楓湖城の探検020
出てくる、です。
ふかい、深い地の底から、ぞろぞろと、です。
まるで誘蛾灯に群がる虫みたい、ですぅ。
面倒な事になりそう、ですよぉ。
「……ご主人、なにかが動き出したの、です」
その言葉は、事態の急変を知らせる内容だった。
「なにが動いているんだ?」
俺には何も感じられない。
いや、ずっと気配は感じているのだが、その変化は旅館に入った時から変わっていないように思う。しかし、楓の警告は続いた。
「今は、あのぼろっちい部屋にいる、です。その、親父さんの手帳にあった何かだと思うの、です」
「手帳に? ああ、防衛装置が壊れて……そう書かれていたな? でも、10年以上前だぜ、なんで今さら動くんだよ」
「それは、楓にはわからないの、です。でも確か、です。こっちに向かって来てるの、です」
こっちに動く?
その時、廊下を質量がある物質の立てる軋みが、微かな振動が、俺の耳に聞こえた。身体に伝わってくる。
「ああ、確かに何かがいる…… どうだ楓、撃退は出来るか?」
「わかんない、ですよぉ? 逃げた方がいいと思うの、です。面倒、です」
確かにそうだな。
手帳には何体もいた事が書かれていた。当時に比べて数は減っただろうけど、全部を小尾蘆岐の父親が破壊した訳じゃないだろう。
逃げるか……そうすると、その窓からしか脱出路がないな。
「なあ、小尾蘆岐、歓迎の使者さんが、廊下を進んでるみたいだぜ」
「千丈はなにを言ってるだにぃ? ここには誰もいないだにぃ」
「そうでもない様子だぞ。もう廊下まで来ている」
ばかばかしいと、小尾蘆岐はそう言いながら俺の前を離れた。
そして、玄関に向かい始める!? おいっ!? マジかよ……
よせばいいのに小尾蘆岐はドアを開け放った。
廊下は一面真っ黒だった。そう表現する以外に表せない。
そのような高密度で何かがいた。目の前にひしめいている……うげぇ、やばい…ぞ…
「あれぇだにぃ? なんだか黒い壁が前にあるにぃ!?」
「小尾蘆岐ぃ!?」
素早く動いて小尾蘆岐の背中を掴む。
手前に引き寄せるのと、黒い塊が動くのはほぼ同時。
いや、ほんの少しだが俺の引っ張るほうが早かった。真っ黒な腕が玄関側の壁を突き破って向かってきた。
「うぎゃあぁ、何だにぃ!?!?!?」
その腕は、小尾蘆岐が立ってていた場所に暴力的な破壊の傷跡を残して、再び廊下に消えてゆく。
開け放ったままだった、ドアを巻き添えにして……
「楓ぇ!?」
「ご主人こちら、ですぅ」
外から楓の声が聞こえてきた。
俺が小尾蘆岐の元に向かう際、楓は背中を離れた。
そして、玄関と反対の窓を開け放って、逃げ道の確保をしてくれていた。退路は繋がっている。
「よし、じゃあいくぞ!」
片手で小尾蘆岐を小脇に抱えて窓の方向に向かい、もう一方の手でリュックを掴んだ。
ここまで来て、これを置いていけるはずは無いだろう。
背後を確認した。その黒い物体は、ドア枠に引っ掛かって室内に入れずいた。金属をひっかくような音が室内に響いてくる。
「なあ、歓迎の使者だったろう?」
「バカだにぃ?、なんで教えてくれないんだにぃ!?」
「言ったじゃん? それにバカは酷いな、言い直せよ」
小脇に抱えた小尾蘆岐から、謂れのない言いがかりをつけられた。ちゃんと教えたのに……そもそも、自分で向かっていった癖にひどいやつだな。
「それどころじゃないだにぃ!? 逃げるだにぃ!! 千丈っ早くだにぃ!」
「……」
世の理不尽さを感じるな。おっとそれどころじゃない。あいつは枠を破壊し始めやがった。
砕けるガラス、壁面の粉砕音を背後に聞きながら、窓枠を潜り抜けて裏庭飛び出した。
先に出ていた楓は、周囲の警戒を行いながら、こちらに走り寄ってきた。
「ご主人、外にも大量に気配が満ちている、です」
「ああ、そのようだな。しかし、なんでこう急に変わるかね?」
全く、もう少し大人しくしててくれればな。
しかし、あの宴会場に近づいた時の気配はあいつらだったのか……
「せっ千丈!? あ、あれは一体なんだにぃ?」
「さあな? 知らん。それより、なあ、俺の勘は間違ってなかっただろ?」
「楓はご主人を信じていたの、ですぅ。そうじゃなかったのはこのチビすけ、ですよぉ。悪いのはこいつ、ですぅ。うぷぷぅ」
「そうだな、あははぁ」
楓は小尾蘆岐を指差し、口元に手を添えて笑っている。もちろん俺もだ。小尾蘆岐を見下ろして笑った。
「何を呑気に笑っているだにぃ! 千丈、早くここを離れるだにぃ!!」
我が儘だな、さんざん忠告したのに……
まあ、今度は立ち去るのをご希望だ。早く帰りたいので、それには俺も賛成だ。
そう考え、小脇に抱えた小尾蘆岐を降ろそうとしたら、そのままの体勢から俺の体をよじ登ってきて、背中にしがみついてきた!?
「お前は自分で歩けよ!?」
「断るだにぃ! 僕の手足は短い! 従って走るのが致命的に遅いのだにぃ!!」
「自信満々に言うなよ!?」
置いていこうかな? マジで。
小尾蘆岐は、俺の心を読んだかのように、先程よりしっかりとしがみついてきやがった。
首には小尾蘆岐の両腕が巻き付き、腰には脚が廻されて、足首を交差してロック完了。
ピッタリフィットの小尾蘆岐さん。
体も柔らかく、隙間なくくっつくと、なんだか子供みたいだな。
親戚のまいこちゃんをおんぶしたのを思い出すな。元気かな?
「ああっ!? 、ですぅ。そこはぁ楓の場所、ですよぉ。きいぃぃぃ」
「そう癇癪をおこすな楓、子供のすることだから大目に見てあげろよ」
「子供じゃないだにぃ!? 訂正を求めるだにぃ。断固異議を申し立てるにぃ。それと、もう、ここは僕が占拠しただにぃ」
「むきぃぃぃ、ですぅぅ」
子供のケンカか?
楓もそんなにムキになる事かな? まあいいや。
そんなやり取りをしていると、背後の室内から黒い物が窓枠を破壊しながら外に出てきた。
陽光の元に立つ黒い物体は、中世の騎士をイメージする外見をしている。明るく広い場所に来ることで、初めて全体像を把握できた。
「小尾蘆岐? お前の旅館は斬新だよな?」
ロビーにはオリジナル小尾蘆岐グッズが並び、廊下にはビー玉の室内庭園、そして、真っ黒な中世のような騎士。こんな宿泊施設は見たことねーぜ。そうだ! あれは黒騎士と呼ぼう。
「あの化け物の事なら、さすがに旅館とは関係ないだにぃ…和風じゃないしにぃ」
「和風かどうかが問題か? でも、全部があそこから出てきたぜ?」
旅館の名産品だな。さて、これは冗談にして、そろそろ逃げるか、黒騎士は足も遅いしな。そう考えていると、楓が話しかけてきた。
「ご主人、あれには何か楓に通ずるものがある気がするの、です。ちょっと対話をしてくるの、です」
「……対話だと? おいおい! どうみても言葉は通じないだろう?」
「ここは任せる、ですよぉ。そんな、チンチクリンなんかより、楓が役に立つの、ですぅ。良いところを見せるの、です」
「チンチクリンじゃないだにぃ!? これから大きくなるのだにぃ。大きいのがそんなに偉いだにぃかぁ?」
「ふん、です。大きいは正義、です。おこちゃまにはわからないの、です。それより、よく見ているの、です。あっ、ご主人、楓の優秀さに惚れるとやけどする、ですよぉ」
ついに脳のメモリーがおかしくなったか? 惚れる訳がないだろう?
そもそも、あれと対話だと? 黒騎士の感情は読めないけど……あれ? なんだか俺に向かってくる気がする。
黒騎士の眼は兜内の奥にあるはず。そこからは、ずっと刺さるような視線が注がれ続けている気がする……
双眸は完全に隠れて見えないけど。
楓は、黒騎士に向かって無警戒に近づいてゆく。出た!このパターン。過去の光景が脳裏をよぎった。結末が見える。
「はいぃ、です。怖くないの、ですよぉ」
相手は犬か猫なのか?
楓の判断基準は、俺の理解を越えているな。
「大丈夫、ですよぉ。ほおらぁ、です」
楓は黒騎士に向けてゆっくりと手を伸ばす。
なんと、相手もじっと見つめ返しているではないか?
一言も喋らないし、表情は不明だけど……成功するのか?
「ほら、もう大丈夫、ですぅ。楓とご主人は、お前の敵ではないの、ですよぉ」
さりげなく小尾蘆岐を弾いて、数に入れていない。
こういう奴なんだよな、楓と言うロボットは……
すでに楓は、黒騎士の腕の届く範囲まで近づいている。
このまま、対話が成立すれば無事にここから退散できそうだな、そう思って安心した時だった。
楓は横目で俺の方を見ているのに気が付いた。よそ見はまずいだろう。俺が見ているのに気が付くと、口角を引き上げてニヤリとした。
「どう、ですかぁ? 楓はできる子なん、でぶぅぅぎゃあぁぁ!!??」
黒騎士さんの左ストレートが楓の横顔に炸裂した瞬間だった!!
どこが出来る子なのか? 問いかけたいが、さすがに、今はそれを聞けるような状態ではないな…… やはりこの結末を迎えたか。
視点変換ーー小尾蘆岐07ーー
ーー楓湖城の探検16回想そのにぃーー
その部屋は宴会場の奥に位置していた。
千丈が声をかけると、楓は迷うことなく、僕を両親の過ごしていた部屋へと導いてくれた。
館内見取り図も確認することなくだ、凄い記憶力だ。
住居スペースは、つつましくも生活感の溢れる部屋だった。
玄関マットもすごく可愛らしい、掛けられているビーズの暖簾は、今の家にある物によく似ている。
その室内は、おかあさんの嗜好が色濃く残っていた。
ああ、確かにここで僕は暮らした、産まれた気がする。
なんだろう? わかるはずなど絶対にないけど、身体が覚えている……不思議な感覚だ。
脳裏に浮かぶ、ぼやけた視界と……明るい笑い声が…
そして、男性の凛と僕を呼ぶ声が聞こえた……気がする…
だれだ、誰なんだ? 僕を呼ぶのは? わからない、知らない……
住居スペースに入るのにドアを開けたのは千丈だが、内部には楓が先に入った。
楓は常に千丈の手が届く範囲にいることが多い。
広く見通せる場所では距離を開けるのだが、狭く見通しの悪い場所では必ずそうしている。
なんだかな……ちょっと? これは不思議な感覚だ? 自分でもよくわからないが、何かが心の中から溢れてくる。
懊悩している僕を横目に、楓は一冊の手帳を千丈に渡した。
その手帳を見た千丈は、僕に手渡してきた。
小尾蘆岐が読むべき、彼はそう言った。
一人で読むのが凄く怖かった……まだ1ページも開いてない。
手帳に何が書かれているのかなど、わかるはずなど絶対にない。
だが、僕には内容がわかる気がする。リュックを降ろして、僕は千丈の前にくっついた。
おとうさんに抱っこしてもらった事があるはずだが、僕は覚えていない。
でも、きっと今のような感覚なのだろう、すごく安心した自分がいる、今ならこの手帳を開くことが出来そうだ。今の僕はひとりじゃない。