楓湖城の探検079
動けなって暫くした後、精神は落ち着きを取り戻す。
こうなってしまえば、もう焦っても仕方がない。そう考えて、ゆっくり息を吐く。
……さて、少し落ち着こう。
すると焦燥感が通り過ぎて、全身を虚脱感が包む。やがて膝から下の力が抜けて、壁を背に滑るように座り込んでしまった。
……あれっ?
闇の中で開け続けていた瞼も重く感じ、肩口に座った小尾蘆岐と、脇腹にしがみついた白楓の体温が合わさって、心地よい感覚が伝わってくる。
そこで初めて、色濃く疲労が纏わりついていたのに気づく。
……ふぅ、俺は疲れていたんだな。
ずっと気が張っていたから、そんな事も忘れていた。
……さて、今何時なのだろう?
疑問を感じると、つい癖で斜め後ろを振り返ってしまう。近くに有るのが普通になっていた。
けど、今更だ。気にしても仕方がない。
「なぁ。悪いけど、もうちょっとだけ、待っててくれ」
虚空に向けて独り言を呟く。
絶対に届く事のない言葉は闇に吸い込まれ、微かな反響を残して消えてしまう。俺は気にする事なく続けた。
「ここは、どの辺なんだ?」
当然、返事や返ってくる言葉なんてなかった。
でも、あいつが居れば、あと何キロ進めば出口だと教えてくれるだろう。しかも、地下何メートルにいるなど、聞いてもいない事を付け応えて、最後に“です”で締める。
「それで、普段なら……」
小尾蘆岐が余計な一言を喋って、そこから口喧嘩が始まってしまう。
本当に喧しい事この上ないが、そんな少し前の出来事を懐かしく感じている自分がいた。
「そんな風に、意識したことなんてなかったな」
そう、たったひとつの忘れ物で大きく状況が変わった。
まったく俺が変わったのか、それとも変えられたのかわからない。だけど、それも仕方がない。
「なぁ、お前は今どこにいるんだ? そこは冷たいのか、熱いのどっちだ。まさか岩に潰されてねぇだろうな。なぁ、答えろよ……」
虚空に向けて手を伸ばす。でも、それに指先が届く事はない。掴む事のできない微かな細い線が視える。この感覚はいつからだろう?
「本当になんだ?」
細い蜘蛛が吐き出した糸のように、所々で視えたり消えたりしながら空間を揺蕩う。
そんな目視のできない不思議な感覚。でも、真っ暗な中でも微かな輝きを放つ。
「まっ、どうせわかるわけないか」
それが、どこに繋がっているのかわからない。でも、何故か大事なモノに通じている気がしてしまう。それだけは確信に近い直感だった。
だから俺の声を伝えて欲しいと願う。
「つまらないかもしれないけど、聞いてくれ」
黒い存在が旅館の周囲に溢れかえった現実に直面し、地下に向かった。そう、俺が発生を止める選択をしたんだ。
「それだって簡単に考えたよ。だって、あいつら動きは遅っそいし、それほど脅威に感じなかった。そう、あの時は止められる気がしたんだ」
でも、それだけじゃなかった。
ここが崩壊する事態を知ってしまう。しかも、それは内部だけで済む話じゃない。もっと大規模な災害に通じる引き金だった。
「なんで、こんなタイミングで入っちまったんだろうな?」
これがダムに致命的な崩壊を引き起こして、流出した大量の濁流が下流域を押し流す事態になってしまう。
「あの時は、生きた心地がしなかった」
もし、起こってしまえば誰にも止められない。
予兆のない災害は、避難する間もなく多くの人々を飲み込んでしまう。
沢山の……それこそ数えきれないほどの命が一瞬で喪われる現実を突き付けられて、俺は更なる決断を迫られた。
「この事態を収める。もしくは……逃げるか……だ。でも」
脳裏に家族の顔が、町ですれ違っただけの名前も知らない人達が浮かんでは消えていく。きっと自分の身に何が起きたのかすら理解することなく。
「そんなの嫌だった」
知ってしまえば目を背ける事なんて出来なかった。けど、人の手でどうしようもない現実が立ちはだかって、一時はもう無理だと諦めてしまう。
もう、自分達だけでもなんて考えたよ。
「……だって、仕方ないだろう」
俺はただの高校生だ。超能力があるわけでもない。魔法も使えない普通の人間だ。
出来ることなんてたかが知れている。崩壊を防ごうにも、原因にすら近づけない。生身では辿り着く前には力尽きてしまう。それに避難を呼び掛けようにも連絡手段だってなかった。
「打つ手なしってのは、あんな事態を言うのかな……でも」
最少の犠牲で最悪は防げた。そのお陰で俺達は今も生きて、暗闇の中をさ迷っている。
「それは、お前が助けてくれたからだ」
それで最悪の事態を避けた。
「だから誰も気がつかない間に収めた。賛辞とも無縁だし、感謝すらされない。だから、」
俺が伝えないといけないと思っている。今すぐに探しに行ってやりたいけど、それもできそうもない。でも待ってろよ。必ず見つけてやるから。
その為に、今は……休ませてもらう。次に起きたら……
「ふあぁぁ……」
意識が周囲の闇よりも、深い深淵に沈み始める。
疲労は限界を突破して、身体は休息を求め睡眠状態に移っていく。
仄かに感じる他人の体温が、こんな場所でも心地よさと安らぎを与えてくれて、やがて唯一聞こえてくる音源が三者の奏でる呼吸音のみとなった。
その時、ぼんやりとしたモノが徐々に輪郭を露に、ゆっくりとした足取りで近づき始める。