楓湖城の探検017
ここだけはぁ、絶対に譲らないの、ですぅ。
楓の場所、ですぅ。いぎぎぃ。
小尾蘆岐旅館の従業員生活スペースで見つけた手帳を開く。
なぜか俺の胸元に、小尾蘆岐が装着されている。
これは、俺の趣味ではない。
自分から嵌まってきたのである。そこだけは誤解しないでほしい。
「じゃあ、ページを開くだにぃ。千丈の準備はいいかにぃ」
「別に俺に準備はないのだが……」
「最初のページはこうだにぃ」
なんだ、俺に手帳の内容を読み聞かせるつもりなのか?
ちょっと、それはごめん被りたいな。それに、いつのまにか背中に楓が張り付いている……
「ちょっと待て小尾蘆岐。えっと、楓さんは何をしているのかな?」
「前にちびっこが付くなら楓は背中、ですぅ。ここは絶対に譲らないの、です」
訳がわからん!?
もう、なんでもいいや。
「ああ、小尾蘆岐いいぞ、さっさと読もう」
「なんだにぃ。どうかしたのかにぃ?」
「別になんでもないよ、気にするな。ほら、時間もないんだから、さっさと読もうぜ」
小尾蘆岐は何か言いたげな目でこちらを見つめてくる。
そして、正面を向き黙って手帳を開く。
なぜ俺に背中を強く押し付けてくる?……実に暑苦しい。
前面の小尾蘆岐に、背面の楓と……なんだこれ罰ゲームか?
「千丈!! これは、やっぱりおとうさんの手帳だにぃ」
「そうなのか?」
記載されている内容を俺も見ているが。内容は朝の設備点検状況や、お客を迎えた際の覚え書きなどだ。
父親の名前は書かれていないように思うのだが…
「間違いないだにぃ。だって、ここだにぃ」
「あっ」
小尾蘆岐の指差す部分に小さな文字で、今日も凛の寝顔がかわいかった、と書かれている。横には妻の名前も書かれていたが、それが小尾蘆岐の母親の事なのか判断はできない。
だって名前は聞いてないから。
だが、小尾蘆岐がそう判断するならそうなのだろう。
余計な茶々を入れて、さらに時間がかかると困る。
さっさとここを立ち去りたい。
「そうだな、良かったな」
「ついに、おとうさんの手帳を見つけただにぃ」
「……ご主人」
「なんだ楓?」
楓は声を潜めて問いかけてきた。
だが、俺を挟んでのこの距離だ、小尾蘆岐にも丸聞こえだろう。
と思ったが、手帳を読むのに夢中で全く聞いていなかった。
「ロビーでノートを見たのを覚えている、ですかぁ。あの日時に何があったか見てほしいの、です」
「えっと、たしか八月だよな?」
「八月十三日、です。そこから異変が始まったと想像をいたします、です」
そうだな、ノートはあの日付から異変を記録して、約1週間後に終わっていた。
九月の計測記録は無かった。だが、自分で聞けば良いのになんで俺?
「楓が小尾蘆岐に直接話を聞けばいいだろう」
「絶対に嫌ぁ、です! 例えぇ、ぶっ壊れてもいやぁ、ですぅ!?」
もう壊れてるだろう、何言ってるんだろうなこのポンコツは。
時間の無駄だな、さっさと聞くか。
「なあ、小尾蘆岐。八月の日付部分を開いてくれるか?」
「八月だにぃね。わかったよ」
そう言って小尾蘆岐はページを進めてくれた。
そして、目的のページはすぐに見つかった。
「ここだにぃ。えーと」
そこには、地震があったことが記載されていた。
どうやら宿泊客はいなかったようで、倒れて割れた花瓶等の対応で忙しかったと記載されていた。
そして最後に、温泉の魔力濃度が高くなったとある。
……そうこれだ。この情報だ。
「どうやら、大変だったみたいだにぃね。最後の魔力濃度ってなんだにぃ?」
「さあ、わからない、だが、小尾蘆岐のおとうさんは気にしてるみたいだな」
「そうだにぃ。翌日も温泉の源泉付近の確認をした、とあるだにぃ。ここには魔力を含んだ温泉でも湧いてるのかにぃ?」
「その可能性が高いようだな……」
温泉の魔力濃度が高い、いったいなんだろう?
翌日以降も源泉の確認を何度もしているようだ。なぜだ? という呟きの文字が手帳に増えてきている。
「その後は、どうなったんだ?」
「ちょっと待つだにぃ。次のページにいくだにぃ」
その後、手帳に源泉の封鎖を行ったり、バルブを全開にして湖に放出するなどの手段を行った事が書かれている。だが、濃度の減少には繋がらなかったようだ。
そして、数日間の記述は家族で話し合う様子、今後の対応策についてが延々と書かれていた。
「なんだか、ダメみたいだな」
「うん、そうみたいにぃ。その後は……えっ!?」
ページを捲る小尾蘆岐の手が止まった。
「どうした? これは……なんだと?」
そこには、旅館業の廃業手続きに向かった事が書いてあった。
そして、家族はここを離れ、ひとり深部に向かう必要があるという記述がある。
翌日には、曾祖母と母親が赤ん坊の小尾蘆岐を連れて旅館を後にする。
そして、ここからは、父親がたった一人で残った後の記述が続く。そう、これは……確かに小尾蘆岐の父親が書いた最後の手記だ。
**
**8月25日**
旅館内の戸締まりを完全に終わらせて、宴会場の地下通路の扉を開いた。人が訪れるのは、おそらく100年ぶりだろう。
母の話では全体の汚染が激しく、近づくのも危ないと言われた。
だが、この上昇を続けると、どうなるかわからない。
制御装置の場所はわかるが、どうなっているのかを確認する必要がある。
中和術式を使いなんとか内部への侵入を果たした。
だが、防衛装備が誤作動を始めてしまった。数騎の破壊を行い1度戻る。準備が足りない。
**8月26日**
翌日、再度の侵入を行う。今日はある程度耐えられる準備はしてきた。なんとかたどり着きたい。
内部は昨日の出来事が何もないかのように静かだ。
配置した中和術式はちゃんと機能している。
これなら防衛装備まで行けそうだ。止めるか遅らせることができればいいのだが。他の氏族への救援も行ってある。だが、それは、間に合わないだろう。
しかし、ここにはいったい何騎が置いてあるんだ? 次から次と出てきて終わりが見えない。数十騎の破壊を行った。
能力の使いすぎで激しい頭痛がする。枯渇する前に1度戻る事にした。非常に残念だ。せめて一目でも確認ができれば。
戻る際、数騎が現世の境を超えてきた。なんとか撃退するも室内をだいぶ壊してしまった。やむを得なかったのだが、心苦しい。
家族を避難させておいて正解だった。
あいつの能力は荒事に向いていない。守りながら戦うのは厳しかった。
万が一の事態に備えて旅館に渡る橋を破壊する。あれらが外に出ないように結界を張った。
これは特殊な結界で通常は感知できない。だが、あれには反応するように術式を組み立てた。これで被害が防げればいいのだが?
だが、制御装置の完全暴走が起これば、この付近一体が破壊されるだろう。
ダムなど困った場所に造られたものだ。暴走が起こればダムの破壊に繋がるだろう。
そうなったら下流域全体に被害が……それだけはなんとしても防がねば。
**8月27日**
やはり、氏族の救援は来ない。
遠方に居るせいもあるが、あれに対処できる存在は少なくなった。躊躇する気持ちもわかるが……なぜだ? なぜなんだ!?
霧先の一族も今は遠い地に行っていて、こちらに向かってくれているのだろうが間に合わないだろう。
もう残された時間が少ない。魔力濃度は計測できないほどになってしまった。
行くとしよう。早く確認しなくてはならない。
ダメだった。
防衛装置まではたどり着けたが、完全に壊れている。破壊もできなかった。こうなれば、防衛装置はそのままで、制御装置の暴走だけでも防がなくては。もう一度行かないと。
おそらく、もう戻れないだろう、このような事態に備えての準備は出来ている。私は行方不明の手配をするよう言い含めてある。
行方不明として警察に届け出れば、ここに警察が来ることが防げるだろう。旅館も廃業手続きは無事に終わらせてある。
失踪後、七年が経過すれば、失踪宣告ができるだろう、そうすれば死亡届けの受理がされて生命保険が受け取れる。
これで、凛の将来と家族の生活に困ることはない。
それまでの蓄えも大丈夫だろう。銀行名義も変えてある。心残りは……
ないわけがない。
ただひとつ、凛の大きなった姿が見たかった。
きっと母親によく似て、いい笑顔をするだろう。
小学校、中学校、高校生、成人式、そして結婚するのかな?
どんな人だろうか? かわいい孫が産まれるかな? 男かな、女かな?
見たかった。いや、我が儘だな。こんな記述を書くなんて。
届くことがない贈り物だが。
タンスの中に仕舞い込んだままだった。
ダメな父親だな、家内にも恥ずかしくて渡せなかった。
もう遅いが。
強く、立派に生きてほしい。
私の事を凛に伝えられないのは残念だ。
魔力反応が完全に消えなければ、絶対に、この事は伝えないように言ってある。ここは危ない絶対に近づいてはいけない。
命をかけて護るべき存在があるのは素晴らしいことだ。
家族を守ることが出来て本当に良かった。生きた証をここに遺そう。
**
……そこで、手記は完全に終わっていた。