5.問題点は整理しないと
特に色気のないお色気シーン
砂まみれは流石に酷いと言われつつ、私は家に上がった。
何故か、奏さんも一緒に。
個人的に困ったのは、どうも彼女の中で私の扱いが小学校低学年の頃から変わっていないらしい、ということだった。
「やんちゃしたの? ケンカしたの? まあともかく、お姉さんが洗ってしんぜよう~」
当時の女性観的に、もっと慎ましくも貞操観念を持って警戒してくるべきだろうと思う。自分の部屋に入ってバッグを置いた途端、飄々と制服を脱がせ下着とタオルを持たせ、そのままバスルームに直行させられた。
しかも彼女も風呂に入るつもりのようだ。
母親は母親で「あらあらすみませんねぇわざわざ」とノリが軽い。仮にも思春期に突入している子供を、年頃の女性と一緒に風呂に入れるようにするというのは如何なものなのだろうか。
色ボケている訳でもないお爺ちゃんなので、そういう意味では興味も差ほどないが。それとこれとは話が別だ。
もっともどんなに抗議しても、大学で合気道を習っている彼女の腕力には敵わない。女性らしく華奢な彼女の腕であるが、それでも今(当時)の私のそれよりは強いのだ。
結果として、わしゃわしゃ頭を洗われている私がいる。
思えばこういう、完全に私を弟扱いする度量というか、そういうところにドギマギさせられたような気がする。
あと、あえて言うなら女性らしいその瑞々しい身体にも。
精神的にはともかく身体は反応しそうになるので、意識的にそれを押さえる。と、その前傾姿勢に対してからかうように抱きついてくるのが、困る。当時なら嬉しかったろうが、今は果てしなく面倒くさい。
「奏さんや、ちょっと――」
「あらー? ふふ、そうだねぇ。ヘキくんもやっぱり男の子なんだしぃ」
「そういうつもりもないのに誘惑するのは止めてくれませんか」
「あれ、嬉しくないの?」
「……」
下手に反応をして、今の私の状態について何か知られるのもまずい、ような気がする。
ただその沈黙を是と受け取ったのか、彼女はより楽しそうに私の頭を抱きしめ、包んだ。もっとも、頭に感じるやわらかな感触についても「やわらかいな」程度の認識しか出来ないのが枯れているのか、何なのか。
苗木 奏。当時は大学生になる彼女だが、その付き合いは彼女が私の家の隣に引っ越してきた時、つまり私が小学3年生だった頃あたりまで遡る。
当時はまだまだ春瀬……、知世とも仲が良く、そんな折に近所にやって来た彼女は、ある種憧れのお姉さんだった。時折家で知世も招いて一緒に遊んでいた時、むっとされるくらいにはそこそこ仲良くなっていたように思う。
私にとっては、一人っ子だった私に突如出来た姉で、憧れの女の人だった。
時折、一緒にお風呂に入れてくれるのにドキドキしていたが、まあ当時の不躾な視線も笑って流すくらいには懐が深かったのだろう。
私が高校を卒業したあたりで引っ越して疎遠になったが、一度だけ、養娘の授業参観の際に遭遇したことがあった。
何故かその時に「ごめんね」と謝られたが、あれが何を指し示してるかはいまいちよく覚えていなかった。何分、かつての私にとっての中学時代は思い出したくない領域のものであり、少し健忘症でも起していたのかもしれない。
何にしても、そんな彼女はある意味、中学時代の私にとってのより所の一つだったのかもしれない。
どんなにストレスやプレッシャーに晒されても、彼女と話したりするだけで心が洗われた。
有体に言うと、片思いしていたのだろう。
今の私にはさほど関係ない話だが。
「すみません、お夕飯まで……」
「いえいえ。制服の砂、とってもらっちゃってまーた。奏ちゃんは良いお嫁さんになるわぁ」
「あ、あはは……」
「それに、へっちゃんも嬉しいわよねー」
「んー、まあ遅くならない程度に」
「んもう! 照れちゃって。ごめんなさいね? 愛想のない子で」
「いえいえ。嬉しいの? うりうりー」
でもまあ、この扱いをみるに完全に遊ばれていた。
当時の私のことながら、なんとなくお悔やみ申し上げる。
風呂を上がると制服をちょちょいといじると言って、脱ぎ捨てた制服を奪い取った彼女。バスタオル姿のまま私の部屋に上がりこむ様は完全に私を異性として見ていない。母親は母親で何を考えているのか知らないガ……。
ともあれそうこうしている内に母の夕食の支度が終了し、せっかくなので彼女も含めて夕食、という運びになった。
私は何をしていたかと言えば、特に何もせずテレビを見ていた……訳ではない。
自分の部屋で、日記帳を確認していた。
さて、ここで少しおかしな現象が起こる。
日記帳の最新の日付は昨日の日付、つまり五月二十日になっているはずだ。
だというのにさっき確認したら、日付は二十一日になっている。つまり今日だ。無論、あたらしく書いた覚えはない。だが不思議なことに、そこにはきちんと今日の分の――より正確には「当時の」今日のデータが反映されていた。
これも羅神様たちの仕業なのだろうか……? しかし果たして、これが何のしわざになるのだろうか。
ともあれそういったこともあり、日記帳について今まで古いものも机の奥から引っ張り出し(中にいた小さい虫とかも指で潰し)、確認したりしていた。
それもふまえての内容を、私はある程度整理していた。
問題点は、二つ。
内一つは学校での私の扱い。まぁこれについては気って捨てても問題ないだろう。
もっとより重要なのは――。
「……知世じゃ」
「? 知世ちゃんがどうかした?」
私の呟きに、奏さんが首を傾げた。何でもないと言うと「気になるなぁ」と顔を近づけてきた。
「最近遊びにこないし、ひょっとして振られちゃった?」
「……?」
「あれれ? まあいいや。んー、でもどうしたの? なんか思い詰めてるみたいな顔をしてるけど」
お気楽そうに聞いて来てはいるが、奏さんの目はそこそこ真剣だった。「大丈夫だよ」と言い張れば流すが、もしきちんと相談するなら力になるよ、という目だった。
さて、と。……私は何を言ったものか。
いくつか注意するポイントとしては、私の抱えている類の問題が中途半端に説明できないという類の話だ。今は経験則から後々大問題になりかねない部分を見つけられるが、当時の私の周囲は一見して波風なかったように見えたろう。
つまるところ、いじめなのか周囲と馬が合わないだけなのか、というのが判別し辛いということだ。
今ならそこに明確な悪意があるため、いじめだと簡単に問題に出来る。むしろ問題なのは、中途半端に知恵を付けてきた子供たちは、より巧妙に、より分かり辛くイケニエを作り出すということだ。
少なくとも、彼女もあちら側に居るということに違いはないだろう。
だが、ここで全く頼らないと言うのは、問題を後々深刻化しかねないことも経験則で知っている。なので奏さんには、最近あんまり話さない、という事実だけを言った。
「んー、……複雑だね」
奏さんはそれ以上は言わなかった。何か思ったこともあったのかもしれないが、傷つくと思ったのかもしれない。なんだかんだ言っても、所詮は他人だから。
そして同時に、母親は一瞬ぴくりと微妙な反応をしたような気がする。何かを知っているのだろうか、知っていないのだろうか。
夕食が終わり、奏さんが帰って、父親が残業から帰宅した後。
私は自室で、記憶を穿り返していた。
考えるのは、春瀬のこと――もっと言えば「かつての」彼女、私が今ここに来る前の、当時の彼女のこと。その後に彼女がたどった全てを。
もともと、私と彼女の仲はかなり良かった。いつごろからか覚えてないが、小学六年生の時点ではなんとなく彼女とずっと一緒に居るんだろうなー、くらいにとらえていた覚えがある。80年経った後でも覚えているのだから、相当だろう。今だにそれが恋愛感情なのか家族愛なのか、一切わからないのだが。
当時の彼女は、それはそれは優しかった。それはそれはキレの良いツッコミを入れてくれる女の子だった。
だが、そこから事態は大きく変化した。
私がクラスから浮いた、というよりはいじめられたというのが大きい。二年生、三年生は無視中心になったが、一年生の頃はそれなりに……。日記を読み返した範囲でもその通りなのだから、やはり爆発したのが効いて現状に落ち着いているのだろう。今の状態を落ち着いていると表現したくはないが。
それが結果で、私は彼女……、ひいてはクラス、人間全般に対して軽く絶望した。年若かったこともあったろうが、しかしそこで逆に燃えた。何に燃えたかというと、そういった悪いこと、わかりやすい悪いことを正したいという風に。わかりやすく燃えたのは、やっぱり若かったのだろう。
奏さんに対する気持ちが好意へと変化したのは、たぶんその前後だ。もっとも
結果として高校を出て警察学校に行くのだが、その途中、高校生時代もまた彼女と一緒の高校だった。そこで何があったのか、ちょっとした事件になり、そこで……、嗚呼、あれは男鹿だったか。確か彼女が襲われかけたのを助けたことがきっかけで、男鹿と付き合い始めたのだとか。
高校の頃は完全に切り替えて、まぁ、勝手に幸せになってくれという程度しか考えはなかった。自分でもびっくりするくらい、そこの割り切りが出来ていた。
そして警察学校に行き、必死にやったお陰か成績も良かったことから配属先も普通に都内の庁行きとなり、思ったよりもびっくりなスタートを切って数年。
春瀬が自殺未遂を起こしたという話を聞いたのは、ちょうどその頃だった。
たまたま当時、自宅に一度帰る用事があったから耳に入ったので、せっかくだからお見舞いに行った。完全に当時は物見遊山とは言わないが、まあ懐かしい友達に会いに行こうという程度の考え方で。
さすがに意識を取り戻しているだろうという前提のもと。
結果はものの見事に違った。
病室に入った瞬間、赤ん坊の泣き声が響いていたのが、突然ぴたりと止まった。
まず病室に赤ん坊が居た事が既に理解できなかった(というかびっくりした)。だが私の姿を見とめると、春瀬の母親は泣き出した。小さい頃は確かに面識はあったのだが、驚いたことに彼女の母親は私の顔を覚えていたようだった。
点滴を受けて、目を閉じている春瀬。顔は白く、今にも死んでしまいそうだった。
聞けば入水を図ったらしく、判定は脳死状態だったそうだ。
病室に足を運んだ知り合いが私しか居なかったため、その上相手が私だったこともあり、母親……、一応義母にあたるのだが、彼女は心底、娘を哀れんだようだった。
詳しい経緯は、ざっくり省いて聞いた。何とも胸糞の悪くなる話だったが、どうやらできちゃった婚の直前に捨てられてしまったらしい。
私の記憶する彼女は気丈で、その程度のことでは死ぬような人間には思えなかったのだが、既にこうして死にかけていることに違いはなかった。
相手の男のことも母親には黙っていたらしく、結果的に私生児として生んだらしい。大反対しただろうに、母親は気丈に振舞って居たようだ。
入水した直接の原因は、やはりその男にもう一度出会ったことのようだ。そこで何かあったのだろう。
そしてドナー登録をしていたため、私が訪れた日がどうやら最後の面会日になる予定だったらしい。
彼女の机の上には、直前まで持っていた荷物だろう印鑑が押された婚約届けが一つ。そこまでして縋るしか方法はなかったのだろうかと、いまだに当時の彼女の考えていることは理解できない。
だが……、衝動的に、私は思いついたことを母親に提案した。
結果として、その生まれた赤ん坊は、私の養娘となった。もっとも法律上も問題のない娘であったが。
彼女が死ぬ前に、実印が押されていたことが功を奏したのだろう。もし彼女の幽霊でもその場に居たら、何かを考えていたかもしれないがそんなもの知ったこっちゃない。目の前の赤ん坊を助けることが出来るのが自分しか居ないという勢いに任せ、私は平然とサインをしていた。
今思えば、何をやっているんだと思わなくもない。
だが、私の顔を半眼で見るその赤ん坊を見て、不思議と放っておこうとは思わなかった。
むしろもめたのは、我が実家の方だ。説得もかなりかかり、知り合いの紹介で頼ったベビーシッターやら義母の助けもあり、なんとかはしたのだが。
部署も結果的に変更され、派出所勤務となったりもしたな。
その後は、周りに助けられてなんとか生きられた。……思ったのはまぁ、私は結婚や子育てに向いている性格ではなかったということか。義息子、というか娘の旦那には「謙遜ですよ」と笑われそうだが。
そして思い出すのは、娘が成人した頃。義母から送られてきたものは、春瀬知世の遺書だった。
いや、遺書というにはあまりに酷いものだったが。正直、ぐちゃくちゃに殴り書きされていたものだった。
そこに書かれていたのは、娘と、母と、私に対する謝罪だった。
分量としては母と娘が八割ほどを占めており、私は二割弱程度だった。まあ小学校くらいしか親しくしてはいなかったのだから、その比率はむしろ驚異的な割合なのかもしれない。逆になぜ私の名前を書いていたのか、という話だったか。
だが、そこに書かれていた最後の一言が、少し引っかかった。
私の初めて好きになった貴方へ、という締めくくり方がされていたのだ。
私はてっきり、彼女からは嫌われていたものだと思っていたのだが……。今日のことも踏まえても、いまいちそこに書かれていた情報を信用することは難しい。単に混乱状態において、過去の記憶が美化されていただけではないだろうか。
一通りの流れを思い返して、私は伸びをして、考える。
……このまま放置しておくのも、面白くはない。私が警察官を目指したのは、そもそも自分が置かれた環境が酷く思えて、そういう状況を作り出せないように何か自分が出来ることはないか、と考えた結果だ。
実際警察官になってから、きれいごとだけじゃない色々な経験も積んだ。……ノルマ概念だけは本気の本気で理解できなかった。というか今でも出来ない。
だが、だからといってそれにずっと己の考えを曲げ続けるのは、私の精神衛生上良くはないだろう。
なにせ、これは二度目の人生なのだから。
日記帳をぱらぱらめくりながら、私は過去の情報から、彼女のことを考える。ロクでもないような人生を歩んでしまった……、本人はどう思っていたかは知らないが、それでも普通の幸せとは縁遠い場所に居た彼女だ。
その人生の流れを考えて、何か、私に出来ることはないか。
「……羅神様は復讐者を求めていたようだが、こればっかりはそうもならんの」
そんなことをつぶやきつつ、私はまず明日以降、どう行動すべきかの案をいくつか考えた。