楓湖城の探検046
こいつはヤバイ、ですよぉ!
予想外の事態、です。
小尾蘆岐の父親が遺した手記に、制御装置の恐るべき事象が書かれていた事を俺は思い出した。
「なあ、小尾蘆岐。親父さんは、たしか制御装置について手帳に書いていたよな?」
「書いてたにぃ。ちょっと待つにぃ…… ここだにぃ! 暴走が起きるとダムの破壊に繋がるとあるにぃ」
ああ、確かそう書かれていたな。
「他に制御装置の機能とか、形状みたいな記載はなかったかな?」
記憶に無いが、一応確認する。
見落としがある可能性も捨てきれない。
「……なかっただにぃ。最後に制御装置に向かうと、それが最期だったにぃ。……その後は、一文字も……」
俺の頭部に小尾蘆岐の額が触れる。心なしか声は細く弱くなっていた。
……辛い事を思い出させてしまった。
「悪かったな」
「……気にしないでにぃ」
俺の謝罪に、そのままの姿勢で小尾蘆岐は返事をする。
父親は最期に何を行ったのだろうか?
そもそもダムの破壊を起こせるのか疑問が残るけど……
一応考察してみるか……
ダムまでの距離は、ここから一キロ以上離れている。
遠距離で被害を与える可能性は、自然災害級の事象だろう。
まず岩盤の崩壊や崖崩れだが、この付近はそれほど急峻な岩山ではなかった。
直接ダムにまで被害を及ぼす可能性は、あまり考えられない。
……周りが崩れた所で、起きるのは湖水面の上昇ぐらいだ。
地盤の崩落は、この地下空間がダム下まで続いている場合は別だけど、さすがにダム着工前に地下と、両側壁面の調査をしているはず。
空洞の真上にダムの建設など、さすがにしないだろう……
他には火山の噴火などが考えられるが、ここは活火山帯ではない。
その可能性は低いと思う。
ただ、温泉はあるみたいだけど。
……そうだ、温泉があったな。
しかし駄目だな。ダムを破壊させる程の要因は考えつかない。
そもそも強大なコンクリートの建造物だ。
核シェルターより丈夫で、そう簡単には崩壊しないだろう。
小尾蘆岐の父親が誇張して書いたと思いたい。
……そう願う。
さて、そろそろ決断しないと。
奥に出口があるかもしれないし、来た道に戻れない以上は進むしかない。
制御装置はどこにあるのか不明だったけど、色々と考えている内に大体の場所は予想することが出来た。
そう、温泉の異常に対処するために、父親は制御装置に向かった。
それが、最悪の状況を回避する為に必要だったからだ。
そして、湖底の洞窟で気温が異常に高いのは、熱源の存在が必ずある。
熱源とはなんだ?
それは、温泉の発生源だと考える。
旅館近くの源泉に繋がるなにかがきっとある。
制御装置はきっとそこだろう。
俺達が向かうべき方向は……
「楓、熱の発生源はわかるか?」
「はあ、です。温度が高い場所はあっちの方、ですねぇ」
楓は崖の上を指差す。
そこは、生まれた黒騎士が登っていた場所だった。
防衛装置から発生した黒騎士は、移動するにつれて体形が変わり続ける。そして崖を登っている頃には、成人男性ぐらいになっていた。
びっしりと取りついた、そんな存在が、きれいさっぱりと……
「いなくなってるな……」
「ほんとだにぃ。あんなにいたのに……登ってどっかに行ったのかにぃ?」
そうかもしれないな。
崖の上は、ここから判断ができない。だから……
「そっちに向かえば、なんかわかるだろう。楓、今度こそ……ん?」
石の縁から黒騎士の頭部が覗く。
だが、足を踏み外したようで、視界から消え去る。
「あははっ、ドジだにぃ! 自分で落っこちて……にぃぃ?」
小尾蘆岐の笑いが止まる。
足の裏に揺れを感じつつ、辺り一面を多い尽くす不穏な気配に、消えた黒騎士の方向を見続けた。
すると、太い白い指のようなものが飛び出して、力強く石の角を掴んだ……
「なあ、楓さんよ。見間違いかな? えっと……指っぽい物が見えるけど……」
「ご主人、失礼するの、です」
そっと横に寄り添う楓は、腰付近に腕を回してきた。
明らかな警戒感が伝わってくる。
足元の揺れは、白い指先に力を込めるのと連動していた。
更なる違和感を感じ、俺はおもわず呟く……
「……なんか変な音が聞こえないか?」
「お煎餅でも食べてる感じかにぃ?」
そんな音を立てるなにかが、ここにいた記憶はない……
それは、固い物を口腔内で噛み砕くような、くぐもった響き。空気の微細な振動が皮膚に伝わってくる。
やがて揺れはいちだんと激しくなり、指に力が込められた瞬間。その元凶が顔を覗かせた。
「……んなぁぁ! なんだこいつは?」
「跳ぶ、です。しっかり掴まって欲しいの、です」
白い半円状の塊が視界に入るのと、楓が崖を目指し跳躍したのは、ほぼ同時だった。
空中で振り返る俺が見たのは、太い管のような手をした白い化け物。
それは……
首のくびれががほとんどなく、大きな瓢箪ような胴体。周りに溢れる黒騎士と比較しても数倍の大きさだった。
体毛は全くなく、真っ白でつるりとした体表面。
身体に比べると小さな頭部に真っ赤な唇が、熟した石榴のようになって裂けている。
生理的な嫌悪感が沸き上がり、全身の産毛が逆立つ感覚に包まれる。
なにより驚いたのは、身長の倍はある長い手に掴まれて、もがき続ける黒騎士だ。緩慢な動作で胴体に近づけると、背中の中心に押し付ける。
黒騎士は半分ほど沈み込んだ。
その状態で手を離し、次の獲物に向かって腕を伸ばす。
口は伸縮性があり、捕まえた黒騎士を飲み込むために、引き裂きながら開いていく。
手にする黒騎士を放り込んで、咀嚼を始める。
噛み砕いている間にも、次の黒騎士を掴んで身体に押し付けている。徐々に白い体表面に沈みながら、やがて全身が埋没して消えた。
……溢れる黒い存在は、続々と白い化け物の餌食になっていく。
「防衛装置……これが、本来の姿なのか?」
先ほどまで立っていた黒い石の根元。
真っ黒な穴からは、続々と白い化け物が這い出し続けている。
「あれはダメ、ですよぉ。胴体も全部口のようなモノ、です。取り込まれたら、楓でも脱出はできない、です」
そんなことは見ているだけで理解した。
こんな鎌で立ち向かえる存在ではない。それに楓の攻撃は打撃系なので相性も最悪だろう。
改めて、白い化け物の内部を注視する。
その身体は光点が僅かに散在している。だが、それは取り込んだ黒騎士のなれの果て。分解されて消えゆく破片の輝きだった。
化け物が持つはずの光点は、肉厚の身体に隠されて見つけることができない。
……やはり、倒せそうにない。けど……
「あいつらは幸いに、こっちに関心がないみたいだ。さっさとここから離れるぞ」
「もちのろん、ですぅ」
崖の上に飛び乗った楓は、振り返らずに走り始める。
背後から不気味な饗宴の宴が、追いかけてくるように、俺の鼓膜を震わせ続けた。