない。こうして適当にあばれさせて適度な充実感を与えてやれば、当面はぐっすり寝てくれる」
「薬でおとなしくさせるわけにはいかないんですか?」
「拷問や特殊訓練のおかげで、たいていの薬物には免疫ができているらしくてな。何をつ打ち込んでもおとなしくならんのだ。あ、そろそろ次の患者の準備にとりかかってくれ。今日はあと3組控えている」
白い服の男たちはのびをしたり肩を回したりしながらセットの中に消えていった。