楓湖城の探検068
「うぅ……」
小尾蘆岐の呻き声が聞こえた。
頭上で浴び続ける熱気が想像以上に小さな体を蝕むだろう。でも、なんとか耐えてもらうしかない。
「あと少しだ。頑張ってくれ……」
足に触れて声を掛け続ける。
それしかできなかった。だけど小尾蘆岐は大丈夫だと伝えるように、頭を掴む手で二度髪を撫でる。
そして身体を後頭部に密着させて、能力の発動を続けてくれた。
……無理をさせて悪い。なんてそんな謝罪を口にしない。
これは、俺がさせているわけじゃない。小尾蘆岐自身が選んだ行動だ。
するなら感謝しかない。……だけど、恥ずかしいじゃないか。
あと少しで、楓がいる場所。
そう自分自身に言い聞かせて、屈みながら目的地へと移動を続けた。
高温の蒸気は揺らめきながら、形状を変化させる。
下から見上げると、実に幻想的な光景だった。
天井から降り注ぐ照明を内部で乱反射させ、全体を七色に輝やかせる。だが、そんな美しい内側は、立ち入った瞬間に全てを焼き尽くす煉獄だ。
……瞬時に燃え尽くされるだろう。
誘うように、死が目前に迫る。
そんな境界の地表部分に僅かな隙間があった。かすかに震える身体を潜り込ませると、それが先に見えた。
霞む視界の先に、赤黒い塊が横たわっていた。
ついに楓を見つけた。俺はそう確信して声を上げる。
「楓、大丈夫か?」
……返事はなかった。
近づくにつれてその惨状が目に入ってくる。背中に数えきれない程の大小様々な水疱が膨らむ。うつぶせで踞まったまま身動ぎひとつしない。焦げた臭いが鼻を突く。
わかったのはそこまでだった。
熱気は激しさを増して、もはや限界を超えていた。
細い針が幾重も眼球に突き刺さったような感覚が起こり、瞼を開け続けられない。
手探りで這い寄って、指先に触れた腕付近を掴む。その瞬間に手の汗が蒸発する音が聞こえる。続けて皮膚が焼ける感覚と共に、より強い臭気が辺り一面に漂う。
反射的に離れそうになる指先に力を込める。
……たとえ指が消し炭になろうとも、掴んだこの手を離すつもりはない。
熱源から遠ざかるために、引きずり始めた。
「しっかりしろよ、もう少しの辛抱だ」
楓の動作確認をしている余裕はなかった。
だが一刻も早くこの場を離れたい。だけど力を込めた手足は砂地に沈んでしまう。
踏ん張ることが出来ずに、同じ場所でもがき続ける。
泳ぐように暴れていると徐々に動き始めた。涙が滲む目を無理やり開ける。
「千丈ぉ! あと……少しだにぃ……ぐッっ」
小尾蘆岐は頭にしがみついて、必死に俺と自分自身の回復を続けながら叫ぶ。
その間も熱気は全身の皮膚を焼け続ける。
腕の表面は真っ赤になって、そこからは無数の水疱が沸き立つ。ある程度の大きさになると、中身の滲出液をまき散らしながら弾ける。
残るのは、剝き出しになった真皮。
すぐに患部は小尾蘆岐の能力で修復されていった。だけど、手足の感覚は既にない。
手で掴んでいるのか、楓の腕と癒着しているのか……もはやわからない。だが、確かな繋がりだけを、腕を通して感じ続ける。
小尾蘆岐に対して、俺は答えようとした。
「あ、ぁ……」
喉が焼けて……声が……出せなくなっていた。
呻くような声をあげながら、進まぬ移動距離にやきもきとする。頭を上げれば、小尾蘆岐は高温の蒸気に突っ込んでしまう。
……まるで気分は蛞蝓のようだった。
やがて、触れる地面は緩やかな傾斜を始める。
それは徐々に厳しさを増して、体感で垂直に近く感じる急斜面へと変わり、崩れやすい砂地の斜面に両足と片手を突き刺して登り始めた。
ここまで来て、小尾蘆岐の能力が損傷を上回る。
徐々に感覚が戻ると、腕にかかる重量に顔をしかめた。
「重てぇ……」
「……女の子に、その言葉は禁句なの、です」
おもわず呟くと喉が修復されて声が出た。しかも返事が返ってくる。
それは楓の声だった。
「……大丈夫か?」
「なんとか一応、です。……すみません、さすがに、あそこで力尽きました、です」
あそこまで来てくれたおかげで回収できた。
蒸気の内側で倒れていた場合、どうすることもできなかっただろう。誉めておこう。
……そう心の中でだけ。
「……それで、白楓はどうだったんだ?」
俺は振り返らずに問う。
片手で楓を掴む。片手、両足を砂地に突き刺しながら斜面を登っている最中。
体勢を崩してしまうと、まっ逆さまに転げ落ちる。
「……ご心配なく、です。こいつはここにいるの、です。……ぇ、白楓?」
……どうやら、腹に白楓を抱えているようだな。
うつ伏せで丸まっていたので、俺から姿が見えなかった。けど、こいつはちゃんと連れて帰って来てくれた。その事実に安堵する。
……そういえば、名前を付けたのを楓に言ってなかった。
「お前そっくりだから、そう名付けた。お前を縮小したような容姿だろ。……実は親戚だったりするのか?」
「確かに見た目は姉妹品みたいなもん、ですね。……だけど違う、です。楓の方が断然かわいいの、です」
……なんだろう、この主張は?
ロボットにも譲れない、何かがあるようだな。
「まあ、無事ならどうでもいい。……生きてるんだろうな?」
……ずいぶんと静かだな?
「……死にかけ、ですよぉ。このクソちびっこは、止めても勝手に突っ込んでばかりで、おかげでこの有り様、です。ご主人の願いじゃなければ、ほうっておきたかった、ですよぉ」
楓は急激に回復していった。饒舌に話し続ける。
この空間は力で満ちている。いってみれば溢れかえって暴走寸前だった。
俺からも僅かだが、触れる手を通して流れていく。
この様子なら楓と、白楓も大丈夫か……
「ちゃんと連れて来てくれたんだ。……悪いな俺の間違いを、お前に負わせちまった」
ただし、頼んでねえけどな。
「……い、いぃの、です。当然なの、です」
なんだこいつ、ひょっとして照れてるのか?
「楓ちゃんが、恥ずかしそうにしているにぃ」
そんな雰囲気がしたよ……
「うっさいボケチビ、です。これは熱傷のせいなの、です……すぐに直すの、です。しかしぃ…… かわいい透けすけの下着は耐えられなかった、です。燃え尽きたの、です」
「ワンピースはちゃんとリュックに入れてあるから安心しろ。しかし、お前の体はどうなってるんだよ?」
数百度の熱にも耐えるとは……
「このぐらい余裕綽々、ですよぉ」
……さっき力尽きたって、言ってたよな。
この後に楓の発言に小尾蘆岐が呟く。それに反発する話しが続いた。