楓湖城の探検077
どのくらい時間が経過したのだろう……
寄りかかった扉に僅かな動きを感じて、意識は深い闇の底より呼び戻された。
覚醒に伴い目を開ければ、辺りは漆黒の闇。
一瞬焦りを覚えた。だが、どこにいたのか思い出すと、肩に乗ったままの存在に向かって声を掛ける。
……まあ、寝起きなんてこんなもんです。
「おい、小尾蘆岐?」
「…………」
問いかけに対して返事はなかった。
頭上に居座る小さな魔女は、覆い被さるようにして脱力。腕を首筋へと垂らす。
腹部に抱きついた白楓も、俺の太腿の上で動く気配はなかった。
双方からは鼾こそ聞こえてこないけど、規則正しくも微かな呼吸の動きから、熟睡状態だと理解する。暫く様子をみるが、目を覚ます気配はない。
……気持ちが良さそうだ。
「当然だけど、疲れてるんだな……」
ここまで頑張ってくれた事を思い出すと、叩き起こすのも気が引けてしまう。
……さて、困ったなぁ。
対処に悩みながら顔を上げる。すると、ある変化が起こっているのに気づく。
視界の効かない世界に居続けると、些細な事象にも敏感となるようだ。
「ふむ、これは……なんだ?」
そこで感じたのは、ごく微かな風の流れる感覚。
ゆっくりとした動きで立ち上がり、流れを辿るように扉へ手を這わせる。すると指先が境目に触れて、更に奥へと進む。
……どういう事なのだろう?
全力で開けようとしても微動だにしなかった。そして最後には、苛立ちを込めた全力の蹴りをぶちかます。でも、どうする事もできなかった。
そんな強固な扉に隙間があって、疑念が生まれる…… けど、
「チャンスだな。また閉まっちまう前に……」
隙間に身体を滑り込ませると、反対側へ抜ける。
「あっさり行けちゃった……さて……」
踏み込んだ先。
そこで反響する音を聞けば、だいたいの大きさが予想できた。
……おそらく同規模の洞窟が続いている。
ここでも空気の流れを感じた。それは、ごく微かだが、冷気を含んだ風だ。
きっと、この先が外界に通じると信じよう。
「とりあえず進むか……それに」
こいつらには、もう暫く休養が必要だろう。
そう考えて、無理に起こす行動は取らない事にした。壁に片手を添えて歩き始める。
……まぁ、どうせ途中で起きるだろう。なんて思いながら。
**
その後も洞内を進んでも大きな変化はない。
足を動かした感覚だけが、移動した距離を実感できた。進行方向は空気の対流を遡るしかなく、方向感覚はすでに怪しくなっている。
……戻ってないことを祈るばかりだ。
変わることのない足音が洞内の岩壁に反響して、闇の奥へと伸びていった。
「どんだけ長ぇぇんだよぉぉ……」
全力の叫び声も遥か先へ……
こんな状態が続くと、心が折れそうだ。どのくらい進めば、出口になるのか切実に知りたかった。それに騒がしかった二人が無反応なので、まるで独りぼっちのような孤独感を感じる。
……ずっと鬱陶しかったけど……はぁ……
ため息をつきながら、闇の虚空に目を向けてながら歩く。すると、背後からの違和感を感じた。
ここに自分達以外の存在はいない。だけど俺の感覚が、勘違いではないと訴えている。
それは微かな気配とでも言うべきモノで、立ち止まって振り返った。
「……ふーむ。視えんな?」
けど、はっきりとした視線を感じる。物理的な物音を発しない何かが、こちらを伺っている。
それに、理由はわからないけど、大まかな距離感が掴めた。
おそらく五十メートル程の後方で佇んでいる。
物音を立てないように注意して移動すると、一定の距離感を保って追従してきた。
「……ふむ、黒騎士のような奴じゃなさそうだな。独りぼっちは嫌だって考えたけど、変なのを呼んだつもりはねぇ……なんだろう?」
可能性が高いのは、数多く遭遇したあの黒い存在達だ。でも、どうやら違う。
今までの経験上だが、無音で行動をする奴はいなかった。
ただ、一定の距離感を保ちながら追従し続けるなら、それ以上の速度で戻って確認する必要がある。
それに暗闇の中だと、苦労して近づいても相手が見えないだろう。
だから近づいて来なければ問題ないと判断する。危険な感覚がしなかったのも大きく、敵意や威圧感も皆無だった。
……浮遊霊かなにかな? 旅館までの間にもいた気がするな。しかし……
「こんな状況でも熟睡していやがる。……まったく、子供かよ。危機感がねぇ」
「……むにぃ」
小尾蘆岐は、寝言とも違う吐息をつくと、頭部に抱きつく腕の力を上げた。
……それは子供じゃないと抗議している気がした。そんな自己主張を寝ながらしてくるのが怖ろしい。けど、
「まぁ、白楓の腕力も、だいぶ強くなった。……あと少しだな」
こんなチンチクリンでも、やるべき時は働いてくれる。
……きっと俺の休んでいる間も、治療を続けてくれたのだろう。
お陰で白楓を支える負担が軽減された。
今は短い手足を伸ばし、胴体にしがみついているので、支える必要はなくなった。
「でも、やっぱり疲れるなぁ……ふぅ……」
楽になった面もある。だが、小尾蘆岐が寝ると能力は完全に消失する。
回復の魔女が持つ筋力向上及び、痛覚遮断のドーピング効果がなければ、両脚には二人と、背負う荷物の重量負担が掛かり続ける。
だけど、走り回るわけではないので、どうにか動けた。
……途中で、小休憩を挟む必要はあるけど。
それよりも、精神疲労の方が大きい。
漆黒の世界で行う移動は、想像以上に精神力を削がれる。
……ちゃんと進んでいるのだろうか? そんな不安が募り続けた。
黙々と歩き続けて、洞内が広くなった場所に到達。足音の反響が遠くなった事で、空間の広がりを把握した。こうなると、堪えてきた欲求が湧き起こる。
「うーむ。不味いな。さて、こいつらを目覚めさせよう」
たぶん歩き始めて三十分以上が経過した。
出口に通じる目処が立たずにいる現状と、どんな場所にいるのか不安が募る。狭い場所ならまだしも、広い空間はまずかった。
目隠し状態で付近の状況把握ができないと、足下が競りだした岩の上にいる可能性も考えられる。
一歩進んだ先が、ぽっかりと空いた奈落の底ではないとは言い切れない。
こうなると、白楓のナビゲーションを切実に希望する。
「なぁ、そろそろ起きてくれませんか? ……おーい。いい加減に起きろ。くすぐるぞ……ほらぁ!」
「…………」「……むぅ……」
……うーむ。ダメだな。
寝る子は育つとは、よく言ったもんだ。寝付きは素早くて、規定の時間を経過しなければ、絶対に起きない。
そろそろ闇雲に進むのに限界を感じ始めている。
だから声を掛けて揺すってみたり。くすぐったりもした。だけど覚醒に至らず、迷惑そうにして避けるだけ。
僅かに身体を動かすのみ。それ以上の反応はない。
「白楓は何となくわかるけど、小尾蘆岐は高校生だろうが。……はぁ……」
仕方なく起こすのを諦めて、もう少し先を目指して慎重に進む事にする。
ここで目覚めるのを、黙って待ち続ける訳にいかない理由がある。
俺には探さないといけない物があったからだ。
「さて、頑張ろう……」
疲れの溜まった身体に気合いを入れて進み続ける。
すると、人工的な平面の壁に触れていた感覚が消えて、代わりに表面が荒々しい岩の感触になった。徐々に起伏の激しい、岩登りの様相へと変化する。
正面の岩を回り込んで反対側へ。手の届く範囲を慎重に登りながら、次を迂回して進む。
そこは、もはや俺の大きさを優に越える巨石の斜面だった。
「……ふぅ。登っているから、外に近づいているのかな?」
返事を期待しない独り言を呟く。答えはなかった。
しかし、こいつらは本当によく寝ている。いや、むしろ寝過ぎじゃね?
これだけ揺れれば普通は起きるだろうし、それに落っこちないのが不思議だった。
……本当は起きてるんじゃねえのか?
そんな風に考えていると、足は平坦な面を捉える。
「んっ! 頂上かな? なんだか、だいぶ登った気がするけど……」
足元の小さな石を拾い上げて、背後へ放り投げる。
数秒のタイムラグを経てから、転がり落ちる反響音が届く。振り返るも何も見えない。
……まぁ当然だけど。