楓湖城の探検064
どうやら時間をかけすぎてしまった。
濃密な蒸気は、高温の白いカーテンとなって天井に達する。それは形を変えながら揺らめき、前方を覆い尽くす。
今の位置からでは、装置どころか周りの黒騎士がどうなったのかも把握できない。
「くそっ! 中はどうなっているんだ?」
蒸気の内側を把握できるのは楓だけ。
そう考えて問いかける。だが、返ってきたのは絶望的な現実だった。
「……すでに制御装置の内部は暴走寸前なの、です。あの蒸気は膨大な熱量を引き受ける代償として発生し、かろうじて融解を防いでいるの、です」
間に合わなかったのか……
「このままだと、どうなるか教えてくれ」
「はい、です。制御装置内側の動力源を冷ましている冷却水が減った後は、超高温の溶融体になると予想する、です。それは隙間から漏れ出して、周りに溜まった水の中に細かい粒となって流れ込むの、ですよぉ」
楓の話を聞いて、俺は入れ物に満載したパチンコ玉をひっくり返したようなイメージを想像する。
思ったほど深刻な状況ではない気がしてきた……
「そういえば大まかな話を聞いていた気がする……けど、高温の玉が水に触れると、冷めて固まるんじゃないのか?」
「違うの、です。流れ出した比重の大きい粒子に蒸気の膜ができる、です。それは、フライパンの上で水滴がなかなか蒸発せずに踊るのと同じ現象で、それを水中で起こすの、です……」
「へぇ、それでどうなるんだ?」
危険だとわかるのだが、いまいちピンと来ない。
怪訝な顔をしていると、楓は俯き気味になり説明を続けた。
「……その蒸気膜が断熱材の役割を担うの、です。超高温の粒子は、熱量を保持したままで幅広く水中に広がり続けて、きっかけひとつで衝撃波を伴って弾ける、です。それが連鎖的に一気に起こるの、です」
「ふーん。小さな泡が弾けるんだろ、その程度で……」
俺の安易な呟きを遮るように、楓は顔を上げ声を荒げる。
そして、衝撃的なこれから起こるであろう事実を叫ぶ。
「違うの、です! 数えきれない程の超高温粒子が弾けながら、更に細かくなり水中に拡散するの、です。むき出しになった粒子は周囲の水を全て一瞬で気化させる、です」
……え……?
「水は蒸発すると、体積が千七百倍程に膨れ上がるの、です。こんな岩盤の密閉空間で爆発的な膨張が起これば、内部は全てが吹き飛ぶの、です……」
それを聞いて俺は言葉を失う。
視線は蒸気の中心に向かう。だが、霞む奥は見えなかった。
もうこれ以上は聞きたくない。
……しかし、楓の話は続く。
「それと、ここまで悪化してるとは思わなかった、です。だから……」
「………まだ……なにかあるのか?」
なんとか口を開いて、楓に問う。
「崩れた制御装置の周りには、溢れだした水が大量に溜まっている、です。前はそのほとんどが排水されて、ここまでの状態じゃなかった、です」
「それがなんだって言うんだ?」
周囲の水に問題があるのか?
「実は溢れた水が、水蒸気爆発の規模を格段に強める結果に繋がるの、です。それによって、予想以上に地下空間の大崩壊が起こり、結果ほぼ全域が厚さ数十メートルの岩盤によって完全に埋まると想像ができるの、です」
……えっ?
「ちょっと待て。岩盤に影響があるとは聞いていたけど、ここ全域が埋まるなんて……」
聞いてない……ぞ……
「……状況が変わったの、です。旅館までを含めた巨大な岩盤に取り返しのつかない亀裂が入れば、上部ダム湖に貯まった水の重量に耐えられなくなる、です」
……なんだって。じゃあ、白楓はどうなるんだ?
俺はあいつにここで……
「……俺は間違えた……のか」
制御装置から離れれば、なにが安全だ。
暴走が起きても、ここは広いから平気だと考えた……だが、そんな事はなかった。
想像を超える規模だと、今更ながら理解する。
途方もない事実と現実がのし掛かってきて、絶望感に包まれた……
楓の話をもっとちゃんと聞いていれば、安易な考えなどしなかっただろう。そう、悪いのは俺だと、後悔の念が沸き起こる。
楓はそっと横に並んで、顔を覗き込む。
その表情にいつもの軽薄な調子はなく、俺の様子を伺いながら丁寧に話し始めた。
「ご主人……ですから……聞いて欲しいの、です……」
「……なんだ?」
「……もうご主人は充分にがんばったの、です。早くここから退散するべき、です。時間は……あまりないの、です。……お願い、です……」
現状を一番把握しているのが楓だろう。それは間違いない。
もちろんわかっている。いまからでも避難する選択が正しい事を。だが、その前にどうしても気になっていた事を確認する。
「……白い化け物はどうした。あそこにいるのか?」
それは、消えた白い化け物の行方。
「あれは……制御装置の壁を……喰ってやがるのです。そのせいで中から急激に水量が減少しているの、です。周りに溢れだして溜まっているの、です」
くそっ、ちゃんと手前で食い止めていれば……
あの時もっと早めに倒していれば。……悔やんでも悔やみきれない。
「あと、どのくらい時間が残されているんだ」
「ちょっと待って欲しいの、です」
楓は目の上に手をかざし、蒸気の内部をじっと眺める。目を凝らした。
「……おそらく、あと一時間ぐらいは、今の流出量なら耐えられると思う、です。ただ……先ほども言いましたけど、白い奴が壁を壊し続けているので、早まる可能性が高い、です」
一時間だと! そんな……
「何とかならないかにぃ? 今からでも白いあいつを倒して、制御装置の補修が出来れば……まだ、食い止め……」
ずっと黙っていた小尾蘆岐から声があがる。
それは訴えるように切実だった。だが、ここで楓の感情が爆発した。
「いい加減にしろ、です! このチビがぁ。これ以上、ご主人にどうしろと言うの、ですか? 何をさせるつもりなん、ですかぁ? 危険に引き込んだのは、お前なの、ですよぉ……」
それは、今までになかった非難を含んだ言葉となり、小尾蘆岐に突き刺さる。
「うぅ……ごめんだにぃ……」
「……謝ってどうにかなるの、ですか? ずっとご主人は……」
楓の怒りに当てられて、小尾蘆岐は項垂れてしまう。
……だけど、違うんだ。危険に巻き込んでしまったのは……
「止めてくれ楓。ここに来る選択をしたのは俺だ。だから小尾蘆岐を責めないで欲しい」
「千丈……」
「ごっ、ご主人……」
旅館に溢れる黒騎士を見て、発生を止めるため中に入る選択をしたのは、他ならぬ俺自身。
逃げ道をここ制御装置に求めたのもそうだった。
非難を受けるべき対象は……俺だ。
だが楓と小尾蘆岐は、ひと言だけ俺の名前を呼んだ後に何も言わなかった。
責められた方が、気持ちは軽くなるのにそうはならない。
数々の問題が脳裏に浮かぶ。
制御装置崩壊の事実。地下空間崩落の危機。追い払ってしまった白楓の事。岩盤の影響で起こるダムの崩壊。流出した洪水で起こる下流域の被害。
そして、小尾蘆岐の父親が浮かんでは消えていく……
本当に偶然の積み重ねで、ここに導かれている気がする。
いったい、なんのために俺はここにいるんだ?
ただ黙って、最後まで結末を見続けろとでもいうのだろうか……
肩に乗る小尾蘆岐の脚が震えていた。
相変わらず小さい魔女は臆病だけど、騒ぎ出すことがない。取り乱すことはなかった。
ただ黙って、声を押し殺して泣いていると思った……
俺は視線を上げて、その表情を見る。
小尾蘆岐は黙って蒸気の中心を見つめ続けていた。
その表情に諦めている感情はない。それに泣いてなどいなかった。
続けて顔を横に向けると、楓も黙ってこちらを見続けている。
……諦めているのは、俺だけだった。
だめだな、これじゃいけない。
気持ちを切り替える。俺達に出来る事を考える。取れる手段を行使する。
それしかないし、そうしてきた。
そのために……冷静な状況分析を今、始めよう。