楓湖城の探検005
あまい、あまい、ですよぉ。
くんか、くんか。ん、こっち、ですねぇ。
ここっすかぁ、です。あの奥から不穏な気配がする、です。
嫌な臭いがプンプン漂ってきた、ですぅ。
「……いい加減にしろ、です。このちびっこがぁ、です」
後ろのボックス席より、ドスのきいた声が聞こえてきた。それは聞き覚えのある言い回しだった。
「楓ちゃん……」
小尾蘆岐は驚き、そして一人の名前を呟く。
……いや一台か。その瞬間、俺に腕の感覚が戻った。
「お前ごときに”ちゃん付け”される覚えはないの、です。どうでもいいから、さっさとご主人から離れるの、です。ぶち殺すぞ!!」
「暴力は反対だにぃ」
小尾蘆岐はそう言って、俺の上から飛び退く。そのままテーブルの横まで下がった。
俺は拘束が解けて上体を起こせるようになった。腰が痛いのでゆっくりとした動作で振り返ると、そこにあったのは楓だった。
「楓か? お前は花咲たちと駅前に出かけたんじゃ?」
「ご主人を置いて楓が出かける訳がないの、ですよぉ。ちょっと遅れたの、ですぅ」
そう言いきった楓の口周りには白いクリームがべっとり付いていて、小脇に抱えるバケツに半分ほど赤と白の物体が入っているのが見える。……お持ち帰りしてきたな。
「お前、顔がクリームで真っ白だぞ」
「はにゃあ、です?」
ああ、面倒くさいな。
俺はテーブルにあった紙ナプキンを差し出す。だが、楓は受け取らずにじっと見つめるばかりで口元のクリームを拭くどころか、俺に顔を近づけてくる。
「どうぞっす、ですぅ」
「はぁ!?」
待っていても埒があかないので、しかたがなく拭いた。
こいつの頬は柔らかいな……ぐにぐにする。
「くっすぐったい、ですぅ」
「自分で拭けよ!?」
漂う甘い匂いに辟易した。手もベトついて気持ち悪い。
「仲良しなんだにぃ……」
「いや違うぞ小尾蘆岐!? 勘違いするなよ」
顔を拭き終えた楓はこちらのテーブルに移動してきた。そして、俺の横に当然のごとく座った。
俺をじっと見つめてくる、なんだ?
「ご主人もどう、ですかぁ? あまいあまい、ですよぉ」
「結構だ!」
その匂いだけで、もう満腹だよ。
「じゃあ、僕がもらいたいだにぃ」
「ふざけるな、です。このちびっこがぁ! まだいやがったのか、です。さっさと家に帰るがいいの、です」
小尾蘆岐に対する楓の態度は、他より険悪な気がする。
相性があまり良く無いようだ。
「僕の願いを千丈に叶えて貰うまでは絶対に帰らないだにぃ!」
「ほうぅ、です。いい度胸だ!! じゃあ警告はしたの、です」
そう言って楓はバケツパフェを俺に渡して握りこぶしを固めた。
もしかして小尾蘆岐を攻撃するつもりじゃないだろうか? 顔を見ると楓の目は真剣そのものだった。
本気でここでやる気のようだ。
やばい、廃墟に行く前にこの店が崩壊してしまうぞ。攻撃力だけは、凄く強いんだよな。他は残念ロボだけど。
「そうはさせないだにぃ」
小尾蘆岐は素早い動きで楓の腕にしがみつく。これで惨劇は避けれるのだろうか?
「あれ? おかしいだにぃ!?」
そんな俺の考えは、焦った声で言う小尾蘆岐の叫びで消え去った。
「何をしているの、です? ひょっとして楓を制御できると思ったの、ですか? お前ごときが、どうこう出来る訳ないの、です」
「そんな、この間はちゃんと出来たのにぃ……」
「そんなの、あの時は許可してあげただけ、です。本来はお前の侵入など許すわけがないの、です」
「そんなぁ!? 今までそんな事一度も無かったのにぃ」
「さあ、覚悟は出来た、ですか? それでは消し飛ぶがいいの、です」
「止めろや!?」
俺はバケツパフェで楓の頭部を殴りつけた。
パフェの残りが少なくなっていたので、こぼれることはなかったが、ブリキ製のバケツは少しへこんでしまった。
「うぐぅ、ですぅ? ご主人なんで、ですかぁ?」
「こんな場所で惨劇を起こすな。やるなら外でやれ」
俺は外の大通りを指差した。俺の居ない場所でやりあう分には一向にかまわない。
「かばってくれた訳じゃ無いのだにぃ……」
「当たり前だ、なんで俺がお前をかばうんだよ」
楓の恨めしそうな視線を無視して小尾蘆岐を見ると、小尾蘆岐は一瞬悲しそうな顔をして、次の瞬間スマートフォンを取り出し一心不乱に何かを打ち込み始めた。
「小尾蘆岐、何してんだ?」
「もう一度メッセージを打ち込んでるだにぃ」
もう一度? どういう事なんだ?
訝しげな表情をする俺に小尾蘆岐は打ち終えたスマートフォンの画面を向けてくる。
そのメッセージを読んだ俺は心の底から恐怖に震えた。
そこには口にするのも恐ろしい文章が打ち込まれている。
今日の出来事がかなり誇張されている。俺は人の弱味を握って脅迫などしていません。むしろ被害者です!?
それに、水泳部の水着も盗んでもいません。そもそも、あんな塩素臭い物を盗ってどうするんだよ? 消毒されてしまうだろう。
このメールが出回ると確実に俺は白い目で見られて、後ろ指をさされる高校生活が訪れること間違いない。
小尾蘆岐の多い友人関係が嘘を真実にされてしまいかねない。そんな恐怖に愕然とした。
「おっお前、何をしてんだよ!?」
「これを送信されたくなくなければ、言う事を聞くだにぃ!」
「くっ!? なんて卑怯な真似を」
どうするか? これが送信されれば最悪親戚のお家で暮らすしかなくなる。遠い見知らぬ土地で過ごすのか……冗談じゃねぇ!?
「とりあえず落ち着け小尾蘆岐。話し合おう!?」
「ご主人ぶち殺しましょう、です。それで解決、ですよぉ」
だめだろう、ここでぶち殺しちゃ!? 高い塀の中での生活が約束されちゃうよ。
「非常に大事な話をしてる所だからな、頼むからそれを食べながらじっとしていてくれ」
俺はバケツパフェを指差す。楓は俺の目をじっと見つめてから言われた通りバケツパフェの残りを食べ始めてくれた。
クチャクチャと口を開けながら食べる姿に"いらっと"させられるが、今はそれどころではない。
もう仕方がない、要求を受け入れよう。
あんな文章を送信されてはたまらない。調べてもらえば冤罪だと分かってもらえるだろうか? その自信が俺には無い。
「分かったよ、その廃墟に行けばいいんだろう。で、いつ行くんだ?」
「本当に行ってくれるの? じゃあ明日がいいだにぃ。善は急げだにぃ」
「あしたぁ!?」
急だな!? いきなりすぎないか、俺にも準備というものが……
べつにないか。怪我しにくくて動きやすい服装なら良いだろう。
「だめかにぃ…」
「わかったよ。いったいどこまでいけばいいんだ?」
「僕が行きたい場所はだにぃ……」
小尾蘆岐に聞いた場所は、電車とバスを乗り継いで一時間半ほどかかる山間部だった。自然豊かな場所だと聞いた事がある。
もちろん俺は行った事が無いし行きたいとは絶対に思わないだろう。
「随分遠い所を選んだな。もう少し近場で済ませないか?」
「だめだにぃ。あそこには、ゆかりがある場所だから、どうしても行かなくてはいけないだにぃ」
「ゆかりがある場所?」
「お父さんの働いていた場所なんだにぃ。そこが永遠に失われる前に行く必要があるだにぃ」
おとうさん? よくわからないが、なにか深い事情があるようだ。家庭の事情は人それぞれだし聞かない方がいいのかな? まあ、そのうちわかるだろう。
「ちなみに永遠に失われるって、どういう事なんだ?」
「もう建物が劣化して崩壊しそうなんだにぃ。じつは前に一度いった事があるけど、とてもたどり着けなくて諦めただにぃ」
まあ、明日行っても結果的に同じに終わるだろうけど。
動画撮影するほどのベテランが諦める場所だ。俺など役に立たないだろうし、命をかけるつもりはもちろんない。
要は小尾蘆岐が納得すれば良い。そのぐらいで済ませよう。
「じゃあ、明日の朝に駅前で待ち合わせでいいか?」
「朝六時の電車には乗りたいだにぃ。それで、八時前には現地に着きたいだにぃ」
六時か早いな……
そのまま、寝過ごしたことにしようかな。どうせ小尾蘆岐は俺の家を知らないだろうし。
「じゃあ、千丈の家に五時半に迎えに行くから、探検の出来る服装で準備しておいて欲しいだにぃ」
どうやら、俺の家を知ってるようだ……
いらいろ把握されている。こうなったらスイスまで逃げるか?
いや、ダメか。俺が逃げたと知ればあの危険メールが送られてしまう。電子メールの中傷一つで、俺はおしまいだ。
「ご主人おやつの準備をしましょう、です」
ここで楓が会話に入ってきた。おやつって、なんだか遠足みたいだな。
「なんだ? お前も行くつもりなのか?」
「もちろん、ですよぉ!! ご主人が行くなら楓は必ずついてゆきます、です」
まあ、そうだろうと思ったけど。
まあ、変なものが出たり危険な場所にこいつの異常性が役に立つだろう。
それとも悪化される結果になるかもしれない。
だけど、なるべくポジティブに考えて小尾蘆岐と二人より、三人の方が良いだろう。いや、二人と一台だ。
「それじゃ、もういいだろうか、明日も早いし俺は帰らせてもらうぞ」
「うん、おねがいするだにぃ。僕はこれから急いで準備するだにぃ。明日は五時半だからね!! それと、アドレス交換をしようだにぃ」
小尾蘆岐はスマホを取り出した。俺も同じくアドレスの画面を出して交換した。
楓は黙ってじっと俺たちを見ている。
アドレスの交換を終え、小尾蘆岐は素早く店を出て行ってしまった。
動きが素早いな、帰るのに先を越されてしまった。
横では楓がバケツパフェを食べ終えて、今は小尾蘆岐のチョコシェイクの残りを飲んでいる。なんでもよく食べるやつだな。
「じゃあ、俺も帰るから、ゆっくりしてていいぞ」
「楓も一緒に帰る、ですぅ」
慌てて楓はチョコシェイクの残りを飲み干して、俺の後について来ようと席を立った。
振り返る俺にはテーブルの惨状が見えた。
テーブルにはバケツや、シェイクの容器、楓の顔を拭いたペーパータオルが散乱している。
かたずけるのは……もちろん俺だった。
楓は指を口に入れてじっと見つめている。
なんだよ? 俺はその指を見つめると動いているのがわかった。どうやら指についたクリームを舐めているようだ。
しばらく黙って見ていたが、俺に話があって見つめているわけでは無かったようだ。テーブルの上を黙って片付けた。
どうするかなこのバケツ? さすがにゴミ箱には入らないだろう。
持って帰るしかないだろうな。
「ほら、ちゃんとお前が持ち帰れよ」
「はい、ですぅ。おいしかった、ですよぉ。今度はご主人と一緒に行く、です」
「いや、甘いのそんなに好きじゃないからいいや、じゃあ帰るぞ」
どうせ帰る場所は一緒だから別にいいか。
「それで、ご主人。明日はどこにお出掛け、ですかぁ」
「小尾蘆岐の行きたい廃墟に同行するらしいぞ」
「廃墟っすかぁ、です?」
よくわからないだろうな、それは俺も一緒だ。
帰り道、廃墟について説明しながら歩いた。
帰り道で楓のわがままが炸裂した。その事を、俺はまだ知らない。
投稿が不定期になってしまい申し訳ございません。
そんな中でも、多くの形に見ていただけているのは、非常にうれしく思います。
これからも、どうぞ、よろしくお願いいたします。