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6. 正攻法で攻めよう

 

 

 

 

 

 さて。私の人生経験で一つ、身にしみた教訓がある。

 社会人が言う「大体で良い」ほど当てに出来ないものはないということだ。

 

 あれは私が出世コースから落ちた頃だろうか――娘のためとは言え、最初は慣れない見回りを、先輩が「大体で良い」と言った。結果それが間違いだったというのは、身を持って知る事になるのだがそこは割愛しよう。

 つまるところ、彼らの言い分は「大体文句の付け所がないなら良い」ということだ。

 

 言葉遊びのようでいて、実に真理を突いたことだと私は思う。

 

 それゆえに。春瀬を助けるため、もっと言えば彼女にまっとうな人生を遅らせることを目的とした際。彼女が何を望んでいるかを調べなければならないだろう。大体ではない。大体、揚げ足をとられないように穴を埋めてかかるのだ。

 そう思い立った私は、徹夜とまではいかないが、自室にある彼女の情報をひたすらに探し続けた。そして、そこであるものを発見した。小学校の頃の、作文だ。

 

 いわゆる将来の自分に当てての手紙だ。なんとも、こんなもの本当に書いたのかさえ記憶があやふやなレベルだ。

 

 だが、そこに書かれていた情報が――もっと言えば、そこに書かれていた「彼女の」書き込みが、翌日の私の行動を決定付けた。

 

 ある程度、その書き込みを支点に考えれば。無理やりではあるがその後の彼女の私に対する行動に、説得力を持たせることが出来るのではないか。

 何分、情報の系統が系統なものだから、情報収集することも出来ない。出来るとすれば春瀬本人からだが、そんなものを聞くのは、ある意味危険極まりない。

 

 ある種の賭けが……、しかし、不思議と私にとって、それは勝率が高い賭けだった。

 

 

 

 

 さて、翌日の放課後。

 

「……何?」

 

 春瀬は律儀に、教室に戻ってきた。

 私が担任に、授業のことで聞きたい事があるのをカモフラージュして放課後に教室に残っていたのだが、彼女も彼女で何か方法をとって、この場に舞い戻ってきたのだ。

 

 私がとった方法は、朝方、彼女の上履きに手紙を入れるというそれだ。放課後、教室で待って居てくれという類のそれだ。当時まだケータイもスマホも普及していなかった時代。定額料金とも無縁の時代。

 誰かを呼び出す手法としては中々に王道だろう。

 無論、異性相手にそれをやった場合の受け取られ方も含めて。

 

 普通、その可能性がある場合。その相手が「誰か」分かっていれば、反応は三通りある。手紙に書かれていた呼び出し場所に向かう、手紙を破り捨てて見なかったことにする、「~から手紙を出された」と教室内で触れ回って、いじめる。


 彼女がとったのは、最初の選択肢だった。

 

 少なくとも、この時点で賭けは八割以上は勝利していた――なにせ今の私の教室での立場を考えれば、間違いなく後者二つに絞られる。それをとらずに最初の選択肢を選んだのだ。つまり、それだけの理由が、感情が根底にはある。

 

 私は、出来る限り自然に会話を切り出した。

 

「色々話したいんだけど、その前に。最近、元気? 顔色が悪いけど」

「……別に、カンケーないから」

「そう邪険に扱わなくても良いじゃん」

「なんでよ」

「むしろ、なんで?」

「アンタの質問に答える意味なんてある?」

「答えてくれると、嬉しいかの。ほら、全然最近……? 話せてなかったから」

「……なんで、アンタと話さないといけないの?」

 

 中々手ごわい。というより、まぁこれは性差か。

 仕方ないので、私は札を一つ切った。

 

 

 

「――好きな相手と話せないって、辛いからだよ」

 

 

 

 自分の言葉の空々しさに、鳥肌が立ちそうだった。だが私の言葉に、彼女は目を見開いて硬直した。

 どうやら、賭けには勝ったようだった。

 

「……いやキモいから」

「って言われても、僕、小学校の頃から知世(ヽヽ)はそう思ってたと思ったけど、違ったの?」

「は?」

 

 表情が険しくなるが、構いやしない。元々警察官の時も、世間体は重要だが人命に替えられるものではないのだ。

 

 春瀬知世が小学生時代、私の「将来の自分へ」の作文。俳優になってるだろう想定で書かれたそれに添えた言葉。えんぴつで書かれた私のその横にマジックで綺麗に書かれたそれは「ちゃんと子供たち養ってよね」というものだった。

 

 何故、彼女がそんなことを書くのか。それはつまり、書くだけの意味が当時の彼女にあったということだろう。

 どの時点で私を好きになっていたのか。答えは、相当初期の時点でだったようだ。

 

 少なくとも春瀬との関係は、中学一年の最初までは安定していたのだ。そこから段々と遠ざかっていったにせよ、少なからず彼女の中に、私に対する恋愛感情めいたものがあったのだろう。

 もし何事もなければ、それこそ私達も思春期に突入すれば、無難に彼女のことを好きになっていたかもしれない。だが総じて、女の子は精神年齢の成長が早い。娘を見ていてそう確信できる。つまり知世も、早くからそういった目で私を見ていた可能性も、十分ありえたのだ。

 

 そして、何故彼女が私から離れたか……。クラスでの、いじめられる立ち位置に私が来たからなのか、何か別な理由からか。あるいは私が嫌いになったからか。どうなのか定かでなかった。だからこそ、今日は賭けを実行した。私に対して、もし好意が完全になければ、この場に彼女が来る事はなかったはずだ。加えて、廊下に誰かが居る気配もない。

 

 とすれば――少なからず、私は春瀬と会話をすることが出来るはずだ。

 そして会話が出来れば、彼女の現状を「突き崩す」ことも不可能ではないはずだ。

 

「無視されるってのも、まぁ色々辛いけどさ。最近は電話にも出ないしの」

「別に、電話代かかるじゃん」

「だったら家の前に行って、インターフォン押した時も反応して欲しいかな。一緒に遊びにいくことさえ拒否されて、会話も出来なくって……。辛いでしょ、普通に」

「……アンタが辛いのが、私に何の関係があんの。仮に昔好きだったとしても――」

「言ったよ。少なくとも知世は、わ……、俺を嫌いきれてはいないはず」


 じゃ、と続けそうになったのを、慌てて咳払いで防いだ。……還暦を過ぎてから、意識的に老人口調にしいていたのが裏目に出たか。

 

 春瀬は警戒を続けるように私を見て、ため息をついた。

 

「……あっちゃん、いつからそんな女の敵みたいになったの?」

 

 あっちゃん、というのは彼女なりの私の呼び名だ。ヘキ→ヘーキ→兵器→アーミー、というとんでもない変換の結果だと知ったのは高校時代だったが。

 しかし、何と言った。

 

「女の敵?」

「……敵でしょ、だって」

「いや、意味がわかんない」

「……本気でわかんないって言ってるなら、良かった。これで清々する。ちゃんと絶交で――」

「待て」

 

 私は立ち上がり、去ろうとする彼女の手を掴んだ。

 腕力は彼女と大差ないはずだが、なぜか彼女はその手を振りほどかなかった。

 

「俺が、今、クラスで浮いてるのも、ハブられてるのも、ディスられてるのも知ってるけれど。でも内容までは知らない。何だよ、何かそういう類の話があんのかよ」

「……離して」

「嫌だ」

「――離せって言ってんの!」

 

 振り解かず、彼女は私の顔面目掛けて拳を向けてきた。

 

 私は……、それを避けず、正面から受けた。

 拳の痛みと共に、奥歯が一本くらいぐぎり、と動いたような、抜けかけたような音が……、いや当時はまだ乳歯だったと思うからから、たぶん大丈夫か。

 しかし痛い。この身体がまだ、殴られ慣れてないせいもあってか尚更痛い。涙で目がにじむ。

 

 歯で切ったのか、頬の内側から血が垂れて、私の口から唾液と一緒に零れた。

 春瀬は私を見て、再び目を大きくしていた。驚いたような、それでいて何かおびえているような。

 

 私は静かに、彼女の左手を掴んで、下に下ろさせて言った。

 

 

()は、知世に対して後ろ暗いことは何もしてない」

「――ッ、う、嘘よ、だって」

「誰がそんなことを話したのか、俺は知らない。知りたくもない。でも、知世はどっちを信じるんだ? ぱっと新しく出てきた情報と、それまで積み上げてきた分の年月とを比べて。

 そりゃ、俺はお前の全部を知ってる訳じゃない。お前だって俺の全部を知ってる訳じゃない。でも、俺がお前から、ここまで嫌われるようなことをしたのか?」

 

 痛みのせいで涙が零れているが、彼女からすればまた別な意味にも見えているかもしれない。私は出来る限り、淡々と言葉を紡いだ。

 

 春瀬は震えながら、私の手を払い、私を殴った右手を左手で覆った。

 

 

「だって、あっちゃん……、告白されたじゃん。フったじゃん。何人も遊んでるって、みんな言ったんだから」

 

 ……。

 

「遊んでる?」

「そ、そうでしょ! 女の子とっかえひっかえして、あそ……、あれ?」

 

 出来る限り純朴そうな反応を装った結果か、春瀬は私のリアクションに首を傾げた。

 

 実際当時、その手の類の知識とは無縁だった私だ。今のこれは演技以外の何ものでもないが、反応自体は間違いなく当時のものだ。

 無論、そんな女遊びしていたという事実も無根である。もししていたとしたら、小学校までは間違いなく春瀬と。中学卒業までは、奏さんと。共に普通に、健全に、テレビゲームしたり身体を動かしたりといった程度だろう。


 何かに気づいたように、気づいてしまった事実と彼女の中の認識との齟齬に、混乱して入る様子の春瀬。

 私は、容赦なくそこに叩き込んだ。

 

「大体、俺、こっち入ってから、いじめられるまで、ずっと一緒だったじゃん。いつやる暇あんの?」

「……あれ?」

「おまけにさ、いじめられ始めてからなんて、もっと酷いでしょ。なんで半年以上経った今でも、そんな話しが未だに残ってるのさ。……って、その様子だと、ひょっとして新しい話も追加されてない?」

「…………あれ?」

 

 春瀬は、春瀬知世は。

 

「あれ、へ? へ? いや、嘘でしょ、だって――男なんて、みんなそうでしょ? なのに何で――」

 

 明らかに状態が、混乱の極地だった。

 

 やれやれしかし、何だ? 彼女が今のようになった理由に、何か噂のようなものもあるということか? おまけにだが……、それ以外に何か、彼女自身の事情として、その思い込みを加速させる何かもあったと。

 

「とりあえず、変な噂とかあったらちゃんと調べてって。教室で別に今まで通りでもいいけど、たまには何か反応を示してくれると助かるかの」

「……いや、だって」

 

 春瀬は、ちゃんと「ごめんなさい」の出来る子だ。

 だからこそ、それが出来ない今のそれに引っかかりを覚える。

 

 自分に非がないと思い込むだけの何かが彼女の中にあるということか。

 

 まぁ、どちらにせよだ。問題の根治には程遠いが、最後に一撃与えておかねばなるまい。

 

 

 

「――俺も知世のことが好きなんだから、知世からそんな思われてるって、辛いよ」

 

 

 

 前のように戻れなくても良いから、ちゃんと話してくれ。

 それだけ伝えると、彼女は限界が来たのか、ぺたんと床に尻餅を付いた。


 まぁ、これで彼女に関して解決する訳ではない。これだけ「心が篭ってない」言葉を言い続けてるのも、本心ではないからこそだ。既に私のメンタルはそこにはない。誰が好きだ嫌いだという次元は、前世の中学時代に捨て去った。

 

 むしろ、ここからが真の取っ掛かりと言うべきだった。

 

 明日以降、まず調べるべきは彼女の周囲の状況だろう。

 

 

 

 

 

要点整理


・春瀬知世:何か誤解してる? クラス内でどんな陰口を叩かれているか、本人の周囲に何か問題があったのか要調査

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