楓湖城の探検042
ご主人のお身体が心配、です。
全てを無視して、ご主人を連れてここから立ち去りたい……ですがぁ……
きっと許してくれない、ですよねぇ。ふう……
現れた黒機動士は、小尾蘆岐に向かってゆっくりと動き始めた。
下には数騎の黒騎士がいるせいで、逃げる場所は少ない。
このままだと接触してしまうのは、時間の問題だ。
回復の能力を持つ魔女。そんな非常識な存在でも、腕力は普通の高校生……いや、あいつはそれ以下だろう。
「……か、楓……行けるか?」
「……お身体は……大丈夫なん、ですか?」
激痛は先程に比べて、だいぶ落ち着いた。
ある一定値を超えると、神経が痛覚を軽減すると聞いたことがある。……どうやら、それに近いのかも知れない。
ただ、少しの振動でも刺すような痛みを感じ続けている……けど……
「それより……このままじゃ小尾蘆岐が詰む。黒機動士を追い払い。石の処理を終わらせて、ここから逃げるぞ。そのためにお前の力が必要だ」
「はぃぃ、お任せ、ですよぉ。……では、しっかり掴まってください、です」
片手で俺を抱えて立ち上がる。
腰に回された腕は、まるで鋼鉄パイプのような安定感を与えてくれる。
身長の低い楓に持ち上げられ、俺の腹部には楓の頭部がある。
掴まる場所に悩み、両手で顔を挟むように持った。
……頭が予想以上に小さっ!
……そんなことより、楓に抱えられて視点が少し高くなって、周りの様子がよく見えた。
殴られた際に吹き飛んで、黒騎士からだいぶ離れた位置になっていた。
だが、徐々に黒騎士の包囲網が狭まりつつある。壁は跡形もなくなくなった現実を目の当たりにした。
「ご主人、少し揺れる、です。我慢してください、ですよぉ。それと、ほいっ……あむぐぅ、でずぅ」
足下に転がる鎌をつま先で器用に蹴りあげて、柄を口で咥えた。
もう片方の手に持つ照明措置は、空間を煌々と照らしているので、これで口と両腕が完全に塞がった事になる。
果たして、この状態で満足に動けるのだろうか?
不安を感じた俺は思わず問いかける。
「……激しい揺れは控えめに頼む、と言いたいが……おぃぃっ!」
楓はそのまま膝を軽く曲げて飛び上がった。
正確には斜めに跳ねるだろうが、次の瞬間には黒い石を見下ろしている。……正直に言おう。めちゃくちゃ怖い。
一瞬で石の上部に辿り着く。
足下には黒機動士が張り付いて、その横には小尾蘆岐がいる。
焦ることなかった……余裕を持って間に合った。
両方を見下ろしながら、楓は鎌をくわえたまま口角を上げて、くぐもった笑い声をあげる。
「うぐぅぅ、ぷっ、です。ちょいと鎌を下に置きますねぇ、ですぅ」
口から離した鎌は足で受け止め、そっと置く。
その間も視線は黒機動士から一切外さない……
「ちょこまかとしやがって、です。お陰でご主人が痛い思いをしたの、です……」
「ちょっと楓ちゃん? 僕の方も見ながらそんな……うぁぁ、怖いだにぃ」
小尾蘆岐が慌てて逃げだした。
黒機動士は、その場で硬直したままで固まっている。
……いや動けないのか?
「あははぁ。あぁ完全に見つけたぁ、ですよぉ。もうどこにも逃がさないの、です…… ご主人ちょっとあいつをしばいてくる、です」
「……しかし、なんであいつは逃げないんだ?」
「さあぁ? わかんない、です。……でもぉ、都合がいいじゃない、ですかぁ。うふふぅ……」
迫力が段違いだ。
黒機動士を見つめる大きな瞳からは、相手を縛り付ける恐ろしいなにかが出ているように感じる。
その視線には、逃げる気力を喪失させる確かな力があった。
腕の力が緩んで、俺は石の頂上に両足を着けて立つ。
足裏から響く痛みが全身を突き抜けるが、歯を喰いしばって耐えた。
「……うっ。あまり無茶だけは……」
「おらぁああぁあぁ、ですぅ」
俺の話が終わらない内に、脚を黒機動士に向けて踏みつけるように降り下ろした。急加速をしながら一気に距離を詰める。
頭部に触れると、一瞬で黒い石から引き剥がす。
そして、踏んだままの状態で落ちていった。
……楓の腕は伸縮が可能だ。
ただ、足を伸ばしたのを初めて見た気がする。
……どんだけこいつは多機能……いや、化け物なんだろうか?
「いひひぃ。ご主人……あいつの弱点はどこぉ、ですかぁ?」
言動がおかしくなった楓から、視線をそらし、遥か下に目を凝らす。
そこには黒機動士が踏まれたままの態勢でもがいていた。
手足が届く範囲の地面は抉れて、穴があいている。だが、逃れられない。
こんな細い脚で、どれだけ拘束力があるのだろうか?
恐ろしいけど、今がチャンスだ。
姿勢はうつ伏せで、全身がよく見える。
これで光る箇所がわかった。
「……左胸の下だな……」
「じゃあ、ちょっと行ってくる、です」
十メートル近くも脚を伸ばしたままの状態から、軽く一歩を踏み出して縮小させながら下部に降りていく。
奇行を眺めていても仕方がない。後は楓に任せよう。
俺は出来ることをするだけだ……
足下まで這い登ってきた小尾蘆岐に向けて声をかける。
「……懐中電灯を持ってるか?」
「持ってるだにぃ。……それと、すぐに千丈の怪我を治してあげたいけど、ちょっと待ってほしいだにぃ」
小尾蘆岐は横に並ぶと、ズボンに差し込んでいた懐中電灯を差し出してくる。俺はそれを受けとった。
「……大丈夫だ。痛いけど、なんとか耐えられる」
やっぱり先に怪我を治すのは厳しいみたいだな。
ちょっと期待したけど、楓の前でかっこつけた手前、優先してくれとはとても言えなかった……
「そんな悲しそうな顔しないで欲しいにぃ。骨折は後で必ず何とかするにぃ。すぐ終わらせるから、ちょっと裏側の真ん中ぐらいを照らして欲しいだにぃ」
……どうやら顔に出ていたようだ。ちょっと恥ずかしい。
俺は視線を外して石の裏側を覗き込んだ。
そこにあるのは漆黒の闇。覗き込むと吸い込まれるように感じて、恐怖感を覚える。
これでは明かりがないと絶対に無理だな。……怖すぎる。
「お、落ちるなよ……」
「平気だにぃ」
懐中電灯を灯すと、明かりに照らされた黒い岩肌が見える。
これで、裏側の状態がどうなっているのかがわかった。
そこは表側と同じように文様が彫り込まれており、足場には困らなそうだ。
小尾蘆岐は躊躇することなく、手足をかけて素早く降り始める。
防衛装置の最後の修復を行うために……