楓湖城の探検069
「……そうは見えなかったにぃ」
楓の余裕たっぷり発言に対して、小尾蘆岐が呟く。
それが気に入らない楓が嚙みついて騒動が始まった。
「うっさいボケぇ、です。それよりご主人の手をちゃんと治し続けるの、です。楓が冷めるまで、もうしばらくかかるの、です」
「やってるにぃぃ。しかし、なんでそんな普通なのだにぃ? そもそも体温は四十二度を超えると、タンパク質が固まるはずだにぃ」
小尾蘆岐も負けてなかった。甲高く上下のステレオサウンドで騒がれるので、実にうるさい。
……しかし、こいつらは普通に話せないのだろうか?
「そんなわけがないの、です。バカなの、ですかぁ? チビのちっさい頭蓋骨に収まる脳の容量は極小なの、です。その程度の温度で体内のタンパク質が固まるはずなどないの、です。八十度近くで、高分子は水素結合の崩壊から変性を経て……」
……ちっ!
もう我慢の限界だ。
「やかましいぃぃ! 楓は大人しく体の修復と、力の回復に集中しろぉ」
「いっッ! はィィィぃ、ですぅ」
「うぐっ! 急に怒鳴らないで欲しいだにぃ……」
かしましいとはこの事か……しかし、楓は小尾蘆岐とこんなに話す奴だったかな?
つい会話を絶ち切ってしまった。
……後でゆっくり語り合う時間ができるといいな。
「あと少しで登り終わる。ここを越えたら白楓の治療をしてもらぞ。騒いでいる場合じゃないだろう……」
「……わかっているだにぃ。ねぇ? ……ひょっとして、楓ちゃんが抱えている、その黒いの……」
「……まだ、生きている、です」
……急ごう。
手足に力を込めて斜面を登る。
何度か足元が崩れてずり落ちる。だが、踏ん張って体勢の維持に努めた。
ただひたすらに頂上を目指し続ける。
やがて縁を手が掴んで、身体ごと乗り越えると、外側へ転げ落ちる。
「よし、なんとかここまで来たぞ。白楓を……? それは……」
楓が抱える、白楓とおぼしき物体を見て言葉を失う。あまりの変貌ぶりに茫然自失となって立ち尽くす。
その時、小尾蘆岐が叫んだ。
「千丈ぉ、ちょっと離れるだにぃ!」
俺の肩から飛び降りて楓の横に着地。
黒い塊を引き剥がして抱きかかえながら座り込んだ。細く枝のように変わった腕を掴み能力を発動させる。
「おぃ、こんなになって、大丈夫なの……」
「言っただにぃ! 僕が必ずなんとかするにぃ」
俺が出来る事はなかった。
小尾蘆岐に任せっきりで、ただ見ている事しかできない……
楓の話を客観的に聞いただけで、どこか安堵していた自分がいる。これでもう安心だと勝手に思い込んでいた。
今更、認識の甘さを痛感する……
そんな中、転げ落ちた体勢のまま楓が話し始める。
「……微かに繋いできたの、です。……楓の力を注ぎ続けて、生命活動だけは維持してきたの、です。できたのは、その程度が限界だったの、です」
先程までの明るい様子は、なりを潜めている。
俺の表情を見て、怒られるとでも思ったのかも知れなかった。
……責める訳がないだろうに。
「そうか、出来ることをやってくれたんだな。お前もまだ体が……!」
楓に目を向けて気付く。
全身は赤紫のまだら模様。皮膚が剥がれ落ちた部分は、薄い黄色と紫に変色している。
傷ひとつなかった以前の状況とは、大きく変わってしまう。
顔も背け気味で、こちらを向こうとしない。
縮れた黒髪の隙間から覗く頬の皮は、顎にかけて剥がれて喉元に垂れ下がっていた。
こいつも、こんなに酷かったのか……
「あまり今の楓を見ないで欲しいの、です。……それで我が儘を言いますけど、横に来て欲しい、です」
「……ああ、なんだよ」
顔を背けて直視しないように気を付けながら、そっと楓の横に座った。
小尾蘆岐が離れた事で能力が解けて、横顔には楓が放ち続ける強烈な熱を感じる。
大火傷を負った楓は、力なく横たわり話しを続けた。
「ご主人がここに戻った時、制御装置に向かって歩き出そうとした事を覚えている、ですかぁ?」
「……あぁ、そんなこともあったな」
……羽交い締めにされて、止められたな。
「なんでご主人は、あの場所に向かおうとしたのでしょうか? ……ずっと楓は考えてたの、です」
……急にどうした?
質問の意図を理解できずに、困惑の度合いを深める。
そんな俺の心境を気にする素振りもなく、楓の話しは続く。
「近くにいけば、なにか思い付く……それは本来、楓にはない発想力、です。現状予測できる範囲で提示するのが精一杯なの、です」
……確かに、楓はずっとそうしてきたな。
「ご主人は、発想が柔軟なの、です。いくつもの、低い可能性を繋ぎ合わせて、可能にしてきたの、です」
……そんなに言うほどのことか?
たいした考えでは無いと思うけど。大げさだよ。
「それは、人が持つ曖昧な思考、です…… だから、楓はそうするべきだと思ったの、です……」
……なにを言ってるんだ?
「可能性を無限に引き出し、除外した論理をかき集めて、再構成を繰り返す。無理を……不可能を可能とする方法を模索した、です……でも違ったの、です」
それは、柔軟じゃねえだろう。機械的な発想だな。
それより……
「なあ、お前は体の回復に集中しろ。実は逃げ道を見つけてあるから、ある程度回復したら連れていくぞ」
なんだか怪しい話になりだったので、言葉を切ろうとする。だが楓の話は続く。
「さすがご主人なの、です。でも、もうちょっとお話しをして欲しいの、です」
「そんなに時間はないだ……」
「大丈夫、です! ご主人達は必ず護るの、です。制御装置を壊していた奴はもういないの、です。あのちびっこが倒したの、ですよぉ……後でちゃんと誉めてあげて欲しいの、です」
……こいつが他の奴に対して、労う事を言うなんておかしいぞ。
「装置を喰っていやがった化け物は、鎌で斬り飛ばしても効果が薄かったの、です。最後は、ちびっこが躰の中にめり込んで、内側から吹き飛ばしたの、です。剥き出しの部分を粉砕してやっと倒せたの、です。ちなみに止めを刺したのは楓、ですよぉ」
「あぁ……わかった。白楓もちゃんと誉めてやるから……」
「ありがと……、です。……その時に楓は見つけたの、です。自分で解決策にたどり着けたの、ですよぉ……」
……はあっ?
自分で……だと? ……嫌な予感が的中だな。
どうせロクでもない事だろう。
「でぇ、ですねぇ。そこから楓は見上げたの、です。制御装置に流れ落ちてくる滝が見えたの、です。その水量は、かなり少なかったの、です。穴は大きいのに……」
……やはり、そうか……ん?
楓はそこで真正面から俺の顔を見つめていた。視線が絡み合うと口角を上げる。
……もう、傷を隠す素振りは無くなっていた。
「やっぱり、もうその可能性をご主人は考えていたの、ですねぇ。あそこをどうにかすれば、制御装置内部の冷却効果を維持できるなんて考えてません、でしたかぁ?」
ちっ……そりゃそうだけど……
「近くに寄ることは、普通の人間に到底できない、です。自分でいけないけど確認をしたかった。かといって楓に行けなんて指示ができなかった。……違う、ですか?」
「ああ、そうだ。だからなんだっていうんだよ」
「ひとことだけ、行ってこいと言われれば、楓は行くの、です」
……言えるか。
「ご主人は本当に優しいの、です。本当に危ない場所はちゃんとわかっていて、それでも諦めないで、何とかする方法を探し続けたの……です」
……
「でぇ、です。楓が思い付いたのは、ですねぇ……」
……止めろ……
「ここを水で埋め尽くせばいいん、ですよぉ」
……ほら、やっぱりロクでもない事を言い出しやがった。